走の中にもう一つの人格を作る。 残酷さと凶暴性をも持った彼を深く心の奥底に閉ざし、代わりに固く閉ざされた優しい心を引き出す。彼が、彼を愛するものに囲まれて育てばきっとそうなっていたであろう、不安になるほどの明るさと前向きな姿。誰にも好かれる笑顔。イエローの心をも溶かす暖かさを持つ彼を、作り出す。 記憶を封じるのは簡単なことではない。まして走は相手の心を読むことが出来るのだ、簡単に運ぶことではなかった。 ガオイーグルは一人闘う岳のことを思い、一日も早く走を戦士として送り込みたかった。けれどその心すら読みとられ思うようには進まない。焦りだけが彼を追い立てる。 二人の努力を嘲笑うようなガオライオンが、再三諦めるよう言って寄越したが承知すればその後に起こる事態は決定的なものとなる。人々と平和のために自らを殺しながら闘う岳を前にそんなことは絶対に認められなかった。 月日は流れ、ホワイトにブルーという二人の戦士が加わった。その頃の岳の心は既に閉ざされきり他人を受け入れる余裕もなくなってきていた。 そしてガオバイソンが自らを託す戦士を見付けたと報告に来たその時、ガオイーグルは王の目を盗み宝珠を持ち出した。 手元を離すはずのないそれが簡単に持ち出せたのは、後になって考えればガオライオンの仕組んだことだったのかも知れない。とにかくガオイーグルはその宝珠を使い走の意識を一時的に閉ざした。 素直に笑うこと。人に愛される心を持つこと。 暖かな太陽を思わせる"獅子走"という人間を根本から作り上げ彼の中に植え付ける。本来の走は深く、深く封印しその後二度と現れないよう何度も、幾重にも封をした。 神の領域を侵す行為だという自覚はあったが、それでもそれが彼のためにもなると信じた。 作り替えられた彼を見たガオライオンは、それは楽しげに笑ってガオイーグルを見る。 『お前は…まこと、なに一つ分からぬ奴よな』 そうして、"獅子走"は一度目の死を迎えた。 戦士として一番最後に参入した走は、周囲が辟易するような楽観性で仲間を翻弄した。特に岳は彼のような人間を受け入れることなど出来ず、その辺はガオイーグルにも予測不可能なことだった。身近に接しているテトムも苦笑するしかなかった。 それでも戦士として闘うことに不都合はなく、近付かないことで折り合いを付けているようでもあった。 日々は流れる。 岳が怪我をした時、走はその血を見て胸の中のざわつきを自覚した。 炎上するオルグを見て強い眩暈を感じた。 死んでいく。邪悪な思いが、自らの罪にも気付かず恨みの念と共に死んでいく。 この手で。 殺す。 走の様子がおかしいとテトムが報告に来た時、そこにガオライオンが居合わせた。彼は唇に冷たい笑みを浮かべガオイーグルを見つめていた。嫌な予感が背を走る。 封印は、闘いの中でゆっくりとほどけていった。走は自分の中にある暗く冷たいそれに戸惑い塞ぎ込むようになった。 殺す。その感触の懐かしさ。恨みをぶつけられる慣れ親しんだ感覚。 明るく前向きな彼には、自分の中に芽生えたそれを受け止めきることなど出来なかった。 『あれに施した封印は完全なものではない。気付かないとは不覚であったな。 我の宝珠はあの時既に"獅子走"としての意識を取り込んでおったのよ』 何度も、何度も。 服の解れを繕うように封印を繰り返す。けれどそのうち彼の中にははっきり走としての意識が蘇ってきた。一瞬のそれはゆっくり浸食を始める。 不安がる彼にテトムは言った。"あなたは幼い頃の記憶が元で多重人格の症状があるの" 走は藁にも縋る思いでそれを聞いた。聞き入れた。 作られた記憶が更に一つ。 走の中には"歩"と名付けられた人格がある。それは辛かった過去を持つ自分自身ではあるけれど、いま、仲間を得た彼自身がその過去にとらわれる必要はなくなったから。もう二度と一人にはならないから。 走という人間。 封じられた人格。本当の彼。 植え付けられた偽物の"走"が己の中にあると自覚したもう一人の自分。 "歩" どれが本物で、どれが偽物か。 ガオイーグルの、抱き締めたその腕の中で震えるのは。 "走"の覚醒と暴走は止まらない。 岳にバンダナを渡したのは"走" 路地裏で猫の死骸を抱き締め蹲ったのは"走"の中の"歩" 仲間の中で浮き、傷付いた目でシルバーを見たのは"走" そのシルバーを誘ったのは、限りなく"歩"に近付いた"走" ゆっくり。 