桜花情縁 散華契
  (お侍 習作195)
     (はなのえにし さんげのちぎり)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


      1



 灰色雲の低く垂れ込める曇天から降り落ちた雪が、そのまま深く積もっては里を埋め沈め。吹き渡る風も凍った、それはそれは厳しい冬も今は去り。うららかな陽の灯った空は、まだまだ淡い紫紺に霞んでいる儚げな色合いなれど。初々しくも春の訪のいに頬笑んでいるかのようで、それもまた清か。雪に耐え、白に紛れてそっと咲く、雪割草や水仙、梅にいざなわれ。土のお目見えと共に華やかな春の到来告げるわ、緋白の桜で。あんなに小さな花だというに、並木に林に一斉に居並んで咲き誇る様はいっそ凄絶。ほんの数日で山々さえ塗り潰し、里や村は一気に華やぎ、人々は待ちに待った春を噛みしめる。

 「南の里からの山の木の芽だ、新物だよ。」
 「なんの、こっちは西の海里からの干物だ。」
 「おお久し振りだ、もらおうか。」

 人も荷も、堰を切ったように行き交うようになり、街道に設けられた宿場は活気再びの賑わいで。街の市場や大路にあふれる どのお顔も晴れやかに陽気。殊にこの、隣りの領とは距離のある“山峨”の宿では、皆して春を待ち侘びてもいて、

 「やれ、ようやくの春だねぇ。」
 「ああ。間に合ってよかったこと。」
 「そうそう。
  暦の上での日にち約束はどうであれ、
  ハレの日はやはりこうでなければねぇ。」

 自分たちの幸いのように口にする人々だが、そのままこぞって見上げるのは、街の中央に鎮座する ちょっとした居城のような大屋敷。城塞もどきの塀に囲まれているのが、だが、さほど威嚇的に見えぬのは、その中に守られし屋敷がベラボウに大きいからで。その姿が外からもよく望めるようでは、堅固に隠して堅いとは思えぬと、つまりは錯覚がそうと思わせているだけのことなのだけれど、

 「蘇芳の若様、いよいよの嫁取りだものな。」
 「これ、そんな蓮っ葉な言い方はおよしよ。」
 「ご婚儀とお言い。」

 一応の窘めとして、叱言が飛びもするが。不敬を咎めるような尖りは少ない。だって、最初の一言を紡いだ声とて、僻みや嫉みといった厭味から出たそれじゃあない。目出度いことへの期待に満ちた言いようには違いないのだし、

 「我らへも気さくで温情あふれる若様だ。
  多少は雑な物言いになっても、お目こぼして下さろう。」
 「そうそう。」

 何でも 婚儀の結びには、俺らへもふるまいの酒や菓子が配られるんだと。そりゃあありがたいね。あたしゃ、どんな姫様が嫁がれるのかが知りたいねぇ。何でも 花のような初々しいお嬢様だと聞いてるよ? などなどと。春の到来、市場の栄えを二の次にするほどに、この山峨の街の人々は寄ると触るとその話で持ち切りな模様。

 「何だい何だい、
  誰かお偉いお人のところへの輿入れかい?」

 旅人か商人か、地元の人ではないらしい者が、話が見えぬと訊いたれば、よくぞ訊いて下さったとばかり、話し好きが にこりと笑って“さあさ”と酒や菓子を勧める始末。これは景気がいいからだけじゃあない、まだ何も知らぬお人へ一から話して聞かせられる楽しみを得たと、そりゃあ嬉しくなっての大盤振る舞い。てぐすね引いて待ってた手合いに捕まったなら最後、

 「あ〜あ、あのお人、今日は商いにならねぇぞ。」
 「まま、今日はご婚儀の当日だから、
  女将さんも多少は切り詰めての話になろうさ。」

 気持ちは判るとの苦笑交じり。この何日かにも見て来た顛末を予想して、肩をすくめる人々に共通した、くすぐったくも晴れがましい想いの行き着く先。そこにも咲き乱れる桜の梢の木の間越しに覗く、この地の差配の住まう屋敷こそ。今日のこの日に据えられた、最も沸くだろう慶事の式典を待つ人々が、胸を躍らせながら詰めておいでの場所でもあって。

 大陸を二分する大きな戦さ これありて。
 何十年もという混乱を経ての、
 それでもとうとう終焉を迎えてから 早や幾歳月。

 この大陸に多数あった自治区の中でも、特に大きな勢力だった政権同士の確執だったとか、いやいやそんなお歴々が長年結んでいた同盟が破綻しての内紛だとか。あまりに長かったため、その始まりはもはや下々の民草には伝わってないほどの戦であったがゆえに。各地を強大な武装で引き裂いたがゆえの破綻は、まだまだ修復が間に合っておらず。ところによっては軍人くずれの浪人や、はたまた規制が緩いのに乗じたならず者などが無法を働いての跋扈していて、噂では“野伏せり”なぞという機巧で武装した恐ろしい連中も暴れ回っているとかで。ああ、いやいやその手の狼藉者らは、どこやらだったか、大きな都市との衝突があって焼き尽くされ、大半が滅んだという話だが。それにしたってあの大戦以降、そこで生み出されし強力な武装はひょんなところで生かされてもいて。厄介なそれらをまとった荒くれたちに襲われてのこと、糧を奪われ住まいを焼かれと、災難続きな土地もまだ少なくはないという、まだまだ穏やかならぬ現状ではあるけれど。

