アクシデント  2004  home

母の強さ 12/30   はらはらドキドキ12/29   82歳12/15
どこかがおかしい 12/11   親子遠足11/30  母の一休み11/28
はあちゃんの手引き  調子が良い11/11    母の困惑11/4
4年が過ぎて・・11/1  回復・・10/25    炎症反応10/16 母も・・・10/12
車椅子クッションの見直し 10/7 アンケート 9/19  食事介助  9/11
また血管拡張術 9/3   新しいショートへ8/29  ソファで・・・ 8/21
外は暑いけれど・・8/5   血管拡張術  6/26  母の変化   6/22
母とお出かけ  6/5  国際福祉健康産業展  5/29  ショート4回目 5/23
ちょっとまって・・・5/13 骨折その後 5/7   骨折!!5/1   退院 4/29
入院! 4/17    風邪? 4/16  食欲 4/10   水疱 6 4/9
 水疱 5 4/7
ショート3回目  3/22  ご機嫌  3/16  水疱 4 3/12   デイサービス3/9
クワバラクワバラ・・・  3/1   デイサービスを一日増やす 2/25
水疱 3   2/24  水疱 2 2/17   水疱 1 2/16  水疱ができた〜 2/14
ヘルパーさんから見た母  2/9  血糖値が高い 2/6  おじや  2/5
むっく ありがと  1/28  朝 突然に 1/27  お湯は増えたほうが良い?1/24
ラップ療法 1/20   ぬいぐるみ その2 1/17  血管造影その後  
血管造影
  1/12  ぬいぐるみ 1/2  母の正月  1/1

母の強さ
  
12/30
昨晩のことがウソのよう・・・
「ご機嫌いかが?」と声をかけると「
まあまあですね・・・
「頭いたくなあい?」「
そりゃあね〜
「ふわふわするの?」うんとうなずく。

母はあまり意思表示をしないから、今日は調子が良いのだけれど、
頭の中はふわふわしてるんだろう。
120〜220ぐらいまで血圧が動くんだから、疲れもするだろうし。
頭も痛くなるよね。

でも、一日調子が良いと言うか、よくしゃべって・・・
私のことをばあやさんだと言うし
妹においでなさい、って言いなさい、って言うし・・
今日の母は活動期?車椅子に乗っていてもあちこち手が出る。
危ない危ない・・・

夕方、今年最後の入浴介助があった。入浴中ヘルパーさん相手に、ずっと話していた。
昨日のことがあるから、早めに切り上げてもらったけれど、寝たら、嘔吐。
ちょっとびっくりしたけれど、血圧も正常、夕食も食べられた。

こういうとき、入浴は本来すべきでなかったのかな・・・とは思うけれど、その時の
熱と血圧が普通だったら、私はゴーサインを出してしまう。
心配していたら、きりがないし、本人に聞いても理解できないから・・・
自己責任ならぬ、娘の責任で・・・

結局は母の丈夫さ、強さに助けられている。糖尿病はあったけれど、他に病気で
寝たなんて、覚えていないから・・・

はらはらドキドキ  
12/29
今日も母は透析中に血圧低下を起こす。
水分も増えていないし、いろんな検査結果もOKなのに・・・
今日の血圧低下はひどかったようで、一時意識をなくしたらしい・・・
それで、血圧を上げる処置をしたという連絡がノートに書かれていた。
自宅で先回、血圧が上がりすぎたことがあったので、そのための降下剤も
処方されていた。

夕食前、いつものとうり血糖をはかり、血圧を測る。昼ごはんを食べて
いないので、やはり血糖は低め。血圧を測ると・・・また、耳を疑う。
226/138・・・しばらくすると嘔吐。
下がりすぎるかもしれないけれど、処方された薬を飲ませる。

30分ほどで180台に・・・
下がれば、普通どうりに食事が出来るから、不思議なんだけれど、第一段階
を無事すぎた。後は時々血圧を測って、変動を見ることに。

はらはらドキドキは何時まで続くのだろう・・・。


82歳 
12/15
母は今日、82歳になった。
透析があるから、どうかと思ったけれど、アナゴが入ったお寿司とショートケーキを
用意した。

先週は血圧低下だったのに、今日は高血圧。自宅に戻ってきた時は感じなかったのだが
夕ご飯の前に起こすと、やけに手が熱い。それに人工血管をとして伝わる脈白が早い。
心なしか手も赤い・・・計ると210/113 耳を疑ってしまった。(聴診器で聞いているので)
今度は血圧が高いじゃん・・・そのうちに吐き気。
今度は血圧が高いから・・・頭の中を整理して・・・寝かさず、体を保温した。

話をするとちゃんと解っていて、おすしを食べる気力はありそう。30分ほどたって
落ち着いたところで、誕生日の話をすると、やっぱり解っている。
”今日、何歳になったの?”と聞くと”103歳”!!?いつの間に・・・

アナゴ一本、食べちゃったし、ホタテも甘エビも・・・そしてショートケーキも。
ケーキはさすがに半分(笑)
今日は制限なしで好きなものを好きなだけ・・・誕生日くらい良いよね。

食卓に何時もどしてもいいように、準備しながら、一緒に食事。
それを見ただけで、子供の頃は吐きそうになっていた娘も、今では強くなった・・・
馴れって言うんだろうね。

就寝前には180台まで下がり、ほっとする。
透析中に下がるから、その反動なのかしら。

今週末、透析が終わって、すぐ出かける予定をしていたショートを一泊二日に変更した。
送り迎えのほうが大変かと思ったけど、本人も楽しみにしているから・・・
今年最後のショートだ・・・


どこかがおかしい
12/11
ここのところ、調子が良かったのに・・・
昨日の透析中に血圧が下がってしまったようだ。昼食も食べられずに
自宅に戻ったのが4時を過ぎていた。ヘルパーさんの車の中でも、うつらうつら
としていたそうで、ヘルパーさんも気が気ではなかったろう。

いつもの母の表情と違う・・・
とにかくベッドに寝かせる。いつもなら、夕食時間頃までには、元に戻るのに・・・
夕食もなかなか飲み込めない。血糖値も低かったから、このまま朝になると
低血糖間違いない。とにかく食べさせなくちゃ。

予定ではマグロを湯がいて酢しょう油でいただくつもりだったのに、まぐろが
飲み込めない。そこで、ふわふわテリーヌを食べさせる。ジェル状のカロリーメイト
と。やはり常備しておくものだと思った。
朝の血糖値87、ぎりぎりセーフ。

朝の食事はなんとかとれたけれど、どこかおかしい・・・
ことばが出ない。話そううとするのに、言葉になっていない。
血糖値が低いから何かを食べさせたいと、好きそうな物を、片っ端からあげる。
そしたら、反応した・・・”とらやのようかん”これは忘れていなかったようだ(笑)
でも、硬いから、一切れの半分を食べて、じ〜っと眺めてた。
食欲はどうやら戻ってきたけれど、調子は戻りきれていない。

明日のデイはお休みにすることにした。


親子遠足  
11/30
今日、母は植物園へ紅葉狩りに行ってきました。そして、私も。
友人に”デイについて行くの”って言われたけれど・・・

この行事があると聞いた時、母が行けるだろうかと内心思いました。
母はお出かけが大好き・・・
参加させるにしても、手がかかるだろうな〜と、考えてしまいました。
そして、参加しますと書いて、”よかったら、私も付いていきます。”と、添えた。
嫌がられるかなと思ったら、では、お願いします、と返事が来た。

ランドカーにも乗せてもらって、30分コースで回ってきた。
私はこんな車に母を乗せようなんて思わないけれど、両側に座って押さえれば、
大丈夫って。確かに。

母、最初はニコニコしていたのに、うとうとしはじめて・・・
外で食べる昼食も久し振りだから、良く食べれるし・・・
多分、疲れてはいるだろうけれど、母にも私にも良い一日でした。
外出もままならぬときがくるだろうから、行ける時に連れて行こう。

秋の親子遠足でした。
    


母の一休み
  11/28
「お休みだからね〜一休みなんだよね。」
だれが?
「先生がいないから、わからんからね・・・」
何がなんだか解らないけれど、ショートは母の一休みになったそうだ。
一休みは私だけではなかったようだ。(笑)

迎えにいって、元気良く話してくれると、ほっとする。これで、来月も・・・

昨日、私が田舎からの帰り道、家にいた夫から電話がかかる。ショート先から
母の血圧が158/105お風呂をどうするかというものだった。
下の血圧が高くなることはこの頃なかったので心配されたようだ。結局、
入浴をやめてもらったけれど、母は元気だと言うので安心した。

今日、入浴の日ではないのですが、血圧が落ち着いていたからと、入浴
させてもらったそうだ。それも、大浴場だったらしい。いいお風呂だったそうだ・・・
母がそう言った。確かかどうかは解らないけれど、嬉しそうに話す母を見ているのは
こちらも嬉しい。

