草 笛 (お侍 習作49)

       *お母様と一緒シリーズvv
 


 昨日と何ら変わりない、いい日和の昼下がり。秋の空は澄み渡って何処までも高く、風は少し乾いて、いたずらに吹き、村を縦横に流れる豊かな水の香や、集落を取り囲むように広がる稲穂らの、実りの香を運んで来る。小さな村だとは言え、唯一の産物のそのランク、この大陸にして随一と言い直しても過言ではない、それはそれは風味豊かな米を生む田圃も広けりゃ、瑞々しい緑に満たされた、それは奥深い鎮守の森もあるし。随分と由緒のありそうな先祖の眠る古廟の据わる石切り場、奈落のような高さを誇る滝や切り立った断崖などなどと、ぐるり散策にと一回りしようと思ったら、結構な時間を費やすことだろう広さもあって。そして今は、そのあちこちにて“神無村城塞化計画”が遂行されている真っ最中。働き者の村人たちは、頼もしき助っ人である侍たちの出す指示の下、砦としての石垣を積み、堡を固め。巨大な武器を造成する傍ら、そのオトリもあちこちへと仕掛け。女子供はいざという時の退避行動を打ち合わせ、消耗品となろう弓や矢を作ることへ勤しみ、炊き出しに精を出し。男たちは男たちで、土木工作の作業の合間には、参戦の意気地を高めることをかねての弓の稽古に余念がなく。当初の迷いや怯えも、今となっては何処へやら。それぞれが指揮官の侍たちに柔順に従い、一丸となっての奮闘振りを見せており。その成果もまた、各所で徐々に形になっている今日この頃。



 “…っ。”

 ふと。風の香りに何かしらを感じ取る。乾いたワラと陽射しの匂い。いつもと同んなじ、朝からのと同んなじそれのはずだが、

 ――― ほんの微かに、違和感がある。

 表情は相変わらず動かぬままの彼であり、掛け声も、それによって前へ出、弓を構えと
きびきび動く村人たちを見やる眼差しにも変化はない。だが、その内面では、別口に分けられた意識がするすると尖った集中を見せており。うっそりとしたいつもの素知らぬ顔のまま、村の中を吹きわたる風全部を捕まえんという勢いにて、その意識を遠くまで巡らせたその結果…。

  “………いない?”

 何かしら異変が起きた時、身体、感応、どの端々にも障りなきまま、速やかになめらかに機能が立ち上げられるよう。平生においてはゆるやかな等級のそれへと落とされたあった感覚が、一気に…津波の如くの威勢と速やかさで覚醒する。ほんの少し眠そうな、重たげな眼差しが不意にさっと見開かれ、

「…。」
「へ、へえっ!」

 すぐ間近にいた男衆の肩口に、自分が手にしていた弓を差し渡すと、
「わ、判りましたっ!」
 何も言ってはいないのに、しゃちほこ張ってのこのお返事。そして、微かな会釈を残し、あっと言う間にその姿を風へと溶かし込んで消えた指南役には、
「えっ?」
「キュウゾウさまは?」
 当然のことながら、どうされたのだろかと…よもや野伏せりが襲来したのかと、不安を感じてざわめく面々も出るところへ、
「大事ない。」
「んだ。キュウゾウ様は所用あって外されただ。」
 落ち着かせつつ、ちゃんと意を伝える顔触れまでいたりして。時折こういうことがあるせいで、具体的には何も言われずとも通じるほど、寡黙な先生様の呼吸というものを飲み込んでいる顔触れが幾たりかある模様。気配りのA型が多いのか、はたまたシンパシィの皆様方が親衛隊を設けたか。神無村の若い衆たちを変えた剣豪、なかなか恐るべし。
(う〜ん…)


 冗談はさておき。
(こらこら) 紅衣の剣豪が嗅いだのは、野伏せりや侵入者が襲来したというような“異物の察知”ではない。
「…。」
 常人の目には陰さえ留まらぬ速さと高さでの俊足による疾走、瞬歩にて、一応の心当たりの間際までを赴き、気配を撫でてみたけれど、それでもやはり、
“いない…。”
 彼が感じ取ったのは、異変の出來ではなく、その逆さまの“居ない”という違和感であり。

 “どうして…?”

 他の者らは気づかないのだろうか。近くには姿が見えないが、あのお方のことだからと、此処には居ないが村の何処かには居るだろうと、そうと思っていての安堵だろうか?

