月夜の烏 〜お侍 習作の4
 


          




 気がつけば。重く濁った、何かしらの澱のような眠りの中にいた。いつも自在に動く身が、搦め捕られて身じろぎも出来ず。何故だろうかと考えるのも面倒で、今少し、微睡みの中に揺蕩
(たゆと)うてもいたかったのだが。そこから更に深くへと、更に沈んでゆきそうな気配があって。何とも言えぬ居心地の悪さにとうとう耐え兼ね、已なく浮かび上がることにした。目覚めと同時、手足や全身のあちこちに真っ先に触れたのは、乾いた布の感触で。はて、一体どんな場所で寝付いたものか。少しずつ感覚が鮮明になってゆく中、思い出そうとした矢先、

  ――― いきなり誰かに掴みかかられたものだから。

 逃れようがない確かさでこちらの手首をがっしと捉えた、それは大きく頑丈そうなその手の質感は、そのまま…自分があまりに無防備でいたことをまざまざと思い知らせる。こうまで間近に誰かが近寄っていたことに、どうして気づかないでいたものか。いつものように、最低限の警戒を払った上での眠りについていたのではなかったということか? あまりに突発的だったがゆえ、状況が皆目判らないながら、それでも無理から意識を叩き起こし。とりあえずの抵抗を敢行したのは、自分にとっては当然の順番で。とはいえ、急激な覚醒は五感の連係を狂わせやすく、足並みが揃わぬうちは しゃにむに抵抗するしかなくて。そんなところへ、

  『キュウゾウ、やめないかっ。
   暴れれば傷に障る、大人しくしておれ。
   聞こえるか? キュウゾウ?』

 真上から降って来た…いかにも急いた恫喝の声で相手の正体が判って、それで。やっとのこと自分が置かれている状態が思い出せた。

  『………お主か?』
  『ああ。儂だ。』

 そうだ、何も案ずることはなかったのだ。全身を弛緩させながら、知らず止めていた吐息をつけば、それが思わぬ熱を帯びていてハッとする。覚醒と同時、誰ぞに取り押さえられている身だと知った瞬間の恐慌が、どれほどのものだったかを無様なくらいに物語っているようで。そんな自分へ舌打ちしたくもなったけれど。

  『………。』

 こちらが平静を取り戻したことを見届けたためか、ずっと触れていた暖かなその手が、叱咤するような声をかけて来たその存在が、呆気なくも離れたことで襲い来た嘘寒さに較らぶれば。そんなささやかな不平など、たちまちにして跡形もなく、陰を薄めてどこぞへと消え去る程度のものだった…。





            ◇



 神無村に米で買われた侍たち七人…という、今回のこの流れの中にあって。その侍たちの“首魁”というよな地位的なもの、実は一度として意識したことはないカンベエで。強いて言えば、彼らを選び出したり“同行してくれまいか”と口説いたりをした“責任者”ではあろうが、そんな彼らを強引な指令に従わせるようなつもりはさらさらなく。せいぜいが…外連味
(けれんみ)を利かせた策を取るにあたって、効率を考えたそれなりの指示を出した程度。土台無茶な話だというのに同行してくれた侍たちは、自分が見込むほどもの凄腕であるのみならず、人柄も個性豊かな面々であり。過去までは問わぬが、何もないままでこうまでの器は育めまいとの道理から。誰の何とも限らぬ 色々。問わず語らずの内にも気づいていながら、とはいえ 腹の奥にて蓋をして。聞きかじろうとか問いただそうとか、逆に、理解・把握はしておるよと示唆するとか、そういったことは敢えてしないで、触れないままに通してもいた。そんな風に思慮深く、懐ろも深いところはやはり。さすがは首魁殿と、誰からも全幅の信頼を集めてしまって仕方がない、彼の奥深きところでもあったりするのだろうけれど。
“………。”
 そんな中にあって、このキュウゾウという青年にだけは。こうまで突出している存在でありながら、どうしたものか。その言動や物事の捕らえ方などに、周囲が思っているほどの、例えば“気難しそうだ”とか、はたまた“破綻している”だとかいった、複雑な屈託を感じたことがないカンベエで。それほどにも人性に奥行きがない人物だと思っている訳では勿論なく、礼儀や道理もわきまえているようだし、極端に寡黙なのも、彼なりの配分があっての沈思黙考なのに違いなく。この若さでこうまでの腕を持つにあたっては、色々な経緯も蓄積も、紆余曲折も多々あったろうにと思いもする。

