奇縁邂逅
(お侍 習作149)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より


        




 春の盛りがどこまで気温が上がるものかと危ぶまれたほどの、初夏の火照りを冷ますよに、例年の長雨の季節が やはりやって来て。せいぜい荒野の雨季ではあれど、庭の緑を冴えさせるには十分な慈雨の後、虹雅渓へもいよいよの夏が訪れる。干上がってしまった渓谷跡という荒野のただ中にあって、地下施設で配分処理されている蓄電筒の放熱の余波も響いてのことか、基本的に地熱の高い町であり。真冬でも震え上がるほどの寒さに襲われたりはしないその代わり、夏の暑さは格別で。とはいえ、それは陽をまともに受ける上階層の街でのお話。陽あたりの悪い下階層では、谷を渡る風の恩恵、もっと下層なら伏流水の生じさす気化熱のお陰様、それほど乱高下もしない気候の中を過ごすことと相成るのだが、
「それでも水辺は蒸し暑くなるじゃあないか。」
「何の、夏の暑さってのは風情があっていいものさ。」
 伏流水のたたえられたる水路に、わざわざその周囲を取り巻かせた“蛍屋”なぞは。その水路の始まり、流れがやって来る地下洞にほど近い場所柄なため、洞で冷やされた風もやって来の、一際涼しい好環境。そんな恩恵もあってのことか、花街でもある“癒しの里”は、これからこそが書き入れどきで。
「組主の集まりで、綾麻呂公が花火の大盤振る舞いをして下さると約して下さったそうだってよ。」
「あら、それじゃあ、ウチも予約がたんと入るねぇ。」
 春をひさぐ花楼ばかりじゃない、宴の席をば供する料亭や、そこへと芸を披露しに来る芸妓を手配する置き屋、その宴そのものを設定してくれよう“茶屋”も揃った、一大歓楽街でもあるお里。風流を味わいにやって来る“通人”向けのお座敷が売りの蛍屋では、そんな数寄者な客人らが“おお”と目を見張るよな、小粋な工夫に趣向を凝らすべく。様々な趣味に通じた女将や、元は軍人、とはいえ一向に野暮なところは見当たらぬ、元・幇間で知恵者の若主人らが、蔵書蔵物の棚卸しをし、掛け軸やら焼き物やらの選定なぞ始めるそんな頃合いに、


  ―― その珍客はやって来た。






 青梅の実る季節に降る長雨が去り、土から這い出た蛹の殻から脱皮した蝉たちが、じいじい・みんみんと鳴き始めて。そんな音響もいかにも風流な、いよいよの夏の始まりには、ここ、虹雅渓を訪のう人や物資にも色々と様変わりの感が見受けられ。装備や衣装が暑さへの対策を備えた物へと変わり、搬送される物資にも夏向きのものが増えてゆく。今時が旬の魚や野菜は勿論のこと、涼しげな絽や絹の衣紋、籐製竹製の夏雑貨。水をたたえて涼感誘う、ぎあまんの鉢や食器も本場から多数持ち込まれ。それからそれから、

 「どいたどいた、差配様お抱えの花火師一家のご入来だ。」

 そんな先触れが声上げ駈けて来たのへと。街へと入る者らを警邏の役人らが検分している大門近辺が、大急ぎで道を空けよという騒ぎに沸き立つ。といっても、お墨付きの身を偉そうにひけらかし、胸から腹から踏ん反り返らせて…ということじゃあなく。彼らが持ち込む花火用の火薬が、随分と大量であるがため。間近で素人が間違い起こせばそのまま引火しかねぬからと、よしか近寄るなという配慮あっての先触れで。発火したらば大惨事、そんな恐ろしい荷を従えての到来は、されど例年のことなので。芸人一座の訪問よろしく、いなせな職人や若い衆目当ての、女子供らの見物客も遠巻きに立っての見世物扱い。危険物への特別な手形、門衛の隊長殿に改めてもらう手続きの間、そんな視線を多少は意識するものか、一団の側でも待ち受ける衆らを瀬踏みするよに眺め返したりしていたが、

 「…っ、何しやがるっ!」

 不意に沸き立った鋭い声に、周辺の空気がパンと叩かれた。怒声と聞こえたその声のした方へ、一斉に皆が振り向けば。重たげな荷車の内の一つ、直射日光も危険とかぶせられたる幌の上へ、トカゲのように四肢使い、みっともなくのがざばさ乱暴に駆け上がってのよじ登った人影があり、

 「おおっと、近寄るんじゃねぇっ!」

 声も高らかにその天辺へと陣取ったのは、もはやぼろ布にしか見えぬ擦り切れた衣紋、ぐるぐる巻きにしてその身にまとった男が一人。年寄りなんだか若いのか、その見分けもつけにくい、風采曖昧、薄汚れた痩せ男で。外套なのだか、それとも間に合わせの天幕か、足元まである長布をばっさと跳ね上げて、その懐ろからぐいと取り出したのが、

