ほんの些細な…
(お侍 習作156)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


        



 そろそろ暦の上でだけじゃあなく、風の冷たさや陽の傾きようからも、冬支度を始めねばと人々が感じ始める 霜の月。ふたつきも経てば年の瀬だ、やだねぇ、あっと言う間じゃないかと、そんなやりとりが人々のご挨拶について回るような頃合いとなり。お大尽のお屋敷に限ったことじゃあない、粋で売ってるお座敷料亭もまた、そんな季節の移ろい映した、味のある調度や何やを取り揃え、部屋ごとの趣向を凝らしての“お色直し”を済ませたところ。今年は存外 秋が長かったようだねぇ。そうだねぇ、この模様替えの折には 火鉢やあんかの用意も要ること、はっと手を打ってようよう思い出したほどだったものねぇと。この秋は暖かだったという話を交わす、仲居頭のお女中と座敷の予約を統括する帳場役の声、何ということもなし耳に入れつつ。お客様の出入りなさる大玄関の真正面、お芝居の舞台装置もかくやという見栄えの大階段の上にて、掃除も整頓もすっかりと行き届いた、土間の三和土
(たたき)や上がり框の上の板の間廊下を見下ろしていたのが。ここ蛍屋の若主人、七郎次という御仁。若主人と言っても、決して“若旦那”という格なのではなく。ただ単純に…こういった商売で屋台骨を束ねるお人にしては ずんとお若い年頃・風貌だからと、そうと呼ばれておいでなだけの話。元は軍人、あの大戦にも参加した、所謂“侍”だという話であり。故に、アキンドとしての経歴は短いものの、生と死の狭間を文字通り駆け抜けた修羅場を生きたお人なせいか、人柄の厚みは大したものだし、浮世の理(ことわり)にも様々に通じておいで。その上で、暖かで小じゃれた粋な計らいもすれば、辛辣で容赦のない箴言も厭わぬ、なかなかに肝の座った男衆であり。金髪色白な伊達男、ただ美丈夫だってだけだろと高をくくっての甘く見てると、どんな古狸であれ 鼻を明かされ、しょっぱい想いをさせられること請け合いの、油断のならないお人でもあったりするのだが。店のことに関しては…妻である女将の立場を重んじ、自分はあくまで床の間の重しよと、飄々と構えておいでなこともあり。今も、ある意味じゃあ無駄話をしている家人らだけれど、特に注意の声を掛けるでなくいるものだから、

 「あれあれ、お浜さんたら、何をそんなところで油を売っておいでだい。」

 咎めるような棘こそ薄いが、それでも一応は叱咤のお声、帳場の方から出て来た雪乃が掛けてやり。それで“ああいけない”と我に返っての やっとのこと、居住まい正す彼らだという案配だったりし。立ち去り間際、そこにおいでなのは気づいておりましたとの一礼を、七郎次にも寄越す二人だったので。こちらは知りもしなかったらしい女将、あれまあと、瑞々しいお顔を細首の上で巡らせての振り向けて来、

 「何だ、お前さん。そんなところにおいでだったんだね。」
 「ああ。」

 躾けをする役が何人もいちゃあ混乱の元だからな、そんな言って憎まれ役を全部こっちへ押し付けてもう…と。何がどうとの部分は省略してのやり取りが、何十年もの蓄積と絆を思わす二人であったが、見栄えの若々しさをそこだけは裏切らずの、実は出会ってからだって、まだやっと片手じゃあ足らなくなったほどしか経ってはいない お互いで。それぞれが居た世界にて、浅からぬ見聞深めた身であるがゆえ、双方ともに年令には過度なほどもの蓄積や錯綜、その身へと染ませたところが似た者同士でありはするが。

 「カンナはどうしました?」
 「うん、お種ちゃんが寝かしつけてくれてね。」

 愛娘はお昼寝中。それでのこと手持ち無沙汰でおりました、と。正直なところを吐露しつつ、とんとんとんと大階段を降りて来たご亭主へ。それじゃあお茶でも淹れましょかと、はんなり微笑った女将の口許、かすかに滲むは初々しい含羞みだし。それへと眸を留め、おやおやと。自惚れてしまうよ、構わないのかいと。目許をたわめた こちらさんもまた…もっと年若な青年のよなお顔をするところがお揃いの、意外なところが初心だったりもするご夫婦で。