はあちゃんの手引き?  11/29
ショートに行くと決まった時、私は母の一日をプリントして持参した。1ヶ月に3日しか
会わない母のことを知っていて欲しかったからです。口で説明するのは言い忘れたり
聞いた人だけにしか、ニュアンスが伝わらないと思ったからです。
勿論、お願いの前にはステイ先からもいろいろ聞いてくださっていました。

今回のショートには、もう少し詳しい母の状態をプリントアウトしました。すこしやりすぎかな
とも思ったのですが、コミュニケーションのとれない母だからと、勝手に、お許しをいただいて・・・

それを作っているうちに思ったのは、これは自宅用にも良いと思ったことです。
同じ家に住んでいるから、母のことを知っているかと言えば、あながちそうとも言えない。
知らないこともあるはず。
そこで、血糖値の計り方、インシュリンの打ち方、写真を入れて事細かに書いた。
さしずめ、「はあちゃんの手引き」、母の説明書、です。(笑)
娘はここまでやるの〜と、呆れ顔だったけれど・・・

後で思ったのはこうしたことを最初にお渡しすれば、何も知らない母に会うより、ヘルパーさんも
動きやすいのではと思いました。これも、私の勝手な考えですが・・・
ヘルパーさん側から見たらどうなんだろう。
自宅では自宅の介護の仕方があるし、施設には施設の介護の仕方があるわけですが、
母が少しでも、居心地が良いようにしてやりたい・・・

これで、いつでも誰でも母の介護が出来る?


調子が良い  11/11

このところ、母の調子がとてもよい。日曜日のデイでも、ヘルパーさんを
びっくりさせるくらい、話をしてきたらしい・・・
そして、昨日のデイで習字を書かせてもらった。半信半疑だけれど、母が
書いたと・・・。ふと筆で結構立派に書けている。多分、ヘルパーさんに
手を添えてもらいながら書いたのだろうけれど、私は褒めまくった(笑)
「そんなに褒めんでも良いよ、なんにもでやへん。」

解ってる〜〜

夕方、長女に「おばあちゃんが書いたの〜?」と言われ、
「私が書いただよ。」
と自己主張。

そこで、携帯で写して、妹に送った。
第一声、「うっそう〜〜自分で書いたの〜」だった。その後で、電話をすると
会話ができた。電話の会話はなかなかできないけれど、やはり、調子がよいの
だろう。

でも、明日は血管拡張術がある。調子の良いのは今日まで?

母の困惑   
11/4
「あんなにどうするだね?」
なんだか解らないけれど、母の言葉をさえぎっても可哀そうだから、
大丈夫だよって、ごまかして・・・(笑)ところが今日は
でもね〜〜、あんなにたくさんは困るでしょ」??脈絡を探すけど、解らない。
「一匹ぐらいならいいけど・・・」一匹?それで、解りました。
何匹いると思う?と私が聞くと、
「・・・たくさいいいるでね〜」
じゃあ、山にでも連れて行くから、いいよ。
「そお〜」

母はテレビで牛がヘリコプターに乗せられて移動をするのを見ていたのです。
それが、どういうわけか、我が家に全部来ると思ってしまって・・・(苦笑)
自分でも何とかしなくちゃと思ったようです。
はなまるマーケットに出ている、薬丸君に向かって、
「あの人なら、一匹ぐらい、いいよ。大丈夫だよ〜」
なぜ、薬丸君が大丈夫なのかは解りませんが・・・
そして、「妹に、一匹もらってもらおう」と私が言うと
「ふふふ・・・かまかけて、やんなさい。できっこないけどね」(脅かしてやりなさい)
そりゃあそうだろう、牛を飼ってくださいって言われて、はい、なんていう人は
そうはいないだろうけど・・・

この話は朝食後、延々と続いた。よほど、あの牛が気になっていたのに違いがない。
挙句の果てに
「田舎のあの人なら飼ってくれるかもしれない」むっくを指して、この子は
「いくつになるの?」3歳だと答えると、
「じゃあ、大丈夫だね。」なにが?大丈夫なんだろう。

家の中に一匹飼うつもりらしい・・・おいおい、いくらなんでも室内牛なんて聞いたことないぞ・・・
もうこうなると、母にとことんお付き合い・・・

結局、私が全部行き先は決めるから・・・ということで、しぶしぶ納得(笑)
楽しいひと時は終了しました。

もし、どなたかの家に牛が届いたら、母からのプレゼントかもしれません。(爆笑)

4年が過ぎて・・・
 11/1
母が透析をはじめて、4年が経ちました。その前の不穏な日々を
合わせると5年が過ぎました。去年の今頃は・・・この出来事は何時だっけ。
よ〜く考えないと、順番が違っていたり・・・思い出せないところがあったり・・・
でも、11月を迎えると透析の始めの頃をよく思い出します。

トイレが間に合わない、寒い寒いといって、コタツにどんどんもぐっていく、
最後にはコタツから首だけ出していたっけ。洗濯物を取り入れてくれたのはいいけれど、
落とす、ふんずける・・・洗濯物もきりがなかった・・・
着る物はどんどんおかしくなるし・・・そうかと思えば、他人にはにこやかで。
私の言うことを聞いてくれない母にホトホト手を焼いていた・・・
この時に介護保険のお世話になっていたら・・・気持ちはもっと楽だったかもしれない。
過ぎてみないと、解らない、ただ、私が判らなかっただけかもしれない。

母の介護をして何が変わったかな〜。
時間も自由に使えないし、いつも、頭の中は母一色・・・休まる時がない・・・
でも、一番変わったのは夫かもしれない。

それまで会社人間で家のことなんて、手を出したことがないのに、やらざるをえなくなった。
ゴミだしも夫の仕事に・・・分別ゴミなんて、今では一番詳しい(笑)
むっくのウンチの片付けも、最初は「おかあ〜さん、むっくが〜」って言っていたのに、
「お母さん呼ばなくても、自分で片付けたら・・・」の娘の一言で・・・(苦笑)
ご飯も自分でつけるようになったし・・・ちょうど、母を寝かす時間と夫の帰る時間が
重なるんだよね。

こんなこと書くと夫に叱られるかな。何度も言うけれど、このHPは夫あってこそ!
だから、とっても感謝してるんだけど。

これから何があるか解らないから、旅行に行こう、って、夫が50歳の時、リフレッシュ休暇で
オーストラリアに出かけた。それからの10年はずっと何かがあった。
来年の今頃は定年退職・・・
夫は四国をお遍路さん、私は動物園巡りが、夢なんだけど・・・(笑)


回復・・・
10/25
先週の血液検査で炎症反応は下火に・・・
何が原因だったのか、判らないけれど、熱が下がり、痛いところもなく
食事もとれ、普段の母に戻ったから・・・これでよし、です。

点滴に通ったり、デイをお休みしたりで、母と密着していた私は少々
グロッキー・・・普段、他人様にお世話になることが多くなって、体が
なまっていたみたい。
母の生活のリズムが崩れると、私のリズムも崩れて、しばらくは
体が付いていかないようです。だからといって、生活はありますから
早くそのリズムに乗れるのが一番なのだろうけれど・・・
今回は自分の体調も崩していたから、なおさら・・・

日曜日、母は久し振りにデイへ。
新調の車椅子でお出かけでした。


炎症反応  10/16

今週、母は透析クリニックへ毎日通いました。
通常の透析にくわえて、血液検査で炎症反応がでたために、抗生剤の
点滴に通いました。熱以外、症状はありません。どこが炎症を
起こしているか・・・解りそうもありません。私もあまり深く追求して
欲しくないし・・・

母自身は意外としっかりしていましたから、透析の他は私が連れて
いきました。熱も夕方、少し上がるものの、朝にはひいていますから
母はドライブ気分・・・

ベッドから車椅子、車椅子から車、車から車椅子、車椅子からベッド・・・
移乗ばかりで、今日はちょっと、ため息。ヘルパーさんの有難みを
再確認。

母の血管は細くなかなか入りません。看護師さんは四苦八苦するんだけど
今日のドクターは上手でしたぁ。僕がやるよ、と言うだけはあります。一回で
すんなり・・・これで、青タンが少なくなります。いつもこうだといいのに・・・
”ちょっと痛いかもしれませんよ〜〜"
”泣かないから大丈夫だよ・・・”母の言葉も的を得てるし・・・
これで、明日朝、熱が出なければ、もう通院しなくてもいいんだけど。


今週一週間、ずっと走り続けていたような気がします。
疲れた・・・


母も・・・
 10/12
私の発熱が収まって、ほっとしたら、昨夜母が発熱。それも38、5度まで
上がって・・・咳もなく、のども痛がらない。月曜日の透析中に急な
血圧低下があったのでその後遺症かと思っていたのですが・・・

母の38度台の熱は久し振りです。
薬は飲ませず、脇を冷やし様子を見ることにしました。
朝、37度まで下がったので、ほっとしていたのですが、昼食前に
また上がり始めたので、午後、病院に連れて行くことに。
胸のレントゲンを撮ってもらいましたが、異常はありませんでした。
でも、どこかで炎症があるはずだからと、抗生剤が出される
はずだったのですが。こういうときの母はなかなか、錠剤が飲めない・・・
しかたなく、点滴をしていただいて帰宅しました。

血圧が下がった時のように首を振り、話が解るのかわからないのか・・・
ところが、ドクターには聞かれたことに答えていました。
のどもなかなか開けられなかったのに、”あ〜んして!”って言われたら
口も開けられた・・・解ってる・・・

”この位なら大丈夫ですね。
血圧低下の時にはご自分もわかりませんから。”
確かに・・・熱の原因も判らないけれど、母のことも解らない!