ゆっくりと。 "歩"へと近付く"走" 走へと還る、走。 止められるはずがない。彼は彼でしかないから。作られた偽りの優しさではなく、本来の傷付いた心のままに暗い目を持つ彼。 獅子走は、初めから、彼なのだから。 「お前に近付かせる訳にはいかなかった。相容れないならそれでもいい、頑なな心でも私には懐いてくれた。だから封印が完全に消え去ることのないよう見守るだけでもよかったのだ。けれど哀れな走を助けたいとも思った。どうにかして優しいままの彼でいさせたかった。岳に近寄ることで封印が弛み、望まぬ事態へと進んでいくのを…私はどうしても止めたかった」 愛されて、求められて。 裏切って。 殺される瞬間を。 「私の封印が歪んだのは、ガオライオンの力によるものだった。私を許せなかったのだろう、畏れ、決して受け入れることの出来なかったその思いを…もう、忘れるほどの過去から感じ取っていたのだろうから」 本来の意識を取り戻し、走は元の通り岳に求められるよう仕組み始めた。 けれどガオライオンとガオイーグルから受ける、二つの相反する強力な磁気のような力に翻弄され走の意識は正と負の両方を激しく行き来した。その結果、不安定さは増した。 よかったのか。それともやはり、悪かったのか。 走は救いの手を求める。疲れ、傷付いた心は終末だけを望んだ。 そこに。 岳が。 「お前が掴んだ腕が本来の走だったのかそれとも私が作り出した走だったのか…それは分からないけれど。あれはお前の優しさに触れてしまった。暖かさを知った。知ったことでより、終わりを覚悟したのだろう」 「おわ…り…」 「走の望みは一つ。愛してくれるものを裏切ること。自分の本性を隠し最後に手ひどく裏切る。愛しながらも自らの手で殺す、そういう痛みを与えたかった。屈折しきった思いだ」 それを無理にねじ曲げ"もう一人の走"を作ったことでシナリオは大きく変わる。 走は岳を求めてしまった。本気で救われたかった。心の奥底では安らぎを欲していたのだ、岳のぎこちない指に必死で縋り付いても不思議はない。 それならそうして、二人で生きられればよかったのに。 走には、愛される資格などないと思い込むだけの過去があった。だから葛藤した。 「最後まで、お前に縋りたい心と裏切りたい心がせめぎ合ったのだろう。正体を明かし絶望させ、憎まれる。手にかかることは諦めてもお前に求められたままは逝けなかった。だがあれが…ガオライオンが、死を決意したことを悟ってしまった」 ガオライオンの心を聞いた。 寂しく死んでいくことを、けれど彼は悔やみも、痛みもしていなかった。 たったひとりの王。 誰にも縋れず。 ひとりきりで、その心すら知らせず。 裏切りだと思わせ自分一人、敵の懐へと飛び込んで。 「似ていると思ってはいたが…ガオライオンとガオレッド、同じ、寂しい魂を持った彼等は出逢うべくして出逢い…そして…」 走はガオライオンの心を知り、漸く決意したのだろう。 ともに逝くべき相手はいた。ひとりではない。互いに寂しくなんの慰めも生みはしないけれどそれでも。 それでもたった一人、消えていくことだけはさせないから。 ひとりは辛いから。 幸せは重ねれば暖かさを増す。 けれど痛みは。 「無力を、幾ら嘆いてもなにもならないがな。ガオライオンが消滅した後、我らにはその意識が届いた。不甲斐ない王を詫びる言葉のみ、天空から降ってきたんだよ。別れも、後悔もなにもない。存在があったことすら残さぬような、そんな…そんな悲しい思念だけが届いたのだ…」 沸き上がった感情を抑えるように、ガオイーグルが掌で顔を覆う。 なにも言えず、岳はただ湖を見ていた。 「あれはいつでも孤独だった。私はレオンの言葉を守れなかった。孤独な王を支えることが出来ずただ逃げていた。走のことも…救えなかった…」 「それなら俺も……同じだよ」 痛みを拭ってやることなど出来ない。だけど一緒に持つことは出来た。 過去は取り戻せなくてもこれからという時間はある。人には言葉があり感情がある。 約束したのに。 なにがあっても側にいると決めたのに。 聞かされた彼の真実を"裏切り"とは取れない。痛みばかりが襲い恨みになど思えない。負わされた傷を思えば彼を悪いなどと誰が言えるのか。人間は誰しも自分の痛みには敏感で度重なれば外への攻撃へと転じるだろう。 