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虹雅渓は、その最初となった爆心地の上へ上へと富を得た者らが新しい住まいを築いていった継ぎ接ぎな街であり。それの最たる弊害が、下層へと下れば下るほど陽が届かぬこと。だがだが、そんな構造であるがため、夏場もさほど暑くはならぬという、言わば恩恵を受けてもいて。階層をつなぐ長い長い階段や吹き抜け部分では、ときおり天津風と呼ばれる強風がごうと吹き上げたりもするが、最下層の街並みでは、時々水路から吹き来る風が、涼しさ齎すくらいの至って穏やかなもの。そんな中へを“さぁさこちらへ”と、うら若き主人夫婦で先導してのお招きした、勇ましき女性のお客様は。彼らのもり立てる蛍屋の、何階層もある店構えを見やると、これはまた立派なものだと率直な感心の言を述べ、
「……だが、随分とあちこち開いていて、冬場は寒そうな建物だの。」
そんなとんちんかんを付け足して、七郎次の三本まげを揺らさせた。一粒種のお嬢ちゃんはまだお昼寝中だというので、ご挨拶は後回し。先にと雪乃へと、あらためての紹介したこのお相手こそ、
「こちらは雲居銀龍様といい、
大戦中に私がいた北軍の南方支部で、
勘兵衛様が率いた部隊と勇名を競っていた、特殊部隊の隊長殿だ。」
「あら…。」
そこは客商売でならしただけあって、女性だのに?と率直な言いようを口にしもせず、態度にも出しはしなんだ雪乃だったものの。言われてみれば、通された座敷での座りようも。膝下まであろう上着の裾からなおの長さが覗く、筒袴という衣紋のせいというだけではなさそうな、どこか勇ましい割り座という正座だったし。それより何より、先程彼女が披露した、狼藉者相手の鮮やかなまでの畳み掛け。七郎次が意表をつくそれとしての先制を、先んじて仕掛けることをば察知していたとはいえ、破れかぶれになった危険人物へと躊躇なく突進し、更なる危険物を持ち出させる前にと仕留めた見事さが、只者ではないことの何よりもの証し。それらへと納得したように、立ち上がりかかった驚きを宥めておれば、
「さすがは粋な世界で人性を磨いて来られただけはある。」
大門付近の先程の騒動直後に、引き合わされての“妻です”と照れ臭そうに紹介されていた雪乃へと、そのように快活な言を向けた銀龍殿。
「大概は、女だてらに?と怪訝そうな顔をするか、はたまた色仕掛けの奸計繰り出す存在かと勘ぐってしまわれるのに。」
そんな明け透けな言いようを、ご自身から持ち出してしまわれて。
「お言葉ですが、銀龍様を見て、色仕掛け要員だろうと思うお人は珍しいですよ。」
「何だその言い草は、わたしがそれほど容色劣る婆さんだと言うか。」
「そうではなくて。
ああまで腕っ節が立っての、機巧躯だろうが構わずねじ伏せる闊達なお人が、
そのような遠回しを弄せずともと、誰もが思うと言うておるのです。」
お互いにくすくす微笑っているところを見ると、そんな把握は戦中から既にということならしく。喧嘩に見せかけた小気味のいい応酬は、まるで男同士の戦友たちが、久方ぶりに逢ったことでその久闊を叙しているかの如し。平たく言えば、久々の軽口を軽快に叩き合うのを、心から楽しんでおいでのご様子であり。これは随分と気心の知れた、親しき間柄であったことを忍ばせる。あの大戦が縁でという関わりようは、ことによっては悲しい思い出にも直結していように、ここまでさばけた物言いをなさるところから…ふと雪乃が察したは、
「もしかして雲居様も、この人と同じ北領のお方なのでしょうか?」
