凍 夜 月 (お侍 習作130)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


夜陰に垂れ込める空気の、
あの独特のつるりとしたなめらかな感触が、
薄氷を感じさせるほど、その冷たさへ鋭角な感触を帯びていて。
不夜城のごとくに夜更けても煌々と明るい都市と違い、
偏狭の鄙びた里の夜は、灯火もないまま、
ただただ閑とした暗さに満ちているばかり。
頭上の夜空をぐんぐんと翔る、千切った和紙のような群雲の陰からは、
褪めた白に光る月が顔を出し。
地上ではやや遅れて吹き抜ける風になぶられて、
黒々とした森が揺れては轟々とさんざめく。

 「…。」

防寒のためにと重ね着た、借り物の分厚い外套をまとっても、
絞り込まれたその痩躯の輪郭は、隠し切れるものではなく。
保温を兼ねて裏へと張られた獣の毛並みが、
濃色の立った襟元から、長くはみ出し、縁取っていて。
細い顎先が少しだけ、その厚みの上へと乗っているのが、
表情薄い彼のこと、
どこか幼い存在のよに、見せていなくもないのだけれど。
この若いのが、白いその手で双刀薙いで、
里へなだれ込まんと押し寄せた、大型獣の大群、
片っ端から止めさせ倒したこともまた事実。

 『仔の頃から慣らして乗りこなしとる無頼の輩が。』

寒冷地だからということもなかろうが、
厳しい環境下で勝ち残った種だからか、
ここいらには育てば小山のように大きくなる獣が幾種か見られ。
そんな手合いだ、手なずけるのは至難のはずが、
根気あってか適性からか、
犬猫のように意のままに操ることの出来る連中が現れて。
戦車か装甲車の代わりででもあるかのように、
それへとまたがり、村や里へと押し寄せる、
強行卑劣な一団があると聞き及び。
よほどの頭数で立ち向かわねば歯が立たぬ筈な軍勢へ、
立ちはだかったは、たったの二人。
吹きすさぶ風に金の綿毛をもてあそばれて、
それ以外は凍ったように動かぬ若いのと。
岩しか見えぬ野っ原に、ゆらりいきなり突き出した、
石の塑像のような屈強な壮年と。
それぞれ抜き放った鋼の太刀が、風籟つらぬき閃いて。

 『な…っ。』
 『どうした、止まるなっ、ごらぁっ!』

刃の鋭さに怯んだのじゃあなく、
それを操る存在の気迫が、野獣の威勢を圧し伏せて。
怒涛の驀進 引き留めたのみならず、
斬るよな視線に恐れをなしたか、
搭乗者を振り捨てて逃げ出すものまで出したほど。
そうまで神憑りな働きで、
卑怯野蛮な野盗をからげ捕らまえた二人。
吹雪を連れて来るだろ季節風が、一際強い晩のうちは、
広野を渡るのも大変だろからと引き留められての、
翌朝までの逗留と相成った…のが、こたびの運びで。

 「…。」

さわと。
少し強い風が吹いて、柔らかな金絲を揺さぶってゆく。
深海の底を思わせる、深い藍に染まった木立の中、
そこにも月が沈んでいるかのように、
真珠色のモヘアの玉が浮いていて。
その輪郭をけぶらせるよに、月光がそこへとばかり集っておいで。
時折吹き寄せる凍風にゆさゆさ揺すぶられるのが、
本当に水底にあるような態であり。
ぽつねんと立った細木のような姿は、
暗闇の中へ無情にも置き去られた迷子のように、
悄然として見えもしたけれど。

  ―― ほぉ、と。

薄く開いた口許から、白い吐息が靄のように淡く立ち上る。
月の光に映えた白は、だが、
すぐにも風に攫われて、掻き消えてしまったものだから、

 「…。」

仄かに間を置き、もう一度。
さほど意識して吐き出されたものとも思えぬ大きさ、
やはり小さく開いた口許へ、
頬の白さに重なって見えぬほどの、小さめの靄が生まれて消える。
ずんと幼い和子のように、
吐息の白いの、幾度も作っては眺めているばかりの彼であり。

 「…。」
 「いつまでそうしておるつもりだ。」

不意にかけられた声へ、白いままな頬に中途半端な吐息がかかる。
そちらを見やった視野をよぎって、霞が消えて。

 「…。」

白い横顔が見やった先には、宿で待っていた筈の連れの姿。
やはり借り物の、そちらは日頃羽織っているのと似た色、
浅い生なりの長外套を足元までとまとっておいでの、
上背のある壮年殿で。
肩から流れて手元までを覆う長い袖が、
背中にかかるほど伸ばされた蓬髪が、
風に梳かれて ゆるりとたなびく。

 「…。」

何用かとでも訊いているのか、
無言のままに向けられた眼差しへ、

 「なかなか戻って来ぬので、長老の奥方が案じておったぞ。」

男臭くも趣きのある口許が、くすりとほころぶものだから、
どこまで本当の言なのかを曖昧にする。
喰えない御仁なのは今に始まったことじゃあなくて。
だが、それを言うなら、

