こいすてふ  /water boys

 

 

 

 

 

 

 

 

シンクロ公演が終わって三日。

興奮も徐々に収まってきて、それと同時に寂しさや虚しさも噛み締め始めた頃。帰り道の河原で突然自転車を止めた立松が、真剣な顔で口を開いた。

曰く。

 

 『俺、どう考えても進藤のこと好きだ』

 

別に考えなくても俺だってそうだよと返すと、数秒ポカンと口を開けて呆けていた立松は“ああ、そうね”と早口に言って、じゃ帰ろうかとペダルに足をかけた。

すごい勢いで去っていく立松を止めることも出来ず、いま起きたことを飲み込めないまま今度は俺が口を開けその背中を見送る。なんだ?なにがあった?俺なんか言ったっけ?

その場で暫く考えたけれど、たったいま起きたことがなんなのかは判明しなかった。

家に着くまで一応考え続けたけれど、本当になんなのか分からなかった。

 

立松のことは大好きだ。

あいつがいなければシンクロ公演の実現は有り得なかっただろう。言えばそんなことはないと返すけど、いつでも傍にいて力になってくれた、彼がいなければ成し得なかったことだといまでも思う。

感謝してる。

大切に思っている。

とてもとても、信頼してる。

これからの憂鬱な日々も、立松がいればなんとかなると思っていた。甘えてばかりいられないけど、それでもまた一緒に頑張ることができると思えばそれはとても大きな慰めになっていた。

なのに。

 

 

 「なんだ、一緒じゃないのか」

声だけで誰だか分かるうちの、おそらく立松の次くらいに位置する田中がさも意外そうに言った。

振り向くと確かにそこにいたのは田中で、その隣には高原さんもいた。

 「そっちは珍しいコンビだな」

 「参考書を選ぶのにどうしても付き合えというから、こうして制服のままうろつく羽目になった」

口調ほど嫌がっていない田中が言うと、高原さんは小さな声で“ジュースをおごっただろう”と呟いた。拗ねているらしい。

 「で、立松はどうした」

 「それがさあ、今日はおじさんの手伝いで遠出するからって、授業終わったらすごい勢いで帰っちゃったんだよね」

 「昨日もそんなことを言っていたぞ」

 「うん」

昨日は実家から呼び出されたと言っていたし、その前は欲しい本があるからと言って、一人で帰ってしまう。高原さんじゃないけど、学部が違ったってなんだって、出来るやつに選んでもらった参考書なら安心できると思って、本屋には一緒に行くといったのに断られた。遠出になるからって。

避けられてると思うには、十分な距離感を作られてしまった。

情けなくて、寂しくて、でも愚痴りたくて田中を見上げた。

 「俺、なにもしてないと思うんだけど」

 「あいつは自分を複雑に見せるプロだからな」

 「…なにそれ」

 「単純だろう、立松は。環境や境遇は複雑かもしれないけど、本人はいたってストレートな感情の持ち主だ」

 「お前は心療内科医になれ」

ビシッ、といつもの手さばきを決めた田中に、高原さんのよく分からないツッコミが入る。この二人、もしかしたらいいコンビかもしれない。

 「単純…かなぁ。俺、いま十分翻弄されてるけど」

 「それは進藤が立松の本質を見ていないからだ」

 「本質?」

ちょっと、心外。

立松のことで他の誰かに負けてることはないと思う。毎日一緒にいて毎日全部見せ合った。家族のことも、自分の気持ちも、あいつには全部話してしまった。聞かせてもらった。

そう思っていたけど。

 「シンクロ終われば…ただのクラスメイト、ってことか」

 「そんな風に思っているとは思わないが…まあお前がお前である限り、立松がなにを考えているかは分からないかもしれないな」

 「なんだよその言い方。じゃあ田中はなんだか分かるって言うのか」

 「なんとなくは」

 「じゃあ教えてやれ」

もったいぶろうとしたのか、本当に教える気はないのか。にやりと笑った田中の腕を高原さんが小突く。…痛そう。

突かれた部分を撫でさすりながら、田中は暫く声にならない文句を言っていたけどそのうち静かになって“うーん”と唸った。唸ってから、ジロジロと俺を見る。

 「話していいかどうか分からないことだが…まあ当事者だし、口止めをされた訳でもないし構わないといえば構わないだろう」

 「心当たりがあるなら言ってよ、すっげえ気持ち悪い」

 「言っておくがこれは僕の推察だ。真実であるかどうかは立松にしか分からない」

 「うん」

頷くと、こいこい、と手招きされた。近付いて少し身を屈めたら高原さんも寄ってきたので、なんだか内緒話をしているような格好になる。

 「立松は、進藤のことが好きだ」

 「…は?」

 「だから、立松が言ったんだ。『俺は進藤のことが好きなだけなんだよ』と」

 「それは俺も聞いたけど…」

困惑して、でも視線を合わせる相手が高原さんしかいないのは不運だった。案の定“俺も進藤のことは好きだ”という言葉といつもの胸を叩く仕草を見せられガックリくる。

 「進藤が鈍いのは今の始まったことではないが、それにしても少しは考えたらどうだ」

 「なにを」

 「僕は手放しで賛成をするつもりはない。だが目くじらを立てて中傷するつもりはないし、分かったようなことを言うつもりもない。あとは自分で考えるんだな」

 「そんなクイズみたいなこと言われてなにを分かれって言うんだよ」

 「僕の知ったことではない。ああ、みろ、七分も時間を取られてしまった」

言うが早く歩き出した田中の後ろに高原さんが続く。頑張れよ、と言っていたが、なにを頑張れと言うのか、言われた俺も言った本人も分かっていないに違いない。

またもや取り残された俺は、仕方なくぼんやりと空を見上げてみたけれどそこになにがあるわけでもなく、溜息をひとつ吐いて歩き出した。

田中の言う通りだと思う。

俺は鈍いし、頭もよくない。考えていないんじゃなく、ひらめきがないんだ。こういうことにひらめきってのは変だけど、でも人の心の中身なんて結局誰にも分からないし、秘密主義っぽい立松の思惑なんか想像もつかなくて当然だと思う。

