虹雅渓便り (お侍 習作71)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

          


 そういえば街を出たこと自体が随分と久方ぶりだったのだなぁと、帰途についた今頃になって実感する。この荒野の只中にあって、だのに、物資においても人材においても、情報や流行、果ては娯楽遊興なんてな次元においても。何においてでも居ながらにして事足りる、それはそれは栄えた豊かな街。人と物の流通の中継地として重用され、その流れが止まらないまま、街もまた成長をし続けての拡大し。一端の都会扱いされる規模にまで発展を遂げたものの、その始まりは荒野へ墜落した巨大弩級戦艦の成れの果て。数十年という長きにわたった、先の大戦の置き土産が生んだものにしては、奇跡的なくらい生産的でまともな存在で。とはいえ、陽の下へ晒せない“暗部”も無きにしもあらずという、いかにも今時の都市らしい横顔と歴史を持つ街・虹雅渓。そんな本性の裏表、すっかり知り尽くしたその上で、そんな街へと根を据えて、はてさて もう何年目となるのやら。

 「…。」

 急ぎの旅ゆえ街道を辿る道程は選ばず、動力駆動の運搬船に乗ってという力技にて、荒野を直線コースで突っ切っており。一種の空挺と言えば聞こえはいいが、その原理はホバークラフトのそれなので。未整備の道中でも振動や衝撃こそ少ないものの、その代わりのように襲い掛かる砂や埃は尋常ではなくの物凄く。頭からすっぽりと身を包む、フードやマスク、マントつきという、継ぎ目の少ない“砂防服”は必須アイテムだったりし。走行風が真っ向から当たるため、厚着をしていても暑いということはなかったが、感覚が鈍るせいだろか、はたまた、結構遠方へ行っての、とんぼ返りですぐ戻るという強行軍を強いられたからか。気を抜くと忘我の状態に襲われた揚げ句の、うとうとと舟をこいでしまいかねず。

 “あのくらいの遠出でこれとは。”

 戦時中のそれこそ若かりし頃は、2、3日の徹夜も連戦も全くの堪
(こた)えずで平気のお元気だったのに。年は取りたかないですねぇとの苦笑もしきり。出先での再会を果たしたお仲間さんたちは、昔と変わらぬままにそりゃあ溌剌としておいでであり。
“まま、あのお人たちはまた特別な日々を送っておられるのだから、一緒にしてはいけないのだけれど。”
 苦笑混じりに自分で思ったそんな言いようへ、なのに。

 「…。」

 他でもない自身が、その胸中での言葉を詰まらせてしまったのは。かつての大戦にて、朱鞘の槍を自在に操っては御主のための露払いを一手に引き受け、空にあっては斬艦刀をやはり鮮やかに制御しての双身一体、奇跡の滑空をこなして出撃のたびに伝説を作った、七郎次という元・お侍様。だってのに、

 “…一緒にしてはいけない、か。”

 かつて、天穹を自在に舞っては鬼神もかくやという太刀ばたらきをこなす手腕を恐れられ、北軍の白夜叉、南軍の紅胡蝶と対
(つい)のように仇名されての、人ならぬ身と囁かれた伝説をそれぞれに持つ、斬艦刀乗りの双璧がおり。刀を振るわせれば、迷いも躊躇も挟まずの冷徹にして冷然と。斬れぬものなどあるものかという鬼ばたらきを遂行した歴戦ぶりを、互いの敵陣営まで轟かす伝説にまでした白と紅の勇者お二人は、間違いなくこのお二方のことだろうと、仲間うちでも認める練達の方々。今現在も、賞金首を狩ることを生業に選んでの(?)、その身から刀を手放さぬ日々を送っておいで。縁あってのお仲間となった経緯から、七郎次もまたそれは親しくしていただいており。こたびの遠出も彼らに関与してのもの。久し振りにお顔を合わすこととなり、

 『シチっっ!』

 まるで血を分けた身内でもあるかのごとく、それはそれは懐いて下さっているお若い方のお友達。微塵も警戒しないままの、それはそれは無造作に。つんと澄ましておいでだった鉄面皮をかなぐり捨てての、まるきりの幼い和子へと戻ったかのように、屈託なくこの懐ろへ総身を任せての飛び込んで来た彼の…その身へまといつく、血の匂いを確かに感じ、

 “当然のことだってのにねぇ…。”

 物のたとえなんかじゃあなくの真実本当に。林立する血刀に取り巻かれ、一瞬でも気を抜けば返り討ちに遭って一寸刻みにされてしまう。そんな修羅場の只中に、ほんの直前まで立っていたお人だ。人の身を切り裂くという所業をこなすにあたり、その手がその心が、躊躇やそこからくる萎縮に無縁なまま働くよう、腹に肝に“死”というものへの深い覚悟を呑んだ者。心を誤魔化しての凍らせず、意志を逸らしての麻痺もさせずに。痛々しいまでの剥き身へ、太々しい胆力のみをまとっての、

