暁烏啼夜陰帳 (お侍extra 習作32)

          〜千紫万紅、柳緑花紅 口絵もどき

 

 
 よほどの遠隔地を目指しているならともかくも、徒歩にて往き来する旅人たちが辿る街道沿いの宿場というものは、おおよそ旅人の都合に沿っての間隔に存在してこそ栄えてもいるものだが、時には例外もあって。そうそう人間の側の都合にばかり合わせてもいられないということか、峻高艱難、険しき峰や峠、深い渓谷、はたまた果てなく続く深い森や荒野を前に控えているような土地の場合、どれほどの早朝に出立したとしても次の宿場へその日の内に辿り着けないということが大いにあり。土地や場合によっては、早亀だのホバー式の空艇だのも調達出来はするものの、そういうものを要するはよほどの至急という例外に限られてもおり。大半の旅人は、いまだにのんびりと徒歩の道行きを堪能するのが常の標準という時勢であったから。そういう難所は避けて通るか、若しくは準備万端整えて挑むか。そういう選択もまた、人生に例えられること多かりし、旅の醍醐味、若しくは のちの語り草になろう、思い出深きひとこまなのかも。

 彼らとてその例に洩れることなく、次の宿場までの道程は自前の脚にて移動するのを基本としていた、何ともお呑気な旅の空。機巧動力の乗り物は、そうすることでなおの速さを発揮出来るからか、さして整備もされてはいないが目的地までは直行という行路を辿るもの。よって、緑も色濃く、風も清かに、せいぜい飛脚早亀が追い抜いてゆくくらいという、至って長閑な一般の街道を、物見遊山にしては結構な健脚にて、すたすたと運んでおったその途中。昼下がりという頃合いに、ちょっとした山道を前にした土地へと辿り着いた彼ら二人。自分たちの脚でなら陽のある内に越せるかと軽く見越してのこと、宿を取らずにそのまま突き進んだものが。珍しくも計算に狂いが出たものか、人通りもない寂しい峠を越した直後ほどに日没という憂き目に遭ってしまい、已を得ずの野宿となった。まま、女子供が同伴している旅路でもなし、双方ともに元は軍人、それも自
(おの)が刀を振りかざし閃かせる白兵戦態が常時という、前線派遣の多かりし、歴戦の豪傑・斬艦刀乗り同士であったゆえ。何となれば夜露の下であろうが岩陰に凭れてであろうが幾夜でも過ごせる剛の者ら、さほど慌てることはなく。そんな彼らには上等な寝床、護る神主も永らく不在らしき古社を見つけるに至り、その御堂を臥寝の床へと拝借することと相成って。




  ………さて、どのくらい夜が更けたものか。


 月光に青く濡れるは、椿か それとも柑橘か。さわりざわりと間断なく訪のう夜風に揺らされては、つややかな葉を茂らせた梢が大きく波打つ。古社を取り囲むは、こちらも手入れが入らないまま捨て置かれた雑木林であるらしく。様々な種の木々が立てる木の葉擦れや枝鳴りの音が、時に驟雨を思わせるような響きを蹴立て、夜陰の中、笛の音のような風籟と重なってはしきりと騒ぎ立てている。

  “……。”

 それもまた侍であるがゆえの習性か、常在戦場の心意気とやらがつい発揮されるものなのか。戦さ場に身を置かぬ日々を送って久しき昨今でも、人が寄ればそこには物騒な心根を持つ者もおろうとの用心に変わりはなく。殊に彼らの場合、物騒な輩による“逆恨み”という奇襲を受けることもたまにあるせいか、眠る態勢となっておっても、それなりの警戒は解かずにいるが常態。よって今宵の場合、人気がないことへと多少は緩んででもおったものか。社という寝床を得たことで、暖の焚き火を守っての交代で休む必要も無しとして、周囲に垂れ込める閑とした静けさに気を許し、互いから暖を取るかのように身を寄せ合うようにして、朝までを目指し、ただただ安らかに眠っておった二人であったが、