 「…。」

さして表情を変えぬこちらの若いのも、
呆れておりますと言いたくての無表情なのか、
それとも…このくらいは触れるまでもないことと、流していてのそれなのか。
慣れぬ者には推し量れぬところに違いなく。
そんな寡黙な連れ合いへと向けて、
静かな足取りでそのまま歩み寄り、

 「まさかに、息が白うなくなるまで、そうしておるつもりだったのか?」

夜更けの暗がりに、彩を失った木々がうずくまる中、
童子のように吐息を紡いでは、その白を眺めていた青年。
意識せずに吐く息ですら仄かに白い寒さの中、
それが白くなくなるということは、
体温がこの夜気の低さへ追いつくということで。

 「…。」

そうとも違うとも答えぬ久蔵だったけれど、
間近にまで寄った連れ合いの、
外套の胸元を下から押し出す、充実したその身の厚み。
赤玻璃の双眸で見やったそのまま、
そこへと素直に寄り添うて来てくれて。
寒夜の中へと溶け込むつもりはなかった模様。
間近になった髪からは、冴えた夜陰の香りがし、

 「随分と冷やしておるな。」
 「…。」

見上げて来たお顔は平生のそれだから、
特にやせ我慢はしていないのだろうと勘兵衛へも知れる。
彼も自分も、もっと凄まじい極寒を知っている。
地上の細部を見通すことさえ適わぬほどに、
何層も塗り込められた青い大気のそのまた上。
厚手の軍服という装備なしではいられぬ、
天然のコキュートスが長年の住処。
そこでその身を躍らせて、生か死かを奪い合う死闘、
当たり前の日課のようにこなしていた存在だったから。

 ―― 寒さを苦と思ったことなど なかったのに。

肩をぐるりと抱く、雄々しい腕は心地よく。
それは細身の君だから、双腕だけで十分に掻い込めるのに。
それでは足らぬと思うのか、
大きな手でまで、ややのように頭を包んでの覆ってくれて。
大仰なと想いはするが、
二人別々に剥がれぬようにと、
しっかと捕まえられたことが、妙に胸底くすぐってやまぬ。
ああ暖かいと、口許もほころぶのがちと癪で。
武骨な指が、掻い込んだ先の頬に触れ、

 「穹へ、還りたいか?」

低められるとたちまち、深く響いて甘くなる、
たいそう気に入りな男の声が、
今更なそんなこと、耳元で訊くのが面憎い。
少し昔は思わないでもなかったことだが、今はもう。
清楚な夜気の香のその向こう、
精悍な匂いと実直な温みが待つのを知っている。
どれほどのこと安らげる閨
(しとね)かを、
この身で、この肌へ、覚えてしまった今はもう。

 「…。(否)」

あそこには何もないから、還ってもしょうがない。
あそこには誰もいないから、戻っても意味がない。
凌駕しつくし、誰もいない空間にするだけ、
それしか知らぬ存在だったから、
もう月しか居ない穹には、還りたいとは思わない。

 「…。」

手套を忘れて来た手で、
目の前の白っぽい外套の胸元、きゅうと掴めば。
熱いほどの手のひらが、やすやすと包み込んでの暖めてくれて。


  ―― 凍える前に、戻るぞ?
     ………。(頷)


そうだった、島田は寒いのが苦手なのだった。
しようがないなあ、年が行くとこれだから。
今 既に温みを分けてもらっていながら、
そんな言いようで、他でもない自分へと言い訳をした紅胡蝶殿。
冬空にぽつねんと独り、
群雲からも取り残されて佇む孤月をちらりと見やり。
ああ、お前には島田は居ないのだなと、
頼もしい腕へ護られながら、気の毒にと こそり呟いた。
北の果て、冬も間近い、凍月夜。





  〜Fine〜  08.12.25.


  *看板CPのお話への手がついつい遠のくのは、
   素晴らしい作品に出会え、
   萌えを十分補充出来てるその反動だったりもするのですが。
   こんな特別な晩くらいは、何か呟いてみたくもなるようで。
   出だしにとんでもない熊退治、もとえ…武勇伝があるのは、
   落語の枕のようなものですんで、あんまり気になさらぬように。
   (猛獣使いの褐白金紅なのは『
寒月夜』からの話だし……。)

  *ところで、
   本文中に出しました“第九地獄・絶対氷結地獄(コキュートス)”ですが。
   ちょっと自信がなくてググって観ましたところ、
   なんかいっぱいあったんで何だなんだと驚いてしまいました。
   人気アニメのヒロインの決め技にあるらしいです。
   中には焔系統のような書かれ方をしてた項目もあったので、
   えええ〜〜〜っとびびってしまいましたよ。
(苦笑)


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv

ご感想はこちらvv(拍手レスも)

戻る