こいすてふ 参  /water boys

 

 

 

 

 

ごくり、と立松の喉が鳴る。

分かりやすいな、こいつ。

 

 「お前が傍にいないと、調子が出ない」

 「…は?」

 「立松がいないと、勉強が進まない」

 「はあ」

 「立松がいないと盛り上がらない」

 「あの、」

 「立松がいないと右か左か、どっちが得でどっちがマシか判断できない」

 「ちょっときみ、なにを言ってらっしゃるの」

 「立松がいないと夕方か明け方か分からない」

 「そこまでのおバカじゃないでしょいくらなんでも」

 「お前がいないと」

すっかり顔を上げて、俺のことを見詰めてしまっている立松に笑う。

ポカンと開けた口がかわいい。

 「幸せじゃない」

 

幸せなんて、漠然としたものだと思う。

なにをどう感じるかは人によって違うし、どんなことが好きでどんなことが嫌いかも、十人いれば十通りに分かれるから基準なんて有り得ない。

だけどそれぞれが“ああ、いいな”と思うものは必ずあって、それを“いい”と思った瞬間からそれが“一番”になるんだ。一番は一度決まれば変えられない。変わることがあるならそれは本物じゃないからで、誰だってその一番を探すために毎日を生きている。時間の中を、歩いてる。

 

 「たとえば時間が、そこらにある普通の道路だとすれば始点と終点があるだろ」

 「…あるかもね」

 「あるよ。歩き始めた場所が始点で、目指す先が終点。でも死ぬことの終点以外は次があるから、結局そのときまでずっと歩いて行く訳だ。俺も、立松も、誰も彼もみんな」

 「立ち止まれないの?」

 「無理。立ち止まったらあとの人がつかえるから。所詮は時間だから勝手に進んでるんだけど、動く歩道みたいなもので止まる時は脇に避けないとダメなんだよ。でも脇に避けて立って進んでるんだし、勝手に運ばれるとどこに行きつくか分からないから、やっぱり自分の足で進むしかないんだ」

 「ふーん」

 「で、その道は当然平らじゃない」

 「動く歩道なのに?」

 「それは喩えだろ。とにかく、その平らじゃない道を歩くのはかなり大変な訳だ」

 「人生ですから」

 「うん。だけど大変だからでやめる訳にはいかない。自分が自分として生きてる間は、足場をちゃんと選んで、進まないとならない」

 「進藤のデコボコ第一弾はシンクロ公演実現で、第二弾は大学受験って訳だ」

 「残念、受験は第三弾でした」

 「そうなの?え、他になんかあった?シンクロのあとだろ…」

ああ、花村さん?麻子ちゃん…は、デコでもボコでもないもんなぁ…

ぶつぶつ言っている立松の脇を突く。あひゃっとか変な声を出して崩れるから、バーカとせせら笑いを浴びせた。

 「まさか隣を歩いてるやつに、いきなり躓かされるなんて思わなかったよ」

 「…いきなりじゃないもん」

 「もんはよせ」

 「アタシ、いきなりなんて言ってないもんっ」

足を崩して泣き真似をする。気持ち悪いと冷静に突っ込んだら、現状を思い出したらしく渋い顔で座りなおした。

 「いきなりだろ」

 「口にしたのは、そりゃ確かにそうかもしれないけど…でも違う」

 「どう違うのか言ってみな」

 「俺は、自分のことと進藤のこと、両方考えてた。初めて逢った時からいままでのこと、全部思い起こしてあれこれ辻褄考えて。それで、ああ、そうかって思ったんだ。俺は進藤のことがす、…好きで、その好きは友愛じゃなくて恋の方なんだって、分かった」

恋。

音になるとすごい威力だ。

自分で言わせたのに頭がクラクラする。

 「自分に対して、それが間違いなんだって答えに結びつくような考え方だって山ほどしたよ。だけど突き詰めれば詰めるほど無理だった。答えはひとつしかないし、しかもものすごく単純ですさまじく重たかった。俺は、進藤のことが、好きだ。それだけだよ」