  「……。」

 ふ…っと。御堂を取り巻く風の流れが乱れたことへ、上背のある壮年の方が気づいた模様。うっそりと視線を上げ、陽や雨に存分に晒されてのこと、木肌が灰色に乾いて煤けた格子戸の外へとその意識を向ければ。折しも穹上の月に群雲が掛かりつつあるか、月光の照度がじわりじわりと弱まってゆく最中。床へ黒々と描かれていた升目状の陰のその輪郭が、ぼやり滲んでゆく間合いへと、まるでそれと入れ替わるかのようにはっきりし出した気配が…確かに一つほど、至近へと音もなく近寄りつつあって。
「…。」
 意思なき獣のそれではなさそうだとまで察知したところへと、

  「…俺が出る。」

 懐ろからの、囁くような淡とした声が上がった。
「…久蔵?」
 低いがくっきりしていた滑舌に、連れも少し前から既に目覚めていたらしいと、それへは、今の今、気づいた勘兵衛。
「まだ殺意はないが。」
 そんな気配にまで注意を留めていた彼なのかと、それが意外で、つい訊けば。
「…。」
 それでも、と。無言のままに取られた行動が応じを返す。背からは外して抱えていた双刀ごと、それを提げるための佩を、慣れた所作にて腰へと巻いた久蔵。さっきまで安んじての寝息を刻んでいたとは思えぬ、それはしっかとした足取りで、古い板張り踏みしめて立ち上がり。軒端から中が素通しの、腰高までの半間垣になっている格子の観音扉、とんと突いて表へと、左右ともに開け放つ。境内と呼ぶには…周囲を取り巻く木々が多少育ち過ぎ、それによって狭められたらしき観がある、それでも平らかな空間に。どこぞに虚洞
(うろ)でもあるものか、風籟の唸りも太々と、梢を揺さぶるざわめきが満ち、そして。

  ――― ざり、と。

 靴の底にて細かい砂利を擦る音。これもまた境内の石畳の名残りか、そこへと踏み出した誰かしら。霞み始めた月光を背に負って、上着というよりは羽織に近い深色の外套と、薄手の鎖帷子
(かたびら)に小袖を合わせ。やや筒裾ながらも見栄えより動きを優先させた型の濃紺の長袴といういで立ちの、結構な上背をした立ち姿は、どうやら成年の男衆であるらしく。腰から提げているのは大太刀で、しかも帯び方がなかなかに様になって落ち着いているところから察するに、単なる道中差しや護剣なぞではないと見てとって、
「…。」
 目許ぎりぎりの額髪の下から、うっそりと睨み上げるような視線を相手へと据えていた、金髪痩躯の赤侍。軒下に形ばかりの匂欄に囲われた回廊があるその先。大きいがあちこち朽ちかけている賽銭箱の縁へと、畏れ多くも…上着に切られしスリットからお膝を蹴り出させた御々脚の、片方の踵をがつりと乗せて。肩口と腰という二カ所へとその白い双手を延べると同時、その身を傾け、軒の外へと一気に飛び出している久蔵であり。
「…あやつ。」
 せめて名と用向きくらい訊いたらどうだと、勘兵衛が呆れたのと重なるように、

  「一つ、尋ねてもいいだろうか。」

 疾風のように自分へと躍りかかって来た存在を、鮮やかな身ごなしで避けて躱した相手が、その身を境内を取り囲む木立の側へと後退させつつも、向こうからそんな声をかけて来て。それへ勘兵衛が“おや”と双眸を瞬かせたのは…その声に聞き覚えがあったから。
“…確か。”
 つい最近、耳にした声だ。それも、ただ漠然と耳に入ったというよりも印象深い格好にて。その声の主は、どちらかと言えば向背の御堂に留まったままの勘兵衛の方へと尋ねており、構わぬとの意志から頷首して見せると、