 ―― 人を屠
(ほふ)って動じない、それが侍だと重々判っているはずなのに。

 返り血を浴びるような無様はしないが、それでもそれなりの仕置きを下した身。まして…腕や刀の尋より遠くまで剣圧が届く練達である以上、その身をおいた空間の広範囲、血潮の生臭さに染まっていたに違いなく。それを剣呑と遠ざけるような反射までは、さすがに起きはしなかったが。ただ、そうだと意識する直前、それが何なのかという“紗のかかった存在”だったことが。ほんの刹那ながら、その正体を嗅ぎ分けなければならぬ身になっていたことが。それだけ遠ざかっている自身なのだとあらためての自覚をさせられ、七郎次の胸の奥をどんと、結構な強さで叩いたものだから。

  ――― もう私は“侍”ではないということか?

 そうと気づいて…愕然としたからには、あの方たちと同類でいたかったということだろう。だってのに、いつの間にか彼岸の存在になるほども、彼らとは随分と距離が生まれていた。これまでにそれへと気づけなかったのが驚きだったか、それとも。そんな身となっていた自身が切なかったのか。これもまた今頃になって、遣る瀬ないなとばかりのしおしおと、日頃以上に眉を下げていたところへ、

 【 着きましたよ。】
 「え? あ、ああ。すみません。」

 はっと我に返ると運搬船はとうに停止しており、視野の中、案外と至近に街の大門が見えた。もっと離れたところで降ろされると思っていたので、それがまた意外であり、それがそのまま顔に出たのを読まれたか、
【 我らとのつながり、詮索されてはご迷惑か?】
 配慮が足りませなんだか?との気遣いをされているようだと、七郎次の側でも察してのこと、
「いえ。そんなことは全くありません。」
 ゆるゆると嫋やかな所作にてかぶりを振って見せる。大急ぎで戻りたいとした彼が出先の町にて見かけたは、丁度 禁足地へ帰る身として居合わせた、式杜人という操縦者つきの高速運搬船であり。一昔前であったなら、謎の多い“式杜人”を胡亂な輩と見做しての、警戒しもした自分だろうが。例の都がらみの戦さに浅からず関わった存在同士という暗黙の了解の下、持ちつ持たれつし合っている間柄。世間に対しても…さすがに大っぴらにとは行かないが、それでも蓄電筒を流通に乗っけてからこっち、知名度は上がりつつある彼らでもあり。
“つなぎが取れるものならと、今や引く手あまたな方々ですのにね。”
 運搬専用なのでと風防としての覆いのない空挺。急な便乗であったがため、吹きっさらしの中にいたその間、用意がなくてのお借りていたフードつきの砂防服を手際よく脱いでのお返しし、
「お世話をおかけしましたね。」
 愛想のいい笑顔を向ければ、
【 いやいや、こちらこそ。】
 頑丈そうなマスク越し、妙な挨拶を返された。あれれ? 何かしらへの埋め合わせだったのかな。だが心当たりがないのだがと、少々怪訝な想いがしたが、まま、詳細まで聞きほじることもないかと、適当な相槌を打ってのお別れをし。まだ昼間という時間帯ゆえ、人の出入りも途切れぬ大門へと足を運べば、
「おや、蛍屋の。」
 通り抜けが出来る幅広な通路が幾つも居並ぶその一角、大門の傍らにて一応の検分役として立つ門衛の一人に顔見知りがいて、そんなお声をかけられた。
「洛外へのお出掛けでしたか。」
「ええ、まあ。」
 適当に愛想を交わすのみで素通り出来るのは、素性を知られているからだったが。それでなくとも、実は…検問自体はさほど厳しくはない。虹雅渓は流通の街で、旅人が補給や休息のための中継地とする土地だけに、様々な輩が通過もしよう、警戒するに如くはない…と構えているように思われがちだが、さにあらん。広域手配されている者や、いかにも怪しげな素振りをする者以外へは、身分証の提示まで求めぬし、帯刀や武装にもそこそこ寛容。何せ荒野を旅する者がどうあっても通らねばならぬ土地柄、途中の道程での用心にと武装をするは当然のこと。それをいちいち咎めていての検分をと構えていては際限がない。それでの寛容な対処なのであり、無論、そんなガードの甘さへと図に乗ってのこと、万が一、刃物をかざした物騒な連中による騒動が街中にて勃発すれば、差配の権限を預かりし身分でそれ相応の対処が執れる、勇猛果敢な警邏隊が成敗にと駆けつけることもまた知られてもおり。
“そういえば…。”
 留守をすること、せめてあのお人にくらいは言っといた方がよかったかなと。七郎次が脳裏に思い浮かべたのもまた、その警邏隊の責任者のお顔だったりするのである。





