「声なきクリスマス賛歌」
―ヴェローナの二紳士―
西澤 滋
1、 出会い
それは第二次大戦後間もない頃のことでした。北イタリアの美しい六月の午後、アルプスの麓を一台の車が軽快に走っていました。車には戦勝国イギリスの医師クローニンとその奥方が乗っていました。車がヴェローナの町外れに来た時、みすぼらしい二人の男の子が彼らを呼び止めました。野苺を売るためでした。用心深い運転手は買ってはならないと言いました。しかし彼は大きなかごを一つ買いました。やさしい奥方は話しかけ二人の事を聞きました。二人は兄弟で兄はニコラで十三歳、弟はジャコボで十二歳ということでした。
ヴェローナは歴史に富む美しい都市で、静かな中世風の街路に、微妙なうすい蜂蜜色のみごとな建物が並んでいました。ロミオとジュリエットが、この市に住み、ここで死んだということになっていますが、その古い悲劇にも、また経済的苦境にもめげずヴェローナの人は陽気さと誇りを保っていました。
翌朝、ドライブに出かけた彼は、公共広場の噴水のそばで、せっせと靴磨きにはげむ二人を見出しました。
「私はね、君たちが果物を摘んで暮らしをたてているんだとばかり思ったよ。」
「ぼくたちはいろんなことをやるんです。旦那、名所案内、オペラの座席券の世話、タバコの調達などもするんです。」
二人の少年らしい顔には他人を尊敬させる真剣さがあり、年齢をはるかに超えた意志しっかりしたところがあるように見受けられました。彼は滞在中、彼らの世話になることになりました。
ある夜、風の吹く人影もない広場の蒼ざめたアーク灯の下で、敷石の上で休んでいる彼らに出会いました。
「どうしてこんなに遅くまで外にいるんだい?」
「パドヴァから来る最終バスを待っているんです。そいつが来ると、この新聞がみんな売
れ切れるんですよ。」
「そんなに働かなきゃならないのかい?二人ともくたびれているようだが。」
「愚痴はこぼさないようにしているんですよ、旦那。」
「大学に行くために貯金をしてるんだろうね。」
「学校に行けたらいいとは、とても思ってますよ。でも今は他の計画を持っています。」
うとましそうな答えに、彼はそれ以上のことは聞きませんでした。
2、 天使のほほ笑み
ヴェローナ滞在も終わりに近づいた頃、彼はお世話になった御礼に二人を彼らの希望にしたがって、三十キロの所にあるポレータという田舎へ連れて行きました。彼は田舎家を想像していましたが、赤い屋根の別荘風の建物でした。二人は石塀の角をまがって姿を消しました。彼は彼らの後を追いました。鉄格子の脇門があったので思い切ってベルを鳴らしました。感じのよい女が姿を現しました。正式な看護婦の白服を着ていたので、彼は目をまたたかせました。
「私は今、男の子を二人連れて来たんですが。」
「ああ、そうですか。」
彼女の顔は明るくなり、扉を開いて彼を入れてくれました。彼女は彼の頼みにこたえて二人のことを話してくれました。入院しているのは姉のルチアで二十歳、母はとうに亡くなり、父親も交通事故で死亡。父親には巨額の借金と差押さえ令状と約束手形の他には遺産とてありませんでした。三人の子供は寒いヴェローナの冬にさらされる身となり、怖ろしい苦しみをなめたのでした。数ヶ月間、三人は河岸のごみ捨て場に板片を使って小屋を建て露命をつなぎました。彼らはどこまでも生きぬこうと決意しました。威厳と勇気とで、貧乏に立ち向かいました。何とかやっていけそうになった時、姉が病気になりました。重い脊髄結核でした。二人はあきらめませんでした。姉を連れて来て無理やりに入院させてしまいました。以後、二人は毎週一回支払いに来て、もう一年になりました。「ヴェローナには仕事が少のうございます。でも、どんな仕事にせよ、あの子たちがその仕事をよくやっていることも、私にはわかっているのです。」
彼女は彼にガラス扉の内側をのぞきこませました。そこには姉と二人の兄弟のほほ笑み合う姿がありました。それはあたかも天使達のほほ笑みそのもののように見えました。
3、 ヴェローナの二紳士
翌朝ヴェネチアへ向けて出発する前に、彼は彼らに助力の手が差し伸べられるべきだと思いました。そしてポレータの病院へ一通の封書を送りました。そして彼らが次に来た時に渡してくれるように頼みました。その上書きにはただ、「ヴェローナの二紳士へ」と書かれていました。
4、 声なきクリスマス賛歌
イエス様はまずしい馬屋にお生まれになりました。牧童は信じて礼拝しました。天使達はそれを讃え歌いました。
聖書の中の「このいと小さいもの(助けを必要とする弱きもの)の一人になししことはことごとく我になししなり」
これらの言葉を考え合わせながらクローニンが貧しい二人にしたことを心であたためかえしている私に、彼の営みそのものが、声なき(行いによる)クリスマス賛歌として響いてくるのを覚える。
―クローニン全集を読んで思うまま―
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