 「…お?」

 そのまま、主人家族のみが寝起きをする母屋へと、いそいそと運びかかった二人だったが。視野の端っこ、何かがちらりと掠めたの、捨て置けなかったご亭だったは、かつては練達のもののふだったその名残り。お天道様があんまり高みには昇らぬ此の時期、大戸を開いた玄関間口へもほんの一時くらいしか陽は差さぬ。そんな希少な陽を遮った何者かの持ち物か、黒に間近い紫紺の暖簾のその切れ目へと、小さな白い手が覗き。濃色との拮抗にいや映える、可憐な作りの指先に、見覚えのあった七郎次。どうかしたかと見上げる妻をそこへと残し、框を降りてのそちらへ向かえば。再び覗いた相手とかち合ったので、

 「あらあら、捕まえたvv」
 「〜〜〜。///////」

 妙に楽しげなお声を聞いて、雪乃の側でも相手が判る。あらまあと口許へ手をやって、心からの笑みにて破顔して見せたのは、
「何を遠慮なんてなさっておいでか。」
 二の腕掴んで暖簾の内へ、ぐいと引き入れたお相手が。此の家にはお馴染みな、されどたまにしかお越しにならないお客様。ふわりと軽やかな金髪に真っ赤な衣紋という風体もいつものままの、久蔵殿だったから。此の家においでにならぬ間は、大陸のあちこちで野伏せりや盗賊をからげておいでの練達の君で。表情薄い細おもてを、だが、ここの主人の七郎次にだけは、甘えてのこと絆
(ほだ)しもするのが微笑ましい。そんな特別のお客人…なのだが。

 “あららぁ?”

 この彼一人というのは微妙におかしい。誰ぞに凭れの縋りのせねば、いられぬお人じゃあないけれど。彼が少しずつ“人らしさ”を蓄えてもいるところの旅のその連れ合い。あの頼もしい壮年殿は、ご一緒じゃあないのかしらと。それだと奇妙だとの感慨抱いて、間口でのやり取り、雪乃もじいと眺めておれば。

 「…………勘兵衛、様?」

 やはりご一緒だったらしい、そのお名前を口にした七郎次だったが……何だか様子が訝
(おか)しいような。ぺらりとめくった暖簾の向こう、じっとしたまま見やっておいで。久蔵殿へとそうしたように、さぁさ中へと引き入れぬはどうしてなのか。待っているのももどかしくなり、はしたないけど御免あそばせと自分も框を降りかかった雪乃だったところへ、
「驚かさないで下さいよ。」
 ああ、やっと中へと引き入れた亭主だったらしいと気づき、片足だけを降ろしかけてた婀娜な格好、慌てて引いた雪乃だったが。ほらほらと促され、三和土までへと進み入ったる偉丈夫を見て。ついのこととて、

 「……あ、勘兵衛の旦那、ですよね?」

 亭主と同じく、不審な相手へのような、そんな覚束ぬ声をかけていた彼女だったりしたその理由
(ワケ)はといえば、

  「どうなさったんですか? かづきなどかぶられて。」

 砂防服の後ろ側の襟元へ、背中に降ろす格好で縫い留められてある幌のようなもの。それを上げての深々と、頭にかぶっておいでの勘兵衛であり。褪めた白でと統一された、長々とした衣紋のその輪郭も、さして変わらぬ相変わらずの頼もしさながら、お顔を隠しておいでのような、こんな態度はこれまで一度もなかった素振りゆえ。聖域を回るお遍路さんか、聖地を目指す巡教者のようないで立ちにも見えるその風情、似合わないとは言わないが、今更 神仏に頼るようなお人とも思えず、だとすればやっぱり違和感が。小首を傾げた雪乃へ向けて、このままの挨拶もなかろうとその手を頭へ延べた勘兵衛。ほんの一刹那ほど、誰へか了解を得るよな気配を示してのそれから、ぱさりと取り去ったかづきの下から現れたのは、

