夜叉凍吼
(お侍 習作146)

          お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より

*直接的な流血描写はありませんが、*********
 人の生き死にが生々しく扱われるのは苦手な方は、**
 自己判断でご遠慮ください。************


 
余計なことをと思うより何より、頭の中が真っ白になった。
自分へと降りかかる奇禍へでも、こんな感覚を覚えた試しは滅多にない。
うなじから背条にかけてが沸騰したまま凍りつき、
喉奥があっと言う間に干上がってしまって、声が出ない。

 「久蔵っ!」

自分の視野を覆った白と、力強い低さで響いた声と。
それらへと気を取られた次の瞬間、

 「…っ!!」

幾重にも重なっていることで防御の役も果たしている白い砂防服ごと、
見慣れた背中が、横薙ぎにされての岩壁へと叩きつけられた様が、
あまりに無造作だったので。
何かの間違い、幻か何かのような、
現実味の伴わないことのようにその眸へと映った。
あまりに大きな相手だ、仕方がない。
すぐにも身を起こし、反撃にかかる彼だろと、
さしたる損傷は受けちゃあおらぬと、
そうと決めてかかってた。
だが、

 「…がはっ!」

背中をしたたかに打ちすえられたことで、気管が一瞬詰まったか。
それを押し出すように、苦しげに咳き込んだ彼の唇の端から、
黒い何かが一条あふれて。
やや俯いていたその上、夜陰の中だからそう見えただけ。
口腔内のどこをか切ったか、
いやさ気管か胃から込み上げたそれか。
息とともに吐き出された喀血であると、
気がついたそのまま、弾かれたように駆け寄っている。

 「島田っ!」

そんな仕打ちを下した相手へ怒
(いか)るよりも先、
安否を確かめなくてはおれなくて。
間近に寄って判ったが、太刀を構えた両腕が不自然にも拘束されている。
巨大な相手の影に潜んでた、小者が投げた分銅もどき。
特殊な縄の両端を重くした代物で、
当たったものへ その両端がくるりと巻きつくという他愛ない代物。
だが、素材が特殊であるらしく、しかも甲足軽の腕力で投じたもの。
叩きつけるように襲い、そのままきつくきつく巻きついてしまうので、
そこへと畳み掛けられては どんな練達でも手を焼こう。
何とか剣撃にて叩き落として逃れていたものの、
そんな彼ら目がけ、思わぬ間合いに大物の雷電が踏み出して来、
そちらへ一瞬、注意が逸れてしまった勘兵衛の、
千載一遇の隙へと寄ってたかった敵であったのだろう。

  ―― そして

そうそうたやすく倒れぬ男が、
布切れ思わす他愛のなさで、ぶんと吹き飛ばされた図は、
相棒の心胆寒からしめるには十分であったらしい。
案じて駆け寄ったのはこちらだというに、

 「…無事か?」

間際に寄ったその途端、掠れた声がそうと訊く。
顎へとたくわえた髭の陰に、曖昧になったしまった血にも気づかぬか、

 「…ぬかった。」

夜空の広がる視野の中、押しかぶさって来た久蔵の白いおもてへ、
そんな失態を苦く微笑ったのは、
まだ持ち合わせのあった気丈さからか。
あちこち痛むのだろうに、それでも身を起こす彼を。
だが、手助けはしない久蔵なのは今更だったが、

 「……………。」
 「…久蔵?」

傍らにある沈黙が、気のせいだろうか随分と堅い。
人への案じ方をよくは知らず、
痛い想いした相手に、だが自分は何も出来ない身であることが、
苦しくていたたまれないと泣きそうなお顔になる久蔵なのは。
自慢にもならなきゃあ褒められたことでもなくの、これまでにも時折。
似たような展開ののちに見せつけられる羽目もあった勘兵衛が。
だが、この空気には覚えがない。

 “いや…覚えはあるが。”

こうまで濃厚なそれを、この彼が放ったところは、
恐らくは初めて感じ取った勘兵衛で。

 ―― 冷え冷えとした、負の闘気

こうまで壮絶な“殺気”は、
そうそう拝めるものじゃあないし、
しかもそれをその身のうちへと嵩めた存在が、
どれほどの練達かを知っている。

 「きゅ、…。」

掛けかけた声を阻む間合いで、
きぃぃいぃぃぃんんっという耳鳴りに似た金属音が鳴り響き。
彼をくるみ込む夜気が、
見える者にはありありと歪んだのが判るほど、
途轍もない波動を帯びてしまってて。
それはさながら、真白き存在を覆う、淡い反射の膜光のごとく、
どこか幽玄な、神秘的な見栄えでもありはしたけれど。