双方ともに色白で、髪の色合いも発色の淡いそれという似通った二人なものだから、もしやして親戚筋ということは?などと想いが至った雪乃だったらしく。本当にそうであるのなら、在軍中に世話になったという話の前にそれをこそ紹介されているものと、後になって気づいたのだけれど。聡明な女将へそうまで思わせるほど、面差しの透徹な趣きまでもが、随分と似通っている彼らであり。それでもしやと尋ねた雪乃へと、まずは、
「奥方、その雲居様はやめておくれ。」
「はい?」
「このような美人から、なのに堅苦しい呼ばれようは、肩が凝ってたまらぬ。」
ギンリュウで構わぬよと、ふふんと微笑ってのその言いようは、どうかすると殿御の繰り出す小粋な口説き。それを、品もあってきりりと闊達な、そちらこその目ぢからあふれる美女に持ち出されては、あれあれと年甲斐もなく頬が染まってしまった女将であったりし。そんなやり取りへ、
「出ましたな、おなご殺しの口説(くぜつ)の妙。」
七郎次が苦笑をこぼした。彼には馴染みなことでも、雪乃には判らぬ代物なのを、さもありなんと語って聞かせる亭主殿で。
「男所帯に長くおいでだった後遺症。
それでなくとも女性らしからぬ勇ましい言動をこなされるその上に、
同じ部隊の仲間と共に妓楼へも上がっては、
太夫を片っ端から口説いて回る恐ろしいお人でね。」
「……えっ?」
これがまた、太夫たちの方でもとろりと目許を潤ませての、なんして主様は殿御でないやら、其れがあたしは恨めしいなどと綴られた、脂粉の香り匂い立つ艶書も束になるほど届いておいで。いくら何でも床を共にはせなんだそうだが、夜っぴての酒盛りやら世間話に彼女らを付き合わせの、女ばかりで楽しく一夜を潰えさせちゃあ、男共から泣きの涙の恨みを買ってもおいでだったでしょうよと。女ざむらいならではな(?)珍妙極まりない逸話を持ち出した七郎次であり。
「それは…でも、判るような気がいたします。////////」
「おいおい、雪乃。」
どこまでが冗談か、口元へ揃えた指先添えおいての ほほと微笑った彼女もそういや、男を煙に撒くのがお手のものという太夫だった身。つらい立場だった女同士で通じ合うものも少なくはないのだろう、そんなこんなへの理解は及ぶ七郎次だが、
“この二人に、こっちは一人でやり込められるのは御免ですよう。”
そういやかつては、この女傑と上司との二人がかり、やはり散々からかわれもしたなぁと、懐かしいことしょっぱそうなお顔で思い出しもした、槍使いの元・斬艦刀乗り殿であったのだけれど、
「そうそう、そう言えば。お主、勘兵衛とも再会を果たしておったそうだの。」
「……………え?」
それは間違いなくの事実だが、ちょっと待ってくださいな。
「どうしてそれを、銀龍様が御存知なのですか?」
この彼女がこうして生きておいでだったことも、実は念頭にないままであった七郎次。それほどまでに…あの大戦の最後の会戦は熾烈を極めたそれであったからで。たとえ生き延びたとしても、親しき者同士ほど無残なくらいに離れ離れにと引き離されており。殊に前線にいた者は、部隊の陣営も随分と打ち減らされていての、最後の数名と化していたその仲間と生き別れ死に別れたした面々ばかり。数十名もいての数方向へ引き離されたのとはまるきり異なる散らされようを強いられて、もはや今生では逢うこと叶わぬかも知れぬとの、絶望的な別離となった例が数知れずだというに。
「銀龍様は、最後の会戦以前に別の部隊へ移動なされたほどでしたのに。」
「ああ。上層部の詰まらぬ横槍でな。」
