青玻璃 宝珠 〜 お侍様 小劇場へのコラボ


 霜月に入ったここ数日、例年に比べると随分と暖かだったものが、急に寒気が押し寄せて。朝晩の足元からの冷え込みなぞ、深まる秋どころか、いきおい 冬の訪のいさえ感じさせ。久方ぶりに足を運んだ、先代筋の馴染みのご隠居も、古傷が痛んで世話ぁないと、苦笑混じり忌々しげな声を出していたようで。

 「………。」

 節季の挨拶というのは表向き。先日 傘下の事務所が2つほど、ぱたぱたっと看板を下ろさざるを得なかったいきさつがあり。陰で起きていた騒動の顛末、当たり障りがない程度に話して聞かせねばならなくなった。後見の煩さがた…というわけでもないが、立てておけば間違いない、他の古株を黙らせてくれる御仁でもあり。だからこそ、最も事情を通しておかねばならぬ相手とあって。日頃、口数がさして多くはない性なのを言い訳に、言えないところの多かりしだった こたびの騒動、それでも何とか、わざわざ自分という総代が出向いたことで、事態は収拾したことと呑んでもらえたようであり。近来 稀な種の厄介ごとという重荷が、少しは軽くなったような気もする勘兵衛ではある。そろそろ黄昏も迫る頃合いか、曇天を思わす灰色に、空が覆い尽くされ始めており。大型車の、だが静かな走行音しか聞こえぬ車内、シートへすっかりとその身を凭れさせると、軽く眸を伏せ、想いを深々と沈み込ませていたところ。

 「…お。」

 若くあか抜けた風貌に似ず、職務に誠実な運転手が、そんな彼にしては珍しくも、妙な声を小さく上げた。何だと眸を上げ、視線で問えば、恐縮したように後部シートを振り返って来、

 「すみません。前の車が急に停まりまして。」

 ずっと前後して走っていた訳ではなく、先程通過した辻へ、駐車場から出て来て合流したばかりのセダンだとのこと。何だか加速の仕方にムラがあったので、面倒だな追い抜いてやろうかどうしようかと思っていた矢先、ゆるゆるとスピードが落ちてのそのままとうとう停まったらしく。そんな説明を聞きながら、その問題の先行車を見ておれば、運転席のドアが開き、ドライバーがあたふた小走りに外へと出て来た。動作の機敏な若い男性で、とはいえ何が原因での不調なのかは判っていないらしく。ボンネットを開けようとしてか、前へと回ったことでこちらからもその顔が見えて。外套を羽織っていても均整の取れた肢体なのがようよう判る、モデルか俳優のように長い腕脚をした男性であり。今時には日本人にもそうそう珍しいものでもないながら、それでもあそこまでの明るい色合いは生来からのそれ、自毛だろうこと思わせる金の髪に。色白なお顔が何とも印象的な整いようをした御仁であり。そんなこんなな はっとさせるような華美さからじゃあなく、見覚えあっての息を詰めた勘兵衛。こうまで間近にいるお人だということが、手の届くところで…しかも何やら往生している様子だということが、心の揺らぎを呼び、その末に…あってはならぬ選択を招いてしまう。

 「…関矢。」
 「あ、はい。」

 追い抜きますかと訊きかけて、だが、主人がその視線を向こうの車のドライバーに据えたままなのに気がついた。知り合いであるのか、それとも…どこか捨て置けぬ頼りなさに見えたのか。ちらとこちらへ放られた視線で、はいと御主の意を察し、サイドブレーキを入れると手際よく外へと降り立ってゆく。長身で相好のいい彼は、相手へと駆け寄ると何かしら話しかけ、それからしきりとこちらを示して見せて。大方、主人の指示によるもの、だから手を貸させてくださいなという順番で説明しているらしく。見ず知らずの人間の申し出、どうしたものかという用心を見せていた彼だったのを、一体どうやって言いくるめたものか。自分の胸元叩いて見せて、とりあえずはボンネットを開けさせ、任せて任せてと笑顔を向ける。つくづくと、こういう世界でなくとも食ってゆけそうな男だなと、そんな苦笑をつい洩らした勘兵衛だったが。

 「……。」

 エンジンルームをのぞき込む彼の傍らに立ち尽くす、向こうの車のオーナーが、手持ち無沙汰にしているようにも見えたので。自分が出てゆくのは何とはなく大仰かとも思ったものの、ままよと腰を上げることにする。あのお顔をした存在が、困ったように、居どころ無くして立ち尽くすような姿など、到底見ていたくはなかったからだ。

 「…もし。」
 「はい…、あ。」

 それほど声を張ったつもりはなかったが、ちょうど車の流れも途切れていたせいで、こちらが掛けた声へ すぐさまという応じがあり。そのまま素直に振り返った彼の人は、今時に長羽織という和装の男の出現に、少々面食らったらしかったが、