昨夜はもし、突然血圧が低下でもしたら・・と思って、ベッド脇で休んで・・・
母の寝息を確認しながら寝ていました。
寝息のある安堵感・・・頭の中に母の寝息が駆け巡っていました。


車椅子用クッションの見直し 
10/7
母の仙骨に褥創が出来ては治りを繰り返し・・・がしばらく続きました。
出来るのは車椅子なのは解っているのに、なかなか良いクッションに
巡り合えません。
ある方に”春○満さん”のクッションがいいかもと、教えていただきました。
仙骨部分がえぐられていて、あたらない様になっています。いいかも・・・
レンタルになかったので、購入してみました。
すると、仙骨の部分があたらないので、母は痛みを訴えなくなりました。

ところが、ベッドに寝た時にチェックすると、今度はその両側が赤く
なっています。これも完璧とはいかないようです。
それでも、仙骨の褥創は繰り返すことはなくなりました。

そして、次に見つけたのが”ロ○クッション”。
ところが、これもレンタルがなくて・・・買うのにもちょっと高い・・・
こうなれば、ケアマネさんに聞くしかありません。お知恵拝借。

そして、レンタルしてくださる所を見つけてくれました。
そうすると、今度は車椅子との兼ね合いがでてきました。クッションの
高さが高いし、安定感がないから・・・

それで・・・車椅子も見直し。
母の体がずれないように、背もたれ、肘掛等が調節できるものです。
モジュールと言うのだそうです。
確かに、すごい!背中の丸みに合わせて調節が出来るし・・・
クッションを敷いて調節していただきました。

母を車椅子に乗せて、”どう?乗り心地がいいでしょう。”
”ふふふ・・・”返事をしない。”よくないの?”
うん、とうなずく・・・”前のと、これとどっちがいい?”
”そっち!”
子の心親知らず?どうしてなのか、考えてしまいました。
調節してくださったレンタル会社の方は
”今までの形で馴染んでいますから・・・遠慮しないで言って下さい”

確かに新しい車椅子に乗ると心なしか、背筋も伸びて、前かがみが
ありません。緊張感があるのでしょう。
ずっと、仙骨すわりをしていたのだから、無理もない・・・
背中のまるみに少し余裕を持たせたり、細かな調節してもらい、
1週間過ごすことにしました。
そして、来週、もう一度、調節をしていただくことになりました。

良い感じなのですが・・・

考えてみると、寝たきりにさせたくないから、何とか車椅子に乗せ
たいのですが、本人に動く気がないのですから、同じ格好で長い時間
いるのは、たとえ、車椅子でも、母にとっては大変なのかもしれません。
ベッドにしろ、車椅子にしろ、時間を見ながら、態勢をかえなければ
いけないのかもしれません。

でも、車椅子に長く乗れたら、ドライブにだっていけるのに・・・
なんて、考えてしまいます。やはり、私中心かな〜

この車椅子は自走用です。背中の調節が出来るものはこれしか
なかったのです。レンタル会社の方が、一人で、動けるのですよ。
と説明をしてくれました。
”男の人なら出来るけどね〜”
こうすると、軽く動きますよ。と、車に手を差し伸べてくれると・・・
動いたあ〜・・動いちゃった〜〜
そういえば、母は握力だけはあった・・・掴んだらはなさない・・・
思いのほか力がある・・・

えっ!どうしよう・・・複雑・・・


アンケート 
9/19
新しいところに変わって、2回目のショートに行ってきました。
お迎えに行くと、ヘルパーさんとお相撲を見ていました。
”早かっただね〜”
何回、迎えにいっても、母の最初の笑顔にほっとします。

アンケートをいただいてきました。
本人が言えば、簡単なこと・・・
お食事はどうですか。職員の態度はどうですか。のようなもの。
ただ、母はどうかな〜〜私が適当?母の様子を見て書こうかな、
と思いながら、物は試し、聞いてみました。

お食事はどうでした?
”ふつうじゃ〜なあい”
お世話をしてくれる人たちは親切だった?
”よかったよ〜〜”
お泊りに行っている時に、どこか行きたいところがありますか?
たとえば、映画とか・・・
”映画・・いい。”(行きたくないと言うこと)
どこか行きたくない?
”散歩・・・”
近くに牧場があるからね、そう書いておきましょう。

こんなに返事が返ってくるなんて、思ってもみませんでした。
ヘルパーさんとおしゃべりしてきたのかな。
母の気持ちがとっても、前向き。
たまには保養もいいわね〜なんて言っていたけど、本当にそうなったみたい。
私も保養になったし・・・(笑)



食事介助
    9/12
土曜日の母の朝食は普段よりも遅くとります。
私が、少しだけ寝坊をするため・・・これが至福の喜び(笑)
でも、7時30分までに起きないと、9時の食事に間に合わない・・・
インシュリンもあるし。
そして、母よりも早く食事をして、介助をしながらの食事をしない日に
しています。
ちょっと時間が遅れた時は、夫の支度だけして母の準備にかかります。
そんな時はいつもと一緒。

今日も時間がなくなって、母を先に起こすことになってしまった。
お尻のケアをして洋服に着替えさせ、血圧を測り、血糖値を計る。
インシュリンをうち、ノートに記入。
順調に行っても30分はかかる。

その間に夫はもう食事をすませていました。
テーブルについて、母の食事を並べ、一緒にいただきます。
一口、母の口にご飯を運んで思いついた。
”今日はお父さんにたべさせてもらおう!”
いいよと返事した夫とは対称的に、母のびっくりした顔。
そうしたら、私はゆっくりご飯がたべられるじゃな〜い。

母はどうも落ち着かない。
私の顔を笑いながら見てる。なんとかして〜って・・・(笑)
ついに、
”食べる・・・”って。
自分で食べるからって、お箸をもって、食べ始めた!

食べれるじゃない、一人で。
ぽろぽろこぼしていたけど、何とか食べられた。
夫に食べさせてもらうのは、どうも具合が悪いらしい・・・
長女にも食べさせてもらうのに、この差はなんだろう。遠慮?
そんな気持ちが母にも残っていたんだ・・・

時間に制限がないときはこの手で行こうかな。


また血管拡張術
 
 9/3
6月にしたばかりだと思っていたのに、先週の血管造影で、狭窄しているところ
が見つかって・・・
血管拡張術をすると、母はいつも血圧が下がりすぎたりして、アクシデントを
起こします。待っているほうはドキドキものなのですが、やらなければ血管が
狭くなってしまうし、流れが悪くなってしまう。しょうがないんだけど。

拡張術を待っている間、透析を終えた方と話す機会がありました。
その方が言うのには、
”痛み止めの注射が一番痛いのよね〜、痛み止めの痛み止めが欲しいくらいよ。”
っておっしゃるんです。
痛いのだろうと、うすうすは判っていたけれど、経験者に聞くと、とってもリアル。

終了後、迎えに行くと、やはり血圧低下を起こしていたようで・・・今度は廊下で
お待ちください。と言われてしばらく待つことに。
”止血が終わりましたからどうぞ。”と言われて、ベッドにいくと母がうっすら、涙を
浮かべていた。”痛かった?”と聞くと、うん、とうなずく。
ベッドの周りは、出血やら嘔吐で汚れ、軽く紙で覆われていました。結果を見れば
何となく経過もわかって・・・

先回のこともあるから、カロリーメイトのゼリーを冷やして持参。
母にはこれが良さそう。200カロリー分をそれで補い、自宅に戻ってきました。

あくる日、痛かったことだけは覚えていました。
これで、またひとつクリア・・・

新しいショート  8/28
母のショートはインシュリンを注射していることや、透析をしていることで、
引き受けていただけるところが少ない。ですから、母に合う、合わないはもう
別問題だと思っていました。
それが、ちょっとしたきっかけで、そこのデイにいけることになり、今日、始めて
お泊りをしてきました。

母?私がそこにショートさせたいと思ったのには、
少人数であるということ。
デイの上にあること。
自分の洋服でいられること。
個室であること。

特にデイの上にあると、建物にもなじみがあるし、知っているヘルパーさんにも
あえるだろうし。母が不安にならない・・・
母のようになかなか他人になれない性格だと、1ヶ月に3日だけのお泊りでは
いつまでたっても馴れない・・・