悪いなんて。 だから決められないし責められない。そう言ってやることは出来たはずだ、いま、ここにいるなら。 ここにいてくれれば。 「俺は…あいつのこと、好きだよ。笑ってた走が作られたものだったとしても、あの透明な目に色を付けてやりたかった。大切なものを教えてやりたかった。好きだと思った気持ちは、だから本物なんだよ」 目を閉じれば思い出す。 甘えたあの仕草が本心ではなくても、抱き締めた体は温かかった。彼も、温もりを感じていたはずだから。 二人なら。 側にいれば。 これから掴めるものは確かに存在しているのに。気付かないほど愚かではないだろうに。 やるせなく、目を伏せる。 風が吹く。 静かに、甘い香りが流れる。 穏やかで、けれど悲しい世界。彼等のいない世界。 「岳」 「…ん」 返事をしたのに、ガオイーグルからの応えがない。不審に思い横を見ると、彼はじっと湖に視線をやりなにか思案しているようだった。 「なんだよ…言いかけたらちゃんと話せよ」 「…ああ。ああ、そうだな。話しても…よいかもな」 お前なら。 指を。 ガオイーグルが、その長い指先を湖の中央に向けて指し示す。 ゆっくりと。視線が。 岳の視線が、巡る。 紅い光を抱いて。 「かけ…る…」 湖上に浮き上がるように、身に纏ったローブのようなものを風に揺らした青年が紅い光を胸に抱え背を丸めるようにして目を閉じている。 忘れるはずもない、一度はその腕に捕らえた思い人。 悲しく、守るべき愛しい人。 「走だ…なあ、走だろう?あいつなんだろう!」 「そうと言えば嘘になる。岳、あれはお前の知る走ではない」 「なんで…生きてたんだな、あいつ生きてたんだな」 「岳よ、よく聞け。あれは確かに走であったものだが今は違う。私にも、バイソンやシャークにも分からないが、あれがお前のいう"走"でないことは確かだ」 「だってあいつだよ、同じ顔してるだろ。なあ、こっちに呼べないのか?シャークにでも運ばせられないのかよっ!」 「岳…」 緩く首を振られカッと頭に血が上る。制止も聞かず立ち上がった岳はそのまま湖に向かって走り出した。 水が跳ね、たちまち胸まで浸かりきる。足を取られ進むのが困難になると岳はそのまま泳ぎだした。求めるもののために。伝えきれなかった気持ちを今度こそ届けるために。 彼は、薄く微笑むように紅い光を抱き留めたままそこにいた。まるで岳の到着を待っているかのようだった。 「走っ!お前なんだろ、なあ、走なんだろう!」 叫んでも彼は目を開けない。水飛沫を上げ懸命に泳ぎながら絶叫する。それでも気付く様子のない彼に岳の体力が落ちてくる。 『やれやれ、オルグもないのに人間と交わることになろうとは』 声ではなく意識に届いたそれは足下から響いてくる。途端に足が何かに触れ、岳の体は走と同じ高さにまで浮き上がった。ガオシャークの青い体の上。 長い睫毛を伏せた顔はどこまでも穏やかで、あどけない子供のようにも見えた。けれど一日たりと忘れたことのない彼であることに変わりはない。たとえなにを聞かされても気持ちは揺らいだりしなかった。悲しみを、分け合えていればこんなことにはならなかったとそればかりが胸を締め付け後悔を誘う。 なにかが始まると思った。始められるはずだった。だから。 「目を開けてくれ。目を開けて俺を見てくれ。走…かける、なあ」 そっと伸ばした指を頬に寄せる。触れるのが怖くて、そこにあるのが実体を持った彼なのか分からなくて。冷たい体であれば、もうどうすればいいのか分からなくなる。 「走」 閉じた瞼に不安が増す。 「かける」 触れる。 震える瞼が花の咲くようにゆっくりと開く。 紅い瞳が現れる。 頬に這わせた指を擽るように動かすと、まるで猫の子のように首を竦め甘えるように目を細める。 「走」 呼び掛ける。彼を。彼の本質を。呼び覚ましたい。 「かける」 彼が誰であっても。どんな存在であっても。なにをしてきたとしても、これからどうなっていこうとも。出逢ったのは二人だし誓ったのは自分だ。求められたのは他の誰でもないこの俺だから。だから見て、触れて、感じて。 思い出して欲しい、確かめ合った気持ちを。思いを。愛情を。 信じて。 「お前が…どなんな奴でも、始めてみなきゃ分からないだろ。お前の言葉でどれほど痛かったか、辛かったか教えてくれよ。聞かせてくれよ。それからじゃないのか?