 「…っ、待て久蔵っ!」

はっとした勘兵衛の制止の声も聞こえぬか。
背後を見やっていた白い横顔も、一度もこちらを向かぬまま。
その双腕へ提げた得物の双刀ぶんと振り抜き、
それを羽ばたきのように思わせたのも 束の間、
しなやかな肢体は夜陰へと掻き消えている。
あまりの鋭い跳躍に、誰の視線も置いてかれたがゆえのことで、
その痩躯は誰もが思うよりも高き天穹へと躍り上がっており、
風を孕んだ紅衣がばっさと叩かれてはためいたの、
聞き取れた者だけが悪夢を仰ぐ。
人としての何の感情ものせない細おもてはもはや、
月光浴びたる銀翅紅翼、
制御するための目と耳しか機能してないかのようで。
喩えではなくの小山のような巨体を黒々と、
夜陰の中へと居座らせた旧夢の亡霊。
その昔には彼もまた、宙を翔った勇者だったのだろ雷電の、
巌のような胴の前、
そのまま砦のようでもある胸倉までを飛び上がった久蔵であり。
まだ間合いのあった随分と先から、
飛び込むように宙を翔ってきた彼だったので。
てっきりこの巨大な機巧躯へと、
加速もつけての体当たりでも敢行するものかと思われたのだが、

 「……ッ!」
 「な…っ。」

そも、生身の人間のひとっ飛びで、到達出来る高さじゃあない。
なのに、一瞬…その肢体が何もない宙にて留まったかのように見えたのは、
そんな刹那に繰り出されたのだろ、
彼の動作の一連があまりになめらかで素早かったせい。

  しゃこん、と。

無様な打撃の甲高い音や、あえなく負けたか細い響きなどではなくの、
強いて言うなら涼しげな、鋼と鋼が軽やかに弾み合ったような音がして。
それが常の策なのか、その巨躯の足元に便乗していた甲足軽らが、
何が起きているものかと見上げた先から…かつんと。
堅い何かが降って来た。

 「え?」

石ころかな、それにしちゃあ何もない天から真っ直ぐ落ちて来たのが妙だと、
確かめるよに足元見下ろしたミミズクの、後頭部目がけて降りそそいだのが、

 「うわっ!」

ざざぁという土砂崩れのような勢いで落ちて来たのは、
様々な大きさ厚さの鋼塊の群れ。
その身を相手へ叩きつけるほどもの加速に乗った一閃、
目にも留まらぬ素早さ鋭さで、相手の胴を切り刻んだ紅侍であり。
急所である胸部を覆っていた甲板や隔壁、
内部に収められていた駆動系の回線や管などなどが、
微に入り細に入りと斬り刻まれての振り落ちていたのであり。

 「…まずいな。」

こちらはそんな彼が飛び出していった岩場の麓。
肘や腕をついて何とか身を起こし、
腕へとまといつく忌々しい拘束の縄、
太刀の柄を狭間へもぐり込ませて剥がしつつ。
何とも言えぬ 苦々しい顔になった勘兵衛の呟きへ、

 「島田殿っ。」

こたびの捕り物の周縁を固めていた役人の一人が、
岩場を大きく回り込んで駆けつけてくれており。
身を起こすのへと手を貸しながら、

 「相方殿は、あのまま深追いなさる気か?」

だとすれば…単身では危なかろうと、その無鉄砲を案じた勘兵衛だと。
何もない夜陰に溶け込みそうな痩躯を見やって、
さにあらんと解釈したらしい応じようをしたのだが、

 「…いや。」

勘兵衛が放った声は、微妙に重さの向きが違い、

 「頭に血が上っての短慮、には違いないのだがな。」
 「…え?」

どうしたものか、
案じてという焦燥よりも、
困ったものだという苦笑にまみれているのが意外。
勘兵衛にしてみれば、
感情と行動との均衡がまだまだ不安定な久蔵だと
よくよく知っているガゆえ。
ここまではまだ何とか想定内という行動だったらしい。
…だが、