今度はどの洋服、もって行こうか・・って、母に聞くと、”そっち!”って、意思表示。
遠足の前みたい・・・
預けると言うのではなく、お泊りにきてください。と書いてあったけど、
やはりそれがいい・・・母が嬉しそうだから。

夜、眠れない時はテレビを消音で・・・ってお願いもしてしまった・・・

”今度の予約はどうする?”って聞いたら、
”たまには、保養もいいねぇ〜”

実は、もう予約してあるんだけど・・・

ソファーで・・・8/21

このところ、母はとても調子がいい。
朝のあいさつもできるし、多少の会話も成り立つ。

それとかかわっているのだと思うけれど、褥創(ジョクソウ)もほとんど
治ってきています。ピンクの肌になっても、ラップを貼って、様子を見ていたら
皮膚の色が周りと変わらなくなってきて・・・嬉しい限り。
車椅子用のマットも替え、少し赤くなるのが不安だけれど、今のところ
褥創に移行はしていません。

朝食をとった後、テレビを見ていると、少し体を揺らしはじめました。
お尻が痛くなったのかと、ベッドに行くことを進めると、うなずかないんです。
私の座っているソファーを指差しているから、
”ここに座るの?”と聞くと、うなずく。
座れるかな〜と、ちょっと心配したけど、座らせてみました。
”ここでいい・・”と母。背中とサイドをクッションで押さえ、様子を見ることに・・・
このソファに座ったのは何時だったかな〜。思い出せない・・・

少したつと、母は居眠りをはじめました。
居間と隣り合わせにある母の部屋に行こうと言うのに
”ここでいいよ、ここで寝るから・・”
”??このソファで?寝るの?”
確かに、ここは家族の仮のお休みどころ(笑)。私もお昼寝はほとんどここ。
母の隣だから、様子もわかるし・・・

でも、ここで母が寝たいと言うとは思いませんでした。
それなら、叶えましょう・・ということで、背もたれもはずし、広くして
母を寝かしました。母はとても嬉しそうなんです。
みんなのいる居間がいいのかな〜
すぐに、寝息を立てて、寝てしまいました。



外は暑いけれど
・8/5
今年の夏はことの他、暑い。デジタルの温度計が細かく細かく、温度を刻む。
家の中で35度なんて今までなったことがない・・・それが何日も続くなんて。

でも、母はエアコンのなかで快適?に過ごしている。と、私は思っています。
それでも、気を抜けば、すぐにオムツかぶれが出るし背中は汗・・・
ということもあるから、通気性の良いオムツに替えてみました。
ネットを通じて、母の介護の仕方も変わってきています。
自宅にいて情報が入ってくるのだから、ありがたいと思います。

アクシデントが重なると、その時は慌てふためき、疲れも重なるけれど、
ある程度、馴れてくると、また落ち着いて介護できるようになります。

今、母はまた落ち着きを取り戻し、(私も・・)少しずつ会話も増え始めました。
母は何かあると、おしゃべりがなくなってしまうから。


今日の入浴介助中、ヘルパーさんが、
”はあさんは、恥ずかしがりやさんですよね〜”
”さよう、さよう・・” (”そのとおり”、といったような時に冗談ぽく、使っていました)
母がそう答えました。これは母が元気なころ、よく使い
まわしていた言葉、思わず、耳を疑ってしまいました。ここしばらく、
耳にしたことがありませんでしたから・・・

外は暑いけれど、母の頭の中はクール?に・・なってきたのかしら(笑)


血管拡張術  
6/25
自分の血管と人工血管とのつなぎ目が、時間と共に狭まってくるらしい。
特に母の血管は細いから・・・それで、バルーンでその部分を膨らませ、
広げます。1年ぶりです。

いつもと違う透析時間に母は随分、不安がっていました。
手に力が入って・・・どうしたの?の問いに
”心配だわねぇ〜”
母がこんな風に答えるのは、調子がいいのです。だから、余計、
不安にもなるんでしょう。私が迎えに来るからと言うと、少し安心して
いました。

拡張術も30分ほどで終わり、夜8時透析終了の連絡をいただきました。

ところが、終了時間に行くと、母は血圧が下がり、意識がなくなってしまい、
今は戻っているけど、少し変なんです。と説明を受ける。確かに、きょろきょろ
目を動かし、首を振っている。私を見つけるとにこっと笑うけど、解って
いるのかどうか・・・血圧は120台。少し低めだからと、冷水を浸したタオルを
首に当てる。すると、一気に190まで上がってしまう。当然のように、嘔吐。

医師の説明は
普段の血液の検査等からみると、問題は特にない。
血液の戻りが悪くなっているのかも。
除水量も多くはないし・・・と首を傾げる。
お年ですからね〜〜、
この年齢の方だったら、うまくいっているほうですよ。

管理のしかたを褒めていただいて、嬉しいけれど、さしあたって、今、
現在をどうしよう・・・
まず、血糖値を計っていただく。108、夜のこともあるけどちょっと低すぎる。
出されたお弁当は飲み込みの悪いものばかり。でも、エネルギーの補給は
しないと・・・母をお願いして、近くのコンビニへ。
はん解け状態で食べる?飲む?アイスを見つけ、母に搾り出しながら、
飲ませる?これがおいしかったようで、吐くこともなく食べられた。冷たいし・・
血圧をみると、160台。
これで、母はもとに戻った・・・

会社で待機をしていてくれたヘルパーさんの車に乗せていただいて、無事、帰宅。
何時までかかるかわからない母の症状に、12時ぐらいまでは良いですよと
いっていただいた介護サービスの方に、また感謝。
母も私もヘルパーさんもニコニコ、待っていた家族もニコニコ。
ありがとう、ありがとう、で夜が終わりました。

今朝の母
”ご機嫌いかが?”
”まあまあですよ〜”
それなら、結構。お食事も普通に摂れ、ひとまず安心・・・


母の変化
  
6/22
先週のショートから帰ってきた母は、ほとんど口をききませんでした。
何を言っても、そっぽ、しらんぷりです。

それまではお葬式があっても母にはあまり報告しませんでしたが、
ちょっと話して、反応を見ました。
(お葬式の話は意外に興味があるんです。)
すると、耳をそばだてます。そこで・・・

”田舎のお葬式に行ってきたんだよ。おばあちゃん一人ではお留守番
できないでしょ。お父さんも一緒だから。長女では注射できないし・・
だから、○○荘に泊まってもらったんだよ。あそこなら、看護婦さんも
いるからね。”

母がうなずいた・・・

”楽しくなかったぁ〜?”  またうなずきます。

やはり、解っているんだあ〜
解っていて、面白くないのかもしれない。預けられていると、思って
いるんだろうなぁ〜
事実なんだけど・・・
老人ホームの看板が大きく出ていて、そっちを見ていたもの。あの看板
もっと小さくてもいいのに、なんて勝手に思っていたけれど。やっぱり・・・

来月もショートがお願いしてあります。
今まではお年寄りのサービスで泊めてもらえるんだよ。なんて
言っていたけれど、作戦を変更しよう。


母とお出かけ  
6/5
入院、骨折以来、外出はしませんでした。足を痛がるから、
ちょっと心配で出かけたのは家の前の散歩だけ・・・
おもいきって、長女がいる時にと、出かけることを決心(大げさ・・)

遠くまでは心配だから近くのスーパーへ。
新しい施設だから通路も広く、買い物をしていても散歩気分です。
母のティシャツを一枚買いました。
”こんなのどう?”
”いいんじゃない”
”ちょっとはでかしら・・” 
”貴女ならいいでしょ”私にはちょっと地味じゃないかな〜
”これはおばあちゃんのだよ・・”
”私はいいわ・・”と首を振ります。ちゃんと、自己主張。
外出は母の特効薬?かもしれない。

変わり巻き寿司を選び、”他には?”と聞くと、すかさず、
”みたらしもいいわね〜”
長女と思わず顔を見合わせ、笑ってしまいました。
好きなものオンパレード!