 「…。」

 ただの喪失感なんぞとは比べものにならないほどの、こんなまで不安定で落ち着かない感覚なのに。どうしてそのままで放っておけるのだろうかと。自分にはそれがどうにも信じがたい。

 「…。」

 詰め所には、昼からのずっと島田しかいないし、ヘイハチの作業場にもゴロベエの指揮する砦にもいない。キクチヨが張り子用の丸太の切り出しを指揮している鎮守の森にもいない。哨戒中の若侍が、坂を上り切って涼んでいる丘の近くにもいない。水分りの社には老巫女がいるだけ。細かい作業場の何処にもやはり、あの人の気配はない。

 “…そんな、馬鹿な。”

 鎮守の森の一番の奥向き。村人たちや此処の樵
(きこり)でさえ、密集した茂みに阻まれて、何年も踏み込んでいないらしき区域のその奥。一番高い杉の頂に駆け上がり、ぐるりと見回し、風を嗅いだが、やっぱりどこにも気配は拾えない。

  ――― どうしたんだろう。
       何処へ消えたのだろう。

 うたた寝してたって気配くらい拾える。警戒してなきゃ、あの穏やかなやさしい匂いが、警戒していればいたで、すばらしく尖って鋭な、あの気迫が、自分にはちゃんと拾えるはずなのに。

  ――― まさか。

 まさかまさか、この前 滝壺へ落ちたときみたいな、あまりに意外な場所で意識を失っているのだとか?

 「…、…、…。(否、否、否)」

 そうそう同じ怖い目に遭ってもらっては困る。第一、ちゃんと気をつけなさるに違いない。思うだけでも実現しかねぬと、縁起でもないこと、振り払うかのように、何度も何度もかぶりを振っていると、

 「…っ。」

 何処からともなくの、微かに微かに。風に乗ってその断片が届いたものだから。

 「…っ!」

 方向と距離を確かめてから、眼前に広がる何にもない宙空へ、その身をふわりと躍らせた双刀使い殿だった。





          ◇



 「…おや、カナリアさんが釣れましたか。」

 似たよな金の草の波間だが、稲穂のそれとは重さが違い、風になびいてさわさわと軽やかに立つ、涼やかで寂しげな草籟の音に囲まれて。淡い色合いの装いをまといし金髪長身のそのお人は、案外とあっけなくも見つかって。村の中に気配がなかったのも道理、橋向こうの木立の外側。いつだったかに やっぱりこの彼が“落っこちていた”草原で(『
ひなたぼっこ』参照)、あっけらかんとしたお顔をして、自分の髪と似たような金褐色に色づいたその中程に座っていたのは、もうもうお判りですねのおっ母様ことシチロージであり。
「…。」
「? なんでこんなトコにいるのかって?」
 足元まである紅色の長衣の裾で草間を掻き分けるようにして、わしわしと真ん前まで進んでいっての仁王立ち。超然と見下ろす様は、いかにもの憮然としているようにも見えなくもないが。当のシチロージには…眉を下げての“まったくもうもう”という、ちょっぴり困っているようなお顔をしているように見えてしまう次男坊。よって、
「心配させたようですね、すみません。」
 いや、いちいち彼に告げてく義務はないと思うのですが、おっ母様。
(苦笑) それでも、彼を、そんなお顔になるほど困らせたには違いなかろうと思ったからか、ご機嫌だったお顔を曇らせ、すみませんと謝ったその途端、
「〜〜〜。」
 あああ、そんなつもりはなかったのに、と。びくくっと総身を震わせて、慌ててお膝を落とし、目線の高さを合わせてしまうところが、やっぱり彼には弱いキュウゾウ殿であるらしく。
「…どうして。」
「哨戒、というのは建前でして。ここって薬草が結構生えているんですよ。」
 キララの祖母のセツ殿に、ここの話をしたところ、遠いから滅多には村人らも運ばぬ草っ原だが、打ち身に聞く妙薬や、消毒に使えるものなどなど、売り物に出来るほど効能も高い草がたんと生えているとのこと。
「植物性なのに金創の血止めに効く“ヤイバソウ”もあると聞いて、それならばと摘みに来てたんですよ。」
 生身に直接塗って、しかも即効性のある薬となると、どうしても動物性の脂薬となるところだが、ヤイバソウは繊維質のねばねばが傷を塞いで、しかも殺菌性も高いことが知られている妙薬の素。乾燥させての保管や携帯も可能であり、但し、なかなかそこいらには見かけられない珍しい草でもあるので、戦時中は見つければ誰もが我先にと確保したがる逸品として有名だった。勿論、キュウゾウも知っており、
「…あったのか?」
 訊くと、色白のお顔がふわりと破顔し、
「ええ。ほらvv」
 自分の傍らに置いていた、平らなザルを前へと出せば、そこには菖蒲のように刃の形に似た、芒種の葉が何本も束ねられてあり。だが、キュウゾウの視線が留まったのはそのザルに添えられていた、彼の手の方。
「一応はハサミも持って来ての注意して摘んだんですが。」
 義手の方はさすがに丈夫で、さしたる変化はないものの。生身のままな方の右の手は、細かい傷が指先と言わず手のひらと言わず、痛々しいほど刻まれており。それを素早く見とがめた次男坊。自分の白い手へそぉっと取り上げての、大事そうに両手で上下から挟み込んで差し上げる。どうせ優しい彼のこと、他の草花まで刈ってはならぬと、入り混じって色々生えている中からの1本だけとか1株だけという生え方をしていたの、腕を突っ込んでのそぉっと摘んでいたに違いなく。
「………。」
「これでは何にもならぬ、ですか?」
 薬草を摘みに来ていて何をやっているやらですよねと。キュウゾウからのちろりという一瞥に込められた、大人しめの窘めを読んで、苦笑を見せたシチロージ。その手元には、別の葉があって。
「…。」
「ああ、これですか?」
 目的の葉とは違う、椿のそれにも少し似た葉で、
「これを聴いて此処が判ったんじゃないのですか?」
 目許をやわらかく細め、くすすと微笑った母上。義手の方にて拾い上げると、口元へとあてがい、少しだけ頬を膨らませ、勢いつけてぷうと吹けば、