 「あ、もしかして。あの…。」

 いかにもといういで立ちへ いかにもな反応で竦むより前に、何かしら思い出したことがあったようで。微妙に怪訝そうだった表情がするりと定まるところ、そんな若々しい人懐っこさが、チクリと、勘兵衛の胸底を小さな棘で浚う。あの彼に“似ている”ということは、本人ではないということで。それが判っているだけに、面差しだけが似ている人じゃあないと、拾うことが辛い。たとい彼がそうであれ、覚えてないならそれでいい。前世の絆の話なぞ、聞かせるつもりはなかったはずで。それでも、それだのに。この姿から目を離せぬは、どれほど深い未練か固執か。

 「…体を冷やすから、善ければこちらへ。」

 十分に郊外と呼んでいいほど、周辺にはまだ何てほども建て込んでいない、すっきりとした国道沿い。それでなくとも夕暮れどきで、陽も陰っての弱まっており。ただ何もしないで立っているだけという身には、寒さがしんしんと襲うはず。修理が済むまでどうぞと、わざわざ降り立っての誘
(いざな)えば。知らないお人というのじゃあなし、そこまでさせて断るのも失礼と思ったか、これが女性ならそれでも固辞した方がいいのだが、

 「すみません。」

 それじゃあお言葉に甘えてと、歩みを運んでくる素直さよ。ここまでは問題がなかったという車、一体どうして突然不調になったのか。よもや彼をと狙った企みだろかと、こちらの勘兵衛も ふと彼の背景がらみかもと案じたのだが。後で判ったのが、ここいらでは車上荒らしが頻発しており、性の悪いのになると、窓ガラスを割るなどどんな手を使ってでも車を止めさせ、運転手を追い出し、車を奪うという荒っぽいのも横行中。彼の車へも、通行量の少ない路上で停まって立ち往生してしまうような小細工、アクチュエイタのチューブを出鱈目に差し替えられていたらしく。停車中にそこまでいじれて、なのに乗って逃げなかったのは、
『運転していたのが小ぎれいにしていたお人だったから、車を奪うより、財布やカード狙いだったのかも知れませんね。』
 それも、彼自身を脅して巻き上げようって腹の、大方、盗難車売買へのコネを持たないチンピラの企みでしょうよと、その筋に詳しいのが話してくれたのも後日のことで。

 「あの、確か早苗さんの…呉服屋さんのところで。」
 「お逢いしましたな。」

 奥に乗せては要らぬ警戒抱かせるかもと、先に乗り込み、続くのを待つ。いかにもで俗だが、それでも…頑丈さでは屈指だからとの理由で選んだ黒塗りのベンツ。車内の広さに目を見張り、だが、向かい合えるようにか少々斜めに腰掛けて、すぐにもその視線をこちらへと向け直した彼は、
「島田さん、と仰有るんですよね。」
 同じ名字で、しかも、彼と同居する壮年とは下の名まで同じという偶然に、うあと驚いたのがつい最近。そんな縁があったせいでか、胡散臭いこと この上もない風体や態度の勘兵衛だというに、こうまで屈託なく接してくれる青年であり。

 「呼びにくいようなら“六葩
(りくは)”の方でも。」
 「え、でも…。」

 この年頃で、なのに普段の衣紋が和装。しかも微妙に押し出しが良すぎ、無愛想さから滲むは途轍もなく重い威容…ともなれば。一般人ならあまり関わりを持ちたいとは思わぬだろう、そんな人種だという自覚くらいは既にある。だが、どういうものか。こちらの彼は、そんな物怖じから臆しているのではなさそうで。恐れるように逃げ腰になるでもなければ、視線を外すようなこともなし。ただ、どう接していいやらという戸惑いやまごつきは否めないらしく。まだ2度目のお目文字では、まま それは仕方がないのかも。片や、

 “…やはり、な。”

 今の短いやり取りで、新たに拾えたことがあった勘兵衛で。六葩という言葉に覚えがあり、名前だという理解もある彼。そんなこの彼から聞くかどうかしたからこそ、外部には滅多に使わぬその名前、あの男はお初の対面のおり、こちらへと呼びかける際に使ったのだろうということになる。先の、そう、ご隠居へと筋立てての話をしに行くこと余儀なくされた騒動というのが、実はこちらの彼にも重々関わる代物だということに…。

 “倭の鬼神、か。”

