取り違えたラブレター  /water boys

 

 

 

 

 

 

 

進路指導室に呼ばれた立松が、"十分経って戻らなかったら荷物を持って浚いに来てね"と言うから、バーカと答えながらも言われた通りにした。

階段を下りて、途中でトイレに行きたくなって、誰もいないがらんとした廊下に二人分の荷物を置いて中に入った。用を足してから、なんとなく窓に近寄り外を見る。寒いし、受験生はみんな塾だの予備校だのと忙しいから校庭に残っている生徒もほとんどいなくて、がらんとしていて。

焦らないといけないんだろうけど、どうにもボンヤリした性格だから漠然とした不安はあるものの立松が一緒だからどうにかなるか、なんて思ってる俺はあくびを一つしてトイレを出た。

立松の赤いリュックを持って、自分の鞄も取り上げる。
ひらり、と。
ピンク色の封筒が落ちて、首を傾げる。

なにこれ?

宛名も、差出人もない封筒を暫く眺めて、それからポケットに入れた。歩きながら考えて、もしかしてと思ったけれどあんまり興味が湧かなかった。

別に、いいけど。
いいんだけど。
なにが"いい"のか自分でもよく分からないけど、とにかく別に嫌じゃない。嫌じゃないだけでそれをどうにかしようとかは思わないけど、とにかくいいんだから、いい。

進路指導室という、聞くだけでゾッとする部屋の前に立つと、間髪入れずにドアが開き立松が出てきた。
不機嫌そうな顔をしていて、でも俺を見るとニカッと笑って、それから手を出してくるから鞄を渡した。

 「やーんなっちゃうねぇ〜」

 「…やんなっちゃうな」

 「ん?」

 「なんでもない。帰ろ」

 「うん」

笑うと、笑い返す。
立松は俺に不機嫌そうな顔を見せたことがない。
だから俺も、なるべく見せない。
それは意地とか、建前とか、軽視とか、そんなんじゃなく。
もっともっと、大きくて深くて、あったかくて。

 「寒い〜、ね、進藤ちゃんおでん食べよう」

 「おでん?あー、いーねー」

 「こんにゃくとしらたきがいいなー」

 「ってそれどっちも同じだろ」

 「んー、分かってない子ねぇ。こんにゃくにはこんにゃくの、しらたきにはしらたきのロマンがあるじゃない」

 「…ロマン?あるか?」

 「あるよ。だって男の子だもーん」

 「……へー」

 「あーやだ自分ばっかりイイコになって」

ぺんぺん、って、背中を叩かれる。

 「よくわかんないけど、とにかくおでん食おう。俺ははんぺん」

 「はんぺん!また可愛いこと言っちゃって、おいちゃん倒れちゃうよ」

 「倒れろよ」

 

横目で、呆れたように見てやってから歩き出す。すぐ隣を立松も歩く。
受験まではもうそんなに日もなくて、本当は色々焦ったりしなきゃいけないんだけど俺は全然変わってなくて。変わってないのは立松がいるからで、ずっと先もこいつがいるからで。

 「なあ、ほんとに一緒に住むのか?」

 「進藤ちゃんがちゃーんと志望校に受かったらね」

 「高望みしてないから…なんとか…なるかなー…」

 「なってくんなきゃ困るよ!俺、いまも釘刺されたんだし」

 「え、なんて?」

 「…まあ、それはね、うん。どうでもいいんだけど」

 

立松の志望校は俺じゃあ絶対無理だと分かってるところで、だから初めから"一緒に"なんて考えてもいなかった。なのに担任と、進路指導担当と、なんでか隣のクラスの担任までやってきて『きみに人一人の人生を狂わせる権利はない』と怒られた。

意味が分からなくて、とにかくびっくりして、三人の顔を代わる代わる見ていたら立松がやってきてなんだか顔を真っ赤にして先生たちを怒っていた。自分で決めたんだとか、進藤ちゃんは関係ないとか、とにかくワーワー言うだけ言って俺の手を掴んで走り出した。

学校を出て、俺が自転車ごと突っ込んだ土手のところまで来ると漸く立ち止まり、ぜーぜー息を喘がせながらそれでも笑って立松は言った。

  ――――『一緒の大学、行こうね』

 

俺の志望する大学は、おバカでは行けないけど立松ほどのお利口が選ぶところではまずない。
自分を卑下したり悲観するのは嫌だけど、哀しいかな事実なので立松が言った言葉はまさに青天の霹靂だった。
先生の言った言葉の意味が漸く分かって、口を開けたまま首を振って反対した。言葉なんか、出なかった。