  ――― とはいえ。

 何と言っても、この自分を斬ると真っ向から襲い掛かって来たのが初見で、同行を了承した旨が“お主を斬るのはこの俺だ”である。そんな物騒な彼を仲間内へと迎えた折に、キララが“信用ならないし理解出来ない”とそりゃあ憤慨して見せたように、常人の考え方ではそうはいかない筈だろうよと、そちらの理屈も判っていつつ。なのに。落ち着いて考えると苦笑が漏れるほどに意外だが、カンベエの物差しもまた屈折しているものなのか、彼の価値観や行動はやはり自分にはたいそう分かりやすい方だと思えてならない。ただ単に凄腕だから魅了されたというのみならず、そんな感触に気づいたから、彼が気になってしようがない自分であるのだろうか。
“侍ゆえに…か。”
 武士、もののふ。信奉する御方のため、若しくは請われて、雇われて、戦さを為す者。刀を振るって敵を攻め、人を屠
(ほふ)ることも辞さぬを職務とす。よって、人としてのどこかが、欠落したり麻痺するのは致し方ない。それがたとえ正義のためでも罪は罪。馬鹿正直であればあるほど、贖えぬ罪から眸を逸らせず、歪んで捩れて、足掻いてのたうって。そうした結果、清濁合わせ呑める身になってゆくしかない。一方で、若い天才や俊英ほど、実は最初からそういう部分が冷たく凍っているものだそうだが。この青年は果たしてどうなのか。
「…。」
 それとは論を別にして…これほどの腕と認めつつ、されど長生きは出来そうにないという、夭折しそうな印象も、失礼ながら また深い。刀の扱いや戦さ以外では不器用そうな彼でも居場所に不自由しないだろう、時代があの大戦中のようにもっと混乱していたとしても、この感触は変わらないと思う。死に損ねて来た自分とは違い、彼は危険な要素だけがあまりに突出しているがため、鋭角な分だけ苛烈にも、死に縁(よしみ)が深すぎる。激しく短くしか生きられないような、そんな気がしてしようがなく。
“儂ほどに図太く生き残れる性
(たち)ではない…というところか。”
 だとすれば。せっかくこれまで、窮屈ながらも今時の自由に留まって、安泰な身でおれたもの。その血をわざわざ煮えさせた責任は、やはり取らねばならぬわなと、
「…。」
 枕の上に端然とあり、眉ひとつひくりとも動かぬのに、されど眠ったようには見えない。若々しくも真白な面差しを見やりつつ、そんなこんなという やくたいもない思いを巡らせておれば、
「…。」
 くどいようだが、相手は今、視覚を奪われた状態にあり。よって、むしろ向かい合ってなくたって、その気配を察知出来る、拾える至近にいるからこそ、気がついた…のかもしれない。

  「………どうした。」

 何か呟いた訳ではないし、身じろぎをした様子でもなく、空咳を零した訳でもない。それでも、こちらへと何か言いたげな気配を寄越した彼だった気がして。それでとの応じの声をかけてやるカンベエへ、
「…何がだ。」
 自分でもそんなつもりはなかったか、あるいは。届きはせぬだろうと、届いても気のせいかと流されるだろうとでも思っていたものか。応じが返って来たことへこそ、戸惑うような間をおいてからの声を返すキュウゾウで。

  「何か、言いたそうな気配がしたが。」
  「気のせいだ。」
  「そうかな。」
  「ああ、そうだ。」

 珍しくもいちいち言葉で返す彼なのは、それこそ視覚を封じられているからだろうと思われて。千の言葉を紡ぐより、紅色の瞬光一閃、ひらりと立っていっての行動でもって、結果という答えを示して見せるのが定石な彼であったし。かてて加えて、些細な是非へは、その宝珠のような紅の眸の張りようにて意志を表す横着者で。しかもしかも、気づけばそれへとこちらが慣らされてもおり、寡黙なままでも支障なく、目配せひとつでたいがいは通じる間柄になってもいたから。
“口を封じられた人間が躍起になって目配せを寄越すことを思えば…。”
 そういう状況下の人間と大差無いと結論づけかけて、だが、
“…何へ躍起になっておるというのだろうか。”
 こんなに静かな夜陰の底だのに何が気になる? どうせなら、そのまま再び寝ついてほしいところ。まだ目潰しの毒は代謝され切っておるまいに。それともその毒の作用で妙な眠り方をしたせいで、中途半端に寝足りてしまい、意識が冴えてどうにも落ち着けないのだろうか。先程もこの彼にはめずらしくも稚気のようなものを示してくれて。顔の間近へ伸べた手への反応がなかったため、鼻の頭を指の背で撫でてやるなどという他愛ない構いつけをしたのだが。詰まらんことをと払い飛ばさず、身じろぎもしないで受け止めて、
『………。』
 さあて どうするかと、むしろこちらの出方を待たれたものだから。苦し紛れに…暴れた折に乱してしまったらしき小袖の衿なぞ ちょちょいと直してやって、お茶を濁した首魁殿だったりしたのだが………さて。