三人とも帰ってきたらお疲れモード。

母はぐっすり、お昼寝でした。

どうやら、母の足の痛みもなくなってきました。
骨がどうなっているかは解りませんが、痛みがないのは有難い・・・


国際福祉健康産業展
   5/29
昨年、takoさんのHPで福祉展があったことが載っていた。
こちらではないのかと思っていたら、ありました。それも7回目。
以前は新聞大好きで、隅から隅まで読んでいたのに、このところ
はしょってばかり・・・目に入っていなかったのだ。
今年もしっかり新聞に掲載されていた。

早速、出かける。
ヘルパーさんなど福祉関係の人が多そうだけど、大勢の人で
ごった返していた。あれも見たいこれも見たいけれど、時間も
限られているから、今一番気になっているオムツのコーナーを覗く。
私の知らないメーカーばかり。午後から出かけたから試供品の
ないところもある。

母は排尿はほとんどない。あるのは排便のみ。
今回の骨折でテープ式のオムツに変えた。オムツの裏側がビニール?
で出来ている。もらさないためだから仕方がないけれど、蒸れる。
昨日の暑さでオムツかぶれの兆候も・・・
仙骨があたる辺りに吸収のためか、縫い目のあるものもある。これだと
母のお尻に食い込んで、ジョクソウになりそう・・・

夜の排尿で苦労されている方には申し訳ないけれど、母のためには
吸収量は少なくてもいいから、通気性のいいものを選びたい。
母にとって、何が良いかもう一度考え直すことにした。

オムツがこんなに種類があるなんて、実はあまり知らなかった。
ホタルさんが火をつけてくれた・・・


ショート 4回目
 5/23
骨折になって、どうしようか迷っていました。
痛み具合などを考えながらの見切り発車です。
というか、私が少し休みたかったから・・・
私にとって一ヶ月遅れの連休になりました。

では、母は?
オムツを替える時に足を開くようにすると、痛みが出る以外、
あまり痛みを訴えることがなくなりました。
ショート先でも気にしていただき、二人で移乗をしていただいた
ようです。おかげで特に痛みもなく、食事も全介助で食べさせて
いただきました。もちろん、完食です。

でも、ちょっと、不機嫌・・・
このところ、とてもしっかりしているから、預けられているということが
判っているのかもしれない。母はデイにも行きたくなかったから・・・
判っていて、娘をたまには休ませてやろうなんて、
きっと思わないから・・・やはり、不機嫌。

ショートの帰りに”何か美味しいものを買って帰ろうか。”
言えば、しっかりうなずきます。
食事制限なしで2日間過ごしたから、食べさせるのを迷ったけど、
スイカを食べさせてしまいました。
美味しそうにパクパク・・
”たくさん食べると明日の透析にひびくから、少しね。”
うんとうなずく。
子供を甘やかしているようで・・・
おいしそうに食べてる・・・この姿に弱いんです。

透析クリニックへは連絡をしておこう。
水分を二日に分けて抜いてもらいましょう。

ちょっとまって・・・
 5/13
骨折後の母はだいぶ落ち着いてきましたが、時々痛みが
強くなるようで、不機嫌になります。
黙って、我慢しているようなそぶりがあったり・・・
でも、その痛さは私には判りませんから、その場しのぎの
返事になってしまいます。
”痛い?”と言うと”痛いよ〜”と返事が返ります。
”しょうがないよ。手術しないで、自然に治るのを待つんだから・・・"
”手術する。”
”えっ!手術するの?”
”うん。”
”ちょっとまって・・・手術するの?”
うなずきました。


私は考えてしまいました。整形外科のその場で、手術をしないと私が
判断したのですが、母は手術をしたかったのかもしれない。
もっと、時間をかけて考えるべきだったのかしら。頭の中は母の手術を
すると言った言葉で、いっぱいになっていました。

痛みを我慢するのに、疲れたのだろうか・・・

夕方、入浴介助のヘルパーさんが来てくださる。今日も清拭。
体を拭きながら、母の手術の話しをする。
”はあさん、手術するの〜?”
”この人がするって言うから・・・”
私を指差します。ちょっとまって!はあちゃん。するって言ったのは貴女だよ。

私が触ると痛い足もヘルパーさんが触っても痛くない・・・どうして?
透析の送迎も大丈夫そうですよ。と言ってくれるヘルパーさんと私と対応が
違う。どうしてなんだろう。
はあちゃんの反乱・・・

骨折その後
  5/7
お医者様に改めて、母のことを相談にいってきました。
骨折の診断を受けた時、落ち着いて聞いていたつもりなのに
あやふやのことがあったりして・・・質問が思いつかなかったことも
あります。

    痛みは徐々になくなっていきます。

    
治るまで、(骨折した骨が膜?におおわれるまで)年齢とか
    病状のこともあるから、3ヶ月〜6ヶ月位はかかります。

    痛み止めの薬は二分の一錠ににしてあるから、大丈夫
    
 まだ一回しか飲ませていないけれど、大汗と爆睡にちょっと
      びっくりした・・・

    安静は必要だけれど、骨折した所が骨の中にあるので、
    30分ぐらいの車椅子は大丈夫。

     
大たい骨頸部はわんぐりとした骨の中にはまっています。
      外部からの圧力では骨折しないらしい。だから、固定出来ない・・・


確かに、透析から帰ってきた母は二日前より痛そうにはみえません。
徐々に痛みがなくなっているのかしら。
3ヶ月〜6ヶ月・・・年内と言うことかな〜でも、長い・・・
寝たきりにさせたくないと、車椅子にこだわっていたけれど、ここは
小休止。母の痛みをなくし、骨折部分に膜?が張るようにしなくては・・・
デイも食事とお風呂以外は、ベッドで休むようにしてもらう。

透析送迎介助のヘルパーさんにも今までの経過、状況を書いたメモを渡して
読んでいただきました。毎回変わるヘルパーさんに同じようにわかっていただくため。
私はつい、話し忘れることがあるから・・・

ヘルパーさんには状況がわかると接しやすいと、言ってもらいました。


骨折!!
  5/1
アクシデントと言うのはこういうのを言うんだろうな〜。
思えば、入院中に母は右足が痛いと言っていました。
以前、骨折した足とは違うほうです。
意識をなくしたときの緊張が筋肉痛を起こしているものなのかと
思っていました。看護師さんにも話したけれど、特にそれについて
話題にもなりませんでした。

退院して車で帰るとき、足を曲げると、やはり痛いと言います。
ず〜っと、寝ていたから、リハビリをしていたわけでもないし、自宅で
体を少し動かせねば・・・なんて思いながらの退院でした。

あくる朝、やはり痛がります。左右の足を見比べると、右足の付け根が
腫れてる?
金曜日は透析ですから、透析クリニックで診ていただくように
お願いしました。午後、その透析クリニックから電話があり、
”明日、紹介状を書くから、病院の整形で診てもらってください。
もしかしたら、骨折かも・・・”

え〜〜〜っ!!まさか、どこで?
5/1 整形を受診・・・やはり骨折。
右足大たい骨、骨頭の部分が折れている。
さあ、どうしよう。左足の時のことが思い出されます。

お医者様の見解は・・左足の時と違って、折れた骨頭の部分が小さい。

手術をするのなら、人工骨頭を入れると言うことになるけれど・・・
リスクは多い。ボルトでは多分とめられないし、とめても壊死の可能性も
高くなる・・・
折れ方で違うけど、前回も今回も折れたから、転ぶ。と言うパターンですよ。
転んだから折れたというのではないですよ。

骨がもろくなり、折れやすくなっているのだそうです。
私はその話を聞きながら、腕組みをしてしまいました。
さあどうしよう・・・母の顔を見る。
不安そうに私を見ている・・・お医者様にこのままと言うわけにはいかないか、
お聞きする。立てなくていいのなら、このままでも大丈夫。車椅子生活になる
と言う。母は元来、車椅子。
”じゃあ〜、おばあちゃん、このままにしようか、入院はしないで・・・”
母はこっくりと、うなずきました。

痛み止めの頓服をいただいて、自宅に戻ってきました。

どのあたりで、骨折していたのだろう。気にかかる所だけれど、
この2,3日ではないことが判ったぐらい・・・
痛みさえなくなれば、母にとっての普通の生活にもどれます。

それにしても、息つく暇がなかった。
大きく、深呼吸をした。ふぅ〜〜っ!これじゃあ、ため息だ・・・


退院    
4/29
今日、母は退院してきました。 
結局、母の入院は最後まで原因が判りませんでした。
母の症状は↓のようですし、入院後も39,2度まで体温が
上がりました。微熱は一昨日まで続きました。
3日間の絶飲食の後、点滴はなくなりました。
母はそれなりに、順調に回復し、食事も元どうりに。
前回の不穏な状態も起きず、私も安心して付き添うことが出来ました。
食事だけは自分で摂れず、昼と夕食を食べさせるために、病院へ
通いましたが、とても楽でした。

”このような状況はこれからも度々、おきると思います。その都度、対処
していきましょう”
これがお医者様からの退院時のお話でした。そうだろうな〜と覚悟は
しているものの、不安な気持ちは否めない。

退院が決まったら、ケアマネさんに連絡を入れる。すぐに始まる透析の
送迎介助など、連絡していただく。デイも・・・私は今回脳梗塞のような
状態だっただけに、躊躇していた。預かる側が拒否するのでは、という
思いがあったのです。もしかしたら、あるのかもしれないけれど、私の耳には
入ってきませんでした。
”デイには看護婦さんもいるのよ、体がえらかったら寝てもいられるし、
大丈夫よ。皆がみているから。5月のショートも断っていないから。”
預かっていただけるのを有難いと思いました。
正直、ほっとしました。