 

どんなに反対しても立松は"うん"とは言わなくて、いい加減根負けした俺もその件に関してはなにも言わなくなった。先生たちの猛攻撃の結果、立松自身もセンター試験だけは受けて、その結果次第で考えるということを了承したからなんとなく治まってはいるけど、それでもたまに呼び出されては"バカな考えを起こさないように"と釘を差されているのだ。

立松はなにも言わないけど、田中が教えてくれた。
言いたくはないが足は引っ張るなよとも付け加えられた。分かってるのに。そんなの誰に言われなくても分かってるのに、言われた。
なんでも顔に出る俺が、ショックを隠せるはずもなくあっと言う間に立松にばれて、田中はきつく文句を言われ俺が恨みの目で見られる羽目になったりした。でも、立松が言ってることの方が乱暴なんだと分かっていたから、センターの結果を見て、お前はちゃんと自分のレベルにあったところに行けとそれだけ言った。

納得なんかしてないのは、顔を見れば分かる。センターのことなんてただの誤魔化しだとすぐに気付いた。だから『足枷にはなりたくない』と言ってみたけど、曖昧に笑うだけでなにも言わなかった。あの顔を見たら、それ以上は言えなかった。
立松も、俺も、心に隠していることがある。
それはもう随分前からお互いに分かっていたけど、分かっているのに言い出せなかった。

タイミングが合わないとか、そういうことではなく。
意気地がないとか、そんなことでもなく。
言えなかった。
まだ。

まだ、言えない。

 

コンビニでおでんを買って、散々『かわいーねー、はんぺん、って言ってみて。進藤ちゃん"は、ん、ぺ、ん"』と何度も強要されて、頭に来て囓りかけの、熱々のはんぺんを唇にくっつけてやったらバッタみたいに跳ねていた。頭いいくせに、こいつの落ち着きなさはなんだろうと思いながら跳ねる立松を見て笑った。

小さなことが、ものすごく嬉しかった。
嬉しくて、それから、悲しかった。
胸が、痛かった。
 

 

 

 

ちゃんと勉強してね、と言われたけど、立松がいないとどうも調子が出ない。

あんなやつだけど面倒見はいいし、なにより教えか違うまい。教師になればいいのにと言ったら、女子校で、校名に百合とか、聖、とか付くような超お嬢様学校なら考えなくもないとか適当なことを返された。実際立松が将来どうしたいのか俺にもまったく分からないけど、取り敢えずあいつが教師になることはないだろう。
なにか、ちゃんと決めていることがあるのは確かだ。
大学だって、進藤ちゃんが行けるレベルに合わせたってことじゃないのよと、いつもの軽口で言った時に気が付いた。俺が受ける学部は大したレベルじゃないけど、立松が目指してるのは専門分野としては認められているし、なにより施設や授業内容が充実しているらしい。

自宅から通える距離ではないので、当然俺は一人暮らしをすることになって、それを立松に言うとあっさり"一緒に暮らそう"と言い出したのはうちで夕飯を食べている時だった。
父さんも、母さんも、仁美も、一瞬止まったけどすぐに『その方が仕送りが楽だね』と納得してしまった。俺の意見は採り入れられなかった。
まあ、これだけ四六時中一緒にいればそれも当然と思われてるのかも知れないけど、俺にとっては重大事項だ。立松と同じ部屋で生活するなんて、そんなの、考えただけで、考えた、だけで…

ぷるぷる、と頭を降って、冷めてしまったお茶を飲む。

家族は寝静まっていて、起きているのは俺だけだ。物音と言えば自分の呼吸音くらいで、なんとなく、寂しくなる。確かに一人暮らしなんて出来そうにないと思い知らされ、二人で暮らすしかないと意を決する。多分、この決意はもう七回目で、前の六回はその都度"でも…"と覆されている。

七回目の"でも…"は明日の朝かな、と考えながら、ボンヤリ部屋を見回す。見回して、制服に目がとまる。
唐突に思い出したそれを取り出すため、立ち上がると制服の、ズボンのポケットに手を入れる。目的のものはすぐ取り出せて、手にしたまま暫く眺めてしまった。
ピンクの封筒。
多分、ラブレターだ。
…俺に?
物好きもいるもんだ。
ちょっとだけドキドキして、でもほとんど他人事のような好奇心で机に戻る。指で封を開けようとして思い留まる。せっかくいただいたものを粗末にするのはよくない。書いてある内容自体を"粗末"にすることになるのだから、せめて手紙くらい大切に扱いたい。
はさみを出して、中身を切らないよう慎重に開封すると、封筒とお揃いらしいピンクの便せんを取り出す。
文字までピンクで、くすぐったいような、でもちょっと鬱陶しいような複雑な気持ちになる。