  「あんた方は、今評判の“褐白金紅の賞金稼ぎ”の方々であろうか。」

 そうと訊く。実にあっけらかんと、且つ、端的に聞かれたものの、何がどう世間で評判なのかになぞ、とことん関心が薄いこちらの二人でもあって。外観の色味を問われているのなら、ままその通りかもしれないが、
「…カツハクキンクの?」
 判りにくい言い回しへ判りやすくも眉根を寄せた壮年の、微妙な沈黙へと応じ、
「妙ヶ谷で大ヒグマを倒し、伊田宿では窃盗団を、佐蛾沼では辻斬り強盗を仕留めた賞金稼ぎ。あんたらのことと違うのかい?」
 男はそうと並べて紡ぎ、それを聞いた勘兵衛が…納得はいったが、ますますのこと“おやおや”と意外そうに眸を見張ったのは言うまでもなくて。
「確かにそれらは、儂らの手掛けた仕事だが…。」
 何でまた、見ず知らずの相手がそうまで詳しいのかが腑に落ちない。そして、
「…。」
 こちらは明らかに、そんな様子の勘兵衛へと久蔵がその肩を落として見せていもし。まず最初に“評判の賞金稼ぎか”と、男は問うた。つまりは、自分たちの所業が世間では評判になっているらしいということであり、なればこそ、この男もそんな奴らとはどんな奴かと追って来ていたと、何で繋がらないものなのか。
“…これだから自覚の足らぬ練達は。”
 もちっと自惚れたらどうだと、聞きようによっては何だか筋違いな憤懣を腹の底へと芽生えさせつつ、それでもお怒りを向ける先は違えずに、
「…。」
 順手と逆手、左右の手のそれぞれに、互い違いの握りで構えし細身の双刀。体の前にて交差させ、睨み据えたは…先程この切っ先を紙一重で躱された相手。機先を制されても未だ かっかと熱
(いき)り立ってこそないが、それと度合いは同じだろう冷然と冴えた鋭さで、双刃へ間違いのない殺気を帯びさせている久蔵であり、

  「…っ。」

 今度は、避けるだけの技量有りとの見越しが加算されての、畳み掛けるような攻勢が、風を撒くよな突進へと添えて、右の太刀が横から薙いだすぐ後へ、左の太刀が下から上へ跳ね上げる…という格好にて襲い掛かったものだから。飛び退いた先へと繰り出された二の太刀、何とかのけ反って躱そうとしたものの。顎先を軽く切っ先に撫でられての失点を、早くも踏んでしまった模様。ひりりとする傷口に滲む血の色を、手の甲で拭うと月明かりの陰った中で確かめて、
「さすがに手ごわいやね。」
 それでも、まだ軽口を叩ける余裕はあるらしい。風にはためく羽織の裾、右で右側を押さえた所作に、つい惑わされたのは果たして勘兵衛だけだったものか。

  ――― 哈っ、と。

 大太刀は腰の左側へと提げていた彼だったから、尚のこと油断していたのかも。ぶんっ、と振り切られたその腕の先、袖の中へと隠し持っていたらしき短剣が手のひらへすべり出て来、そのまま彼の体の側線を泳いだ腕の反動だけを瞬発力として、夜陰の中へ銀の軌跡が深々と潜行したかに見えた…ものの。

  「…っ。」

 久蔵は、敢えて無駄な動きをせぬまま。手首のみをひるがえして届かせた切っ先一閃にて、夜陰の中から凶刃を引き摺り出すと、くるりと中空へ釣り込んでから足元へと叩きつける。小さな所作での扱いだったが、だからこそ判ったのは、その短刀が狙ったのは、高さや角度から…久蔵ではなかったということであり。

  「…。」

 そんな事実が頭に来たか、それとも…そんなことには関係なくの攻勢に出る算段を立てていて、これも段取り通りの行動か。砂に埋もれかけていた石畳へと、短刀が叩きつけられた金属音の余韻が消え切らぬうち。躱した動きで結構な距離を稼いでいたはずの刺客の懐ろへ、紅衣にくるまれた痩躯が躍り込んでおり、