はあちゃんの退院祝いは、もちろん、握り寿司

出来ていた水疱もいつのまにかまん中だけがカサブタになっていました。
そこがぷかぷかしていて、今にも取れそう・・・これでもう大丈夫。



入院
   4/17
突然でした。
朝ごはんを食べる直前、母はひきつけの様に硬直してしまいました。
それは3〜4分のことだったと思いますが、意識がなくなり、車椅子から
滑り落ちそうでした。すぐ、長女が119番をしてくれました。
私は母の体を支えるのがやっと・・・ゴミだしから戻った夫もびっくり・・・
土曜日の朝でよかった・・手がありました。
救急車が到着したときには、母が少し目を開けました。そのまま、病院へ。

救急救命士も同乗していて下さり、事細かに対応されていきました。
母の意識の状態はあまり良いものではありませんでしたが、気がついて
くれたことで、少し安心しました。
頭部のCT、心臓のレントゲンを撮っていただきましたが、梗塞は
みつかりませんでした。

医師からの説明は、梗塞があったのかもしれませんが、今異常はありません。
検査入院もできますが、処置は何もありません。だったのです。
”では、自宅に帰れるのですか?”の問いに”はい。”と返事をいただきました。
確かに、その時の母は元気そうに見え、笑っていました。
私は母を自宅に連れて帰ることにしました。
でも、これですみませんでした。

昼食後、1時間ほど寝ていた母のオムツを替えると母の体が熱いのです。
体温は38,5度にあがっていました。血圧は208。そのうちに嘔吐。
何かあれば診ます。と言っていた病院に連絡をしました。
”連れてくれば診ます。”
しかし母の状態では車椅子には乗れない・・・さりとて、救急車は、今朝
乗ったばかり。躊躇している時に思い出したのが、ヘルパーさんと、”母を
ストレッチャーに乗せてでも透析に自宅から通うから、”なんて話していたこと。
送迎の介護サービスさんにストレッチャーの乗る車を用意していただきました。
普段、いろんな話をしておくものです。有難かった・・・

結局、病院に到着した時の母は、血圧245、体温39,2度になっていました。
そのまま、入院になりました。
”CTだけでは梗塞は判断できませんから・・・”??

入院が決まったのが夜7時過ぎ。
何もいいませんでしたが、今度は入院させてくださいとお願いするつもりでした。
不安だらけのなが〜い、長い一日でした。

4/18

咳は相変わらず、出ますが、熱も37度台に下がりました。
梗塞だったのか、単なる風邪だったのか判りませんが、母の顔が
少し落ち着きました。なかなか言葉が出てこないのが不安ですが、後は
お医者様に任せるしかありません・・・




風邪?
 4/16
"ごほっ!ごほっ!”
3日前から咳きがでています。
朝晩の気温変化についていけなかったのかな〜
透析をはじめてから、風邪らしい風邪も引かずにきていました。
暖かくなって、私が油断したのかもしれません。
幸い、熱もなく、食欲もあるので、透析クリニックでだしていただいた
薬を飲んで様子をみます。

でも、日曜日のデイはお休みかなぁ。
来週はショートがあるので、それまでにはなんとか、直したいんだけど・・・

食欲  
4/10
あまりの天気の良さに、庭で母は日光浴。
桜もはらはらと舞い散り、それだけで優雅な気分になれる。
母の気分も絶好調。
車椅子に座ってあちらこちらをきょろきょろ・・・
”花があんなに咲いて〜・・・きれいだねぇ〜〜・・”
私はそばで、花の植え替え。
”ねぇ〜お昼、何にしようか〜?やきそば?やきうどん?どっちがいい〜?”
”そうねぇ〜、五平餅!”
”え〜っ、答えになっとらんよ。”
母の頭の中は五平餅モード。

お昼には間に合わないから、夕ご飯になった。
母が具合が悪くなった時にも、五平餅だけは食べていたことを思い出した。

”がうらさんにちゃ〜んと教えてもらいなさい”
といわれた長女、
”おばあちゃんはいいよな〜〜欲しいものがすぐでてきて・・・”
と、せっせと五平餅を焼いていました。

小さめに作った五平餅、たれも薄めに・・
それでも3本も食べてしまった。そして一言、
”まだ、食べられるよ。”
やめて〜月曜日の体重が増えちゃうよ。

水疱 6  
4/9
私の中では解決していた水疱・・・
透析クリニックに報告しなくてはいけなくて・・・

看護師さんにネットで調べた治療方法に変えたことを報告しました。
母が持ち帰った連絡帳に
”ラップ療法は発疹には効果があるそうですが、今の状態では潰瘍に
なっているので、感染をしている場合にはしないほうが良いです。皮膚科で
見ていただいてください。自宅で治療できる方法を聞かれると良いです。”
お医者様の伝言が書かれてありました。

確実に良くなってはいるけれど、お医者様の意見にはめっぽう弱い・・・
さあ〜どうしよう。思案のしどころ・・


水疱 5
  4/7
水疱がなかなか治りませんでした。
2週間ほど前、褥創(ジョクソウ)と同じように自分で治してみようと
思いました。
糖尿病があるから、壊疽になるのでは、と自分で治すことに躊躇
していたのですが。

ワセリン、ラップで覆うことにしました。
それからは朝晩母の足とにらめっこ・・・朝晩、消毒はせず、スプレーに入れた
ぬるま湯で洗う。
赤黒くなっていた水疱部分が浸出液でふやけてきている。浸出液も褥創の
時より多く、ぐちゅぐちゅしている。
頭のどこかで”大丈夫〜?”と思っている自分がいるから、気持ちも重い。

ラップをして三日目、医師に受診をしました。
水疱があったところはふやけていますから、ちょっと見ると、化膿?
と思えるのですが、そこはさすがお医者様、
”これは化膿ではありません。ふやけ状態ですね〜??”
しばらく考えて、
”来週も診察に来てください”
たぶん不思議だったんでしょうね。今まではカサブタのドーナッツ状態でしたから・・
でも、私は説明はしませんでした。
もちろん、受診の時は処方された薬をつけていきました。

化膿ではないことが判れば、それでいい・・・

ラップをして四日目、入浴介助をしていただき、いつものとうり足も洗っていただく。
すると、いつの間にか、赤黒かった水疱の部分がピンクに・・・
しっかり上皮かしているではありませんか。うれしかったあ。

本来なら明日皮膚科を受診するはずなのですが、キャンセルすることに
しました。ヘルパーさんの送迎介助は予約をいれてありませんでした。
多分、大丈夫・・から、これなら大丈夫になりました。
自己責任、自己判断の重さからも開放されそうです。


ショート 3回目
  3/22
金曜日、透析が終わってから、自宅で一休みして出かけました。
夕方、5時。持ち物はインシュリン、お薬などの他は何もいらない。
3ヶ月前に予約していただい、貴重なショートです。
ただ、今回は以前と違って、食事の制限をはずしてあります。
土曜日、日曜日はまかないさんが少ないので、対処出来ないという
ことでした。お風呂もなし。
以前の私は、それならいいです。とお断りしていたと思います。
今回、それでもお願いしました。

母が透析をはじめて3年半、その前の調子の悪い時を入れると、
4年半ぐらいを、全て母中心に動いてきました。
おかげさまで母の調子は良いようです。骨折をする前の
意識レベルまで戻っているように思います。安心は出来ませんが・・・

母を他人に預け、少し息抜きをしてみたくなったのです。
預けたくても、預かっていただけない状態がくるかもしれませんから、
預かっていただけるうちに、預かっていただこうと思ったのです。


透析後の体重の増加が心配でしたが、2,1kg増えただけでした。
いつもより300g位多めですが、この位なら、後の二日でドライウエイトまで
戻すことができるでしょう。

たった2日のショートですが、やはり私にも必要。
これで、はあちゃんのお風呂があったら、言うことなし・・・なんだけれど。
母?勿論、元気です。

ご機嫌  
3/16
デイサービスで農業センターに連れて行ってもらったらしい・・
お迎えの車が来たときに聞いていたから、さりげなく
”今日、どこかにいったあ?”と聞くと、
”報告しようかねえ〜”
えっ!この反応の良さにびっくり。
”いい天気だったからねえ〜、こんなの見たことなかったよ。”
言葉を思い出しながら、話しています。
嬉しそう・・・しだれ梅を見てきたようです。

そう言えば、この冬の間、どこかに出かけたことはありませんでした。
ジャスコぐらい・・・
寒いし、風邪が流行っているから・・といって、連れて出かけることが
ありませんでした。
母はもともと外出が大好きです。私の行くところは何処でも付いて
きていました。家に一人で置いて、心配するよりはと連れて
歩いていました。

母の話はなおも続き、昼食の話になりました。
”どお?おいしかったあ〜”
”それがねえ〜・・・味はいいんだけど・・・???なのよねえ〜”
”???なあに?・・・もしかしたら、おうどんだったあ〜、お汁、吸ってたあ”
私は今日の献立が、てんぷらうどんだということを聞いていました。
母が何を??と思ったかがすぐわかりました。
”おつゆが何もないの〜あれじゃあねえ〜”

はじめのお話で汁物は汁なしでお願いしていましたから・・・当然です。

母が楽しそうに一生懸命話します。
こんなに会話が成り立ったのは久しぶりです。
昨日の透析後の不機嫌さがうそのようです。
はあちゃん、ご機嫌、ご機嫌!