  ―― この山峨の宿は、領主様に恵まれているから大丈夫

 先代の大殿様は、そりゃあよく出来た尊きお方で。武家の出だとの話だが、下々へと威張りくさったり威嚇したりといった荒ごとには無縁のまま、理解ある慈悲深い施策を繰り出しては城下を安泰安寧にまとめていらした優れた人物であり。そんなせいか、野伏せりの襲来やら近隣との諍いやらが起こっても、町じゅうで一丸となっての対抗し、様々な難を逃れて来たことでは、年寄りたちも誉れの談が尽きないくらい。そんな先代様が急な病で亡くなられたのが一昨年の冬で、その折は そりゃあ大騒ぎになってのこと、皆して泣き暮らしたものの。その跡を継がれた若様がまた、治世者としての才も豊かで、しかもしかも父上からの薫陶よろしく そりゃあもうもう慈悲深き御方。

 「お忍びでご城下まで降りてらした折、
  町の芝居一座の真打ち、姫巫女という通り名だった舞い上手を、
  難癖つけて絡んで来やったならず者から、
  刀を受けながらも庇っての助けてやってね。」

 「そうそう。
  そりゃあ綺麗で踊りも魅せ上手の、
  評判の舞い手だった娘さんだったよねぇ。」

 いとをかしだの なりにけりだの、大きに憎しだのと やたら堅苦しい台詞回しの芝居がまだまだ多い中。こちらの宿場で評判の一座は、お逢いしたいわ好いたらしいお方だの、つれないところが遣る瀬ないなぞと、口語での会話や今様な謡いが斬新なため、判りやすいと旅の人にも大ウケで。しかも、息を揃えた手踊り娘らは 粒よりの器量善しばかりとあって、ここいらの街道筋でも、宿場の名は忘れても一座の名は“ああ、それだそれ”とずんと遠くまで鳴り響いているほど。そんな一座の看板娘、姫とまで呼ばれた巫女装束の歌い手が、よそ者のならず物らにからまれた騒ぎがあったのは、

 「確か去年の秋の祭りだったかねぇ。」

 先代様の喪も明け、若様への差配引き継ぎが近隣のあちこちへまで触れられて。それでという祝いを兼ねたお祭り騒ぎの中、流れ者だろう素浪人風の与太者らが、一座で一番という器量善しの看板娘へ言い掛かりをつけた。一座の演舞場ではなく、場末の市場だったのも間が悪く、彼女が誰かは判っていても…薄情に聞こえるかも知れぬが お仲間ではなし。性根の悪そうな、しかも太刀やら匕首やらを帯に差してる物騒な連中が相手。どう庇っていいものかと居合わせた者らがハラハラしながら手をつかねていたところ、

 「角袖の袷に、細身の袴とたっつけ袴を秋の色襲で重ねて、
  手入れのいい黒髪を高く結い上げた、
  そりゃあ凛々しい若衆姿も麗しい。
  どっから見たっていいトコの御曹司風の、若いのが。
  殺気立ってた酒場へひょいって顔を出してね。」

 今は桜花の練り絹の緋白にあちこちが染まっている街なかだが、その当時は秋も盛りで。宵の空気の冴える中、望月みたいにそりゃあ色白な美人と美男の揃い踏みだ、居合わせた連中は皆して息を飲んだという話でサ。緋毛氈に大きな和傘の影が濃い。そんな大物を日よけにと差しかけた茶店の床几前。下ろしたてか折り目も真新しい前掛けを、手の甲の側で忙しげに払いつつ、女将が吐息交じりに続けたは、顔なじみの客から訊いた、昨秋、この宿場をあっと言う間に制覇したという とある武勇伝。

 「酌をしろだの愛想を振れだのくらいなら、まま相手もしたろうが、
  宿まで着いて来いというのはさすがに聞けぬ。
  贔屓筋のお呼びという文で誘い出されたらしい姫巫女さんも、
  とうとう堪忍袋の緒が切れたか席を立ちかかったんだけど
  相手は複数だったらしくて、腕を取られての引き倒されかかってね。」

 この町は日ごろ安泰なせいか、今一つ手厳しい警邏の組織とか見回りはないも同然だ。旅の人にも商人が多いので、騒ぎを起こしゃあ商売にならぬと互いに判ってる間柄、それに先代様は他の宿場の差配へも顔が利いたから、名のある鼻つまみほど 騒げば自分と意が通じている顔役のお膝下にまで影響が及ぶとかどうとか、よろしくないと見越してたしね。そんなこんなで、さほど埃が立つような事態というのもなかったからという間の悪いところで起こった、いかにも物騒な気配だったけど。