  「…っ!」

 だが、長居はせずに撥ね退いたは、二本目の短剣が…今度こそは久蔵の背後へ回された腕の先、逆手に握られて突き立てられんとしていたからで。対象が素早く退いたことで空を切った短剣は、かしゃりと堅い音を立てて足元へ落ち。それを追うように、持ち主の体躯もまた、力なくも頽れ落ちてしまったのであった。

  「………。」

 侍同士の切り結びの結果による殺生は、土地にもよるが…殺人とは別の枠、合意のものと見なされて、死んだ者は病死に準ずる扱いを受ける。人を斬ってナンボという目的の下、自発的に人斬り包丁を提げてる者同士の物騒な喧嘩のその結末に、民間人と同じ物差しを持って来たって尺が合わぬ…という、成程ごもっともな見解からの対処であり。よって、この男が絶命しても、久蔵や勘兵衛が彼を殺した事実を問われることはあっても、そのことを罪とし追われるということはない…のだが。それとは別に、気になることがあり。倒れ伏したる相手の傍ら、息の根が止まるまでを見届けるつもりか、立ち尽くしている久蔵の傍らまでを運んだ勘兵衛。そんな彼の歩みに合わせて、陰っていた月がやっとのこと姿を見せ始める。徐々に明るくなる石畳の上、仰向けに倒れたままな刺客を見下ろして、
「…この男。」
 今になって覚え知る相手だと気がついた勘兵衛だったのは、月が陰ったことからその顔も陰って見定めにくかったことと、昼間に見たときとは、その気色までもがすっかりと別人別種のそれであったから。
「ああ。金創に効く薬とやらを売っていた大道芸人だ。」
 薄紙を何枚も、切り口も真っ直ぐのなめらかに切り裂くほどよく切れる刀にて、まずはと自分の腕へ切りつけて見せて。だが、この薬を塗ったら やれ不思議、血が止まって傷口も塞がると、そんな口上を面白おかしく聞かせて街頭にて薬を売る、どちらかと言えば“大道芸人”というよりも“実演販売”という商いをこなしていたのがその男で。丁度今辿っている街道の途中から、宿や何やで顔を合わせるようにもなっていたのを思い出したものの、

 「お主を狙っておった。」

 久蔵はそうとだけ、短く言い捨てて。もはや興味を失ったと言わんばかり、踵を返すと御堂の方へと戻ってゆく。確かに、先程の短剣も、久蔵ではなく勘兵衛をこそ狙って投げられたそれだったものの。だからといって、そんな言いようをされた側は、到底、おやそうだったのですか…とだけで済まされるものではなく。しかも、

 「…そう、だったのか?」

 勘兵衛の心当たりは全くの別物だっただけに。はあと、薄くなりつつある息がまだある相手へと、言い残しがあるなら訊いてやろうとばかり、長外套の裾が砂にまみれることを厭いもせず、傍らに片膝つくと長身のその身を屈めてやれば。男は、力なくも笑って見せて。

 「気づかんかっただろうとは、あのお人に、言ってやって、ほしいもんだ。」

 今のやり取りの影に潜んでいた、久蔵の側からの勘兵衛への揶揄を嗅ぎつけたその上で。深々と斬られた脾腹を押さえて、多少は切っ先を躱した結果、却って瞬殺されなかったがゆえの苦しみを堪えつつ、男は勘兵衛を何とか見上げ、言葉を継いだ。
「俺が斬ろうと、してたのは、確かに あんただが。」
 息をするのも苦しいか、胸板が時折震えては不規則に上下して。それでも…言わずに逝くのは口惜しいか、彼は言葉を紡ぎ続ける。