 建設業やら商社やら、手持ちの事務所が表看板として出してる事業への、融通をさんざん利かせてくれていたとある政治家が、だが、少々やり過ぎた“かど”でとある組織から目をつけられた。政府の監視機構や市民団体のNPOなんぞじゃあない、あくまでも独自の価値観で動く非公式な存在で。専門家を山ほど雇い、何とか法を犯さぬ範囲というのを模索し、巧妙に問題のない動きをこなしておれば安泰かと言えばとんでもなく。例えば、こたび彼らが受けた制裁はといや、その政治家の采配への見返りに、荒っぽい対処への陰の手足となって動いていた事務所があったのだが、そこが突然、警察からの立ち入り捜査を受けた。所員…というか、所属する組員や構成員らには心当たりがなかったらしいが、そんな格好でであれ、警察関係者が大挙して来たあおりで、怪しい身動きが取れなくなり、同日、警視庁からの捜査の手が及んだその大物政治家は、そもそういう情報を流してくれていた拠点でもあった事務所との音信が不通となったがゆえの準備不足で、雲隠れという格好での逃亡することも叶わず、結果、あっさりと逮捕に至ったとか。しかもしかも、こちらの…六花会がこうむった“実害”はそれだけじゃあない。別の、しかも中堅どころの事務所が、失火で全焼。そこもまた、問題の政治家とのパイプのあった一家だが、それ以上に関東地域における要
(かなめ)を担ってもいた拠点だっただけに。それまでの長きに渡り、周辺地域をダントツで収束していた勢力へ、一体何物が喧嘩を売ったのやらという流言風聞が飛び交い。物騒な抗争でも起きやせぬかとの杞憂からだろ、公安関係から余計な注目まで集めてしまったほど。結構な広域を支配下においていた“六花会”へ、そんな格好での鎖をあっさりと掛けてしまえた手際と知略。こうまで巧妙な代物を、仕掛けてしかも跡を残さぬ尻尾も出さぬという鮮やかさ。

  ―― だが。

 あくまでも噂でしか知らなかったのだが、本来、その“倭の鬼神”とかいう組織は、日本国内よりも海外にての跳梁目覚ましいときく。近年、随分と世も末な事件が横行していたり、国政面での情けない失態や手抜かりが数々と挙げられているものの、日本はまだまださほどに緊迫した危機を抱えていない方で。紛争激化の火種になりかねぬ陰謀や誘拐、国民無視の強引な物資売買などなどを。正義感…というものともまた微妙に異なる定規や観念にて裁決し、独自の軍勢にて処断しにかかる、別名“絶対証人”を輩出し続けて来た、奇跡と謎の一族でもある彼らが。国内の、しかも単なる一議員の腐敗行為へこうまで徹底した采配を下したなんてのは前代未聞だという。その程度の小悪党なぞ、どこかで自滅か破綻するに違いなしと、若しくは自浄作用が発生するだろと見込んで、手出しをしたとしても、裁断なすべき機関への資料を掻き集める程度でいたはずが。一体何が、そんな彼らをして 目こぼし許さずという行動に走らせたのか。その議員のいけ図々しい抜け目のなさが許せなかったというよりも、

 “そこまでの徹底をしいたのは、
  このお人に手を伸ばしかけたからなんだろうな。”

 偶然の出会いは、記憶の奥底からそれを決して掘り起こすまいとして来た、勘兵衛の空しい努力をあざ笑うかのように、愛しい青年の面影をあっさりとそこへ再現し。蜜をくぐらせたかのようにつややかな金絲の髪、白皙の頬に浮かぶは莞爾な笑み。緋色の口許には品があり、だが、意志の強さをたたえての凛とした冴えが何とも美麗で。そしてそして、表情豊かで且つ涼しげな、青玻璃の双眸の何と印象的であることか。ああそうさ、この風貌はどうあっても忘れられるものではないと、誰より自身で思い知り。それでのつい、当人に覚えがなくともと、その周辺を洗ってみようとしたところ。それへと呼応して起きたのが、先の騒動。島田という名に辿り着いたことで、気づくべきだった虎の尾を、そのまま踏んでしまった自分たちだったらしく、

 “もっとも…。”

 そんな頃合いには既に、こちらの御仁が“別人”らしいということ、こちらでも察していたのだけれど。そうそう転生人ばかりが巡り会えるものじゃあない。記憶を持つ存在となって生まれいづる者同士が相覲
(まみ)えるは奇跡に近く。よって、元あった絆を思い出すのは、むしろ哀しい。

“そうさの。
 私は哀しい想いをするのがいやで、
 私の知る“彼”を探さずにいるのかも知れぬ。”

 そんな臆病者を叱咤してのこと、こうまで似た人、運命が眼前へまで寄越したのかも。無論、もはや関わりを深めようというつもりなぞなく。そのとんでもない組織の惣領殿へと、何とか顔をつないでの対面果たせたそのおりに。我らの立場へのこれ以上の介入へのクギを刺す代わり、こちらの彼を大切になと言い残し、約定を破れば彼を害すかもという脅し、暗に仄めかしておきはしたけれど。それは同時に、自分へも、もう会うこともなかろうと言い聞かせる意味合いもあってのことで。まさかにその彼本人と、こうもすぐさま再会果たせようとは。