水疱 4  
3/11
足の親指に出来た水疱がなかなか治らない。
上皮かしてこない。
お医者様にかかってきたのですが、やはり糖尿病があると、
治りにくいと言われました。確かに・・・
サイトのお医者さまのことも気になっていたのですが、診察を受けたら、
それに従うしかありません。水疱の周りは赤く、硬い。でも真ん中辺りは
まだ、皮膚がそのままだから、ぷるぷるしている。
その、プルプルした皮膚をカットして、新しい薬をつけてくれました。
これで上皮かが進むそうだ・・・

デイサービス
  3/9
新しいホームに行って来ました。
前の日から、
”おばあちゃん、いいなあ〜今度の所はペンションみたいだって!”

と言われていた母は、一人では申し訳ないと思ったのか、
”あんたも、行くかね〜?”
誘ってもらえるなんて、思っても見なかったけれど、ちょっと、母は嬉しそう・・

帰ってきてからは、初めてのところで疲れたのか、夕食後、車椅子で
うとうと・・・早めにベッドへ、すぐに寝息を立てて、就寝。

この二日後、入浴介助のヘルパーさんにもしっかり報告。
”連れて行ってくれるときに、行かなきゃねえ〜”
だって・・・何処までわかっているのかなあ〜
それにしても、母の言葉が増えました。
いろんな人と関わることが増えたから?

クワバラ、クワバラ・・・
  3/1
夕方、母を起こしに行く。
あ〜〜っ!またも油断していました。
ベッドから母の足が横に出て、車椅子に引っかかっていました。
透析から帰るとぐったりしていますから、自分で動こうなんてしませんでした。
ベッドの柵を持っていた時も(はずして、抱えていました)動かす中心は
手でした。
ところが、今日は体を横向きにして、ベッドから降りる体制です。
車椅子の横付けがなかったら、足の重みで・・・考えただけで、
ぞ〜っとします。

”どうしたの〜ベッドからおりるの?”
”お数珠が切れて、だめになったから、そっちにおこうと思って・・”
母の右手はぎゅっと握りしめられていました。
もちろん、中は何もありません。
”私が後で直しておくよ。”
母は私の手にお数珠をそっと、乗せました。
”今度切れたら、私を呼んでね”
”はいはい・・・”

デイサービスを一日増やす
2/25
母のショートの受け入れ先がなかなかありません。
無理にお願いして、来月3回目のショートが決まっています。
食事制限もなくして、受け入れていただきました。もし、次の日、
あまり体重が増えて、透析に支障があったら、また考えなくては
いけないと思っていました。

車で15分ぐらいの所に新しい特養ホームが出来ました。
先週、そのホームを友人と見学に行ってきました。
木の香りがいっぱいで、まるでペンションです。
ショートにも個室、畳の部屋があります。こんなところで、預かって
いただいたら、母も喜ぶに違いありません。
母のショートは2泊3日。透析があるからそれ以上はできません。
今回無理をお願いした所は、土日曜日にはお風呂がありません。
チョッと残念でしたが、今度の所はヒノキ風呂です。
母の入る徳用バスもヒノキ作りなのです。

そのデイサービスに今回行くことを決めました。
ショートも前向きに検討していただけるとになりました。お風呂にも入れます。
疲れるかな〜チョッと心配だけど、預かっていただけると言う時に
預かっていただこうと思います。



水疱 3
  2/24
化膿することなく、1週間がたちました。
糖尿病の壊疽でないことを願うだけです。私は壊疽を見たことが
ありません。普通の水疱と区別があるのかしら・・・

お医者様には違うと言われたから、安心しているのですが・・・



水疱 2
  2/17
母の水疱は深くはなかったようです。
何が原因か判らないまま・・・

お医者様の処置は水疱から水を抜く、抗生剤の軟膏をつけ、様子を
見ることになりました。

消毒はしないほうが良い、ガーゼはだめ、乾かさないこと、そんなサイトを
見ていたから、お医者様の治療法が気になって気になって・・・
でも、消毒はしませんでした。
できれば、水疱の水を出すのにシールを貼ってくれるといいのにな〜
なんて思いながら
処置をじ〜っと見ていました。
”お風呂も入っていいですよ。
よくお湯で流してください。”
これで安心して、母をお風呂に入れられます。

その後のことは母の足を見ながら、考えよう・・・

今回はじめて介護タクシー?介護保険を使って、病院まで送迎をしてもらいました。
いつもなら、病院の玄関に母を置いて、離れた所に駐車し、戻る。受付の人が
いる時は見ていて貰えるけど、あせる気持ちに変わりはない・・・

今日は本当に楽をしました。


水疱 1 
2/16
気持ちはショックだけど落ち込んでもいられない、なんとかしなくちゃ!
水疱はそのまま・・・の状態。少し赤くなったかなぁ

日曜日、デイサービスのお迎えのヘルパーさんにも報告。
”これって、糖尿病の人ができるのと違う?”

そこで、私は思い出しました。父がかかとに大きな水疱を作ったことを・・・
そこからばい菌がはいって、たいへんだったこと。
このままそ〜っと、破らないようにして、何とかなるかと思っていたけど、
こと、糖尿病となると自信がない。
やはり、明日、病院へいこう・・・

ケアマネさんからショートの電話があり、事情を話すと、早速介護タクシーの
手配をしてくれました。これで安心して病院へ連れて行けます。

病院にも電話をいれると、皮膚科で最初診察だそうだ。という事は、
その後があるということ?
時間がかかりそう・・・覚悟!

水疱が出来た〜  
2/14
夜、夫とお風呂に入れる。毎週土曜日、夫の居るときはね、と
言って、湯船にいれていました。
ベッドに寝かせ、足の位置を確認、
”え〜〜っ!!”
声にならなかった。
右足の親指に水疱が出来てる・・・1,5×1,5ぐらい。ぷっくり・・・

お風呂の追い炊きの時、火傷?(深夜電力とガスの併用だから、お湯が
冷めたときは、追い炊きをしていた。)
湯たんぽも入れている。低温火傷?・・でも、足が湯たんぽにあたって
いるとは思えない。母も動かさないし・・・
靴型のスリッパを履いている。それで擦れたのかしら?・・でも、圧迫感は
全くない。
どこで、出来たんだろう・・・何で・・・???
私の頭はパニック状態。
お尻の褥創が良くなって、ほっとしてたのに〜〜
さしあたり、つぶれそうもないからそのまま・・・

私の頭はパニックでつぶれそう・・・

ヘルパーさんから見た母
  2/9
週3回の透析の送迎をヘルパーさんにお願いしています。
最初は1回を私が送迎をしていました。透析室の雰囲気も判るし、
透析のカルテも見ることができますから、血圧の上がり下がりもチェック
出来ます。それに、看護師さんとのコミュニケーションも取れると思ったからです。
それが肩を痛めてから、全てをヘルパーさんに・・・
食事を食べたかどうかのチェックは夕方の血糖値の測定で解りますが、
母の微妙な雰囲気、今日の透析が辛かったと言うようなものは
解らなくなってしまいました。
でもそれはしかたがないことと、諦めていました。

ところが、ヘルパーさんの中には母の微妙な変化に気がついてくれる方が
でてきました。
今日のヘルパーさんは、
”看護師さんは血圧下がっていないって言ってたけれど、
ちょっと、雰囲気が違うし・・・ごはんも口に入ったものがなかなか飲み
込めないんですよ。看護師さんは大丈夫って言っていたんだけど・・・”
こう報告してくれました。
今までのことを考えると雰囲気は伝わってきます。
母のことを心配してくれる気持ちも伝わってきます。

母はいろんな方に支えていただいていると実感しました。


血糖値が高い
  2/6
母の血糖値はもちろん、私が管理しています。朝のインスリン注射、
朝、夕の血糖値を計り始めて5年位になります。面倒でしょう?と言う人もいますが、
食事を作るほうにとっては数値を見ながらですから、その方がやりやすいのです。

母の血糖値は夕方になると大分高くなります。200台になってしまいます。
でも、朝になるとこれが、120前後になってしまうのです。
入院中もこのことをお医者様に解っていただくのに、時間がかかりました。

夕方、200近くあれば、インシュリンを打つのは普通です。ところが、打った、
あくる朝は70〜80になって看護師さんが大慌てをします。低血糖の自覚が
ありませんから、周りは母の時ならぬ生あくびに、ぎょっとさせられることに
なるのです。
そんなことで、母の血糖値は高め安定になっていました。

先月末のアクシデントから、母の血糖値がどうも高めです。
食事は食べられなかった1日を除いて、今までどおり・・・
朝の血糖値が十分下がりきれないのです。
朝、160〜200はちょっと高い・・・だいぶ高い。
その時は私の判断でインスリンを2単位増やしていたのですが、お医者様の
指示で120以下は6単位、160以上は10単位、その間は8単位ということに
なりました。

