取り違えたラブレター /water boys 進路指導室に呼ばれた立松が、"十分経って戻らなかったら荷物を持って浚いに来てね"と言うから、バーカと答えながらも言われた通りにした。 階段を下りて、途中でトイレに行きたくなって、誰もいないがらんとした廊下に二人分の荷物を置いて中に入った。用を足してから、なんとなく窓に近寄り外を見る。寒いし、受験生はみんな塾だの予備校だのと忙しいから校庭に残っている生徒もほとんどいなくて、がらんとしていて。 焦らないといけないんだろうけど、どうにもボンヤリした性格だから漠然とした不安はあるものの立松が一緒だからどうにかなるか、なんて思ってる俺はあくびを一つしてトイレを出た。 立松の赤いリュックを持って、自分の鞄も取り上げる。 なにこれ? 宛名も、差出人もない封筒を暫く眺めて、それからポケットに入れた。歩きながら考えて、もしかしてと思ったけれどあんまり興味が湧かなかった。 別に、いいけど。 進路指導室という、聞くだけでゾッとする部屋の前に立つと、間髪入れずにドアが開き立松が出てきた。 「やーんなっちゃうねぇ〜」 「…やんなっちゃうな」 「ん?」 「なんでもない。帰ろ」 「うん」 笑うと、笑い返す。 「寒い〜、ね、進藤ちゃんおでん食べよう」 「おでん?あー、いーねー」 「こんにゃくとしらたきがいいなー」 「ってそれどっちも同じだろ」 「んー、分かってない子ねぇ。こんにゃくにはこんにゃくの、しらたきにはしらたきのロマンがあるじゃない」 「…ロマン?あるか?」 「あるよ。だって男の子だもーん」 「……へー」 「あーやだ自分ばっかりイイコになって」 ぺんぺん、って、背中を叩かれる。 「よくわかんないけど、とにかくおでん食おう。俺ははんぺん」 「はんぺん!また可愛いこと言っちゃって、おいちゃん倒れちゃうよ」 「倒れろよ」 横目で、呆れたように見てやってから歩き出す。すぐ隣を立松も歩く。 「なあ、ほんとに一緒に住むのか?」 「進藤ちゃんがちゃーんと志望校に受かったらね」 「高望みしてないから…なんとか…なるかなー…」 「なってくんなきゃ困るよ!俺、いまも釘刺されたんだし」 「え、なんて?」 「…まあ、それはね、うん。どうでもいいんだけど」 立松の志望校は俺じゃあ絶対無理だと分かってるところで、だから初めから"一緒に"なんて考えてもいなかった。なのに担任と、進路指導担当と、なんでか隣のクラスの担任までやってきて『きみに人一人の人生を狂わせる権利はない』と怒られた。 意味が分からなくて、とにかくびっくりして、三人の顔を代わる代わる見ていたら立松がやってきてなんだか顔を真っ赤にして先生たちを怒っていた。自分で決めたんだとか、進藤ちゃんは関係ないとか、とにかくワーワー言うだけ言って俺の手を掴んで走り出した。 学校を出て、俺が自転車ごと突っ込んだ土手のところまで来ると漸く立ち止まり、ぜーぜー息を喘がせながらそれでも笑って立松は言った。 ――――『一緒の大学、行こうね』 俺の志望する大学は、おバカでは行けないけど立松ほどのお利口が選ぶところではまずない。 どんなに反対しても立松は"うん"とは言わなくて、いい加減根負けした俺もその件に関してはなにも言わなくなった。先生たちの猛攻撃の結果、立松自身もセンター試験だけは受けて、その結果次第で考えるということを了承したからなんとなく治まってはいるけど、それでもたまに呼び出されては"バカな考えを起こさないように"と釘を差されているのだ。 立松はなにも言わないけど、田中が教えてくれた。 納得なんかしてないのは、顔を見れば分かる。センターのことなんてただの誤魔化しだとすぐに気付いた。だから『足枷にはなりたくない』と言ってみたけど、曖昧に笑うだけでなにも言わなかった。あの顔を見たら、それ以上は言えなかった。 タイミングが合わないとか、そういうことではなく。 まだ、言えない。 コンビニでおでんを買って、散々『かわいーねー、はんぺん、って言ってみて。進藤ちゃん"は、ん、ぺ、ん"』と何度も強要されて、頭に来て囓りかけの、熱々のはんぺんを唇にくっつけてやったらバッタみたいに跳ねていた。頭いいくせに、こいつの落ち着きなさはなんだろうと思いながら跳ねる立松を見て笑った。 小さなことが、ものすごく嬉しかった。 ちゃんと勉強してね、と言われたけど、立松がいないとどうも調子が出ない。 あんなやつだけど面倒見はいいし、なにより教えか違うまい。教師になればいいのにと言ったら、女子校で、校名に百合とか、聖、とか付くような超お嬢様学校なら考えなくもないとか適当なことを返された。実際立松が将来どうしたいのか俺にもまったく分からないけど、取り敢えずあいつが教師になることはないだろう。 自宅から通える距離ではないので、当然俺は一人暮らしをすることになって、それを立松に言うとあっさり"一緒に暮らそう"と言い出したのはうちで夕飯を食べている時だった。 ぷるぷる、と頭を降って、冷めてしまったお茶を飲む。 家族は寝静まっていて、起きているのは俺だけだ。物音と言えば自分の呼吸音くらいで、なんとなく、寂しくなる。確かに一人暮らしなんて出来そうにないと思い知らされ、二人で暮らすしかないと意を決する。多分、この決意はもう七回目で、前の六回はその都度"でも…"と覆されている。 