豪気な語りを続けていた彼女が、ここで初めて苦々しいお顔をする。負け戦の大将という不名誉なあだ名を冠せられても、それが実力での負けにはあらず。負けると判っている持ち場を、だがいかに死兵を出さずに撤収させられるか。それへの間違いのない腕を持っておればこその、つまりは名将だからこそ配される布陣よと、判る者には判るからこそ口惜しい。外せない重用すべき部隊として、実は重く見られていることが妬ましいと。大変な正念場を迎えつつあった最中にも、我欲や嫉妬に燃えての横槍を入れて来る大うつけに事欠かなかったその煽り。勘兵衛の傍らから少しでも実力ある者を剥ぎ取らんとした輩の思惑から、同じ支部にいた銀龍以下 特別部隊が別の方面支部への配属替えとなったのは。表向き、そここそが要になろうと艦隊を揃えられつつも、実のところは見せかけの張り子部隊(デコイ)だったから。旧式の艦ばかりがこれでもかと結集させられ、不利な戦域になること、戦う前から読み取れた空域の一翼を任された勘兵衛に、最後の最後まで同行した七郎次でさえ。その戦いのさなか、命より大事とした御主と引き剥がされての生き別れ。再会果たすその日まで、どれほどの苦節を耐え、苦汁を舐めさせられたことだろか。生命維持装置の中で眠って過ごした歳月が5年、知る人もないこの里へと流されて来てから更なる5年と、そんな大変な歳月挟んでやっと出会えた、再会果たせた御主だっていうのに。
「まあま、そうまで眦(まなじり)吊り上げてくれるな。」
思わずのこと、随分とおっかないご面相となっていたらしい七郎次へ。在軍中の働きようや彼らの絆をよくよく知っておればこそ、憤慨してしまう気持ちも判るということか。怖いもの知らずな素振りでいた女傑殿、ここで初めてたじろぎの気配を見せてから、
「私とて、言ってみれば奇遇とやらにて逢えたよなもの。」
一応は正座をと構えての、四角く座していた足元を、ざっくばらんにほどいての、胡座へと組み直し。その膝小僧へ片肘ついての、その手のうえで細い顎をば支えて見せて。ざっかけない素振りを更にと増させつつの、付け足した一言が、
「何しろ今は、奴と同じで、野伏せり相手の斬った叩ったを手掛けておるのでな。」
「……おや。」
文言だけなら容易に言えもしようが、それが結構とんでもない生業だということ、神無村でのいきさつで知っている。その後の勘兵衛と久蔵殿の道行き便りを聞くにつけ、規模こそ縮小したものの、依然として懲りない連中が後を絶たぬこと、七郎次もまた重々知っており。
「とはいえ、この大陸も相当に広い。
あやつが生きておろうとは、知りもせなんだこちらであれば。
まさかまさか世間で評判の“褐白金紅”があの勘兵衛だと、
気づけというほうが無理な相談というものよ。」
何とも笑える肩書じゃあないかと、呵々と笑った銀龍へ。まま…過去の彼を知る者にしてみれば、あの気難しいお顔をまずはと思い浮かべよう、頑迷で堅物という印象の強い偉丈夫殿が、一体どこの義賊ですかというあだ名をつけられたまま、その活躍を注目されているだなんてこと。まずは信じ難い事態とするであろうと頷けて。
「しかも、だ。何だあの、愛らしくも他愛ない若い妻は。」
「……………はい?」
金の髪した色白の練達を連れておったのでな、てっきりシチを連れ回しておるのかと思っておれば、これがまあ、お主よりもずんと若い別嬪で。初々しいほどキリキリと怒りんぼうの、そりゃあもうもう可愛い嫁でと、なんだか妙な言いようを続ける元上司へと。片や、雪乃は固まるし、七郎次は七郎次で……怪訝そうに眉を寄せるし。
「あの…銀龍様。」
「なんだ。」
「その嫁御というのはもしかして。真っ赤な長衣紋をまとった…。」
「うむ。はしたないことには、
黒い収斂着をはいた脚を駆け出すごとにほぼ丸出しにしておったが、
まま、あの勘兵衛の嫁なれば、楚々と収まってもおれぬということかと。」
「…………………………銀龍様?」
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めるふぉvv


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