 「な…っ。」
 「馬鹿な真似はよせっ!」

 一見するとただの棍棒。だが、知る人ぞ知るそれは、よくよく乾かした藻や苔をぎゅうと固めた、松明のための灯火棒。一旦点火したれば、風が撒こうが雨に濡れようがなかなか消えぬ。それを頭上へと掲げて見せており、しかもしかも既に着火されていたらしく、焦げ臭い匂いが辺りへと漂い始めてもいる。

 「よしかっ! これを俺が落とせばこの荷は爆発。
  単なる潰えになるばかりじゃない、辺りも火の海、大惨事となるぞっ!」

 そうなりゃ、火元に一番間近い自分だって只じゃあ済まないことだろに。そちらは心配しないのか、それともそうまでの破れかぶれになってるものか。不安げにざわめく聴衆を前にして、天下でも取ったかのように、大口開いてのかんらからから。どこか薄ら寒い狂気を孕んだかのような笑い方をしたその男、

 「そうとされたくないならば、
  誰でもいいから今から差配のところへ飛んでゆき、
  許しを乞うての金と飯、ここへ山にして持って来いっ!」

 梅雨明けの青空を貫けとばかり、口から泡ふき、そんなとんでもないことを叫んだものだから。ああ成程と周囲からの納得を招いたのと同時、

 「……そんなことが出来るかっ!」

 確かに、そんな御託をいちいち聞き入れていてはキリがなく。一度でも応じれば、似たようなことをしでかす模倣犯が後を絶たない世情に傾こう。門士ら一同が先頭になっての円陣組んで取り囲み、隊長なのだろ風格たたえた壮年殿が、馬鹿な真似はよせとの説得にかかり始めたものの、

 「ありゃあ、何言っても聞かねぇだろな。」

 何だよお前さん、そんな怖いことを。だってよ、あの眸を見ねぃ、何だったらこの場で吹っ飛んでもいいって眸だ。覚悟があるってことかい? いいや違うな、自暴自棄になってやがる。たまたま来合わせていての、突拍子もない事態を目の当たりにすることとなってしまった野次馬が一人、傍らにいた妻だろう連れとそんな会話をぼそりと交わし。とはいえ、為す術もないまま“やれやれどうなることかねぇ”と、腕を組んでの成り行き見守る…ものかと思えば。

 「気が立って来て、暴れだしたらもう遅い。
  疲れから手をすべらせれば一巻の終わりだ。」

 懐ろは羽織の陰、帯の深みへ差していた、渋紅塗りの短刀にその手が至る。これほどの衆目の中だとはいえ、手段を選んでもいられない。事情あってのことかも知れぬと、殺してしまうのは憚られるとか何とか、甘ったるいことを言ってもおれぬ。意を固めての、気を整えて。物騒な男や、それを取り囲む衛士らの陣、見物人らのどよもしまでまで含めた、場の呼吸のようなもの、大きく広げた感覚で覆い尽くしての拾い上げれば、

 “………んん?”

 山といる見物の中、気になる気配を感じ取る。人々の中を見回せば、そちらからもこちらを見やっている人があり。あまりに鋭い視線は、ぬばたまの漆黒が冴えたそれ。結構な距離があるというのに、相手の思惑が確かに届いて。

  ―― 瞬殺必中

 自分はどうするつもりかの示し、懐手をしたまま顎先へと突き出した匕首を見せての頷けば、相手もまた大きく頷いてのそのまま、危ない男の方をば見やってみせたので。目配せだけという大雑把な確認ながら、それでも…胸へと去来し、総身へ回った緊迫感は久々の本物。男が大声でわめき散らす間合いのようなものを拾い上げ、次の罵声を上げんとしかけたその一瞬、ちきりと鯉口切った短刀を、目にも止まらぬ瞬速にての投擲したのが、金髪碧眼、上背もあったなかなかの美丈夫ならば。

 「な…っ。」

 鞘から抜いたは加速をつけるため。避ける暇間を与えないよにとの攻撃は、功を奏しての見事に的中し。男が高々と上げていた手元から物騒な火種を貫くと、勢いがまだまだ勝ってのこと、その手から松明もぎ取る格好になって。向背にあった関所事務所の壁の中程へ、刀の切っ先が だんっと音立て刺さって止まる。持ち手の辺りへ刃が深々突き通ったそのまんまの松明は、即席の外灯としてそこへ据えられたかのようで。あまりに見事な手際には、誰の仕業だ大したもんだと見物の衆らがざわめくまでにも、わずかに間が空いたほど、誰もが度肝を抜かれもし。衛士らもとっとと掴み掛かって捕らえればいいものを、そこが打ち合わせのなかった仕儀であり、呆然としての凍りついていたところ、