 「……勘兵衛様、
  一体いつからお髪
(おぐし)を切っておられないのでございましょうか。」

 ただでさえ緻密で容量の多いその鋼色の髪、目許が隠れてしまっているほどの長さへと、達したそのままでいたらしい、何とも珍妙な姿だったりしたのである。





      ◇◇◇



 妙にこそこそとした来訪だったのは、こんな姿の勘兵衛を誰へも見せぬようにと、久蔵が強引にも取り計らったから。別段、どこの町の床屋へ運んでもよかっただろに、これまでだってそうしていたのに。こたびに限っては、久蔵殿がそれを頑として許さなんだそうで。

 『それじゃあ、アタシが切って差し上げましょう。』

 常の逗留先になっている、中庭の一番奥の離れへとまずはお通しし。それからと道具を揃えての、背もたれはあるが肘掛けのない椅子を庭先へと持ち出すと、そこへと外套取らせた勘兵衛を座らせる。頭からかづきを取り除き、そこへと現れたお顔を見た折の違和感に比べれば、肩を覆う後背の髪の方へは もはやそれほど大きな感慨も沸かないが。それでも背中の中ほどまでという、結構な長さにそちらも伸びてはいたものだから。それをだけ外へと出しての切りそろえることと相成って。切り屑が服へ付いたりもぐり込んだりせぬように、すべりのいい長くて広い大布を取り出すと、端をぐるりと首回りに廻し留め、余りをすっぽりとその身へと覆い掛けて差し上げて。大の男が、それも一端のもののふが、首だけ出しての無抵抗の構え。こんな光景があっさりと出現するとは、世の中も平和安寧になったもの…とは大仰ながら、それでもほのぼのとした一景には違いなく。さてさて、切り揃えの前に こなさにゃならぬのが、一通りの梳
(くしけず)りであり、

 「……勘兵衛様、洗うたび乾かすおりにでも、
  手櫛で構いませんから梳いて下さいと、あれほど申しておりましたのに。」

 「そんなにも もつれておるか?」

 相も変わらず飄々と応じてくださるが、目の粗いのから細いのまでと、何種類か揃えた櫛のうち、結構頑丈そうなのを、だからとの油断からだろう、うっかり2本ほど めきっと逝かせたほどのも剛のもの。それへと悪戦苦闘している側の七郎次が、真逆にもさらさらとした直毛の、絹糸のようにつややかな髪をしているものだから。その対比もまた可笑しいと、堅く絞った手ぬぐいやら、水を張った手桶にハサミといった、次の段階への用意をと、平たい盆へと整えていた雪乃がついつい微笑っていたものの、

 「……。」

 久蔵の方は…どうしたものか、関心が失せたかのように無表情のままでおり。それでも視線だけはこちらへとそそいでおいでの、そんな見物に見守られつつ。やっとのこと細かい作業が出来るまでへの下準備を終えた、臨時即席の髪結い床屋殿。宙にてチャキチャキと、手にしたハサミを空切りしつつ、

 「いっそこの際、思い切って短くされてみるというのは…、」

 いかがですかと訊きかけた中途にて、その言いようが途切れたのは、

 「……っ。」

 それまでは、関心なさげにも見えるほど大人しく、ただの見物に回っていたはずの久蔵が。咄嗟のこと、反射的とも思わす動きをちらと見せたから。日頃からもあまり動かぬ彼の表情、なのに容易く読み取れる七郎次には、むしろありありとした明確な代物に見えた“それ”は。息を呑むよにハッとした、強い反射とそれから、それと同時に制すためにと立ち上がり掛けたような素振りに他ならず。ということは、

 「…短いのはお嫌なのですね?」
 「……。(頷、頷)」

 あの大戦の、しかも苛烈な戦場を、恐らくは十代という身にて体験したことと思われるこの彼は、仲間内では物に動じないことでも知られた青年。それがこうまで…視線や顔をお上げるだけに留まらぬほどもの、くっきり明確な反応を見せたとあって。事情は判らぬ七郎次にも、これはただならぬことと思えたものの、