好きなんだよ。

そう言った。それは聞いた。頷いた。俺だってお前のことは好きだよ、だから一緒に頑張ろうと思った、一緒にいようと思った、これからだっていたいと思う、いると思う。

好き。

すき。

スキ。

す、き。

 「…………あー……」

なんか。

なんか、見えたような…

見ちゃいけないものだけど、見ちゃった気がする。や、見ちゃいけなくはないのかもしれない。けど。見ていいとも思えないような、見たら最後って言うか、見なかった振りをした方がいいような…

 「つまり、そういう…こと。…か?」

思わなかった訳じゃない。

確かに鈍いけど、それにはなんとなく気付いてた。気付いてた、っていうより、そうかなって程度のものだけど、でも。

一緒にいた。

飽きるほどいたのに飽きなかった。

飽きてる暇なんかなかった。

立松に出逢ってまだ一年すら経っていないなんて考えられない、もうずっと前から知っていて、なにもかも分かってるような友達。それこそ幼稚園にだって手を繋いで通っていたような錯覚を起こす密度で付き合ってきた。きっと一生、それは続くと思ってた。

その立松が。

あいつが。

 「そんなのって…あるか?」

確信はないけど、それ以外は考えられない。“そうだ”という方が自然ですらある言動、行動。とどめに田中の言った台詞。

一度そこに思い至ると、他の理由は浮かばなくなった。元から避けられる道理なんて心当たりもなかったし、辻褄はそれで合ってしまう。困ったことに。

困った。

多分、困ったことだ。これは。

どう困ってるのかといえばそれは自分にもよく分からないけど、流していいことでないのは分かる。流しちゃいけないなら考えたり行動したりしなきゃならないということで、そうなると突発的なアクシデントに弱い俺ではうまい解決法をさっさと生み出すなんて出来っこないし、そんな簡単なことならそもそも悩まないに違いないからこれは大事なのだ。

 

どうしよう、どうしよう。

ぶつぶつ呟きながらそれでも歩き出して、意識はしていなかったけどちゃんと自宅へ戻っていた。我ながらよく無事だったと思うほど記憶が薄い道程は、とにかく立松のことしか考えていなくてそれもどうかと首を捻る。

困った。本当に困った。困った困った困った。

こーまーつーたー。

 

 「勘九郎」

 「…あ?」

 「邪魔。鬱陶しい。気持ち悪い」

 「お前なぁ」

口の悪い妹が、腕を組んで仁王立ちして睨んでる。

 「ただいまも言わないで、ずーっと玄関に立ってられたら気持ち悪いに決まってるよ。勉強しすぎなら心配してやらないこともないけど、どうせただボーっとしてるだけなんでしょ」

 「仁美、お兄様はいま、海より深く、山より険しい問題を抱えて悩んでるんだ。あっちいってろ」

 「なにその生意気な態度。勘九郎のくせに」

 「くせにってなんだよ。大体、兄貴を呼び捨てにすること自体間違ってる」

 「自分だってあたしのこと呼び捨てにいるだろ」

 「それはお前が妹だから、」

 「あーあーあー、やだやだ。どうしてこううちのバカんくろうはデリカシーがないかねー。これがタテノリだったらもっと女性に気を使うっての」

 「…子供の癖に、なにが女性だ」

 「女は生まれてから死ぬまでずっと女だよ!」

蹴られた。

言いたいだけ言って、暴力までふるって、乱暴でがさつな妹は肩で風切る偉そうな態度で去って行った。あれが女だったら花村さんはなんだっての。

ぶつぶつを再開させつつ階段を上がる。片付いているとは思うけど、なんとなく雑然としたでも住み慣れた自分の部屋。きっと俺らしい場所。立松は、もう何度もやってきて泊まったことだって数え切れない。だからここには、あいつの存在も染み付いている。当たり前のように、ごく自然に。

ベッドに倒れ込んで、うつ伏せのまま目を閉じる。途端に浮かぶのは立松の顔で、それは困ったように笑っていた。あれだけ強烈な印象で現れたくせに、本当のあいつはもっとずっと“静か”だった。心の内側はどこか冷めてて、それがとても悲しかった。間違っていると思った。

言いたいことは、他にある。

立松の目は感情を読み取らせないから、だから俺はその僅かな動きでも見逃す訳にいかなくて。俺だけはあいつを、一人にするなんて出来なくて。

 

 『俺、どう考えても進藤のこと好きだ』

 

そう言った時の立松の目。

いまなら思い出せる、あれは、なにかを諦めた色だった。少し笑っていたのも寂しそうで、あんな風にしたのが自分なら俺は俺が許せなかった。

沢山のものをくれたのに。

進藤の力だよと、そう言って肩を叩いてくれたけど、やっぱり立松がいなければ出来なかったことは山ほどある。隣にいたから踏ん張れた。

友情だと思う。

信頼だと思う。

かけがえのない存在だと思う。

これからも、ずっとそれは変わらない。

変わらないけど。

 

好き、の意味に、そういくつも種類はない。

立松が言ったのは、きっと、おそらく“そういう”こと。

 

 

“親愛”を超えた、もっと、もっと、強いもの。

 

 

 

 

儚いもの。

 

 

 

 

 

Next ・・・ comingsoon