見えるもの 見えないもの  (お侍 習作142)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 

 この辺りでもとうに冬は過ぎゆきて、花と翠の季節に入ったはずだが。雨や嵐の兆しででもあるものか、時折遠くに風籟が逆巻くどよもしが聞こえて来る。随分と遠いそれが耳で拾えるほどに、他には人声も気配もしない、シンと静かなばかりの夜陰の中。

 「………。」
 「如何した?」

 夜具の中に横たえられたその痩躯、身じろいだ訳でもないのに的確な間合いで声がかかったのへと、こちらこそ不審を覚えてしまい、
「…何故?」
 こちらの目が覚めたと判ったのか。そんな意を乗せ、だが手短に問えば、
「さてな。」
 判ったものはしょうがないとでも言いたいか。気の利いた取り繕いようもしないまま、向こうも短い言いようを返して来たのみで。だが、その一言を紡ぐ前、声にもならぬ大きさで、小さく吐息をつくよな気配がし。ああこれは静かに苦笑をこぼした勘兵衛だなと判った久蔵だったので。そうかそうだなという納得込めて、浅い頷きを返して見せる。
「…。」
 そんな自分の表情を隠すもののあることが、何とも鬱陶しいものだから。顔へと手を延べ、指先でなぞれば。横合いからこれも静かに伸びて来た手があって。やんわりと窘めるような力加減にて、こちらの手首をそおと掴んだ。患部へ触れるなとの示唆だろう。頑是ない童への扱いのようだと感じての、反発含んだ憤懣が込み上げるより、

 「…。//////」

 触れてくれた彼の手の温みが嬉しいと、それこそ小娘のような甘ったれたことを感じてしまい。
「?? 痛むのか?」
 見当違いなことを訊く勘兵衛へ、そうじゃないと…何故だか言えず。じゃあ何だと問われても上手く言えないだろからと、それが歯痒くてのこと何も紡げぬ唇を、その代わりのように咬みしめてしまう。すると、

 「…大事がのうてよかった。」

 手首からスルリと離れかけた勘兵衛の手が、だが、久蔵があっと思わずの声を洩らすよりも先んじて。剣豪殿の手を持ち変えるようにしつつ、自らへと引き寄せて。そのまま、彼の手よりも一回りは大きな手のひらへ、乗せるように伏せさせての、触れたままでいてくれる。
「………。」
 それっきり、再びの沈黙が訪のうたものの、のべつまくなしに話していないと間が保
(も)たぬような、どこか気ぜわしい性分でもなし。連れもまた、その若さに見合わず 沈黙を意に介さぬ剛毅な性分をしていたので。静まり返ったとて特に持て余しもしない。
何ということもなくの、時が過ぎる中に たゆとうておれば、

 「……。」

 ふと、先程の目覚めの気配に似た何かが静寂を震わせて。ああと気がつき、
「すまぬな。これでは眠れぬか。」
 彼の手を取ったままだったことを詫び、離そうとしかかると、
「〜〜〜。(否)」
 ゆるゆるとかぶりを振って、離れかかったこちらの手、指先をきゅうと捕まえる。今度は意が通じなかったの、だが、さほど歯痒いとは思わなんだ。勘兵衛自身が遠のこうとした訳じゃあなくて、本人の気配や距離感は動かぬままなのが、やはりちゃんと感じられたから。ただ、

 「…暗い。」

 ぽつりと呟いた久蔵へ、今度こそあやすようにその手を“よいよい”と上下させ、
「ああ。もう夜更だからの。」
 床へと横たえられたのは、まだ明るいうちだったから、包帯越しでもそうと判るのだろうよと、その差異の裏書を告げてやり、

  ―― 何か腹へ入れておくか?
     水? それだけでよいのか?

 枕元へと用意されてあった、片手急須のような吸いのみを持ち上げると、小さな口へ少しずつ傾け、白湯を飲ませてやる。暗いと言った久蔵だったが、手元暗がりではない程度の明かり、火皿へ灯された灯明が、一応は寝床の傍らに据えられてある。いくら夜目が利くほうの彼らであっても、せいぜい物の輪郭を見分けられる程度のことだし、目元を晒し布で覆われている久蔵に至っては、その下で眸を伏せている状態なのだから、そも何も見えはしない筈なのだ。研ぎ澄まされた感覚で、瞼越しの明るさや、傍らにあるものの気配を察してそれが誰かを断じているだけ。そしてそんな感応反射も、傷めた眸にはよくないことと判る勘兵衛だったから、

 「まだ夜半だ。もう一度寝直せ。」

 吸いのみを戻した側の手で、ほんのかすかに寝乱れた、金の綿毛を梳いてやる。不器用な男のやることだから、髪を掻き回す要領の悪さといい、硬い掌の感触といい、優しいいたわりからは程遠かったが、
「……。」
 髪をもぐっての地肌へと触れる、これも堅い指先の感覚が。どうしてだろうか、くすぐったくて心地いい。大人しくしておれば、