立松は笑ってなくて、とても、寂しそうな目で俺を見ている。諦めと後悔と、それから痛みを抱えた目の奥に映ってる自分が歪んで見えた。

泣くのを堪えてる。

 「困らせたい訳じゃない。だけど気付いたらもうだめで、言うだけ言いたいって思い込み始めた。それをしたらどうなるか、考えなかった訳じゃない。だけど言わずにそれまで通りの付き合いなんて出来ないし、黙って隣にいるのは失礼だと思った。進藤にも、自分の思いにも、嘘は吐きたくなかった。言わずに殺してしまえるほど、弱い気持ちじゃなかった」

真っ直ぐに見詰められて、少し、かなり怖かった。

正直、立松の視線にはある種の毒が含まれていて、それは見るものが思っている通りの作用を起こす。罪悪感だったり、嫌悪だったり、好意だったり。彼を見詰め返すその気持ちがなにかを気付かす力を持ってる。

ただ、見られるだけなのに。

 「好きだって気付いて、それからはもうお前のことばかり見てた。なんにも知らないで俺のこと、信用しきって傍にいるのが可哀想にも思えた。だけど進藤だって俺のこと嫌いならこんなに近くにいないだろうとか、友達の中で俺が一番傍にいるとか、そんなことで自分を慰めてるのがいい加減嫌になって…辛くて…言っちゃいけないと思ってたけど、そうなると今度はお前がヘラヘラ笑ってるのに腹が立ってきた。俺はこんなに苦しんでるのに、自分がその原因作ったくせになんだよ畜生って」

 「それでいきなり、か」

 「だからっ!いきなりじゃないって」

 「どこをどう聞いても、押さえられないから爆発したって言ってるぞ」

 「それはまあ確かにそういう部分もあるけど、違う」

 「じゃあなに」

 「それは、…それは…」

いままで勢い付いていたのが嘘のように萎れた。浮き沈みの激しいやつだとは思うけど、ここまで来て黙っていられても困るから視線で促した。

 「怒んない?」

 「なんで?怒るようなことなのか?」

 「どうかな」

 「聞いてみなきゃ分からない」

 「じゃ言わない」

 「怒らないから言ってみな」

 「…そんな、分からないとか言っといて、…信用できない」

 「言、っ、て、み、な」

立松曰く、俺は結構頑固な長男タイプだそうだから、薄く笑った顔を作ったまま威圧的に言ってやった。効果は覿面だったらしく、石塚曰く“典型的な一人っ子タイプ”の立松はオロオロと視線を彷徨わせたあと、観念したように目を伏せぼそりと呟いた。

 「――――だ」

 「あ?」

 「お前もだって思ったんだ!」

 「なにが」

 「丸ごと全部じゃなくても、お前だって俺のこと少しは好きだろうと思ったんだ!これでいいかコンチクショウ!」

 「声、でかいよ…」

噛み付く勢いで言うから思わず顔を顰めると、途端にまたオドオドし始める。こいつは大胆だけど繊細なのは確かだ。頭のいいやつの特性みたいなものなのかな。

どうでもいいことを考えながら、立松の言ったことを反芻する。

お前だって、俺のこと少しは好きだろう、と。

 「…ああ」

ぽん、と膝を打つ。

 「確かに」

 「……へ?」

上目遣いの立松が、“なにが”という顔で窺い見てくる。うん、やっぱりこいつはちょっと可愛い。

 「確かにそうだ。俺もお前のこと、好きだよ。っていうか、そう言っただろ」

 「はあ」

なんのことか分かりません、と目が物語る。

 「だから、言っただろう。俺もお前のこと、好きだよって」

 「言った、けど…」

 「聞いてたなら分かってるだろ」

 「え、ちょっ、それはさ、それは違うんじゃね?」

 「なにが」

 「だからそれは、あの時のはさ、って言うか俺が言ったのと進藤が言ったのでは全然、根本的に違うもので、」

 「なにが違うんだよ。第一なんで立松が俺の言ったことの意味を決められるんだ?そりゃ付き合いが長かったり深かったりすれば相手の考えが分かるのは確かだけど、でもそれが全部正しいとは限らないんじゃない?現にお前、俺が言ったことの意味、分かってないだろ」