 

手紙は、一枚きりだった。

 

シンクロ公演の時からずっと見ています。

先輩は、とてもかっこいいです。

受験を控えて、大変な時期なのは分かるけれど、聞いてもらうだけでいいんです。

 

そんな内容が、丸い文字で綴られている。
俺のどこがかっこいいんだろう、そう思いながら最後の一行に目を遣る。
 

  ――――立松先輩へ
 

ひっ、と。
変な音が聞こえた。

頭が痛くなって、口の中が熱くて、怠くて、息を呑んだ自分がそれから呼吸止めて歯を食いしばっているんだと気付くまでに随分かかった。
背中に、冷たい汗が、流れた。
どうしよう。
どうしようもないのにそう思った。
どうしよう、これ、どうしよう。
どうしようどうしようどうしよう、これ一体どうすればいいんだろう、俺、なにやってるんだろう、ほんとなんでこんなことになってるんだろう。
 

これ、立松宛の、手紙だ。
あいつ宛の、ラブレターだ。
 

 

どうしよう。

 

 

 

 

 

こつん、と、音がした。
窓の方から。もう一度、こつん、と。
小石が窓に当たる音。
俺を呼び出す時の、音。
時計を見ればもう午前零時を回っていて、こんな時間にやってくるのはたった一人だと分かってる。あいつだけだと、分かってる。
どうしよう。
 

窓を開けると、俺の部屋から漏れる灯りに照らされて、大げさに手を振る立松が見えた。
なにが嬉しいのかぴょんぴょん跳ねていて、冷えた空気の中にいても立松は立松なんだと妙に納得した。
納得して、悲しくなった。
泣きたくなった。
涙が、出た。
 

 

俺が泣いてるのが分かると、慌てたように左右を見回す。そんなところを見たってどうなるわけでもないのに、オロオロと見回しそれから俺に手を振ってくる。降りてきて、ゼスチャーが言っている。
窓を閉め、部屋を出て、階段を下りて。
そっとそっと家の中を歩き玄関まで来ると、なるべく音を立てないように外に出た。立松はすぐ目の前に立っていて、手を掴まれるとそのまま家の裏手に引っ張って行かれた。
 
 「なになに、どしたの。ぽんぽんでも痛いんでちゅか」
冗談で済むならそうしたいんだろう、俺だってそうだけどそんな風に言われると余計に情けなくなって、コントロールの効かない涙腺からバカみたいに涙が溢れた。
 「マジでどうしたの?なんかあった?」
聞かれても、答えようがなく立松の顔を見ている。心配そうに寄せられた眉が、更にきゅうっと寄せられる。
 「…それ?」

 「……え?」

 「原因、それ?」

それ?
立松が指さしてくる先に視線を遣ると、そこにはピンクの紙がある。
ピンクの封筒に入った、ピンクの紙に書かれた、ピンクの文字。
立松が好きだと書いてある、手紙。
ラブレター。

 「わ、あ、わわ、あの、ね、ちょっと進藤さん、そんなあーた、真珠の涙とかダメだから、ね、あのさ、ちょっとそれはダメでしょ、ね」

また左右に視線を遣って、俺の周りを跳ねている。
落ち着きがなくて、でも頭がよくて、頼りになって、いつだって側にいて、これからもずっとずっと側にいて、それが当たり前でそれが自然でそうでなきゃ嫌で。
そうでなければ、絶対に、嫌で。
 「た、て…まつ」

 「はいっ」

 「たてまつ」

 「はいぃっ!」

 「立松」

 「はひっ」

変な敬礼をしてみせる。笑わせようとしているんだろうけど、そう言うのを見ると余計に泣けてくる。

神様、俺はとんでもないバカです。

神様、立松はとんでもないバカです。

神様。

カミサマ。

俺たちは。

 

 「立松」

 「なななな、なに」

 「一緒に、暮らすんだよな?」

 「うぇ?え、って、ええはいそうですよ、一緒にお暮らしになられるんですよアタクシたち」

 「お前、俺と一緒にいたいんだよな?」

 「は?」

 「一緒にいようと思うから、同じところに住むんだよな?」

 「うん」

 「俺のこと、一緒にいてもいいと思ってるんだよな?」

 「そうだよ」

 「一緒にいたいんだよな?」

 「うん。進藤ちゃんと一緒にいたい」

 「それって、」

 「うん」

 「それって、俺のこと、俺の、こと、」

必死に言って、必死に繰り返して、酸欠の頭がガンガンする。
涙腺が壊れてとにかく涙が溢れてて、でももうなんで泣いてるのかサッパリ分からないけどとにかく言わなくちゃ、確認しなくちゃって、それだけで。

