こいすてふ 弐  /water boys

 

 

 

 

 

味の分からない夕飯を食べて、風呂に入って勉強して。

気付いたら朝になってた。

外は雨で、憂鬱さに拍車がかかった。

学校に、行きたくない。

 

 

行きたくない、で行かなくていいものなら本当に行かない。

寝不足だし夕べの勉強が実になってるとは思えないし、体は重いし気分は沈んでるし、とにかく何一ついいことのないままそれでもペダルを踏み門を抜ける。

駐輪場には立松の自転車があった。

胸が、ズキリと痛み、痛むことにまたどんよりとした気持ちになる。

こんな状態で受験なんかしても、絶対いい結果なんか出ないんだ。それだけが人生じゃないったって、いまはそういう時なんだからがんばらなきゃならないのに。シンクロを認めてくれた父さん、母さんのためにもやらなきゃならないんだ。今度もまた負けられないんだ。

自分自身に言い聞かせ、意を決すると教室に向かう。

ああ、頭から水を被りたい心境だ。

 

 

 

 「おはよ」

 「はよーはよー」

へらへらと、こっちは向かないくせに掌をヒラヒラさせて愛想のいい振りだけしてみせる。顔にも貼り付けたような笑顔があって、無性に腹が立ってきた。

 「立松」

 「あ、そだ進藤に渡すもんあったんだよねー」

ちょっとまってねー、まいこれー、と、間延びした口調を崩さずこっちも見ずに、トレードマークの赤いリュックから出した分厚い本を押し付けてくる。

 「その参考書、なかなかよかったよ。でも俺向きじゃないからあげる」

 「…どうしたんだよ」

 「もらったの。実家の近所のオニーチャンに」

 「へえ。実家に用事ってのは嘘じゃなかったんだ」

イヤミをこめて言い放つと、立松の肩がぴょんと跳ねた。

 

 『あいつは自分を複雑に見せるプロだからな』

 

田中が言ったその意味は、いまもよく分からない。

確かに表情は読み難いけど、それでも立松の心理構成は少なくとも俺よりは高級に、入り組んだ作りになっていると思う。

それでも、この考えは間違いだとは思えないから。

だから渡された参考書を机に置いて、それから伸ばした腕で立松の腕を掴んだ。

 「放課後」

 「えあ?」

 「放課後、絶対付き合え」

 「あ、や、なにそんな怖い声出してぇ、進藤ちゃんらしくもないー」

 「約束だぞ。破ったら、…許さない」

ぎゅっと力をこめて掴んでから、ゆっくり、ことさらゆっくり放す。固まってしまった立松は、やっぱりこっちは見なかったけどそれでも俺の本気は十分すぎるほど伝わったらしく微かに、ほんの少しだけ頷いた。

夕べからの体の重たさが、ちょっと、和らいだ気がする。

 

 

 

 

授業が終わるまで、立松には一度も話しかけなかった。

それでより本気が伝わったのか、時間を追うごとにペシャンコになっていくのが面白かったけど、俺だって笑っている場合じゃないと気付いたのはホームルームが終わって一気に教室が閑散としてきたのを見たときだ。

大体なにを話そうというのか、自分だってよく分かってない。

だけどこのままでいいはずがないし、確信はするけど確証はないから、だったら本人に直接聞くしかないんだと思う。

誰かを間に挟める話題じゃない。田中の口ぶりだとあいつは前から“そう”だと気付いていたらしいけど、それだって忘れて欲しいくらいだ。

そうだ、うっかりしてたけどあいつ、誰にも言わないよな?田中だし、信用してはいるけどでもこれってとんでもないことだと今頃になって気がついた。

 「――――ちゃん、進藤ちゃん、ねえ」

 「え、」

 「誰もいなくなったんですけど…」

 「あ…」

見回せば確かに誰もいない。廊下や校庭はざわついてるけど、ここだけ忘れられたように静まり返ってなんだか妙に居心地が悪い。

 「あのー、なにかお話でもあるんでしょうかー」

 「あるから付き合えって言ったに決まってるだろ」

 「ご尤も…ですが…なんか、進藤さん怒ってらっしゃるようです、ね」

ギロリと横目で睨む。恐る恐るこっちを見ていた立松は、またもやぴょこんと体を跳ねさせ、それからあからさまに視線を泳がせると口元だけでヘラヘラと笑った。

ここで話せるようなことじゃない。

こういう時はなんだ、体育館の裏?でも部活で人の出入りが激しいだろうし、とにかく誰もいないところじゃないと切り出せない。立松が、途中で逃げ出しても困る。

 「うちに…」

ダメだ、仁美がいる。あの立松贔屓が俺のいうことを聞く訳がない。

 「なにかこう、込み入った話でらっしゃる?」

 「そうだ、お前のところにしよう」

 「へ?」

 「行くぞ」

 「え、え、ちょっと、なに、わっ待ってって、進藤!」

聞く耳なんか持たない。

腕を掴み歩き出すと、あーとかうーとか言い続けていたけど、駐輪場で自転車に乗る頃には観念したのか唇を尖らせたままそれでも大人しく従ってきた。あとは立松の下宿先まで、一言も、なにも言わずにペダルを踏む。もし立松が逃げたとしても、よく考えたら卒業まで唯野にいると決めた段階で帰る場所はおじさんの牛乳屋しかないんだ。張り込んでいれば嫌でも捕まえることは出来る。

 