  ――― ♪♪♪〜♪

 何かのお歌の一節だろうか、短いがちゃんとした音階を刻んだ音がした。ちょっぴり寂しいような音色のそれは、どこかで聴いたことがあるような曲であり、風の声を懐かせて、神無村がある方へとなめらかに流れてゆく。そう、この双刀使い殿が、地図の上では小さくとも歩き回れば結構広い村の中から、見失った母上の気配を懸命になって探していた中、微かに拾ったのがこの音色。
「草笛、ですよ。子供の頃なんかはよく吹きましたが、まだ出来ようとは。」
 カラスノテッポウなんてな草を、ただ ぴいぷうと鳴らすのもありますが、
「こっちの草笛は、出来るようになると、ちょっとだけお兄さんになったような気がしたもんです。」
 ハモニカみたいにちゃんと複雑な音階を刻めれば、何だかカッコよくってねと、擽ったそうに笑ったシチロージは、
「そういえばキュウゾウ殿は、ほら。それはきれいな口笛が吹けるじゃありませんか。」
 いつぞや、小鳥を介抱していた彼が、そのヒタキを呼ぶのに吹いていた、それは艶なる口笛は、結局誰にも正体を知られぬまま、聞こえなくなって久しいものと化しているが、キララと共に目撃したシチロージにしてみれば、
「きっと色んなお歌を御存知なんでしょうね。」
 素敵ですねとうっとり目元を細められ、だが、
「〜〜〜。」
 おやおや、どうしたものか。双刀使い殿が不意に項垂れてしまい。シチロージのお顔の前には、力なさげに風に煽られている金色の綿毛ばかりになったほどの俯きよう。
「? どしました?」
「知らぬ。」
「はい?」
「あれは、合図の笛だ。」
 大切そうに胸元へと抱え込んだ母上の右手を見下ろしながら、せっかく褒めていただいたのに申し訳ないがと言葉を返したキュウゾウ殿。
「出来るだけ遠くまで響けばいいというだけの口笛。それに…。」
 口を噤んでしまったのは、唄というものそのものを、ロクに知らないと言いたいのだろう。
「そう、でしたか。」
 おやこれは、心ないことを訊いてしまいましたねと。自分には懐いてくれての可愛らしいお人だが、そういえば。日頃のあの、きりりと冴えた恐持ての“人斬り”然とした態から思えば、童謡だの唱歌だのに縁があると思う方にこそ無理があるのやも。
「…う〜ん、と。」
 ちょっぴり気まずい空気になりかけたものの、さわさわと風が草の波を揺らした音に頬を擽られつつ、何事か考えを巡らせていたおっ母様。うんと、小さく頷くと、

 「じゃあ、こうしましょう。」
 「?」
 「キュウゾウ殿は、
  時々、お洗濯や水汲みのお手伝いをして下さるじゃあないですか。」
 「…。(頷)」(※正確には、ほぼ毎日である。)
 「その折々に、短いものを1つずつ、お唄を歌って差し上げましょう。」
 「…っ! /////////

 あんまり自信はありませんし、そうですね、此処の子供たちが歌ってるような、他愛ないのしか知りませんが。こんな時だってのに昼間っから、不謹慎にも独独逸を唸るわけにもいきませんしね。

 「それでも構いませんか? 短いのだったなら、すぐに覚えも出来ましょう?」

 やさしい申し出が嬉しかったか、それとも。小首を傾げてのはんなりと、にこりと微笑った母上の綺麗な笑顔が眩しかったか。

 「〜〜〜。/////////

 まだまだ黄昏どきには早いのに、真っ赤になった次男坊。寡黙で無口で無愛想な彼が、果たしてどんなお声で歌うかは、結局のところ、この滞在中には誰も聞けずに終わったが、後年、意外なところで意外な形で、誰かさんだけが聴いて驚くこととなるのは、まだ内緒vv








  〜 どさくさ・どっとはらい 〜 07.5.06.


  *シチさんは色々と器用なお人で、
   縫い物や簡単なお料理に傷の手当ての手際のよさ、
   ちょっとした豆知識の数々に、それからそれから。
   こういうお遊びごとへも通じてらっしゃるものだから、
   そういうところもまた、
   何にも知らない次男坊には憧れる素養になっていたりすると可愛いなぁとvv


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