  「それは…あのお人が、欲しかったからだ。」

 勘兵衛の目許が薄く伏せられたのは、その瞬間を目撃したから…それこそが彼がこの男から連動させて思い起こした“心当たり”であったからに他ならない。彼が自分たちと同じ街道を辿っている物売りだと気づくより微妙に前に、彼を見、そして、気に留めてもいたからで。
「三つ先の宿場でのことかの?」
 訊けば、
「…。」
 はっと瞠目し、やや呆気に取られたかのような顔となり、それから…じんわりと苦笑って見せる。お見通しでしたかと、稚気を滲ませたような笑い方をし、はあと苦しそうに息をついた彼が、その宿場で同じ宿を取ったのは、今にして思えば勘兵衛らを追って来ての“必然”だったのでもあろうが。

  ――― その場に行き会わせたは“偶然”の為した悪戯で。

 その宿は庭先の露天へ設けた岩風呂が評判で。正に庭先へと広々うがった池のような、それはそれは開放感に満ちた岩風呂へと浸かっておった宵のこと。
『…付き合うてはおれん。』
 誰の治療のための湯治なのやら、長湯は苦手な久蔵が、日頃は白磁のような肌を淡い緋に染め、辟易しつつも先に上がるぞと退散したその直後に、湯殿へやって来たのが“彼”であり。
『…?』
 何やら感慨深げな顔をしていたものが、ふと視線を上げ、こちらに気づいて…そそくさと目を逸らしたのが勘兵衛には気になった。こちらからは初見の相手。なのにどうしてそんな態度を取るのだろうか。胸板に走る古傷に怯えたか、だが、この年頃の者…大戦経験者にあっては、大なり小なりこのような傷を負っているのもまた珍しくはないこと。ましてや旅の空の下、得体が知れないのはお互い様だろうにと。派手ではないが屈強精悍、なかなかに鍛え上げられ、絞り上げられた体躯をしていて小心な御仁だのと、怪訝に感じた勘兵衛だったが、
『…。』
 傷と言えばで思い当たったものがもう一つあり。そんな場へ、後から別の一団が脱衣場のほうからやって来て、
『いやぁ、びっくりしたねぇ。』
『ああ、こっちは女湯だったかと思っちまったぜ。』
『それか、混浴でも構やしないっていう、度胸のあるお姐さんだとかvv』
 少々下卑た笑いと共に、口々にそんな言いようをまくし立てるのへ、ああやはりと思い当たっての苦笑をし。彼らと入れ替わるようにゆっくりと上がって脱衣場へと向かえば、

 『…久蔵。』

 一応は浴衣こそ着付けていたものの、胸元を大きくはだけての腕まくり、何とも嬋っぽくもけしからぬ恰好で。備え付けの団扇で、顔やら懐ろやらをはたはたと扇いで、連れがのんびりと涼んでおり。少し潤んで気怠げな目許に、濃緋に色づいた口許、朱を亳いた頬。しっとり艶を増した なめらかな肌が張りつく細い首を辿り下りた末の、薄い肩の下、その白い胸板には。下手くそに急いで着つけて斜めになった、緋色の襦袢にも見えかねぬ、そこを斜めに走る古傷が、湯にあたって血の色を増した薄皮の下、常より色濃く浮いている。先程の男の不審な挙動は、この姿をもっと後戻りさせた、半裸状態にて目撃したからではなかろうか。困ったものだと肩を落とした勘兵衛へ、
『???』
 そんなこととは露とも知らず、キョトンとする久蔵だったのは、当人に全く“自覚”がないからこそのこと。その傷が這う胸元をあらわにすること、彼が含羞
(はにか)みつつも気にかけたのは、唯一“あの晩”の勘兵衛へだけ。しかもそれは、こんな色気のないものを目にしては、今から自分を抱こうとする愛しき男の興が冷めるのではなかろうかと思ったからであり。そこのところを無事に(?)通過したその結果、それ以前と同じほどの大まかさでの…それ以降も。傷はおろか裸身へさえも、含羞みや恥じらいといった方向の頓着を、自分の身へ乗せたことなぞない彼だったりする。いや、間違ってはいませんが。侍ゆえに、男なゆえに、何でまた“ない胸乳”をないのに隠さねばならぬ。その理屈を延長させた、それ以上はない“正論”が先に立ち、自分の…均整美しく整いし、色白で線の細い裸がどれほど妖冶かを全く判っていないこの彼は。過ぎるくらいの男らしさで、過ぎるほどの無頓着に振る舞っては、どの宿に行っても必ず一度は、脱衣場や湯殿に余計な緊張を走らせて来た前科もちの常習者だったりし。
“よくもまあ、荒くれ男だらけの軍にいて無事だったものだ。”
 思ったのと同時に、
“…まあ、これを無理から押し倒そうと思ったら、命が幾つあっても足りぬだろうが。”
 そこへも即座に気づいた勘兵衛だったのは言うまでもない。例えば先輩や上官が、冷遇や左遷なんぞを引き合いに出しての、どんな思わせ振りで言い寄ったって、そんなややこしい下心に気づくような要領のいい子でなし。その結果、腹いせに送り出されたのが条件の悪い前線でも、形勢不利なればこそ大暴れ出来ると解釈し、むしろ喜々とした彼なのに違いなく。力づくは論外で、丸腰であろうが何人掛かりであろうが、単純な喧嘩扱いという解釈の下、ひょいぽいと投げ飛ばされるか、何でも手当たり次第に武器にしての手痛い反撃を食らったその末、最悪 再起不能に至った揚げ句に実家へ帰された敗者続出だったのかも。これが大仰な想定ではないことは、虹雅渓警邏隊の兵庫殿の言によって後に立証されたりもしで。そんな物騒な人物に、恥じらいなんてものがどうやったら生まれるものやら。そして、そんな罪作りな“天然”アドニスへまんまと惑わされたる被害者が、今ここで天へと召されようとしている訳で。