            ◇



 街が縦に縦にと発展して伸びた最大の弊害、街路に沿うて見上げると空が異様に狭い街の中。にぎわいの喧噪が満ちる雑踏の中を泳ぐように身を進め、町外れの昇降機に乗り込んで、一気に最下層まで。真昼の今時は何とも怠惰な空気ばかりが白々と満ちた、特別な風情のする街へと降り立って。顔見知りと挨拶を交わしながら、軽い足取りで白っぽく乾いた道をゆけば、街でも屈指の大看板が見えてくる。晩になれば明かりを灯すは『蛍』の屋号。虹雅渓随一の歓楽街である、此処“癒しの里”の顔とまで言われている、お座敷料亭『蛍屋』が、今現在の彼の住処であり。もはや侍でなくなったのかも…と、ついさっきまでしょげていたのもどこへやら。地に足がついての落ち着きをくれる、有り難くて恋しい我が家に戻って来たことへ、知らずお顔がほころぶ七郎次だったりもしたところへ、

 「おお、お帰りか。」

 そんな彼へと掛けられた声があり。おやとお顔を上げたれば、大戸を開けた店の前、すっかりと夏めいた頃合いの、真昼の陽射しを受けてもきりりと清冽な印象のする、何とも鋭角な男衆の姿があって。真っ直ぐな黒髪を背中へ流し、濃紺の制服姿も凛々しき、警邏隊の隊長殿が立っておいで。
「兵庫殿。」
 ほんのつい先程、ふと思い浮かべた当のその人。夏のそれだとて、涼感のする薄手の生地での仕立てであろうけど。堅い型の軍服もどき、いかにも制服という仕立てのお召しの、かっちりとした肩も背条も、しなやかにピンと張られた姿勢のよさこそが、暑気払いには打ってつけ。疚しい覚えのある者にはいっそ寒いくらいの存在かもしれない、鬼隊長様でもあって。
「わざわざの見回りですか。」
 街が栄えれば、華やかさの陰で闇も濃くなる。それをも操っての肥え太った差配ではあるが、だからこその目端を利かせ、かむろ衆という治安維持のための警邏隊を以前からも置いていた。そんな綾磨呂公が先の“都”撃沈という騒動後、何故だか姿を消していたその間、この虹雅渓を暴動や恐慌から守ったのが、この黒髪の元お侍が指揮を執っての新たに統合し、緻密にして厳重な警備・制裁をしいた警邏隊の並々ならぬ働きっぷりで。差配の座が事実上“空席”になっていたことで、磨呂の手飼いだった身ゆえ、何の権限もなかった彼らだが、それでも隊員個々人の気魄と実力、それらを束ねる隊長殿の威容と人性でもっての統制は、途轍もない効果を見せての、街を暴動による崩壊から守り抜き。綾磨呂公復権の際、彼らが彼の膝下にと戻ったことで公の威厳も支えられたようなものというのが、コトの運びの正しい順番とさえ思われていたほどだ。そんな頼もしい部隊を率いる、まだまだうら若き本部長様が言うことには、

 「いや何、御前がそなたへ無理を押しつけたと聞いたのでな。」
 「………おや。」

 彼からのそんな囁きから、ふと七郎次が思い出したのは、此処まで送ってくれた式杜人たちの
『いやいや、こちらこそ』
 あの一言だ。
“そうか、あれも。”
 情報をいじっていたことでの逆辿りをされたくないがゆえ、現地へ飛んで直に状況を見て来ておくれとの無理を通させた、せめてもの詫びにということか。超特急で戻れるよう、さりげなく式杜人を手配しておいたということだったらしくって。何につけ水も漏らさず万全なんだか、されど…若造に過ぎなかろう七郎次へおたついて泣きついたほど抜けたところもありなのも事実。何とも人間味あふれての奥の深いお人であることよと、あらためての感心と苦笑を誘われた槍使い殿。そして、これもまたそんな差配殿の人望の厚さの現れ。兵庫には本来の業務ではなかろうに、
「隊長殿に用心にとおいでいただけたなど、相殺では足らぬほどのお返し。」
 こちらこそありがとうございますと、愛嬌を滲ませての頭を下げれば、
「大した助けにはなってもおらぬだろうに。」
 そのように大仰に構えずともと、恐縮したよな言葉が返ったが、
「何をそんなご謙遜を。」
 こういう商売にはありがちなのが、恐持てする層からの“みかじめ料”の取り立てとやら。そういう筋の人間との悶着が起こったら、間に入ってやろうとか何とか、それなりの言い訳がつきもするけれど、大概のそれは…金を出さないと仲間が店先で暴れても知らないぞよという脅し半分の恐喝もどき。蛍屋ほど目立つところが、だのにどこの系列の筋ともそういった約定を結ばないままでいられたのは、女将の気っ風のよさと、それから意外と凄腕の幇間がそりゃあ頼もしくも片っ端から追い払っていたからだったけれど。近年はそこへ、警邏隊の隊長殿が足繁く通っての睨みを利かせているからだとも言われており、

