ほろ酔いにて候 (お侍 習作93)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


この広い広い大陸でもちょいと知られた虹雅渓という街の、
その最下層には“癒しの里”と呼ばれる歓楽街がある。
戦乱困窮、どんな時勢へでも欠かせぬものとされながら、
それでも今日びの安寧には、やはり一段と艶やかに映えてのにぎわって。
不夜城とは如くのごとしかと見紛うほどに、燈台行灯、明々灯され。
脂粉の香りも妖冶な美々人、太夫に天神、打ち揃いての、
訪のう人らを一夜の夢へと誘い惑わす。
そんな妓楼や遊郭などなどが華々しくも居並ぶ中に、
料理や趣向が小粋と名高い『蛍屋』というお座敷料亭がある。
元は売れっ子の花魁だったという、うら若き女将が切り盛りする、
自慢の料理や座敷の趣向で客を呼ぶ店。
太夫を一人も置いていない訳ではないけれど、
彼女らにしても…その身を売るより芸事を見て楽しんで頂くことが至上と、
玄人の粋を叩き込まれている達者な顔触れぞろい。
口の利きようからさりげなく、その才気の奥深さを感じ取れなきゃとんだ野暮…と。
旦那衆から笑われるよな、至ってお行儀のいい大店で。



そんな店を支える、こちらもまだまだお若い男主人とのお知り合い。
久々に訪のうて下さった、昔馴染みの方々があって。
いづれも個性豊かな皆々様が、
つい最近のすったもんだから、昔懐かしのあれやこれやまで。
よもやま話にひとしきり花が咲いてののち、
よう食べた呑んだと小さな宴がお開きとなりて。
遠い座敷の喧噪が、遠いからこそ寂しく聞こえる、ふっと静かな宵の中。
有明の柔らかな灯火のみとした離れの座敷には、
湯上がりの御主のためにと新たに据えた、
米処の生一本の熱燗と通をうならす肴の膳が待っており。
奥向きの寝間へと寝かされたお連れの青年は、
早ように潰れての白河夜船。
その枕元からついと立って来た色白な美丈夫が、
襖は閉めずに見やった肩越し、
しみじみとした声で言う。

 「それにしても、久蔵殿が呑めるようになっていようとはねぇ。」

何度もくどいが、舐めただけで昏倒していたほどに下戸だったお人。
それが…何合とまではさすがにゆかぬが、
それでも一応は盃を空けてのほろ酔い気分、ほわほわと上機嫌でいたのだから。
これを進歩と言わずしてどうするかと。
母親代わりのようなもの、
日頃からもいろいろと案じていた七郎次にしてみれば、
感慨も深いところであるらしく。
そんなご意見を垂れつつも、
きゅうと束ねてまとめられた金の髪をつややかに光らせた頭を回し、
こちらを向いた彼へと向けて、

 「大してすごせるそれでもないのだがの。」

そんな一言を返されたは壮年の御主。
伏し目がちになってのくつくつと、
小さな笑声、喉奥でお立てになるのがまた、
惚れ惚れするほど男臭くて精悍重厚。
壮年となられての落ち着きようが、存在感に深みを与え、
その男ぶりをますますのこと上げているのが いっそ面憎いほどで。
とはいえ、ぼんやり見とれてはおらず、
ゆったりと大あぐらをかかれたそのまんま、
重たげな手で持ち上げた盃へ手酌でそそごうと仕掛かるところへ手を延べて、
ささどうぞと優美な所作にて丁寧に満たして差し上げ、

 「そうは言っても、まるきり呑めぬよりは場も弾みましょうよ。」

眠ってしまっているご当人になり代わり、
そんな弁明、七郎次が立てて差し上げる。
下戸の身に酒の席ほど退屈な場はなくて、
ましてや彼らはどちらもが、何でもない時ほどあまり口が達者なほうではない。
勘兵衛が寝酒にと ささを嗜む間は、
手持ち無沙汰なそのまんま、きっと無聊をかこっていた久蔵だったに違いなく。
そうという想いが容易に至るほど、
かく言う七郎次とて、さほどに強い訳ではない。
戦さ場には命の洗濯として酒のからむ場も多かったが、
口が達者で愛想もよかったことが功を奏しての、
場を盛り上げるという方向で、何とか過ごさぬように済ませる術を身につけたまで。
そんな七郎次と違い、久蔵は余りにも若すぎて、

 “恐らくは、大戦終盤の最も苛烈な時期に投入されたお人だろから…。”