 「お前、それって、俺のこと」

 「進藤ちゃんのこと?」

 「お、おれ、の、」

 「好きだよ」

 「す、…………え、」

 「好きだよ。好きだから一緒にいたいよ。好きだから離れたくないよ。一緒に暮らして、進藤ちゃん全部独占して俺のものだって思いたいよ。言いたいよ」

 「え、………え、あ、」

にっこりと、これ以上ないくらいにっこりと晴れ晴れとした顔で、立松が。

 「俺、進藤ちゃんのこと、好きです。同じ気持ちだと嬉しいんだけど」

 「す、すきって、お前、それ、」

 「もうずっと進藤ちゃんのこと好きで、まあもうちょっと言うのは先かと思ったけど、でもそんなのもらっちゃって誰だか分からないやつに先越されたら大変だから言っちゃった」

 「言っちゃったって、おま、それ、そんな、」

 「あ、びっくりしたら泣きやんだ?」

 「へ?」

言われてみれば涙は出ていない。

 「あれ」

 「あれじゃなくてさ」

苦笑しながら立松が言って、それから、俺の指が握ってるピンクの便せんをむしり取った。

 「こんなのもらって喜ばないで。今度は俺が泣いちゃうよ?」

「こんなの、って、それ、」

「こーんなピンクのきゃわゆーいラブレターなんてさ、進藤ちゃんならコロッと騙されちゃうでしょ。女はみんな狼なのよ?」

「や、それ違うと思う」

「違わないって。カンクローちゃんたら、見たまんま夢見る乙女タイプじゃーん?」

ヘラヘラ笑ってるけど、でも封筒を振る指には力が籠められていて、なんだか、それがくすぐったい。

「返事は?」

「へ、んじ?」

「俺の告白と、この手紙の返事。どっちが笑ってどっちが泣くの?」

返事。
そっか、いま、立松に告白されたのか。そうかこれが告白か。なんか不思議。

 「ねえ、進藤ちゃん」

「あ、あごめん、」

「ごごごご、ごめん?えっ俺が振られるの?」

「ちが、え、っと、そうじゃなくて、そうじゃ、なくて、こう、なんて言えばいいのか」

「言葉なんてどんなのでもいい。進藤ちゃんがどう思ってるのか、それが聞きたい」

「俺は、…おれ、は…」

立松が黙ると、真剣な顔になると、少し怖い。真っ直ぐな視線は苦手で、それは誰が相手でもそうだけどこいつのは特に気になる。隠してあることも全部見抜かれるような鋭さだから、正面から見返すことが出来ない。
でもいまは答えないと。
この目を見ながら、ちゃんと答えないといけない。
立松とはいつだって対等でいたいし、きっと、これから先を生きていくためにはもっともっと大変で、苦しいことが山ほどあって、いまみたいな、勢いみたいな告白を悔やむこともあるだろうけどでも。
それでも、一緒にいたいと思う。
生きていきたいと思う。
立松と。
目の前でじっと、俺の言葉を待っている立松と。
だからこれは、間違いじゃない。
間違いなんかじゃ、ない。

「俺も、…俺も、立松のこと、好きだ」

「うん」

「好きだ」

「うん。ありがとう。一緒にいようね」

「一緒に、いよう」

 

一緒に。

 

 

立松が手を伸ばして、俺のことを引き寄せた。
ピンクの手紙がヒラリと足下に落ちて。

 

それから、はじめの、本当に幽かで小さい。

 

 

 

キスを、した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ねー、これ、誰からもらったの?」

少し尖った唇で言う。

一瞬なんのことだろうと考えて、それから足下の"ピンク"のことだと気が付いた。

「…………………………う、」

「う?」

「う、うわーーーーーーーーーーーーーっ!」

「えっわっなに進藤ちゃん真夜中!真夜中だから!」

「ごっごごゴメン!ゴメンナサイ、そんなつもりじゃなかったんだっ」

「なにが?っつーか声小さくして!」

「ホントわざとじゃないから!信じて!」

「なんのこと?」

「ごめんーっ!」

喚く俺の前で、困ったように屈んだ立松が手紙を拾う。

 

 

 

 

立松の顔がほんの少し引きつるまで、あと、五秒。