 「不思議なご縁があったものですね。」

 特に何をと語った訳じゃない。呉服屋の女将が間に立って、お互いの会話を取り持ってくれたというような、何ともぎこちない形の会話、ほんの数刻交わしただけだったのにと、七郎次がふわりと微笑う。自分の身近、同居する人と同じ名前の男性だと知り、あらまあと驚いて。だが、特段 何か約してもなく、それっきりになってたお人。呉服屋で出会ったくらいだから普段着が和装というのも不自然ではなかろう。俳諧の世界のお人か、それとも書道家かもと。自分の接する勘兵衛と、風貌や雰囲気のよく似た、だが、よくよく見ればまだまだお若い こなたの青年のこと、覚えていた自分にも苦笑が洩れた七郎次であり。

 “六葩さんという呼び名、どういう意味かと調べもしましたものね。”

 島田同士で品物が入れ違わぬようにか、畳紙へと記されてあった名前。それが何とも印象的で、つい調べておれば、勘兵衛から怪訝そうな顔をされもした。どこから出て来た名称かとでも思ったのだろ。…と、七郎次は他愛なくもそう思っただけだったのだが。

 『六葩殿』

 成程、六花会の総代が名乗る二つ名には相応しいと、倭の鬼神には理解が追いつくのも素早かったに違いない。そして…そんな物騒な名の由来なぞ、全く知らなかった家人の周囲を探る気配を嗅ぎ取り、それがそのまま鬼神の逆鱗でもあったがため、先の騒動にまで発展したということか。だとすれば、この白皙の佳人は何と罪作りなお人だろうか。もしやして あの彼かもとの、予感とも不安とも言えぬもの、六花の総代に い抱かせて。その結果、組の屋台骨を揺るがすほどもの苛烈凄絶な処断、一夜にして要の拠点を2カ所も稼働不能に追いやった凄まじき“お仕置き”を、あの鬼神に執行させたのだから。それほどの仕儀を立てた後だというのに、何の警戒もなくいる彼だということは、この七郎次殿、何も聞かされてはないと見てよかろう。もしかせずとも、自分とは比較にならぬ地獄を山ほど見て来たのだろ宗主殿が、それらから滲み出しては悪夢を招く深い闇を払拭して余りある存在として、大切にしている花のような君。こうまで似ているのに違うと判る、そんな自身の感応も憎いと、六花の総代が黙んまり続けるその一方では、

 「……。」

 もともと寡黙な性分なお人であるらしかったが、今はそれ以上の何かしら、何とも言えぬ感慨に胸を衝かれてでもいるものか。最初のお声掛け以降、やはり口数少なになっての、だが、視線はこちらから外さぬ“六葩”氏なのへ、

 “何というか…。”

 やっぱり印象的な人だと思ってのこと。七郎次の側からもそんな相手をしみじみと見やる。自分が仕える勘兵衛よりも、いやさ、どうかすると自分よりも年下なのだろに。何と重厚な威容をたずさえたお人であることか。しかも…こういう言い方は失礼かもしれないが、その存在感のおびている匂いの傾向が、微妙に自分には覚えがあって。二人とあってはならぬ絶対の強さを求められ、それがために孤高でいるしかない宿命を負い。雄々しくも頼もしいのに。ただただ乱暴な破天荒ではなく、知的で実直な上で、精悍で力強い豪の気色に満ちている人物なのに。なのにその横顔は時に、妖冶ですらあるほど危なげで。殊に、

 “何て眸をされるのか。”

 気のせいかも知れないが、自分を見詰める彼の視線が、何とも言えずの痛々しくてならないのはどうしてだろか。真っ直ぐに見据えてくる眼差しは、だが。自分の上へ他の誰かの面影を、重ねておいでのようでもあって。哀しさと切望とが仄見えるその眼差しは、受け止めるこちらにまで、何をか響かせ居たたまれない。会話も途切れて、だが、じいと見つめられ続けることへと、しばらくほどは享受も出来た七郎次へ、

 「…とんだ不躾けを。」

 ああと我に返った相手が“すみません”との謝意を告げ、綺麗なお髪
(おぐし)だったのでなどという言い訳をなさる。嘘だと判っていながら、だが、ではと何かを言い継げることが出来ぬ身の七郎次には、どうしてそうまで哀しい眸をなさるのかと、それがいつまでも胸から離れず。それがため、いつまでも忘れられない逢瀬の記憶となってしまったものだった。




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