 「その若衆というのが、
  何とお忍びでご城下へ降りてた若様だったんだよ。」

 陽が直接届かぬところは、まだちょっと肌寒いが。そんな屋内から望むお外は、そりゃあ明るく暖かだったし。臙脂の幹へ桜の練絹のような深みのある白がいや生える、目映くもにぎやかな街路の雑踏を背に負うて、女将がそりゃあ嬉しい顛末を手振り身振りも交えて語り継ぐ。

 「ちょいと場末の一膳飯屋、
  雑然としているくらいは予想もおありだったれど、
  それにしちゃあ空気が重い。
  一斉に注目まではしないながらも、
  何かへ固唾を呑んでいるという雰囲気は伝わって。
  一体 何事が起こっているものか、
  最初はなかなか読めなんだようだったけれど。
  お付きの陪臣役、若頭様が素早く読み取っての何事か囁けば、
  そのまま引くどころか、制した若頭様を押し返し、
  そのご婦人への無体は許さんと、
  相当な顔がいた ならず者らを一喝なさったって話でね。」

 あああ、その場にいなかったのが口惜しいよとばかり、くぅう〜っと歯咬みをした女将さんだが、

 「そのまま、天念無信流の太刀筋も鮮やかに、
  大太刀ふるって全員を叩き伏せ。
  そんなやっとぉ沙汰にはさすがに慣れがなかったか、
  怯えてしまった姫巫女さんを
  介抱がてらにお屋敷まで連れ帰られてね。」

 饅頭を口へ運ぶのも忘れて聞き入っていた旅の人、そこでちらりと“おやあ?”という何かを推察したよなお顔になりかかったが、

 「だからって恩に着せての
  側室か何かへ抱えてしまったとかいうんじゃないから、
  最後までお聞きな。」

 まあ、そうだったとしても、ああまでお優しい若様だったら、悪いようにはならなんだだどなんて。ちょっとばかり無責任なお言いようもごにょごにょ付け足しつつ、

 「若い娘と言っても、
  一座の花形を結構長いこと務めてもいたから、
  実際は身を固めてもいい年頃だ。
  器量もいいし世慣れもしていての 勘もいいからと、
  お屋敷で奉公務めや行儀作法を教わって、
  ほんの先日だったかね、
  若様の知り合いの、虹なんとかいうやはり大きな町の差配のところへ、
  望まれて輿入れしてったって話でサ。」

 いくら持て囃されていても、気のいいお仲間に囲まれていても、女の幸せを思ったら先の見えない不安な暮らし。そこからそんな玉の輿に乗れたなんてねぇって、皆して自分の娘の栄華のごとくに祝杯を挙げたのが、まだまだ雪も多くて、風も冷たかったころだったが。

 「それで弾みが付いたもんかねぇ。
  今日のこの輿入れまであっと言う間のとんとん拍子。」

 ああ何て良いお話だとのうっとりと。一通りのお話のこれで幕だとあってか、大路を挟んだ向かいの石垣に根付いている桜を見上げた女将が、華々しい咲きようを夢見るように見つめておれば、

 「何言ってるんだ女将さん、
  こうまでの大きい縁談のお話だ、とうの昔にまとまってたに違いない。」

 同じ茶店の店先に居合わせた、そちらはお使いの途中か地元のお人が、話の先を引ったくり、

 「何でも2つ隣りの宿場のお大尽、
  そちらも元はお武家だったってぇ名家のお嬢様で。
  おっとり育った箱入り娘が、
  若様の評判だけでぽうと惚れなさっての、
  これも一種の一目惚れ。
  雪が止んだらお嫁にゆきますと、
  いかにも純情な文を下さったのへ、
  若様もお心をくすぐられての
  今時にはなかなかなかろう無垢な御方同士の
  真っ白くも目出度い婚儀だってことで。」

 「そうそう、そいで。
  お祝いにか商売にか、色んなとっから人が来る来る。」

 忙しいたらありゃせんがねと、それでもなかなかに嬉しそうなお顔で。じゃあこれなとお代を置いてくおじさんも、それを見送る茶屋の女将も、文字通りのこの世の春を満喫しておいでという、そりゃあ嬉しくってたまらないってお顔でいたのだけれど。

 「……そうまでの幸いの絶頂となると。
  魔物や邪悪も嗅ぎつけての、
  どう穢してやろうかと寄り集まる恐れが大きいと言いますが。」

 そこには陽が差し込まないか、路地のずんと奥深く。屈み込んでのうずくまり、大通りを行き来する、期待と将来としか見えてはないよな人々を、いかにも皮肉混じりに意地悪く見やった影がひとつ……。

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