 「…っ。」

その視線が追っていた対象が、自身で刻んだ瓦礫の降る中、
気が済んでの此方へ、くるりと戻って来るかと思いきや。
こちらには背中を向けたまま、
体の左右に提げた双刀、再びじゃきりと握りしめたの見届けると。
さすがにその態度へと帯びていた空気も塗り変わって、

 「中司
(なかつかさ)殿。」
 「は。」

こたびの仕儀の責任者でもある役人殿へ、
視線は動かさぬままに声を掛けた壮年殿。
鬱陶しい蓬髪の陰になった精悍な面差しもいかめしく、
重々しい声で告げたのが、

 「捕り方の中に、先の大戦を経験しておらぬ者がいるなら下がらせよ。」
 「は?」

何でまた、そんな突拍子のないことをと訊き返しかかった中司殿。
だが、彼の視線の鋭さと、それから、

 「…っ。」

彼からすれば背後にあたる方向から、ぞわりと立った気配の強さが、
それは愚問と彼へも伝える。
頷きながら自分の羽織る衣紋の懐ろへと手を入れ、
小型の電信機を取り出すと頬へと当てる。

 「陣内か、新兵の班を後方へ移動させよ。
  理由を言うておる暇はない。ただちに急げよっ!」

さすがに…これから起こること、
慣れのないそやつらが目の当たりにしたら、
当分は立ち直れないほどの人間不信に陥るぞ?とまでは言えんわなと。
皮肉っぽい苦笑を口許へと滲ませて。
そんな運びにしてしまった自身の不甲斐なさへ、
もっと苦いもの、噛みしめてしまう勘兵衛である。







     ◇◇◇



  どれほどの刻が経ったかは知らない。


ただ、
大戦のころに何度も飛び込んだ合戦や敵対軍とは、
比較にもならぬ規模や陣容だった相手の手勢を思えば、
ほんの短い間合いだったはず。
こちらへと向かって来ていていた意識や気配を、
一人たりとも逃すことなくの片っ端から、

  ただただ“殲滅”を、と

白く弾けた脳裏が次には真っ赤に染まり、自分をそうと急き立てて。
何も考えないまま、ある意味で機械的に。
その体がその腕が、獲物を追って宙を舞い。
なのに、どんなに斬っても叩いても、
体が温まらないのがどうにも怪訝で。

  夢の中にいるような、
  曖昧な感覚に襲われたのへ、もがいてもがいて。

手ごたえのなくなった空間に独り、
とうとう立ち尽くすその姿は、
覇者であるはずが…どうしてだろうか悄然として見えた。

 「……久蔵。」

しんとした中に、声がして。
風のうねりも消えた、殺意も悲鳴も聞こえない。
ここは穹ではなくて、がっしり堅い大地の上。
そんな処だと思い出しつつ、
なのに…目眩いがするのは、体がぐらつくのはどうしてだろう。
顔を上げれば その先に、
周囲に垂れ込める夜陰へ輪郭が滲みかかった、
白い影がうっそりと立っていて。

 「…………島田。」

頼もしいまでの精悍な勇姿、泰然と構えて。
野伏せりとのひとしきりの斬り結びを終えると、
いつもいつも歩み寄る自分を悠然と待つ彼が。
だが今宵は…どうしたのだろか、
どこか様子がおかしいような。
佩から鞘ごと抜いた太刀を手にしていて、
まるで杖の代わりにでもしているかのようで…。


  「あ………。」


ハッとし、息を飲むと、そこからは駆け出している。
自分が我を忘れたのはどうしてだった?
物のような扱いで、横薙ぎに払い飛ばされた彼を見て、
しかもしかも、ひどく傷んだ彼だったのへと、
頭に血が上ってしまい、何も聞こえず何も見えず。
理性も何も吹っ飛んだまま、
そんな非道をした連中への報復へと、
一も二もなく駆け出してしまったのではなかったか。