 「え、え、ええーっ!」

嘘だ。

えーっ、ちょっと待ってよ進藤ちゃん!と喚いている立松に心の中で舌を出す。

悪いな。でも俺だってお前の所為で要らない恥をかいたんだ。恥と思うのは自分の気持ちに対して失礼だけど、でもやっぱり知られたくはないじゃないか。

誰にだって言われたくない。

これが気のせいだとか、間違いだとか、否定するようなすべてを。

俺たちを分かってくれないなにもかもを。

 「そんな、だってあの時はさっ」

 「俺も自分のこと少しは好きだって、お前薄々気付いてたんだろ」

 「ああああれは、あれはほら、なんていうかこう青春の勘違いっての?若気の至り?」

 「まあ確かにお前ほどはっきり自覚したってことはないけど、でも好きだって言われて俺も同じだって答える程度にはちゃんとしたものだ」

 「どぇぇぇぇぇっ」

それも嘘。

あの時は本当に分からなかった。ただ、立松を好きだという気持ちにだけは嘘がない。それだけは真実だし、それだけで十分だと思う。

感情を理屈で動かすことが出来ないように、気持ちを作ることなんか出来ない。だからありのままを言うしかないし、いまの俺に言えるのは“好き”だということだけで、その“好き”にレベルとか段階とかつけることはできっこない。

だからストレートに、混じりけなしの気持ちだけを抜き取った。

そうしたらただの好きが残ったんだよ。

あれこれ考えてもどうしようもない、立松のことが好きだという、その気持ちだけが残ったんだよ。

 「簡単なものじゃないと思う。でも俺は立松といると楽しいし、これからも一緒にいたいと思ってる。漠然とした言い方だけど、いまはそれで精一杯だし、難しいことはこの先もよく分からないんだろうけど…」

嘘をひとつ、吐いたから。

 「でも、好きだって言ったのは嘘じゃない。牛乳が好きとかみかんが好きとか、そういう好きと間違えてる訳でもない。立松が俺のこと、一番近くにいたと思ってるように俺だって思ってた。いつも一緒にいてこれからも一緒で、なにもかも分かってやりたいと思うのはお前だけだ。…と、思う」

 「最後のがなければ、ものすごーく感動したんですけど…」

 「俺に完璧を求めるな」

 「威張って言う」

あはは、と立松が笑った。

作ったものではなく、潜めたものでもなく、真夏のプールで見たあの眩しい笑顔。俺まで嬉しくなるキラキラのそれ。

親友は一生の宝物だって言うけど、親友と恋をした場合それはどうなるんだろう?先の見えない道は怖いけど、それでも立松一緒にいるなら平気な気がする。どんなことでも受けて立つ自信がある。