 「うあぁああぁぁっっっ!!」

 いきなりの突然 襲い掛かられたことが、男に恐慌を招いたらしく。獣のような咆哮放つと、襤褸の懐ろへ手を入れて、まだ控えがあるものか掴み出さんとしたのだけれど、

 「いいかげんにしないかっ。」

 裂帛の気合い、鋭にして凛然と。恫喝と呼ぶにはあまりに刹那の鋭さ、たとえれば白昼に轟いた凄まじい雷霆のようなもの。呆然としていた者の目には止まらず、だが、その威力たるや破格のそれが、先に投げられた短刀よりも鋭い一閃、荷車の幌の上へと跳ね上がり。その飛翔のべくとるそのまま、真上への一直線に。宙を引き裂き、颯(はやて)を起こした様こそは、神話伝説に出て来る闘神をも思わせたほどの、人の身ならざる者が下した“仕置き”にそぐうそれであったれば。

 「……う、あ。」
 「凄げぇ。」

 何とか目で追えた人々の視野に閃いたのは、陽を弾いた冷たい皓き、銀色の涼やかな輝き一閃だったので。てっきり、大太刀か何かで有無をも言わさず斬り伏せたものかと思われてのこと、人殺しを見てしまったと身を凍らせもしたところだったが、

 「もはや駄々を捏ねる年でもあるまい。せいぜい頭を冷やしてやり直せ。」

 幌の上へと立っていた人影が、先程までのくたびれた襤褸そのもののような男から、それは凛々しい風体の別人へと変わっており、その足元へと這いつくばってる人騒がせな犯人へ、正しく大上段からの説教をくれていたお人こそ。二階屋のテラスほどにも高さのあったその位置へ、一瞬の跳躍にて駆け上がった存在で。居合抜きでも繰り出したのか、得物の太刀は腰に収まったままであり。いやまて、男は顔を押さえてはいるがどこからも出血しちゃあいない。わあわあ喚くだけの気力も居残っているところを見るに、ただ殴られただけと見え。先程視野をよぎった銀の閃光はといえば、そのお人が背へと垂らした見事な銀髪の色だったようで。しかもしかも意外だったのはそればかりじゃあなく、

 「……お、女だよな、あれ。」
 「ああ。」

 荒野を吹き来る砂嵐や強い陽光に晒されてのこと、石作りの城塞が乾いた白であるのへと、今にも溶け込んでしまいそうなほどもの白い肌に。その痩躯をなお引き絞っている濃色の装束の、型こそ男女兼用風の旅装束らしき簡素な代物ではあったが、鋭利なほどすっきりとした輪郭が、その人物の性別をさりげなく示してもいて。いかにも女という肉惑を、これみよがしにたたえた肢体でこそなかったが、美しい刀剣が切れ味と同時にその鋭利な姿で人を魅了する、あの魅惑に似た麗しさを存分にたたえた、そりゃあしなやかな風貌をした女傑殿。やっとのこと、呪縛から解き放たれでもしたかのように犯人を捕縛しにかかった衛士らの動きがあってのそれで、いざこざの終結を感じ取った衆目らが、やんやと快哉降らせる中で、

 「……ギンリュウ様。」

 飛び上がった折と同様、ヒラリとのひとっ飛びで地上まで降りて来た女傑へと。花火師の一行がワラワラワラと駆け寄った。どうやら彼女は彼らの連れでもあるらしく、ここまでの道中を用心棒として同行していたお人らしくも見えたものの。それを告げようとした夫が傍らから歩み出しているのに気づいた雪乃、

 「? お前さん?」

 自分が自爆男の手元へと打った、短刀を回収にでも向かったか。いやいや、それなら騒ぎの中心は大回りをするべきところ。座敷ででもない限り、実は目立つことがあまり好かない人だのに。そこへと向けてのどんどんと歩んでゆく七郎次であり。ただのお調子者なんかじゃあない、あれで相当に慎重だったり注意力も備えておいでの今なお練達の君が、ならば必要だろう、何をか窺うような用心深さを微塵も見せずの直進した先、花火師仲間のみならず、衛士長からまで素晴らしい働きをたたえられていた女傑の前へ、真っ直ぐ進み出ていた彼であり。まだ距離を残しつつも、よほどに気が急いていたものか。間に人を挟む格好での人垣越し、

 「雲居様、…ギンリュウ様っ。」

 ややもすれば、まだまだ若々しい青二才が興奮しての声を掛けたの思わせる、こっちを向いてくださいなという意が明け透けに籠もった声を掛けている。そして、そんな彼からの声へ、こちら様も…じわじわと浮かぶ何かしら、噛みしめるような喜色を口元へと昇らせてしまわれて。そんな感慨、何とか押さえ込もうとしてのことだろう、わずかほどの間をおいてから振り返ると、

 「久しいな、シチ。よう息災でおった。」

 涼やかな美貌、鋭く切れ上がった双眸を、だが今は柔らかくたわめて見せ。この街の遊里で知らぬ者はないほどの名物美丈夫へ、間違いのない名指しにて。懐かしいと微笑った、おっかない女闘士殿であったりした。



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