 「島田…。」

人里離れた場へと誘い出した段取りではあったれど、
それにも増して…周辺から誰の気配も消えていたのは、
捕り方の面々もまた遠のいていたからで。
巻き添えを食わぬようにという範疇を越えての、遥かに遠巻きだったのは、
紅衣の侍が、かつての大戦で“死胡蝶”と呼ばれていた理由、
たった一人で一個師団を殲滅出来たという、
その凄まじいまでの破壊力と容赦のなさを、
慣れのない者へ目の当たりにさせぬため。
彼らもまた、悪人相手に太刀振るい、切り伏せる身なのに、
そんな生ぬるいことを…という次元の話ではないからで。
甲足軽だけじゃあない、生身の賊らも数十人はいた一団が、
今はその誰も息をしてはいないし、
恐怖に見開かれた目にも何も映しちゃあいない。
殺戮とはこのような惨状を言うのだと。
戦さというのは、上からの命令一つで、
このようなことを素人同然の新兵へも強いられたのだと。
その身で経てのこと、
判っている面々ででもなければ直視出来ない有り様になっており。
そんな地獄絵図をほんの刹那で築いてしまった鬼の子が、
なのに…矢も盾もなくという必死さで、
今にも膝を折りかかる連れ合いへと駆け寄った。

 「…っ。」

何とか自分でも踏みとどまった勘兵衛であったらしく、
延ばした腕へと受け止めた身の重さは、
その全部という重みではなかったようだが。
それでもと腕を回し、相手の懐ろに身を寄せる久蔵で。
もしかしたら、支えてほしかったのは金髪痩躯の青年の方だったのかも知れぬと、
そうとも見えたほどの切な様子であったので。

 「済まぬな。勝手の違うこととなってしもうた。」
 「〜〜〜。(否、否。)」

常の対し方とて、傲慢な余裕で構えてはないけれど。
それでもこれまで…この久蔵がここまで我を忘れて飛び出したなんて、
そんな事態は一度もなかったはずで。
こたびの相手も、力量や軍勢の嵩はさほどに大きなそれじゃあなかった。
ただ、思いも拠らぬ策を講じられ、不意を突かれただけのこと。

  陳腐で瑣末なものを浴びての力負け

だのに、それで薙ぎ払われた自分の態の無残さが、
冷静透徹な彼をこうまで不安にさせたかと思うと。

 「済まぬ、済まぬな。」

人になる前に侍となった鬼の子を、
人の世に馴染ませたいなどと、大言吐いたは何処のどいつか。
自分のせいで鬼に戻してしまったこたびの落ち度、
不甲斐ないなと、それしか浮かばぬ。
それは違うと、懸命にかぶりを振る姿さえ、
愛しいまでの健気さにしか映らぬ勘兵衛であり。


  その身へ染ませた哀しい性を、
  されどこうまで痛いと思ったことはなかったと。
  そんな我らを見下ろす月さえ、
  凍るほど素っ気ない貌
(かお)に、
  見えてしまった、水無月の宵……。





  〜Fine〜  09.06.17.


  *勘兵衛様の危機を目の当たりにして、
   我を忘れるほど怒
(いか)る新妻を一度書いてみたかったんです。
   すいません、もうしません。
   以前に、逆Ver.の話は書きましたが、(『
混沌驟雨』 弦造さん登場噺)
   嫁が吹っ飛ばされたのへ勘兵衛様が怒髪天と化すのとは、
   何か意味合いが違って来ますよね、やはり。

  *どこかで既に一丁前にも説いたことがあると思うのですが、
   大人が一人、足から浮き上がっての宙を吹っ飛ぶのって、
   そりゃあもう物凄い負荷が掛からなきゃ起こり得ないことなのです。
   例えば、堤防に押し寄せて、
   ビル3階分くらいの高さまで波濤を蹴立てる高波ほどのパワー。
   ある程度の速度が出ている乗用車の前へ、
   そちらからも飛び出して来てぶつかるとか。
   ということは、
   毎回々々 幸村さんが吹っ飛んでいた、
   御館様こと信玄公のパンチはどれほどあるんだろう。

   …じゃあなくて。(『BASARA』も終わっちゃいますね。)

   SF系統のアニメとかに慣れ切ってる身には、
   よくある描写で大したこっちゃないという刷り込みが出来ておりますが、
   ホントは命にかかわるほどの目に遭ってるんですよね、あれって。
   でもまあ、侍七の世界では
   …やっぱり特筆するほどのこっちゃないのかもですかね?
(こらこら)

めるふぉvv

ご感想はこちらvv(拍手レスも)

戻る