月夜の烏 〜お侍 習作の4
 


          




 此処が辺境と呼んでも良いほどの片田舎だからだろうか。秋の夜長は妙に静かで、もう時期を過ぎたのか虫の声さえ聞こえはしない。濃密な夜陰は、時折遠くでざわめく稲穂の囁きを運んでくる夜風が遊ぶのみで、莫として寂。財のある屋敷の座敷と違い、野辺の里にある小さな農家であるがゆえ、居室と応対の框とにさえ仕切りもないような、至って殺風景な家構えであり。しかも、気の利いた障子窓やらがあるでなし。よって陽が落ちれば、燭台に置いた火皿やロウソクによる灯火でも燈さない限り、たちまち手元さえ覚束無い仄暗さが満ちてしまい、明かり取りの連子窓からさし入る月光と、囲炉裏に絶やされぬ炭の暖とが、何とか人心地を与えてくれるというところ。元の持ち主の姿や風貌を覚えている者がいないほど ずんと昔に、家人の血が絶えての空き家だとかで。ただまあ、広さは十分にあったのでと。このたび招聘された客人たちに、此処へ逗留中の拠点として使って下されと供出されているのだが。岩棚には砦も完成しつつあり、要所には頑丈な柵に哨戒用の堡を築いての態勢も整いつつあることから、周辺地域への哨戒の方へと仕事の傾向が移りつつあるのが現状であるがため。それでなくとも人手が足りぬところから、皆して現場に出ずっぱり。此処で皆が顔を揃えていたこと自体、これまでにも滅多にはなかったのを思い出す。そして、
「………。」
 今の今 そんなやくたいもないことをふと思考の中へと巡らせることが出来たのは、やっとのことで気が緩んだからのことだろう。そんな理屈を伏せた眸の奥にて噛みしめながら、
“…何につけ落ち着いたのは幸いだ。”
 味わいのある風貌のその口許へ仄かな苦笑を浮かばせたのは。この小さな農村に米で買われた侍たちの首魁殿。色の褪せた蓬髪に、どれほど水をくぐらせたやらという、こちらも何やら褪せた身なりと来て。腰に提げたる刀がいっそ、いかにも怪しげな風体にも見えなくはない男だが、そんな居住まいをよくよく見れば、これでなかなかに風格があり。昏い色みの双眸の奥底には、野望などには縁はなけれど、それでも強靭な意志の力が宿ってもおり。だが今は…音なしの構えで夜の気配を抱き込むようにし、囲炉裏端に座しているばかり。
「…。」
 此処にいるのは彼だけではなく。板張りのうえ、擦り切れかけた円座に座った彼のそのすぐ傍らには、申し訳程度に綿の入った夜具が延べられており。そこへと横たえられている青年を数刻ほど前からのずっと、看取っている島田カンベエなのでもあって。
「……。」
 まだ戦さは始まってはいない。だというのに、しかもこの彼が、こんな風に倒れてしまおうとは誰が思ったことだろう。

  『さすがに心得ていてか、やたらと揩
(こす)ってはいないようですから、
   大した後遺症も出ないとは思いますが。
   場所が場所ですからね。小さな炎症を起こしてもかなりの負担になる。』

 もしかしたら熱だって出るやもしれない。眠りに押さえ込まれる程度のものなら良いのですが、眠った身で、されど耐えがたくてと、知らず患部へ手をかけたりしてはいけません、今宵は私がついておりますよと。何でも引き受ける器用な連れが、当たり前の調子で言いかかったのを目顔で制し、傍らにいるだけで良いようなことならばと、自分がついていると押し切った。あちこちのどの現場へ顔を出しても進捗への手助けが出来るほど、機転も利いて器用者な彼だからこそ、拘束しないでおいているのだ。それに、
『これ以上、お前に手を焼かすのも何なのでな。』
『…さいですか?』
 洒落者の端正な顔を少しばかり傾げて見せた この古女房と共に、かつて身を置いていた戦さ場にて。重い軽いと様々に負傷した者らを、自分もたくさん見て来ている。だから、多少は心得もあるし、それに…この青年に限っては、主旨への賛同ではなく自分との因縁のようなものがあっての同行だから。それ自体もまた彼の意志によること、こちらに気後れはなかった筈だが、こんな痛々しい姿になっているのを見るとつい、巻き込んで済まなかったなと、多少は殊勝な念も沸くというもの。こんな時くらいは傍らへ付いていてやりたかった。
“却って落ち着けないかも知れんがの。”
 何せ刀のサビにしたい対象であるらしいのだしと、そこまでの冗談口が出かかったそんな間合いに、