 「一晩過ごせば炎症も収まると、医師殿も言うておった。」

 だから寝直せと繰り返す勘兵衛であり。
「……。」
 こんなしてわしわしと撫でられていては、到底眠るなんて出来ないぞと、口が達者なら言い返しているところ。ああでも、何だか気持ちがいい。眠ってしまっては勿体ないのにとの葛藤に、内心で困ってしまっていた久蔵だったりする。




     ◇◇◇



 こたびもまた、野伏せり崩れが暴れているとの報があり、その対処へと駆り出された賞金稼ぎ、その名も高き“褐白金紅”の二人であり。頑丈で機動力にも富む早亀を乗りこなす、ちょいと風変わりな一派が相手だったのへ、
「何の、鋼筒
(やかん)と違い、上へ逃げられぬだけ助かる。」
 街道とは名ばかりの草っぱらを通過する、輸送艇の車列を襲っては、物資を強奪していた手荒な連中。情報を得ての待ち伏せらしいので、偽の車列を用意させ、襲い掛からんと寄って来たのを、潜んでいた空艇から躍り出しての片っ端から蹴倒してゆき。
「しまった、罠だっ!」
「引けっ!」
 一騎でも逃せば、味をしめたそやつがまた賊を成す。よって取りこぼしてはなるまいぞと、そこはこちらも手慣れたもの。自動操縦となっている空艇の操舵席から、砂防服の裳裾をひるがえしての宙へと飛び出して。かつての大戦で手掛けた、斬艦刀の機上での“八艘飛び”に比べれば、地上のしかもこのような至近、物の数にも入らぬ程度の移動と。去ろうと仕掛かる早亀の背に飛び移り、手近な数騎は 自身の大太刀の一閃にて薙ぎ払いつつ、

 「久蔵っ!」

 それらよりも逃げ足の速いのを、相方に追わせた勘兵衛だったが。逃げ足が速いということは、見切りが早いか若しくは臆病者だということを、ついうっかりと失念していた。
「あわわっ!」
「なんで、あんな…っ!」
 手ごわい捕り方だと察知して、一刻も早よう遠ざかろうとの、もんどり打っての方向転換。そんなして逃げ惑う手勢たちの操る早亀たちの背を目がけ、軽々と宙を舞い、手近な手合いから順番に…ちょっとした池の飛び石扱いで、踏みつけては渡って来る追っ手がいる。本格的な空艇には敵わぬが、それでも大した速さの脚力を誇る騎獣だのに、なんで生身の人間の跳躍で、ああも易々と追いすがれるものなのか。

 「何て野郎だ…っ。」

 眉ひとつ顰めずの無表情。その痩躯へと吸いつくような、真っ赤な衣紋を飛翔風に振り絞っており。それがさながら 大きな軍旗が風を喰ってのばっさとひるがえるように、旋風に乗って大きく躍れば。そのつむじ風を生み出した青年の、鮮やかなまでの鋭い身ごなしの下。凶悪な銀翅が容赦なく襲い掛かって来るから恐ろしいの何の。

 「ぐあぁっ!」
 「ひぃっ!」

 まだ陽も高いのに、化け物でも見えているものか。それとももしかして…別な地方で噂の機巧侍、見た目は生身と変わらぬに、鉄砲の弾が当たってもけろっとしている奴がいると聞いてるが、これもああいう手合いかも、と。どっちにしたって人ならぬもの。恐れさえ感じての必死で鞭打ち、亀を急かして逃げ延びようとする連中だったが。手前のクチから順々に、ある者は亀から蹴落とされ、またある者は安っぽい鎧を巻いた脾腹を切られと、一騎一騎確実に墜とされての畳まれてゆき、

 「ひぃいぃぃぃっっ!!」

 最後に残った、つまりは一等最初に逃げを打った輩の早亀へ。ざんっと乗り移った紅蓮の死神。さしてる衝撃はなかった軽さに、もしかしたら見逃されたかと…藁にもすがる想いで肩越しに振り返れば。その視線と交差して、細みの太刀が肩越しにこちらへとすべり込んで来たものだから。

 「堪忍してくれっ!」

 命乞いかと思いきや、早亀の手綱を掴んでいた方じゃあない側の手が、擦り切れた衣紋の懐ろから何かを掴み出す。てっきり刃物か鉄砲といった武器だと思っての、先手必勝、刃の切っ先を相手の胴へ突き通したのと、その何かを相手が“作動”させたのがほぼ同時。かちりという堅い音がしたのを聞いて、その正体へハッとしたがもう遅く。