  「………。」

 人の印象を決めるものといわれている“目許”を白布で覆われていても尚、その白皙の顔容は凛とした清冽さを欠片ほども損なってはおらず。ただ、
“…?”
 随分と印象が違うなと。今更ながらに感じたカンベエで。感情の起伏がほとんど見られず、にこりともしないことから、時に“幽鬼のようだ”などと言われるほど、いかにも冷淡で酷薄なように思われている彼ではあるが。刀を抜いて切り結ぶ乱戦の中へと飛び込めば、その身は華やかに宙を舞い、さながら胡蝶か神話の朱雀を思わせる。日頃の紅の長衣をまとっている彼は、その痩躯に沿うかっちりとしたいで立ちが、切れのいい彼の所作、殊に抜刀している時の鮮烈な動きへと冴えて映え。どんな場に立とうと人目を引こう、いかにも傾
(か)ぶいた真っ赤な装束は、だが。手元は手甲にはみ出すまでを、襟元は首条全てを覆うほどにも詰まった恰好でまとめているところが、犯しがたい禁忌を孕んで粛々と。彼がいかに刀に取り憑かれている身であるか、それ以外へはどれほど寡慾であるかを、そのまま物語っているかのようでもあって。その佇まいからは、幽鬼どころかむしろ、孤高の義士の健気ささえ匂われるほど。

  ――― それが、今は。

 白小袖などという とんと見慣れぬいで立ちでいる今は。その姿、金の髪さえ月光に蒼をいただいて、それは儚くも幽玄…である筈が。胸元で合わさる直線の重なりは和装の倣い。細い顎やそこから耳朶へと連なるおとがいの線が、曖昧になるほど やはり真っ白な。すっきり伸びた首条の深みや、鎖骨の合わさりが、何にで覆われることもなく何とも無防備に晒されているだけなのに。懐ろへと斜めに切れ込むように合わさる衿の陰へ、吸い込まれてゆく肌目の白の、何と妖冶なことだろか。
“同一人物に間違いはないのだが。”
 躍動の赤をまとっている時の彼は、実力も器量や気概も十分に強靭なのにも関わらず、どこか痛々しいほど頑なで。だからこそ近寄り難いのに比して。今、目の前にいるこの彼は。多少なりとも弱っている筈だというのに、凄艶なまでの何かしら…誘いをかける蠱惑のようなものをもたたえており。清楚な白まで、この世のものならぬ妖しさへと塗り替えてしまったほど。
“………。”
 この格差は一体どこの何に由縁しているものなのだろうかと。伏し目がちになりぼんやりと、探るように見やっておれば、

  ――― かさり、と。

 晒されて堅さの出ている木綿を摺る、そんな衣擦れの音が微かに響いた。シンと静かな宵だから、身じろげば衾の重なりさえごわごわと音も立てようというもの。やっとのこと、眠気がやって来たものかと、こちらも釣られて身じろぎをしかかったが、
「…やめろと言ったぞ。」
 眠くなっての何とはなしか、衾の襟から出た手がそのまま、目許を巻いた晒布へとまた伸びかかる。痛いのかと問えば痛くはないとの応じがあったが、気を抜けば手が伸びるようでは怪しいもので。すかさずのように身を延べて手を伸ばし、届く寸前に捕まえれば、
「…。」
 宙で止まった手はそのままその位置で、ふっと力を抜いてしまい、
「おっと…。」
 ついの反射、逃げようとしたとの錯覚を覚えたこちらの手が、落ちかかるものを掬い上げる。咄嗟だったため、手首よりも先へと深く、手のひらに甲をくるみ込んでの“捕縛”となったが、その途端、
「…。」
 肉づきの薄い口許が、仄かに笑みを浮かべた、ようにも見えて。そしてそれで、
“…ああ、そうか。”
 不器用な奴よ。いや、意識してはいないのかもしれない。ならばと訊いたのが、