  「あんなお人がしゃにむに護っておいでなのだから、
   あんたはもっと秀でた、余程に凄いお人なんだろうよな。」

 手の届かない、月へでも憧れるかのようなしみじみした声を出し、
「俺は…察してもおったろうが、あんたらが畳んで来たような窃盗団に籍を置く者。今後の道中も、せいぜい気をつけな。」
 土臭い田舎ほど、御馳走にはうるさい小バエがつきまとうもんさねと、なかなかに気の利いた言いようをしてから。男は眠るように息を引き、そのまま…還らぬ人となったのだった。



 月を映すばかりとなった虚ろな双眸をそっと手で伏せてやり、傍らから立ち上がって顔を上げれば、早々に御堂の中へと戻ったと思っていた久蔵が案外と近くに立っており。その整いようがあまりに端正だからこそ冷然としても見える横顔が、何か言いたげなのへと先んじて、
「儂が彼奴の殺気とやらに気づけなんだは、お主が気を逸らし続けたからだ。」
「…。」
 そう。この何日かの道中の端々にて、何にだか気を逸らす久蔵だということには気づいていたものの、その意識の先を勘兵衛が追おうとすればすかさず、
『島田。』
 わざわざ勘兵衛の腕や手へ自身の手を添え、やや強引に自分の方を向かせたり、何でもないのだからとかぶりを振っては“先を急ごう”と強請
(ねだ)ったり。何よりも自分を優先してくれる連れだと判っていればこそ、そこへと敢えて便乗し。恐らくは初めて、勘兵衛を恣意的に振り回すような真似をした久蔵でもあって。そんなところを可愛げと把握しつつも、それでも何とか、その視線の先にいた存在を見取ったところが、相手は…勘兵衛にしてみれば妙な格好で印象づいていた彼(か)の男。金創薬売りの大道芸人だったとまでは知らなかったため、
『…五郎兵衛を思い出すのか?』
 何だか見当違いなことを訊いた覚えがあったのではあるが。今にして思えば、ただの大道芸人には見えなかったから、ある程度は凄腕の武士とお見受けしたればこそ、久蔵の関心もまた彼へと向いているのかと。そしてそして…よもや、あの男を斬りたいなぞと、物騒なことを思っているのではなかろうなと。考え過ぎと一蹴するにはその態度が引っ掛かる、そんな数日を過ごしてもいたのだが。先程の彼の言から察して、久蔵は久蔵で…彼奴は只管 勘兵衛を狙っているものとだけ感づいていたらしく。