酒どころか人とさえ、膝を交える機会はなかったのやもしれず。
あそこまで特化された身でよくもまあ、
戦後十年、安寧が過ぎての爛熟の世に置かれ、
破綻もないまま永らえたものと、そっちへ感心してしまう。
その腕のほど、錆びさせも腐らせもしないまま、
自分を揺り起こすような存在がやって来るのを、
ただただじっと、息を詰めて待っていた彼だったのだろうか。

 “あんな凄まじい太刀さばき、戦さの間だって見たことがなかった。”

人形のように作り物めいた麗しいお顔を、それは冷たく凍らせて。
深紅の奇抜な装束に、珍しい拵えの双刀を巧みに振るうその姿、
青いばかりな天穹では さぞかし目立ったことだろと、想像するに如くはなく。

 “いやさ、あの迅速さでは、その姿を把握するのは容易ではなかったかも?”

順手と逆手の上と下。
体の前で交差させた左右の双手へそれぞれに、
細身の体に添わされた格好で構えし、二振りの刀は…それは鋭くも凶暴で。
重さなど関わりない身であるかのような、その所作の軽やかさが、
痩躯を穹へと舞い上がらせてののち、
一転、鋭利な刃をともなって、
疾風のごとく宙を翔ってくる脅威は計り知れなくて。
その、途轍もない身のこなしと苛烈な太刀さばきから、
彼が只者ではないことはようよう判るし。
利得勘定優先の今の世に、そこまでの腕、切望されはしなかろうから、
となれば、あの大戦で磨いたものだとしか思えない。

  その身一つで激戦地へ突っ込んだ、
  白兵戦部隊の先鋒、斬艦刀乗りに違いなく。

どんなに優れた逸材が現れようと、
上の者からすれば単なる駒に過ぎなかった部署の一人。
人としてのあれやこれやを説いてやるような、
余裕のある先達も暇まも無かったろう、終盤期の戦場で。
恐らくは最強の兵器扱いで、
何も教えられぬまま、何も与えられぬまま、
あの壮絶な戦場へ放り込まれた彼なのだろう。

  そして

勝つか負けるか、すなわち、生と死にしか関心がない、
戦さ以外を知らない、刀以外を持たない彼だったからこそ、
この若さでも生き残れたというのならば。
人や物へと、切ることでしか執着しない、
斬るに値するかどうかでしか価値を見ない、
そんな 淡として殺伐な人性だったのも頷ける。

  だから

今の今、幼子のように一つずつ。
世界の彩り、風の匂い、人の手の温みや涙の理由。
1つ1つを確かめながら、
その手でその身へ、拾い上げてる最中で。
彼へとそんな目覚めをもたらした責任を取ってのことか、
その傍らにあるのがこの御主だというのが、

 “安心なような、ちょこっと不安なような…。”

御主の側を良く知る七郎次だからこそ、
失礼ながらもついつい、そうと思うてしまうので。
頼もしくはある、けれど ただ…。
同胞の死を悼む暇も無く、その屍を踏み越えて進んだ罰を負い、
自らへの幸いをことごとく、遠ざけ続けた頑固者。
熟練老獪、狡猾なまでの辣腕なその陰で、
何とも不器用なお人でもあるからと、ついの苦笑が零れるものの、

  笑えるということは、
  今はそれらを遠い過去だと思えるからではなかろうか。

再会を果たしたばかりの折の御主の双眸は、
昔と変わらずどこか乾いて昏く。
武火によってでしか輝きを宿さず。
そんなご自身を知ってのことか、
不遇を選ぶは愚者の選択と、
腕のほども御存知で“古女房”とまで冠して下さった七郎次には、だが、
新たな戦さへの誘いのお声をかけてくださらなんだ、
他者へとばかりお優しい、相変わらずに罪なお人で。

  それが今は

それは和んだ眼差しで、連れ合いの寝顔を愛でておいで。
こんなお顔もなさるのかと、
お気づきではないかもしれないことが癪だから、
わざわざ言っては差し上げまいぞと。
そんな悪戯な気持ちがついつい沸くのだとて、
それだけ幸いが余りあるご様子だからこそ思うこと。

  ああ、あの頃は、
  この身を振り絞られるような想いもさんざしたのにね。

戦況の苛烈さもあったがそれよりも、
御身大事と慕う我らの気持ちが届かぬ歯痒さへ、
どうしてと歯咬みし、己の非力さへの切なさも嫌というほど味わった。
敵より味方に潰されかねぬほど、上に恵まれなかった不遇の身。
孤軍奮闘しても報われず、苦汁ばかりを舐めていて。
皆一様に辛かった戦況の只中にいたけれど。