取り敢えず脱走することなくついてきた立松が、店の入り口ではなく裏に回ろうとするから呼び止めた。

 「今日、誰もいないんだよ」

 「誰も?おじさん出掛けたのか」

 「商店街の慰安旅行。ともしびのママさんが幹事だって言ってたでしょ」

そう言われれば、そんなことを聞いた気もする。疲れた顔の立松は、だから裏口からどうぞと言いつつポケットから鍵を出しドアを開けるとさっさと入ってしまった。

二階に上がると荷物を置いて、コーヒーでいいよねと言いながら出て行った。手持ち無沙汰にその辺にある本を手に取るけど、レベルの高そうな参考書ばかりで俺にはサッパリ分からなかった。そういえば今朝もらったあれ、使い易そうだと言っていたけど本当だったら助かる。立松が見立ててくれるものは確かに俺に合っていて、結構役に立っていた。

いつも見てるからだ。

いろんなこと、一緒にしてきたからだ。

俺のこと、知ってる。ちゃんと知ってる。立松が一番。俺だって知ってるつもりだったのに、なんだか一方通行だったような気がしてきて落ち込んできた。軽んじていたつもりなんて絶対ないし、俺のこと、本当に友達だと思ってくれてるって信じてたし。

…まてよ。

 「お待たせ。お茶菓子探したけどなんにもないからヨーグルトで、」

 「立松!」

 「なにっ」

お盆に二つ、白くて飾り気のないコーヒーカップを乗せて戻ってきた立松が本気で飛び上がる。三度目の正直というべきか、コーヒーも跳ねて木製のお盆にぱしゃりとこぼれた。

 「ちょっ、驚かさないでよ、火傷するだろ」

 「ごめん。でもお前、お前さっ、立松、だからっ、えっと、」

 「落ち着きなよ、どこも行かないから」

腕を掴もうとしていたことに気付いたのか、苦笑いをしながら“お盆、置くから暴れないでよ”と言った。こぼした方を自分の前に置くあたり、しっかり躾けられているんだなと改めて気付かされる。立松は頭がいいだけでなく、育ちのよさも窺える仕草を時折さりげなく見せたりして油断がならない。

その立松が。

俺に。

 「おこちゃまはミルクと砂糖をどうぞー」

 「いらない」

 「あらら無理しないで。よし、おいちゃんが入れたろ」

 「いらないから。聞けよ」

俺の話。

睨むほど真剣に見詰めると、ふざけて解いた唇がゆっくりきつく、結ばれた。

なにも言わない、という立松の意思表示だ。

目も鋭く、だけど感情を読み取られないよう用心深く眇められる。野生の獣染みた習性だけど、きっとこうやって生きてきたんだろう。自分を消したり、殺したりしながら、身に付けてしまった術なんだろう。それはかなり、悲しいこと。

 「俺のこと避けてたのは、あー、あれだろ、この前の」

 「避けてないよ」

 「避けてた。話が進まないから嘘言うな」

ぴしゃりと跳ね返したら、それは予想外だったのかちょっと驚いた顔をして、それから不貞腐れたように横を向く。俺に虚勢を張ったり、いい加減なことを言っても無駄だということを知っているから、諦めれば早いのだろう。

他のやつなら騙される。だけど俺は、一番近くにいた俺は誤魔化せない。そんなこともうとっくに気付いていたはずだ。それを承知で言ったはずだ。なのに肝心の俺がちゃんと酌んでやらなかったからこんな風になった。

回り道に、なった。

 「お前が言ったあれ、本気なんだな」

 「…冗談です」

 「立松」

 「……本気だよ」

微妙に言葉に詰まるのは、互いに、まあ昼間から大声でするような内容じゃないからだけど、それにしても自分が“嘘を言うな”とか言っておいてこれでは本当に進まない。

意を決して深く息を吸うと、横を向いている立松の正面になるよう座りなおした。手を伸ばせば届く。その距離に俺がいる意味をちゃんと考えろ。

 「お前が、俺のことを好きだっていう、その好きは、好きの、好き、だよな」

 「そりゃ早口言葉ですか」

 「立松」

 「…だから、そうだって言ってる」

低く呟いて、それから自分の頭をガリガリかいた。あくまで視線を合わせまいと顔を伏せるのがおかしくて吹き出すと、気配で感じたのか俯いたまま唇を尖らせる。

 「真剣に考えて、真面目に言ったのに、俺があっさり同じこと言ったから傷付いたんだろ」

 「それをいま、平気で口に出せるアナタは相当のにぶちんで嫌なやつです」

 「へー。更に言うと、全然自分のこと意識してないのが分かって、それがショックで顔を見るのも嫌になってたんだ」

 「ちょっと違う」

 「どこが」

 「顔は見たかった」

でも見られなかった。

早口で言って、それからうなだれる。確かにかなり堪えているらしい。

 「毎日見てたし、だからそういう風になってきたんだと思うし。でも元から分かってたって決定的にダメだって突きつけられたら繊細な俺なんか一発でアウトだよ」

 「お前みたいな勢いの塊がなに言ってるんだ」

意地悪は、確かにしてやりたい。

立松が言わなければ、きっとこんなことにはなってないから。

今から俺が言うことでなにがどう変わるのか。どうなっていくのか。絶対に悪いことが起きる。どんなに頑張っても願っても、きっとそれは色々なところから俺たちに向かってぶつかってくる。突き刺さってくる。

やめるならいまだ。

なにもなかったことにして、だけど確実に立松を失う“平穏”を守りたいなら。

傷付きたくないなら。

 

だけど。

 

 「俺にはお前が必要だよ」

 

立松をなくすなんて、そんなことは有り得ない。

考えられない。

あってはならない。

絶対。

 

ぼんやりと、俺のことを見ている。

頼りない子供のような目が俺を見ている。

頭がよくても要領がよくても、立松憲男は俺と同い年の子供だ。

世間がなにで、自分がどうで、世界がどこに向かっているかなんて考えも及ばないガキだ。

 

 

 「一回しか言わないから、ちゃんと聞いておけ」

 

 

だけどガキには、ガキの“作法”があるんだよ。







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