   「お主の手を、見せてはくれまいか?」





 刀以上に大事な利き手、だのにあっさり預けてくれて。さすがに少女の手とは比較にならぬが、それでもすんなりとして骨張らぬ手だ。仕事のクセが出る職人のそれとも違う…強いて言えば芸術家のそれのような手だ。カンベエがそうであるように、堅い巌
(いわお)のような拳を握って柄をしっかと掴み絞め、刀の切っ先をある程度固定して…というよな標準的な流儀で、刀を用いている彼ではないからで。細身の双刀を左右それぞれの手で、逆手順手と器用に持ち替えつつ。それは効率よく緩急自在に空間を薙いでゆく、その斬戟の華麗なまでの見事さを知っている。それを生み出すのがこの手であり、複数相手の乱戦など、流動的な修羅場へ身を投じ、膂力のみならず身軽さを生かした体術も繰り出す、変幻自在な戦い方を得手とするがため、常になめらかに柔軟に得物を操ることから、この手は決まった堅さやクセに固まることはない。槍使いでやはり得物の柄をくるくると自在に操るシチロージの手が、あれほどの力自慢であるにも関わらず さほどごつごつしていないのと同じ理屈なのだろう。その輪郭が衾の褪めた白に溶け込みそうになっており、だが、掬い上げるように掲げた男の手の浅黒い肌には拮抗してもいて。
『…見せてもいいが。』
 手袋は外せと、そう言い張って。頑として拳を開かなかったキュウゾウだったので。言われるがままに従って、常用している古びたそれを脱いでいる。甲を六弁花の刺青が飾る手。この男の人性、そのものを示すような。温かいが武骨で、大きいが刀しか操れぬ、何かを支えることは出来ても 失うことの大かりし手。

  「…温かいな。」
  「そうか。」

 眠くなったか? もっと幼子へと差し向けるよな、そんな言いようの端に柔らかな笑みの気配。夜陰の中を気を探してまさぐらずとも、此処におるぞと隠れもしない。頼もしくて暖かな手をした、そんなカンベエの。彫の深い眼窩に据えた、昏い深色のあの眸を、キュウゾウは、今 無性に見たくなった。伏し目がちになると、頬へと落ちる睫毛の陰が案外と長くて。背中まで流れる蓬髪の陰、瞼のなめらかな縁に沿い、夜陰の中、囲炉裏の炭のはぜる音へと微かに震えて瞬いているに違いなく。
“…。”
 そんな埒もないことを思った自分なのはどうしてだろうか。視覚を奪われたことで他の五感が鋭敏になると、古女房とやらが言っていたのを思い出す。それでかなと青年は再びの微睡みに船を出す。

  「…そのまま朝まで、眠ってしまえ。」

 囁く声は低くて優しい。つないだ手は温かで、たちまち眠気が襲い来て。独りではないということは、ああ、こんな風に心安らぐものなのかと、微睡みの中で微かに思う。安寧は優しくて気持ちがいい。静かで、素直で。真夜中に幕を開く漆黒の深遠までもが、居心地のいい衾と化す。その柔らかさは、だが、人をどんどん脆くするのではなかろうか。この手を、この温もりを、失いたくはないと、奪われたくはないと。思った端から危うくなるのではなかろうか。

  「…。」

 何か言いたかった。されど、言葉の許容が乏しくて。それに、何より眠りたくて。心残りを抱えたままに、眠りの底へと意識を沈めるキュウゾウであり。こんなにも間近にいながら、なのに声も眼差しも届かなくなるなんて。眠りとは黄泉の淵にも似たような、そんな場所かも知れないと、こそりと思った青年であり。それへと旅立つ自分を送って、カンベエは現世に一人残されるのか、ああ、また死に損ねるのだな、この男と。それこそやくたいもないことを、薄れゆく意識の中、ぼんやりと思ったキュウゾウだった。



   深藍を煌々と照らす望月に迷ったは、
   闇に紛れることさえ知らぬ、哀れな烏
(カラス)

   黄泉へと挑む 黎明はすぐそこだった。





  〜Fine〜  06.11.24.〜06.11.28.


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  *せっかく衾があるってのに(何が)今回はこんなもんです、はい。
   やはし、毛色が随分と違って、なかなか掴みかねております。(う〜ん。)
   もっと手前の段階の話で、
   シリアスが合わない、ということだろうか。(身も蓋もない…)


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