 「アタシが留守をしてしまうのを危惧なされての、駆けつけてて下さったのでしょう?」

 馴れ合いは嫌いだと、素っ気ないこと豪語なさりながらも、この店へおいでの機会が多い彼なのは。あの右京が執政を握ったのと入れ替わり、差配という地位から失墜した綾磨呂公を匿った縁があったのとそれから。昔の仲間である金髪痩躯の双刀使いさんが、ここの年若い主人へ懐いてのこと、この街へ戻れば必ず訪のうと知っているからであり。
「久蔵殿も勘兵衛様も、そりゃあご壮健でおられましたよ?」
 つい今朝別れて来たばかりの彼のこと、早速にも告げてあげれば、
「…ふん。」
 知ったことかと言いたげな、つれない相槌を打ちながら、だのに…立ち去らないのは何故なのか。
「久蔵殿は相変わらずの猫舌で。あれってもしやして、南軍に在籍時代からのものなのですか?」
 教えてほしいなと水を向ければ、
「まあな。あまりに幼いころからの在籍だったせいで、物の道理が追いついてない節が多くてな。熱いものは吹いて冷ませばいいということを知らぬままで通した奴だったし、生玉子と厚焼き玉子の関係がどうしても飲み込めぬままだったし。まんじゅうの底の紙を一緒に食っちまったことも数知れずだったし。」
 くつくつと笑う兵庫の持ち出した逸話へ、ああそれそれと七郎次までが破顔して見せ。
「此処へおいでだった頃にもたまに、栄屋の蒸しまんじゅうを底の経木
(きょうぎ)ごと齧っては、そのまま飲み込みかけての大騒ぎになっておりましたよ。」
 なんて。此処に居ないのをいいことに笑い話の主役にと祭り上げてしまう始末。そんなお喋りが聞こえたか、
「まあま、お前さん。店の前で何を楽しそうに騒いでおいでかね。」
 堪え切れない苦笑に耐え兼ねてのこと、こちらさんも嬋な笑みをば口許へと浮かべつつ。暖簾を掻き分けてのお顔を出したは、凛とした粋と艶っぽい妖冶さとを双方合わせ持つ、評判の美人女将・雪乃夫人であったりし。いきなり出掛けて、やっと戻って来たくせに、一向に店へと上がって来ない亭主に焦れてのお出迎えだったものが。俎上に上っていた話題に馴染みがあったものだから、ついつられての笑いが込み上げてしまったのだろう。
「そんなお話を大声で。久蔵様がお戻りになってのお耳に入ったらきっと、怒られてしまいますよ?」
 自分の亭主に向かって、めっと叱るような嬋な目付きをして見せれば、
「善哉善哉。」
 喉を鳴らしてのまだ笑っていた兵庫が、それこそ宥めるような声を掛け、
「あの途惚けた奴のこと、こちらの主人の言い付け以外はどうせ耳には入らぬさ。」
 彼もまた、結構なお言いようをして下さる。何せ彼には、あの赤目の若いのとは十年以上の付き合いという蓄積があり、
「そこへ座れと構えての叱ろうが諭そうが、半分以上は右から左へという素通し状態だったからの。」
 呆れたように言うものの、その眼差しは至って和やかであり。当たり方はともかくも、内心ではいかに可愛がっておられたかが察せられるというもので。
“だってあれほど かあいいお人ですものね。”
 冷酷な太刀さばきを死神の如くと恐れられつつも、おいでと双腕
(かいな)を広げれば、仔犬のように駆け寄っての懐ろへ飛び込んで来た愛らしさ。勘兵衛様もまた、そんな久蔵殿が愛惜しくてしようがないというお顔をしてらして。
“〜〜〜。/////////
 生粋のお侍であり続ける彼らと自分との差異が生じていたこと、何だか切ないし遣る瀬ないなどと、煩悶しかかっていたのは どこのどなたの話やら。甘やかにも幸せそうにお過ごしだったお二人を思い出し、良かった良かったとほくほく喜んでいる、案外とお手軽に気鬱の晴れるおっ母様であったらしいです。






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 *『魔森妖刀剣戟獄』の後日談ですが、
  褐白金紅の方々ご本人たちは、どうやら出て来ないお話みたいです、申し訳ない。
  しかも、もちょっと続きます。
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **