夜空を翔って
  (お侍 習作 199)

         お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


どこか遠くで雷でも鳴っているものか、
だとすれば、
夕立ちと呼ぶには陽が落ちて随分となる時間帯だが、
昼の温気が今頃になって雲と固まってのそれか、
ざっと勢いのいいのが降るやも知れぬと。
風呂上がりの懐ろへウチワで風を送っていた男衆が、
障子を開け放ってた窓から ひょいと首だけ出して辺りを見回したその間合いへ、

  どどん、どん・ずどん、
  ぱんぱらら・ぱぱん、と

重々しい音に重なった弾けるような炸裂音とそれから、
目映いばかりの鮮やかな光の華が、少ぉし遠い空に咲いたので。

 「おや、花火じゃないか。」
 「何だい、何かお祭りかい?」

全貌が見えはするけど いかにも遠い。
何より、音と光が ずんとずれていて、
それこそ雷じゃあないけれど、
こりゃあ かなりがところ向こうで上がってる代物だねと、
知ったお顔で残念がるお人も多くって。
そして、

 「お祭り、ですかねぇ。」

地元に住まうのだから知っておいでだろうと、
どこの祭りか訊かれた仲居のお女中たちは、
おかしいねぇ、
鎮守の祭りも川開きのそれも、
まだちょっと先のはずだのにねぇと、
皆して怪訝そうに小首を傾げるばかりだったそうで。









昼間の蒸し暑さをそのまま持ち越しているのだろう。
陽が差さなくなった分、炙るような暑さこそ去っているけれど、
湿気の分厚さはちいとも減らず。
暗くなっただけの夜気が、べったりと体じゅうにまといつく感覚は、
まるで使い終えた蒸し器の中にいるようでもあり。

 「こんな晩は焼酎でも掻っ食らって、
  酔った勢いで寝るに限るんだがな。」

どうかすると、昼の陽盛りの中ででもあるような、
髪の中を伝い落ちる汗まで出てくる蒸し暑さなのへ、
とうとう愚痴が零れてしまったは。
森と呼ぶには やや小普請な木立ちの奥向きにて、
仲間の合図を待ち受けている不審な男。
多少なりとも人通りがあろう、道の際でもなければ、
夏場のここまでの夜更けだというに明かりも灯さず、
鬱蒼とした木立の中に身を潜めており。
時折寄って来る薮蚊をうるさげに払っては、
ちいと舌打ちしていたが、

  がさり、と

草むらが騒いだような物音がし、
夜陰の静けさを震わせる。

 “来たな。”

夏場の木立はその頭上も繁茂した梢に蓋されていて、
たとい月夜でも見通しは利かぬ。
また、足元にはようよう育った下生えが茂みとなっていて、
踏み込めば少なからず足音なり気配なりが放たれる。
野生の生き物でも音無しでの移動は難しかろう場所であり、
潜んでいる側とてその条件は同じだが、

 「金を置いて一旦去れと、俺の仲間は言ってはなかったかな?」

そうと宣した男は、自分の口へジョウゴのような形の道具をかぶせていて。
その声は何と、彼のいる場所からやや離れたあちこちから、
何人分にもなって聞こえて来るではないか。

 “兄貴もうまいことを考えたよね。”

大きな船などで離れた部屋への連絡用に使われる“伝声管”というのを、
この木立の足元へと埋めておいた。
なので、こちらの位置は大きく動かぬ限り相手には判らぬだろうし、
万が一判ったとしても、

 「ちょっとでも怪しい動きをしたならば、
  あんたらの主人が命より大事と言ってたこの絵は、
  気の毒ながら、ここで燃えつきちまうぜ?」

旅の途中だった金満家の手荷物をちょいとくすねたところ、
金箱かと思ったら煤けた木箱に入っていたのは小さめの巻物が1本。
広げると、細い線ともうほとんど色の判らぬ墨とで描かれた絵のようで。
金目のものといや、現金そのものか手形かでもなけりゃあよく判らない、
骨董品なんて自分らじゃあ埒が明かぬと、一旦は捨てかけたのだが、

 『旅先にまで持って歩くなんて、
  よほどの値打ちがあんのかも知れねぇぞ。』

例えば親の形見とか、思い入れがある品かも知れねぇと、
兄貴がそうと言い出して。
宿の周りで様子見をし、噂を集めてみれば、

 その金持ちは亡くなった妻の実家へ向かう途中の身。
 その絵は生前に妻と求めた気に入りの作品で、
 市場の価値は大したことはないけれど、
 描かれている女性が
 どこか奥方に似ているのでそりゃあ気に入っており。
 奥方のご両親が是非とも見たいと言うものだから、
 他の遺品を形見分けに持ってゆくついで、
 その絵も持参していたという。

成程それじゃあ話の持っていきようでは、大枚に化けるかも知れねぇと、
俄然 乗り気にはなったれど、そうともなると取引をせねばならぬ。
こっちは何なら金だけ奪って逃げてもいいが、
それでも“どこそこへ持って来い”と告げねばならぬし、
そこは厳重に見張られもしよう。
奪って去るのを尾行されたら何にもならねぇぞと困っておれば、

 『なんの、こっちには人質がいよう。』

兄貴がそんな言い方をした。
こっちの手にある絵こそ、向こうは傷なく取り戻したいはず、
だから、下手な真似をしたら火を点けるぞと脅しも出来る。

 『追って来るのも禁じてしまえばいいのだ。』

ここの場末の木立はな、足元にクマザサがたんと生えていて、
かさとも物音させずに動けはしない。
そこでの取引をと持ちかければいいと、
なかなかの悪知恵を働かせ、まずはの細工がこの伝声管。

 「………。」

こっちの呼びかけが通じたか、
さっき物音がした茂みがシンと静かになってそれから、

 「言われた通り、銀貨を持って来た。」

欲はかかぬに限ると兄貴は言っていたし、
逃げるのに大荷物は不利だってのはおいらにだって判ること。
金貨だと小粒でも高値だが、
その分 重いので銀貨に負けさせたと言ってたその通り。
なので、兄貴との取引をした相手に間違いはないということでもある。

 『うまい話だからって、他の盗っ人が割り込んで来かねねぇからな。』

そこは用心しろよと言われてたけど、うん、こいつで間違いはない。
じゃあ次に進めようじゃねぇかと舌なめずりをし、

 「これへ袋をくくりつけな。」

伝声管の1つから、バネ細工で弾き出されたのが1本の綱で。

 「中の銀貨は紐で通して紐状にしてあるんだろう?
  その細長いまま、その先をくくるんだ。」

 「…っ。」

ここいらの通貨は、金貨以外 真ん中に穴が空いている。
そこへと細い組み紐を通せば、勘定や移送に楽だからで。
だからこそ出来るのがこの細工。
しっかとくくられた細長い金袋は、
伝声管の中をやすやすとつっかえることなく引き寄せられる。

 「さあ出来たかい?
  そんじゃあ、いただくよ。おっと動くんじゃあないよ?」

物音がすれば、おいらは迷いなくこの絵を燃やすよ。
だって痛くも痒いくもないことだからねと、嘲笑うように言ってやれば、
多少は業腹だったか、紐をくんと引く気配もあったけど、
それは乱暴に作業をしたからそうなっただけのこと、

 「くくったぞ。」

投げやりな声がしたのへ うくくと笑いつつ、

 「じゃあご苦労さんだっ。」

ぐいっとこっちから紐を引けば、大層な手ごたえで重いものがやって来る。
引いて引いて引いた末、粗末な袋がこっちの出口から現れて、
薄暗い中だがそれでも重みはかなりのそれだし、
口を開けば鈍く光る銭が行儀よく連なってるのが見えもしたから、
こりゃあ首尾よくいったよう。
よしっとばかりその場から立ち上がると、
こっちの身動きの物音に、さっきの辺りでまたぞろ茂みが鳴ったけど、

 「言っただろ? おいらが無事に逃げ出せなけりゃあ、この取引はご破算だ。
  案じなくともこの絵は木立の出口へ置いとくよ。」

木箱はないが吊るしときゃあ判ろうし、このところは雨も降らぬから傷みはすまい。
さすがに何度も金を引き出すほどの大悪党じゃねぇよと続けかけたが、

 「それはどうかの。」

別の方向からの声がして、
え?とそちらを向いたその間合いに重なって、頭上がいきなりがさりと鳴った。
墨を流したようなは大仰ながら、それでも慣れぬ者には真っ暗闇だったはずが、
まるで月に懸かっていた群雲が一気に晴れたかのごとく、さあっと辺りが明るくなる。
いきなり天蓋が大きく開いたためであり、
ばさばさばさと、樹木の切り屑があられのように降って来て、
わあ何だこりゃあと、賊の男が顔を腕で庇って立ち上がる。

 「お主のその手にあるのはな、
  実を言えば火薬をまぶしたそれは危ない巻物でな。」

  ………なっ。

 「そういう仕掛けと知らぬ奴が、
  炙り出しで隠し文字を確かめようとしたなら、
  いきなり鼻先で燃え盛るようになっておる。」

さっきから“寄らば燃やすぞ”と言うておったが、
我らからすればその方が後腐れはないくらいでなと。
いやに落ち着きのある男の声はそうと連ねてから、

 「どうだ。大人しくそれを今すぐこちらへ返せ。」
 「ま、待ったっ。そっちは偽者だぞ、乗せられるでないっ。」

最初の声が焦ったように割り込んで、
何が何やら、賊の男はその場に立ち尽くしかかったものの、

 「ええい。おいらはこの金子さえ手に入ればいいんだよっ。」

こんな古ぼけた絵なんて用はねえっと、丁度ぽかりと開いてた空へ向け、
男の前腕ほどという短い巻物、そぉれっと放り投げて見せる。
こいつらの目的だってその巻物に違いなく、
それを追っての奪い合いになれば、自分は何とか逃げられようと。
咄嗟の思いつきでの破れかぶれ、頭上目がけて放ったならば、

 「そこかっ。」

そんな声と共に、いきなりパアッと辺りが目映い閃光で照らされる。

 「な…っ。」

頭上の梢が突然刈り取られて無くなったのの比じゃあない。
いきなり朝がやって来たほどの、
いやいや、何か途轍もないものが爆発でも起こしたかのような、
叩きつけてくる質量を感じさせるほどもの強い光の閃きであり。
わあとまたもや腕で顔を庇った男のその所作の上、
こんな夜更けだというに、
何やら大きな鳥が“ばささぁっ”と宙を舞ったような、
気配…というか陰が舞って。

 「…あ。」

男の腕力は相当なものだったらしく、
結構な高さまで飛んで来かかっていた問題の巻物、
そのまま落下していたならば、
冗談抜きにこの鬱蒼とした木立の中、
まだまだ暗いというに隅から隅まで探さにゃあならなんだところ。

 『懐ろに忍ばせたまま逃げるというなら追えばよし、
  行き掛けの駄賃と火を点けるようなら、
  それがどの段階でのことであれ、諦めてもらうしかないと思うておったが。』

 『か、勘兵衛殿。』

こちらも冗談抜きにその可能性は多々あって、
何せ相手はその巻物がただの古びた絵だと思っていたのだから、
ここまで話が運んだことこそ奇跡と言える。
もしも そこいらへ捨てられの、
何も知らない紙くず集めの業者が、
焼却用の窯へ放り込んでいたならどうなっていたことか。

 『こういう格好で追い詰められたなら。
  しかも、世の中を引っ繰り返そうという魂胆まではないが、
  こそ泥としての場数を踏んでいる輩であるのなら。』

この後も性懲りもなく同じ手で金子を引き出そうというならともかく、
先に捕らえた兄貴分も大したことはないこそ泥だと判っていたのだし。
となれば、
どうやったら逃げ延びやすいかという手数もある程度は持っているはず、
追っ手を混乱させるため、
もう用済みのブツを“ほぉれ取って来い”と投げて撹乱するだろと、
そこへ賭けてみた、策士・勘兵衛だったようであり。
そうと転ぶよう、絶妙な間合いで割り込みの声かけをした上で、

  宙へと放り投げられたブツへ向けては

まずは明るい方へと投げて見せねば意味がないから、
それがどんな方向からであれ、
この、月が望める“光だまり”の中を目がけるはずと。
それだけを言い含めておればまずは万全な、
さながら“月夜の狩人”を配備してある。
その狩人が今まさに、夜陰を軽やかに翔ってのこと、
放り投げられた巻物を、打ち合わせてでもいたかのような間のよさで、
はっしと受け止めてしまった姿の鮮やか華麗であったこと。
しかも、いきなりの閃光を浴びたため、その身が凍ってしまった賊の方へも、

 「ここまでだの。」
 「…ひぃやっ?!」

茂みはどれも、かさとも震えずの音なしなまま、
それこそ、下生えの株の側から避けたかのような鮮やかさ。
白い衣紋をまとい、長々と延ばした深色の髪をした壮年が、
まるで悪夢の中から滲み出して来たように、
すぐの間際へ それは厳かに現れると。
それはそれは手際よく、相手の後ろ首へ鋭い手刀を振り落とし、
あっと言う間に落としてしまわれたのであった。




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