  ――― かかっ、と

 真昼の陽気さえ押しのけるような閃光が真っ白に炸裂し、間近にいた久蔵の視覚を、貫くような勢いで叩いて刺した。

 「久蔵っ!」

 細かい埃をたくさん含んだ突風だって、こうまで凶悪な代物じゃあないだろう。パンッと弾けた閃光の正体は、どうやら遠方への合図に使う“曳光弾”であったらしくって。火薬も多少は炸裂しの、破片も多数撒き散らしたようだったが。それよりも…数秒ほどという長さを保った閃光が、それもこうまでも間近から。遮りようのない凶器として襲い掛かった威力は凄まじく。
「う…っ。」
 主人が息絶えたことも知らぬまま、しゃにむに疾走し続ける早亀が、その鞍上で起きた爆破の力に押され、頑健な身を草むらの上へとひしゃげさせ。同じ鞍上から、こちらはその痩躯を後方へ、力なく飛ばされてしまった久蔵の姿を目撃し。草っぱらのあちこちに伏して泣きうめく雑魚どもには目もくれず。裾長な衣紋を勇壮にひるがえして、その傍らへまでを一気に駆けつけた勘兵衛だったのは言うまでもない。武器の扱いも早亀らの制御も堂に入ってて扱い難い、ここいらでの悪名高い賊どもを、一騎残らず足止めするか屠るかするという、当初の策は完遂したのだ。あとは役人らでどうとでも出来よう。そんなことより、閃光の炸裂という思わぬ攻勢に鉢合わせ、吹き飛ばされた相方の安否の方がよっぽど大事。

 「久蔵っ。」

 太刀を握ったままな腕を、力なくたなびかせ。意識も飛んだか何とも無防備に宙を流れゆく痩躯へと。せめて地に叩きつけられることのないように、横っ跳びにて手を伸ばし、その懐ろへと掻い込んで。彼を追うように飛んで来た飛来物があったのからも、くるりとその腕でくるみ込み、地へと伏せたそのまま庇ったことで守り切れた連れ合いではあったものの。
「……。」
 ひとしきり暴れた爆風が何とか収まってから、そろりと腕の輪ゆるめつつ、その身を起こして久蔵の様子を覗き込めば。依然として太刀を持ったまま、しなやかな腕を両方とも持ち上げて。顔の前にて交差させている姿が痛々しい。顔へと何かしら浴びたのかとも思わせたが、すぐ傍らにある勘兵衛の気配に気づいたか、強ばらせていた肩から力を抜くと、顔へとあてがっていた腕をそろそろと外して見せる。白い顔容にはどこにも異状なぞ無かったものの、双眸をぎゅうと瞑ったままなのが異変をありありと示しており。

 『…これは、結膜を焼かれましたな。』

 晴れた日の雪原や砂浜で、反射する紫外線にやられるのと同じこと。いわゆる“雪盲”という症状が出ておいでだと、仕儀終了との知らせに駆けつけた役人らの、専属の医師殿がそうと診立てて、
『一瞬のことゆえ、さほどに深いものではないが、それでもそれと判るほどの炎症を起こしておられる。』
 咄嗟に力づくで目を閉じなさったらしいので、結果 軽いものではあるけれど。それでも、結膜から腫れが引くまでは数日ほど安静にしとらんとと言い置かれ。一番間近にあった宿場までを案内されての、今宵の宿をと身を落ち着けたのが、今から半日ほどを逆上る、昼下がり辺りのお話で。何はともあれ眠りなされと、鎮痛剤と安定剤とを調合されたの、頼もしい連れ合いの手から飲ませてもらって。それですとんと落ち着いたそのまま、昏々と眠り続けてしまった久蔵であったらしい。




     ◇◇◇



 そういえばと思い出したのが、あの神無村での滞在中に、やはり視覚を奪われるような事態へ遭遇したことがあった久蔵だったこと。(「
月夜の烏」参照) あの折は、目潰しという…そのまんまそれが目的の薬剤にやられた彼であり、

 「あの折は七郎次がおったか。」

 面倒見のいい彼がおらねば、警戒するあまりに手当てもさせず、大暴れをするばかりで手がつけられなんだままだったろと。今となっては遠い昔話を蒸し返すものだから、
「〜〜っ。」
 口許を曲げての不興を示しかけた久蔵だったが、

 「…あれは正直妬けたものよ。」

 勘兵衛の声にて ぽそりと零されたのが、何とも意外な言いようで。

   馬鹿なことを…。//////
   何を言うか。皆して中
(あて)られておったのだぞ?

