夢 鏡 仁義無き戦い  *『翠月華』宮原 朔様 サイド


       


 晩秋の香りをたっぷりと含んだ風が色付いた街路樹の葉を散らし、ちょうど屋外へと出てきた男が纏う長羽織の裾をはためかせた。

 「勘兵衛殿」
 「平八か」

 背後から投げ掛けられた声にいらえを返し振り向くと、蜜柑色の頭がひょこりと下げられた。ノーネクタイのスーツ姿で勘兵衛の前に立つ男は、前世でも喰えない男だったが今世でもそれは変わらないらしい。
「頼まれていた件の調査が終わりました。これが調査報告書です」
 平八は、あくまでも機能性を最優先した地味な封筒を軽く振って見せる。 きっちりと捺された封印は中の書類が他の人間の目には触れていない事を示していた。

 「詳しい話を聞きたい。車へ来い」
 「はい。……お久しぶりです。小早川さん」

 後部座席に乗り込んだ平八は、運転席の男と挨拶を交わした。かつて、天主によって地に落とされた紅蜘蛛は、意外と色男だったらしい。 厳つい感じはあるが、勘兵衛より一回り近く歳上の彼は落ち着きと思慮深さがにじみ出ていた。

「さて、まずは勘兵衛殿に謝らなくてはなりません。その報告書通り、あまり深くまでは調べられなかったのです」

 申し訳ありません、と謝った元工兵殿に勘兵衛は無言で先を促す。 封筒の中には、かなり離れた場所から望遠で撮られたのであろう写真が入っていた。

「名前は島田七郎次さん、約十年程前から、島田勘兵衛さん宅に居候。遠い親戚と言うことですが、おそらく苗字から見てかなり近い血縁者ではないかと。そして二、三年前から、これも親戚の島田久蔵さんが居候しています」

 写真を見ていた勘兵衛が、やれやれと言った様子でため息をついた。

 「恐ろしく似ているな…」
 「私も驚きましたよ。まぁ、世界に三人はそっくりさんがいるらしいですから。しかし、私の結論から言えば、この七郎次さんは私達の知っている七さんではないと思います」

  「そうか」


     ***


 彼と出会ったのは偶然だった。新しく仕立た着物を取りに先代の頃から贔屓にしている呉服屋に足を運んだ時の事。あらかじめ頼んであった物を受け取るだけだったが、久々に女将へ挨拶しようと思い立ち、勘兵衛自ら出向いたのだ。

 「六葩の旦那、よくお越し下さいました。お着物も出来上がっておりますよ」

 勘兵衛は、店の上がり框で愛想良く出迎えてくれた女将に菓子折りを渡した。

 「早苗殿、女将の仕事も板に付いてきたようだな」
 「ありがとうございます。
  志乃さん、すぐにお着物をお持ちして。島田様でも六葩様と書いてある方よ」

 志乃は返事をすると重ねられた畳紙の中から一つを抜き出した。

 「島田がそんなにいるのか?」
 「ええ、しかも下の名前も同じですよ。あら、噂をすれば…」

 紺色に染められた暖簾をくぐって来た青年の髪は、稲穂の色をしていた。たおやか、と言う言葉がよく似合いそうなその青年はかつて、いつも側にあった存在に瓜二つで。

 「いらっしゃいませ。島田様」
 「こんにちは。着物を取りに参りました」

 柔らかで優しい笑顔が、あの夜の彼に重なる。

 「今しがた、こちらの島田様とちょうどお話してたところだったのですよ」

 七郎次の視線は、鋼色の髪を長く伸ばした和服姿の男を捉えた。 自分の主と瓜二つとまではいかないがとてもよく似ていた。

 「はじめまして、島田七郎次と申します」

   “はじめまして”

 その一言が、酷く勘兵衛の心を掻き毟しる。 勘兵衛はこの日、初めて神仏を呪った。



     ***


 晩秋は日暮れが早い。薄暗くなってきた車内で、勘兵衛は報告書を封筒に戻した。

「支払いはいつもの口座に。それと近々別口の仕事を頼みたい」
「いつもありがとうございます。別口ですか?」
「ちと、蜥蜴の尻尾切りをしなければならなくなってな」
「尻尾切り…ですか?」
「実は、うちと懇意にしている政治家に張り付いている者共がいる。公安や警察ではないらしい…」

 「まさか、倭の鬼神?」

   絶対証人 島田一族――。

 できれば戦いたくない相手だった。人数、機動力ともにチンピラが相手にできる者達ではない。

 「詳しい話は家でしよう。夕飯を食べていかぬか?」
 「よろしいんですか?」
 「銀龍と打ち合わせをしてもらわなければならぬしな。頼母も寄っていくであろう」
 「ありがとうございます」

 心なしか頼母の声が明るいのは、彼が銀龍に仄かな思いを抱いているからだ。それとなく従姉妹の気持ちを聞き出してみたが、銀龍も彼を憎からず思っているらしい。一回り以上年の違う二人は、勘兵衛に前世の自分と古女房を思い起こさせていた。


  *六葩
(りくは)…六花の事。

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