  「……………ん。」

 炭がはぜる音にも紛れそうなほどの、微かな微かな声がして。つられるように…夜具の枕側へと眸をやれば。横になっていた青年が、ほんの僅かながら顔を横へと傾けている。明かり取りの窓からさし入る冷たい月光とそれから、看取る彼が夜目の利く身であったがために、何とか見て取れたその顔には。これみよがしではないながら、それでも明らかに苦痛を示す陰りがある。起きているときでも、よほどのことでもない限りはあまり表情を動かさぬ彼が、額髪の陰に薄く青筋を立てており。軽く合わせていた口唇も今は薄く開かれて、細い呻きが洩れている。眠ったままで苦しげな声を出したり、知らず寝返りを打ったりするのは、相当に苦しいという証拠でもあり。衾の襟元、肩が動いて。持ち上げられた手が顔へと向かう。無論のこと、カンベエもそれを見逃さず。身を乗り出すようにすると、いつもの紅衣で覆われていない、肘まで剥き出しの白い手首を捕まえていたが、
「〜〜〜〜。」
 そんな妨害を振り払いたいのだろう。もう一方の手までが束縛されると、もうもう堪らず。拳を握って振り回し、何とか振りほどこうという もがきにかかる。ちょっと見には がんぜない子供のむずがりにも似ていたが、油断をして気を抜けば、鋭い所作の一閃にて、こちらの手を難無く振り払える体術も心得ている相手。現に、
「く…っ。」
 闇雲にもがいているようで、くるりと手首が回されては、何度か危うく逃げられかけもしており。そのうち、業を煮やしたその末に、夜具を跳ね上げた長い脚が宙を翔けて来るやもしれない勢い。こんな抵抗をしているということは、体に要らぬ力をかけてもいるということ。もしかしたら患部もまた、ぎゅうと瞑ってしまっており、それが原因で傷めてしまうやも。それを恐れてのこと、已を得まいかと意を決すると、

  「キュウゾウ、やめないかっ。
   暴れれば傷に障る、大人しくしておれ。
   聞こえるか? キュウゾウ?」

 目が覚めたとしても…もしやして。自分へと掴みかかっている相手が誰なのかが分からずに、それもあっての抵抗が続くかもと危ぶんだカンベエだったが、
「………お主
(ぬし)か?」
 上がりかけていた息の向こうから、感情ののらぬ平板な、いつもの声が立ったため、それでも手はほどかずに、
「ああ。儂だ。」
 低く応じれば。相変わらず表情の変化のよく分からぬ顔を、それでも先程よりかは険しさを解いてこちらへと向け、
「………。」
 やっとのことで抵抗の圧が去り、体が弛緩したのが分かる。それでもそぉと、殊更ゆっくり手を放せば。そんなこちらへと、いやそんな恐る恐るのような対処を取らせた自分へもだろうか、口許へ薄く笑みを見せ、

  「…………あの時、」

 何か言いかけて、だが、長々と付帯説明をするのは面倒だったか。それっきりの端切れどまりで放り出したキュウゾウだったが。何が言いたかった彼なのか、とうに気づいていたカンベエがその先を代わりに紡いでやる。

  「虹雅峡での手合わせか?」

 この青年がわざわざ自分を訪れ、話なんてどうでも良いから刀を抜けと、なかなかの単刀直入でかかって来たあの時に。お主の腕のほどは分かったが、今は斬られてやる訳には行かないと。そんな勝手をぬけぬけと言って、押さえ込んでた手を放した…という顛末があったこと。ちょうど今の、押さえ込んでいた手を放した感触と似ていたのだろう、ついつい思い出したらしいキュウゾウへ。自分もまた覚えておるぞと返したカンベエであり、
「眠っていてもこれだ。相変わらずに手ごわいの。」
 窓からの月光にその輪郭が淡くけぶる、枕にのったままな金の髪へと。苦笑混じりに手を伸べた首魁殿。あいにくと今のキュウゾウにその笑みは見えなかったが、声に滲んだ稚気の弾みは読み取れたから。それへと釣られてのこと、この彼には珍しくも、再び薄く笑い返してしまっており。だが、それが却って相手に何かを気遣わしめた。コマチにでもするかのように、髪を梳いてやろうとしかけていたカンベエの手が止まり、
「………痛むのか?」
「いや…。」
 かぶりも振らずの短い返事。だが、速やかな即答であったことが、覚醒している方が意志の力で押さえ込めるのかと、そんな風にまで思わせる。だって、あまりに痛々しい。白い顔には馴染みがよすぎて、ちょっと見には見過ごしたかもしれない白い晒布。月光がくまどる影のそのせいで、何とか見極められるその包帯が巻かれた目許に、あの宝珠のようだった紅眸は、果たして健在なのだろか………。







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  *早くも続き物です。
   初心者なのにいい根性しております。
(苦笑)