そうしなれりゃならないほど疲れていたんだったとしてもさ、俺の気持ちも受け止めてないうちに勝手なことして。それじゃあなにも変わらないだろ。辛いままだろ」 両の掌で頬を包む。温もりを分け合う。 「走、お前はお前だ。変わる必要なんかない。寂しかったんだろ?だから俺を利用してまで、最後だけでも愛されたいと思ったんだろ。俺は騙されたなんて思わないよ。お前の目を俺は見たから。なにもないあんな目を見せられて、心が動かないはずないだろう。なあ、俺を信じてみろよ。どんなものが出てきても、お前が走だってことに違いはないだろ?まだなにも見せてもらってないのと同じだぜ?受け止めるからさ、言ってくれよ。お前のこと全部話せよ。なあ、俺の側にいろよ」 辛くなる時はあるかもしれない。考えなければならないことは沢山あるだろう。それでもなにもしないうちから諦めて嘆くのは嫌だ。お前は、それさえも嫌になるほど痛みばかりを抱えてきたのは分かるけど、チャンスもくれないうちに逃げるなんて許さない。 紅い瞳はガオライオンのものか。 「望みはある」 「イーグル…」 いつの間に傍らに来ていたガオイーグルが、感情を顕わにした潤んだ瞳で走を見ている。岳と同じように、触れたいのに触れられず躊躇われた指先が落ちていく。 「ここに現れるようになったのは闘いが終わってすぐのことだったが、これまで一度として目を開いたことなどなかった。呼び掛けに反応することすらなかったのだ」 「俺が呼んだからって…思っていいのか」 「そう思いたい。私も」 「なあ、なんで目が赤いんだ?…それにこの、抱えてるのは…」 「分からぬ。分からぬがそれがなんであろうと私も構わない。岳よ、精霊の王が誕生する時はこうして光の珠が現れるのだ。お前の期待と私の期待は同じものであるかも知れぬ。それともまた、絶望を味わうことになるかも知れぬが…お前はそれでもよいのか」 「いいよ。悔やむとしても、それはやってみたあとのことだろう?なにもしないで嘆くよりはずっといい。俺は俺の信じる通りに生きたい。走も、そうなれればいい」 「そうか」 「うん」 進む道がどうであろうと自分が決めたことならそれが最善だ。彼が元通りの冷たさに覆われた心のままであっても構わない。初めから始めればいいのだ。 始められると、信じるから。 「…猫みてぇ」 岳の指に頬を擦り寄せる姿は甘える猫そのものだ。抱えたところで柔らかくはないだろうけど、抱き締めたらきっと心地いいような気がする。驚かせないようにそっと腕を伸ばし、背中に回した腕で抱き寄せる。 小さな笑い声が耳元を擽った。 「走」 お前を失ったと思った日々は辛かった。もう二度と逢えないのだと、諦められもしないくせに自らを虐めるように繰り返した。こうしてまた逢えて、抱き締めて、一番に欲しがったものを与えてやれるかも知れなくて。 俺には、幸せしか感じられないのに。 「俺と一緒は…嫌か?」 「いっしょ」 舌足らずな声。 「走?」 「いっしょ」 「走、お前…」 赤い目が岳を見ている。確かに彼を見て笑っている。嬉しそうに、幸せそうに。 唇で、岳の耳元を擽る。 「一緒に…いてくれるか?」 「いっしょに、いてくれるか?」 大きな瞳の中一杯に岳を映して。 「お前が、いたいと思ってくれる限り…」 こんなに誰かを思うなんて。 こんなに心が温かくなるなんて。 こんなに誰かの。 幸せを願うなんて。 「お前は、一人じゃない。孤独じゃない。痛かったら痛いって言っていいんだ、俺は聞いてやるから。どんな小さなことでも聞いてやるから。黙って堪えていないで教えてくれ、どうすればお前が笑っていられるかいつも考えてる。幸せがなにか考えてる。だから」 だから。 願わくはお前も。 「俺を信じることから………はじめてくれ」 その時の笑顔をずっとずっと忘れない。 きみの笑顔を。 忘れない。 今はまだ本当のきみではないけれど、それでもいつかきっと、必ずあの微笑みを見せてくれるだろう。心の中に確かにあった、少し怯えたあの微笑みを、守りたいと思った一途さを。 きっと、もっと暖かなものに変えてみせる。 真っ直ぐ日向の匂いのする、子供の純真さを失わない安らかなものに。 きみがなりたかった"愛される存在"に。 俺が、ここに、いるから。 手を取り合って歩くから。 一歩ずつ。 一歩ずつ。 歩いていこう。 信じるものに向かって。 |