母の体の中でやはり何かがあったのでしょう。

おじや  
2/5
血糖値が高いので、少し食事の内容を低カロリーのものに変えてみました。
今日のお昼は母の大好きなおじや。水分制限になってからあまり作ら
なかったのですが、野菜をいっぱい入れ(カリウムを減らすために茹でこぼします)、
揚げを少々、あじつけはしょう油とみりん。残りご飯をいれて煮込み、卵でとじます。
寒いときには体も温まるし、空腹も満たされます。
久しぶりのおじやに母は自分でペロリ。
私の体もほっかほか・・・

むっく ありがと!
1/28
食欲も復帰して、ほっとしたのに・・・

深夜、むっくの時ならぬ鳴き声に目をさましました。
猫の声にでも反応しているのかと、”早く寝なさい”と声をかけ、起きませんでした。
ところが、私のベッドと居間のほうまで走っては鳴いています。??なんだろう。
そのうちに、鳴き声が変わってきて、どうも私を呼んでいる・・・
起き上がると慌てて母の部屋の方へ走っていきます。
眠気が一気に飛びました。

母の部屋を覗くと・・・母がベッドごと起き上がっているではありませんか。
足も上がり、ベッドの高さも上がって・・・ふとんはベッドの横に落ちている。
母の手には、ベッドのコントローラー?が。
あちらこちら押しているうちにこうなってしまったんでしょう。
むっく、有難う!気が付かなかったら、母はベッドから落ちていたかもしれないし、
風邪だって・・・
コントローラーはもっと離れたところにおかなくちゃ!
反省!

貴女を我が家の介助犬に任命するよ。


朝 突然に
 1/27
今日は透析もない、母を8時15分に起こしに部屋へ。
いつもと違う・・・目をキョロキョロさせて、左手をぎゅっと握って、肘を
曲げたままなのです。声をかけてみても返事がありません。
あ〜〜どうしよう。
血圧を測ってみると、160/80で母には普通。首の周りを触ると、
汗をかいています。手を伸ばそうとしても伸びない・・・

昨日の透析中に調子が悪くなり、嘔吐したという連絡はありました。
血圧が200あったと・・・

とにかく、透析クリニックへ電話する。
お医者様と連絡がとれ、往診してくれることになる。

お医者様がみえたときは母の表情が少し和らいでいました。
診断は様子をみましょうということになった。
もし梗塞があっても、多分手術はできないだろう。
今病院に運んでも、CTを撮るぐらいしかできないだろう。
明日、透析にはいかなければならないので、その時にもう一度
診ましょう。風邪かもしれないし・・・
ということになった。

お医者様が帰られてから、母の朝ごはん。恐る恐る起こし食事をさせると・・
食べられる。よかった〜ひとつ関門を通ったような気分です。
結局、お昼には巻き寿司じゃないお寿司(母の希望)、夜には
ピーマンの肉ずめを食べ、食欲は回復!
長女におやすみなさいの手を振り、手も回復!
はあちゃん、復活しました。ふぅ〜〜それにしても、疲れたあ〜


お湯は増えたほうが良い?
 1/24
母の入浴は火曜日、木曜日、ヘルパーさんに入れていただきます。
湯船にどっぷりつかって、気持ちよさそうにしています。母がこの入浴介助を
とても楽しみにしているのは解ってはいました。

土曜日は私がシャワーで入れています。
今日もいつものように入れて、かけっぱなしのシャワーを止め、出る準備を
はじめると・・・母は自分で足の入った桶を取ろうとします。
”いいよ、最後に出せば・・・その方が暖かいでしょ!”
”あっちに行くから・・・” ”???”
”お湯は増えたほうがいいから・・・”
母は湯船に入るつもりのようです。
”お風呂の中に入りたい?”
”そりゃあ〜その方がいいよ〜”
湯船に母を入れたことがありませんでした。ヘルパーさんの入れ方を見ていて
出来るかもしれないと思いながら、無理をしないできてしまいました。
どうしようか迷いました。
今まで、自分の方から話す事もなくなり、まして何かして欲しいなんて言ったことも
ありませんでした。
何とか、入れてやろう。そう思ってしまいました。

夫に手伝ってもらいながら、入れるときは何もなくすんなり・・・母はご機嫌です。
そろそろ出ようか、と言うと、”まだいいよ”しっかり返事をします。
この言葉数の多さ。
ようやく出ることを納得させました。問題は出るときです。
ヘルパーさんがしていることを私と夫の二人ですると、案外、うまく出すことが
出来ました。ほっ!

母にはしっかり言い含めました。
”今日はお父さんがいるから入れてあげれたけれど、私一人では入れられないからね。
長女とも入れられないからね。長女は力がないから。解った?”
”解ってるよ〜”
ほんとかなあ〜、入れたことを後悔しないといいんだけど・・・
温まった気持ちだけ、しかっり覚えていたら・・・

温まった体で、そのままぐっすり・・・確かに気持ちはいいだろうなあ〜

ラップ療法  
1/20
目から鱗、この表現がやはり一番適切かなあ〜
この療法をサイトで知ったときは寝る時間を忘れて、読んでいました。
でも正直なところ、これをすぐ試してみようとは思いませんでした。
あちらこちらのサイトをうろうろしながら、”傷に消毒はいらない。”なんて
サイトがあって,ちょっと待ってよ〜。
じゃあ、今までの消毒は?何の意味があったの?
考えれば、考えるほど疑心暗鬼。これはお医者様のサイトなんだから・・・
何日もかけて読んでいくうちに、褥創のアップされた写真も気にならなくなって、
拡大して見る勇気?もでてきました。
こうなる前に何とかしなくちゃ!
こうしてはじまったのが、褥創奮戦記・・・になったのです。

世の中にこのようなお医者様がいらっしゃったことにもびっくりでした。

褥創って辛いんですよね。本人はもちろんですが介護をしていると、罪悪のように
思われてしまう。
”貴女、お尻拭き、さぼっていませんかあ〜”って。
言われてはいないけれど、ひしひし感じるものがあります。
私もなかなか治らないんだから・・・と、どこかでシュンとなったりして・・・

でも、治せるじゃん!なんです。
ほっとしました。

ぬいぐるみ その2
  1/17
"あそぼぉ〜”
”何してあそぶだねぇ〜”
”なでなでして〜〜”
母はにこにこしながらぬいぐるみをなでてやります。
自分の帽子もかぶせてやります。
甘えた声で話すぬいぐるみのどこがいいのか解りませんが、
お気に入りです。

血管造影 その後
 朝、母を恐る恐る、起こしにいきました。
”おはよ!具合は如何?”
”具合?まあまあだねえ〜”
あ〜よかった。これなら上等!

血管造影  
1/12
 半年に一回の血管造影の検査を受けました。
終了時間はいつもの一時間遅れになりました。
3時近くに母を迎えにいくと、母の体は斜めになっていました
”えっ!”
何かあったんだろうとおもったとたん、看護婦さんが走ってきました。
”血管造影は無事済んだのですが、その後の透析で血圧が下がって
しまったんです。”
”あのお〜自分で動いたんでしょうか?”
”そんな〜、気持ちが悪くなったんで、横になってもらったんです”
そおいうことなのか。ベッドから顔をださせたためだったようです。
”おばあちゃん、えらかった?(辛かったの意味)”
母はそれには答えず
”あんたが迎えに来てくれたの?あんたと一緒にかえればいいの?”
そうだよ、と答える私の顔を見ると安心したようです。
この半年、何もありませんでした。この検査が不安だったんでしょう。

家に帰っても会話はありません。話しかけても、うまくかみ合いません。
腹を立てているだけならいいのですが・・・


ぬいぐるみ  
1/2
母にぬいぐるみをプレゼントしました。
テレビで紹介されていたもので、お年寄りに人気のあるというぬいぐるみです。
その時初めて知ったのですが、これを母が喜ぶのか疑問はありました。でも、
お年玉プレゼントにすることにしました。現金がいいって、言ったら?(笑)
その時はその時。そんな気持ちでのプレゼントでした。

頭を触ると、ハピーニュイヤー! しっぽを触るとだめ〜。よくしゃべります。
そのままにしておくと、あそぼ〜!と話します。

意外にも母がしっかり反応。ぬいぐるみの声に答えています。
黙って聞いていると、おかしくもありますが、母の言葉が増えていきます。
今まで、ようこちゃんって言っていたのに、そんな名前だった?なんて
とぼけるし・・・ようこちゃんだって、どこからでてきたのやら。不思議な世界が
広がっていきます。

母の正月
  1/1
 新しいカレンダーがくると、初めに見るのが1月1日の曜日です。
母の透析と重ならない事を願って・・・
今年は木曜日で透析はありませんでした。
それだけで、ゆっくりできるのでうれしくなってしまいます。インスリンの注射もあるし
血圧も測らなくてはいけないから、寝坊はできませんが、時間に追われない。
穏やかにお正月を迎える事が出来ました。母も穏やかです。