  「…あんな心積もりがあったとまでは。」

 さすがに気がつかなんだと、そこは正直に吐露した久蔵。正確には“下心”という代物であり、
「…。」
 狙っていたは勘兵衛でも、自分の方こそが“目当て”だったと言われては、さすがに少々気まずそうなお顔になった…のも一瞬のこと。そのままついと顔を上げ、

  「やはりあやつは馬鹿者だ。」

 ざわめく風籟に負けぬだけの声の張りようにて、きっぱりと言い切った彼であり。

  「久蔵?」
  「お主を斬って、どうして俺が手に入る?」
  「それは…。」

 自分の口から言うのも滸がましいが、勘兵衛は久蔵にとって、自身については二の次にしてまで注意を払ってやって、その身を護らんとしていた存在だったから。ならば、そんな対象がいなくなれば揺さぶりようもあろうかと、単純には違いないながら、そうと思ったのではなかろうか。若しくは…勘兵衛へと忠心から従っている久蔵なように見えてのこと、主人を殺した自分の方が強いのだからこれからは俺へ従えと、主人を亡くした身に追いやった上で、その精神
(こころ)ごと篭絡あるいは略奪する気ででもいたものか。だが、これらは所詮、相手の側の思い込みに過ぎなくて。あやつは馬鹿者だと言い切った、当のご本人のご意見はといえば、

  「あっさり斬られるようなお主も許せぬし、
   俺に断りもなくお主を斬るような奴はもっと許せん。」

 大威張りに胸を張り、そうと言い切ってから、
「そんな奴、俺が腹いせにと叩き斬ってやるまでだ。」
 つまりはどうしたところで手に入りはしないのにと言いたいらしい。違うか?と真っ直ぐな視線を向けられて。
「…。」
 月光がいつの間にか飲まれつつある、黎明の青い凪が周囲に満ちる中。勘兵衛は、今日最初の陽が彼へと降りそそぐその前にと、節の立った手を伸ばし。いまだ月の光に染まった金の髪、横鬢から梳き上げるようにして指へと搦めてやって撫でながら、

  「そうさな。
   儂を斬ることが出来るのは、生涯と世界にただ一人、お主のみだからの。」

 こんな物騒な文言が、なのにどうして睦言になるのやら。そして、そうと囁かれた甘やかさに、その意志の先を掬い取られ。
「…。」
 大好きな深色の眸に見つめられたまま、素直にも懐ろ深くへ掻い込まれつつ、久蔵が返したお言葉はといえば、
「誰にも害させはしない、触れさせもしない。」
 何とも切なく、何とも甘い文言な筈が…
“それを徹底完遂させるためなら、何百何千を斬っても厭わぬ。”
 何とも物騒なことをあらためて心に誓う、お相手もお相手だったりし。これでこその安寧、これでこその充実感を得られるという、これもまた“侍ゆえに”の感慨なのだったらば、何とも大変な修羅の恋。これもまた、たで食う虫も好き好き…でしょうかねぇと、夜陰の中では覇王だった臥待ちの月が、暁の金色へと消えかけながらも呟いていたそうな。







  〜Fine〜 07.3.05.


  *…おかしいな。シリアスな話にするはずだったのに。
(笑)
   生活能力皆無のこの二人が、
   シチさんという介護者なしにて
(こらこら)長くを一緒に過ごそうと思ったら、
   こうやって旅に出るのが案外と真っ当なのかも知れませんね。
   上げ膳据え膳だし、身の回り品以外は洗濯や掃除もしないでいいのだし。
   収入は賞金稼ぎと久蔵さんの骨董への目利きで困りはしないとあって、
   趣味と実益を兼ねてる、とんでもない暮らしっぷりをしそうで、
   ある意味、恐ろしいまでに最強な人たちです。(う〜ん)


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