 「ま、なにかあってもシンクロで鍛えた根性があれば、大抵のことは大丈夫だと思う」

 「よっかかるよ?いいの?いつも一緒ってことは進藤ちゃん、タテノリのことずーっとお世話しなきゃならないのよ?大丈夫?」

 「だから大抵のことはって言ってるだろ」

 「なにその逃げの入った台詞」

 「俺に完璧を求めるなとも言った」

今度は俺も笑った。

笑って笑って、なにがおかしいのか分からないくらい笑って、それからふと、静かになる。

沈黙が重たくないのは相手が立松だからだけど、代わりにものすごく居た堪れないのは“相手”が立松だからだ。

 「あのぉ…進藤さん」

 「…なに」

 「憲男のお願いを聞いていただけますかしら」

 「やだ」

 「まだなにも言ってませんけど」

 「聞いたらうんって言っちゃいそうだから聞かない」

 「まっこの子ったら小賢しい!」

 「甘やかしてやろうと思ったけど、よく考えたらお前の方が頭がいいし、俺が圧倒的に不利だからな。だからこれから先、何事もまず“嫌だ”と言うことにする」

 「それって愛情なさすぎじゃない?」

 「バーカ、あるから言うんだ。でないと一から十まで、立松の言うことにうんって言っちゃうに決まってるからな」

 「…それ、ものすごい告白じゃない?」

 「そうか?」

 「あんた…やっぱりなんだかんだ言って肝が据わってるよ、さすがリーダーだ」

 「とか言いつつ近寄ってくるなよ」

 「なんで」

 「なんでも」

 「なんでさ」

 「いいから、来るな」

 「なんで近寄っちゃいけないの?傍にいるって言ったよ」

 「意味が違う」

 「違わないよ。俺が言ってるのはこういうことだけど、なに、やっぱり進藤の好きは違うものだった?」

 「…意地が悪い」

 「いまさらでしょ」

いまさら?

 「え、立松は意地悪くなんかないよ。優しいよ」

 

 

間。

 

 

 「っ、しんど、ちゃん、あなたって子はっ、くっ」

なんだか分からないけど、立松が“く”の字になってる。

 「大丈夫か?」

 「いまので大丈夫だったら、男の子として逆に大変だと思います!」

 「お前の言うことはいちいち分かりにくい」

「とにかく!」

「わっ」

“く”から元に戻った立松がすごい勢いで目の前に迫り、あっと言う間に俺の腕を掴む。

 「俺のこと好きだって分かった以上、逃がさないし誤魔化されないからな」

 「に、逃げも誤魔化しもしてないだろ!大体、先に逃げたの立松じゃないかっ」

 「両思いになれるなんて思う方が図々しいからいいんですぅ」

 「とか言いながらなんだよ、この手は」

 「お近づきの印に、チュウなど少々…」

 「バカか」

 「バカですよ。進藤バカ。知らなかった?」

ニヤニヤと迫ってくる立松のバカさ加減に泣けてくる。泣けては来るけどなんて言うか、それはそれで嫌じゃない。だってそれを承知で来たんだから。応えたんだから。

俺だって“立松バカ”なんだから。

 

仕方ない。

 

 

 

 

俺がじっとしていたら、ヘラヘラ笑いが消え、焦ったように視線を泳がせ始めた。そう言うところが可愛いと思うし、好きだと思う。俺には素直な、弱いところを見せる立松が好きで、傍にいてやりたいと本気で思う。

これは恋だ。

自分の中でも気付かないうち、ちゃんと宿って、成長して、それで漸く手に入れられた本物の気持ち。

少しだけ笑ったら、泣きそうな目をした立松も笑った。

誰に止められても詰られても。これからの自分たちが進むべき道を曲げるつもりはない。弱気なことを言うなら蹴っ飛ばしてでも、本当の気持ちを優先させる。こうと決めたら俺は引かないんだよ。知ってるだろう?立松。

 

重ねた唇は少しかさついていて、甘さなんか少しも感じなかった。

それでも照れくさくて、嬉しくて、笑いかけたら今度は立松も笑った。

きっとこういうことなんだろう。

 

密かに思い始めてもいつかは相手に伝わるように、誰かに知られ、傷付くときが来るかも知れない。それはそう遠いことではないかも知れない。

その時はきっとまた立松は、泣きそうな顔で逃げていくだろう。優しいやつだからそれを愛情と信じ逃げ出そうとするのは目に見えている。だけど立松、お前が選んだのは俺だから、だから絶対離さないよ。嫌がっても傷付いても、離れることに比べればもっとずっとマシなことだと分かっているから。知っているから。

 「よし、取り敢えずはこれで漸く落ち着いて勉強が出来る」

 「そうねー、ワタクシ東京に参りますから、ぜひとも一緒に行って頂きたいデスよ」

 「…まあ一浪覚悟くらいで臨みたいと」

 「ビシビシしごくから大丈夫」

 「お手柔らかに」

立松が笑えるように。

自分が、笑っていられるように。

 

 

幸せでいられる、ように。