 思えばあれから始まったのではなかったかと、髪を撫ぜていた勘兵衛の手が止まる。馴れ合いを疎み、誰にも馴染もうとはしなかった、孤高なままだった久蔵が、七郎次にだけは少しずつ懐いていった、その始まりじゃあなかったか。

 「……。」

 当事者である久蔵は、だが、うんともすんとも答えない。淡い金色の前髪の下、その目元を覆う白い晒布が、ただでさえ読めない彼の無表情を、ますますのこと難解なそれへと増させているばかり。ふと、
「〜〜。」
 その小さなお顔を仰向けるようにし、枕の上を見上げるように身じろぎをする。むずがるような態度にも見えた、その動作の邪魔にならぬようにと、勘兵衛が触れていた髪から手を退ければ、
「…っ。」
 そちらからは見えぬはずなのに、その手を追うように顔がこちらへと動いたので。

   ああそうかと 気がついて

 引きかけていた手を彼の髪へと戻し、再びゆっくりと、梳くようにして撫で始めれば、

 「……。」

 微かなむずがりの気配が消える。白い顔容にもさして変化はないはずが、頬の線やら口許の合わさりから、堅さがとれての落ち着いて見える。そういえば、たまにこちらの膝へとのし上がってくるほどの、強引なまでの甘えようを見せもする彼であり。だが、始終そうでいなくてはならぬというような、根っからの甘えただとも思えない。のうと声掛け、

   見えぬは不安か?

 ぽつりと問えば、

   …判らぬ。

 常と変わらぬ声での返事。ただ、と、続いて。

 「見えぬは詰まらぬ。」
 「?」

 小首を傾げた勘兵衛の、お顔の位置を探るよに。白い双腕が延ばされて来。何か何かと白い手のひらが宙をさまようので。どらと片方捕まえて、自身の頬へと導けば、

 「……。」

 少ぉし冷たい指先や指の腹が、壮年殿の彫の深いお顔を撫で始める。どうしてだろうか、不安じゃないのに物足らない。すぐの傍らにいる勘兵衛だから、気配は届くし、声も匂いも、温みだって伝わってくる。見えなくたってそのくらいは感じ取れるし、望めば向こうから触れてもくれる。でも、

 “せっかくの男ぶりが、見えないなんて。”

 何も見えぬは気にならぬ。ただ、勘兵衛が見えないのは焦れったい。深色の眸や髪、彫の深い目許や少しばかり立った頬骨による精悍な面差しに。髭までたくわえての あくまでも男臭い中、だのに不思議と色香に満ちてもいる、ごつりとした喉元や。立った襟から時折覗く鎖骨の合わせ。どこを取っても気に入りの風貌が、それもこっちを見守ってくれているというのに。ここにいるのが判っているのに、なのに見えないなんて何てもどかしいことだろか。せめてと触って確かめたくて、それでの拙い甘えようを見せた久蔵へ、

 「………っ。」

 突然その身を持ち上げられての、野趣あふれる匂いが間近になる。頬に触れたは、覚えのある布の重なりよう。堅い身をくるむいつもの長衣と、その端にかかるのはくすぐったい蓬髪の感触か。どうやらお膝の上へまで、ひょいと抱え上げられたらしくって。

 「これならどうだ。」
 「あ…。//////」

 日頃は全くの野暮天のくせに。なんでこうも、余計なことだけ通じるのだろか。ついつい睨んでみたものの、ああそうだ、こちらの目許は封がされてる。答えを待ってか“んん?”と額へ擦りつけられたのは、顎の下にたくわえた髭だろか。

 「〜〜〜〜〜。////////」

 もうもう、どうしてくれようか。雪盲とやらが悪化したなら、お前が興奮させたからだぞ。判っておるのか、この人誑し…と、つらつら言えたら苦労はなくて。お返事の代わりに腕を伸ばすと、その首っ玉にかじりつき。手がしびれるまでこうしてようと、ささやかな迷惑を仕掛けんとする。やっぱり不器用な新妻だったりするらしい。初夏とは名ばかり、まだまだ端境。小袖の裳裾をはしたなくも蹴散らしたままにして、足元から冷やされませぬようにね? 新妻殿vv





  〜どさくさ・どっとはらい〜  09.05.18.


  *…悋気狭量、久々。
何のこたない、久蔵殿のおのろけの巻でした。
(笑)
   自慢の連れ合いですもの、
   その男前っぷりを、いつだって眺めては萌えていたい新妻らしいです。

    「〜〜〜〜〜っ。/////////」
    「誰が新妻か…っだと? お主しかおらぬではないか」
(笑)


  *一方で、
   どうして見えなくとも目覚めが判ったかと訊かれ、
   何ともつまらん返事を返していた勘兵衛様へは。
   『勘兵衛様、そういうときは
    “好いてる相手のことが判らんでどうする”と答えるもんですよ』とか、
   後日、シチさんから指導を受けているかも知れません。
   そんな歯が浮くような言いようが出来るか…なんてな、
   青二才のような反発はしない…かな?

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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