 “ですがねぇ…。”

 そも、此処へまでを強引に連れ込んだということは、久蔵が“髪を切ってやって”と七郎次にこそ請うたようなもの。そこへの異存はなかろうと、

 「では、私が覚えておりますところの長さまで、切り揃えましょうね。」

 そうと言いつつ…背中に降ろした髪のほう、強い癖のせいもあっての不揃いな裾から二寸弱ほども切って見せれば。そちらには、

 「……。」

 打って変わって 何とも反応を見せない久蔵であり。むしろ彼なりに胸を撫で下ろしたということか、立ち上がりまでした濡れ縁へ、その腰 再び落ち着けたほど。まま、これから寒い季節へ向かうのだし、それでなくとも年中首回りを隠しておいでの御主様だしと。大胆なまでの短髪は避けての穏当に、背中や肩へと垂らしておいでの部分を、少しずつ手に掬っては切り揃え、

 「さて。それでは勘兵衛様、目を閉じててくださいませね。」
 「うむ。」

 こちらも相当にくせ者な、縮れがあっての切り過ぎが懸念されかねぬ前髪を。少しずつ指の間に挟んでは、チャキチャキ・さくさくと小気味いいハサミの音を響かせて。切ったり梳いたりを手際よく進める。思えば軍にいた頃も、床屋にだけわざわざ出向く暇は無しと、よほどに外出と伸び具合とがかち合わない限り、こうして揃えて差し上げたこと、ほのぼのと思い出す七郎次だったりもし。ハサミも立派な刃物だというに、急所だらけのお顔へ、しかもこうまでの間近にそれを寄せられていながらも。何の警戒もなさらぬは、信頼をいただいているということかなぁなんて。ずんと若かった頃は、そんなささやかなことでも易々と舞い上がれたものさねと、頭の隅にて思い起こしもしての…幾刻か。

 「こんなものでしょうかね?」

 肩を覆ってのお膝まで。長い布を掛けたままな勘兵衛の、すぐの前へと立ってた その身、少しほど離してよく見えるようにした上で、久蔵へとまずは訊く。本人である勘兵衛を差し置いてというのが、何だか順番がおかしな話だが、先程のあの反応を見、そこから彼の意向に添うようにと手掛けていた七郎次でもあったのだし。何より勘兵衛自身も…その口許へと隠し切れぬらしき苦笑を零してこそいるものの、髪の断ち屑を思ってか、眸を伏せたままで大人しくしておいでであり。

 「……。」

 そんな二人のいる傍らへ、座り直して待っていた濡れ縁から、再び立ち上がりまでして近づいて来た久蔵。矯めつ眇めつという慎重さであちこちから検分し、うんうんと頷いただけでも何だか大仰で、やはりくつくつと笑ってしまいそうになった七郎次であったのだが。

  ―― え?

 うんうんと頷いた久蔵が、なんとそのまま、勘兵衛のすぐ傍らに膝をついての屈み込む。目を閉じたままな勘兵衛にも、彼のとったそんな所作の気配は届いたようで、

 「? 久蔵?」

 如何したかとの怪訝そうな声を出したの、封じるように。まだ断ち屑を払ってもないところ、手の甲でささと簡単に払うとそのまんま、勘兵衛のその膝へ、ぽそりと頬伏せ、懐いてしまった彼であり。

 「…?」

 少しほど俯いての そおと薄目を開いた勘兵衛が、自分のお膝を見下ろしたそのまま、こちらさんは おやおやと淡く苦笑いをしたのは、何か心当たりでもあるものか。つけつけと問いただせるような雰囲気ではないなと、そこは空気を読むことにも長けている七郎次、出かかっていた苦笑まで押さえ込んでの、その口、噤んでしまったが。乾いた手ぬぐいで勘兵衛の顔から断ち屑をそおと払って差し上げつつ、その青玻璃の双眸にて、

 『お話、お聞かせいただきますからね』

 勘兵衛へそうと念押ししたのは、言うまでもなかったのであった。



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