七回目の"でも…"は明日の朝かな、と考えながら、ボンヤリ部屋を見回す。見回して、制服に目がとまる。 手紙は、一枚きりだった。 シンクロ公演の時からずっと見ています。 先輩は、とてもかっこいいです。 受験を控えて、大変な時期なのは分かるけれど、聞いてもらうだけでいいんです。 そんな内容が、丸い文字で綴られている。 ――――立松先輩へ ひっ、と。 頭が痛くなって、口の中が熱くて、怠くて、息を呑んだ自分がそれから呼吸止めて歯を食いしばっているんだと気付くまでに随分かかった。 これ、立松宛の、手紙だ。 どうしよう。 こつん、と、音がした。 窓を開けると、俺の部屋から漏れる灯りに照らされて、大げさに手を振る立松が見えた。 俺が泣いてるのが分かると、慌てたように左右を見回す。そんなところを見たってどうなるわけでもないのに、オロオロと見回しそれから俺に手を振ってくる。降りてきて、ゼスチャーが言っている。 「……え?」 「原因、それ?」 それ? 「わ、あ、わわ、あの、ね、ちょっと進藤さん、そんなあーた、真珠の涙とかダメだから、ね、あのさ、ちょっとそれはダメでしょ、ね」 また左右に視線を遣って、俺の周りを跳ねている。 「はいっ」 「たてまつ」 「はいぃっ!」 「立松」 「はひっ」 変な敬礼をしてみせる。笑わせようとしているんだろうけど、そう言うのを見ると余計に泣けてくる。 神様、俺はとんでもないバカです。 神様、立松はとんでもないバカです。 神様。 カミサマ。 俺たちは。 「立松」 「なななな、なに」 「一緒に、暮らすんだよな?」 「うぇ?え、って、ええはいそうですよ、一緒にお暮らしになられるんですよアタクシたち」 「お前、俺と一緒にいたいんだよな?」 「は?」 「一緒にいようと思うから、同じところに住むんだよな?」 「うん」 「俺のこと、一緒にいてもいいと思ってるんだよな?」 「そうだよ」 「一緒にいたいんだよな?」 「うん。進藤ちゃんと一緒にいたい」 「それって、」 「うん」 「それって、俺のこと、俺の、こと、」 必死に言って、必死に繰り返して、酸欠の頭がガンガンする。 「お前、それって、俺のこと」 「進藤ちゃんのこと?」 「お、おれ、の、」 「好きだよ」 「す、…………え、」 「好きだよ。好きだから一緒にいたいよ。好きだから離れたくないよ。一緒に暮らして、進藤ちゃん全部独占して俺のものだって思いたいよ。言いたいよ」 「え、………え、あ、」 にっこりと、これ以上ないくらいにっこりと晴れ晴れとした顔で、立松が。 「俺、進藤ちゃんのこと、好きです。同じ気持ちだと嬉しいんだけど」 「す、すきって、お前、それ、」 「もうずっと進藤ちゃんのこと好きで、まあもうちょっと言うのは先かと思ったけど、でもそんなのもらっちゃって誰だか分からないやつに先越されたら大変だから言っちゃった」 「言っちゃったって、おま、それ、そんな、」 「あ、びっくりしたら泣きやんだ?」 「へ?」 言われてみれば涙は出ていない。 「あれ」 「あれじゃなくてさ」 苦笑しながら立松が言って、それから、俺の指が握ってるピンクの便せんをむしり取った。 「こんなのもらって喜ばないで。今度は俺が泣いちゃうよ?」 「こんなの、って、それ、」 「こーんなピンクのきゃわゆーいラブレターなんてさ、進藤ちゃんならコロッと騙されちゃうでしょ。女はみんな狼なのよ?」 「や、それ違うと思う」 「違わないって。カンクローちゃんたら、見たまんま夢見る乙女タイプじゃーん?」 ヘラヘラ笑ってるけど、でも封筒を振る指には力が籠められていて、なんだか、それがくすぐったい。 「返事は?」 「へ、んじ?」 「俺の告白と、この手紙の返事。どっちが笑ってどっちが泣くの?」 返事。 「ねえ、進藤ちゃん」 「あ、あごめん、」 「ごごごご、ごめん?えっ俺が振られるの?」 「ちが、え、っと、そうじゃなくて、そうじゃ、なくて、こう、なんて言えばいいのか」 「言葉なんてどんなのでもいい。進藤ちゃんがどう思ってるのか、それが聞きたい」 「俺は、…おれ、は…」 立松が黙ると、真剣な顔になると、少し怖い。真っ直ぐな視線は苦手で、それは誰が相手でもそうだけどこいつのは特に気になる。隠してあることも全部見抜かれるような鋭さだから、正面から見返すことが出来ない。 「俺も、…俺も、立松のこと、好きだ」 「うん」 「好きだ」 「うん。ありがとう。一緒にいようね」 「一緒に、いよう」 一緒に。 立松が手を伸ばして、俺のことを引き寄せた。 それから、はじめの、本当に幽かで小さい。 キスを、した。 「ねー、これ、誰からもらったの?」 少し尖った唇で言う。 一瞬なんのことだろうと考えて、それから足下の"ピンク"のことだと気が付いた。 「…………………………う、」 「う?」 「う、うわーーーーーーーーーーーーーっ!」 「えっわっなに進藤ちゃん真夜中!真夜中だから!」 「ごっごごゴメン!ゴメンナサイ、そんなつもりじゃなかったんだっ」 「なにが?っつーか声小さくして!」 「ホントわざとじゃないから!信じて!」 「なんのこと?」 「ごめんーっ!」 喚く俺の前で、困ったように屈んだ立松が手紙を拾う。 立松の顔がほんの少し引きつるまで、あと、五秒。 |
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