  それでも、振り返れば…絶望だけは感じなかったと。

今になってそれを痛感する。
自分はまだ恵まれていたのだと思える。
あの頃は、そりゃあ凄惨な日々の繰り返しで、
明日をも知れずとはよく言ったもの。
ほんの数歩先に広がる荒野でさえ、
きんと冴えて何もない天穹よりも勝手が判らず。
力なき者はそこへ膝を折れとの嘲笑か、
向かい風の強さが真っ向から叩きつけるばかりの日々で。

  それでも、前へと目を凝らせば。
  そこに在ったのはいつも、
  悠然と真っ直ぐ立っておられた、この御主の姿ではなかったか。

額に添わせた鉢当てを鈍く光らせ、
今とさして変らぬそれだった蓬髪を、風がなぶるままに肩から泳がせて。
軍からのお仕着せ、むさ苦しく重いばかりだった重装備の軍服を、
堅苦しさから鎧われることなく、むしろ余裕で着こなしておいでで。
油煙に煤けたマントの裳裾をひるがえし。
その白い輪郭を縁取るは、夕陽の赤か、戦火の赤か。
どちらへであれ、まじろぎもせず揺るぎもせず、
視線を前方へと据えていた横顔、雄々しく立っておられたその背中へ。
後れを取ってはなるまいぞと、
喩えではなくの石にかじりついてでも、
這いつくばってでもついてゆこうと思ったからこそ、
どんな苦難も絶望の淵も、乗り越えて来られた自分ではなかったか。
最後の最後で生き別れてしまい、
独り、放り出されたほんの数年ほどが辛かったのも。
またこうしてお逢い出来た今となっては、
一人だけいい想いをした帳尻合わせなのだろうと思えてしまう、
そんな自分の調子の良さにこそ、苦笑がこぼれてしようがない。

 「? いかがした?」

不意に込み上げたは思い出し笑いか、
自分の手元を見やる素振りの陰にて、ほのかに頬を緩ませた元副官の様子へと。
こちらも目ざとく おやと眸を留めた勘兵衛が訊いたのへ。
いえ何でもありませぬと誤魔化しがてら、
「久蔵殿は大丈夫でしょうか、宿酔などに苦しまれるのでは?」
こちらからそうと訊けば、
案じるまでもないと、御主がくくっと笑って見せて。
「さしたる量を過ごすでなし。」
今宵のごとく機嫌よく酔って沈没したのちは、晴れ晴れと起きて来るとのこと。
それから何を思い出したやら、

 「そうさな、あれが呑めずにおった折は、何かとごねもしおったか。」

名を聞かせるのも勿体ないか、あれと来ましたかと苦笑をし、
この、案外と堅物な御主の口から、
やわらかい惚気話なぞ滅多に聞けるもので無しと、

 「それは一体どのような?」

さりげなくを装って水を向けたれば…。





    あああ、野暮なことをば聞き出そうとなんてしなきゃあよかったと、
    後悔しきりになってしまった七郎次さんだったなんてこと。
    わざわざどうかしたかと聞かずとも
    その顛末が他の皆様へも通じた翌日の朝だった…なんてのは、
    あまりに蛇足なんで よしときましょうね、この際は♪



    〜Fine〜  08.2.09.


  *槙原敬之さんの『Firefly』というお唄を聴いてて、
   ああこの人はもうと、またまたうっとりさせて頂きました。
   他人の傷や痛みを自分の身へ引き受ける能力のある少年のお話の映画の、
   テーマ曲として作られたのだそうで。
   題材とされた蛍というフレーズに
   “おっ”と思ったところはいささか単純ですが。
   幼いころや若かりし頃の、
   哀しみに打ちひしがれたり、心空しく立ち尽くす誰かさんの
   不意を突くよに その頬や視野をかすめた蛍がいて。
   その行方を追った先、辿り着いた現在で。
   揺るぎなく真っ直ぐ前を向いて立っている“あなた”がいて、
   その傍らに自分がおれたらこんな幸いはないよねと。
   そんなプロモ風のビジョンとか妄想しちゃった
   相変わらずに困ったおばさんでございます。


  *野暮な顛末を、それでも覗きたい、カンキュウ派(?)の方へvv
   (先に言っとくけど、艶話というより笑話だからね?)   →


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv **

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