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井上山(771m)
長野県 2004.11.29 | 妻同行 | 曇り | 一等三角点 | |||||
金口登山口(11.20)−−−四等三角点−−−大城(11.45-11.50)−−−井上山(12.40-12.55)−−−金口登山口(13.45) | ||||||||
登山口まで車で10数分、そこから山頂までゆっくり歩いて1時間余、気分転換にちょっと山を歩いてきたいときには手ごろな山。そう思っていてもなかなか登る機会がなくて、やっとこれで2回目。山頂の展望がも少しのぞめるといいのだが、その点が惜しい。 今回の収穫は、山頂までの途中に四等三角点のあることに気づいたこと。前回は雪の中だったために知らずに通過してしまった。 |
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2003.01..17 井上山 2004.11.29 井上山 2010.03.30 井上山〜大洞山 2011.12.05 井上山 2014.12.10 井上山 須坂基線 | ||||||||
長野県 2003.01.17 | 単独 | 一等三角点 | ||||||
コース | 自宅(10.50)===金口登山口(11.10)−−−大城(11.35)−−−井上山三角点(12.20-30)−−−大城(12.50-55)−−−金口登山口(13.16) | |||||||
一等三角点の山
国土地理院の地図にはこの山の名前はありません。まったくの無名の山です。地元では何らかの呼び名を持っているのでしょうが、その名前は知りません。三角点名が「井上山」ですから、一応井上山と呼んでおきます。 しかしこの山には大事ないきさつがあります。 明治時代、全国の地図作りが始るとき、三角測量の基礎となる底辺=これを基線というそうです=を全国各地に合わせて15設定したそうです。この基線の一つが須坂市にあって『須坂基線』と言います。基線はきわめて高い精度が要求され、これをもとにして最初の三角測量が行われ、一等三角点が設置されたのが井上山というわけです。この基線から三角測量が次々と網の目のように広がっていったということです。 というわけで地図に関心のある人なら、一度は登ってみたい三角点かもしれません。そんな歴史も知らずに出かけました。 前日の暖かい陽気で融けた雪が、マイナス10度という朝の冷え込みで凍結、道路はスケートリンクのようです。おかげて大渋滞、ふだんなら登山口まで車で10数分のところ、1時間かかってもたどりつきません。諦めていったん帰宅、少し気温の上がったころあいを見て再び出なおしました。 山というほどの山でもありませんし、登山口標識のようなものもありません。 長野東ICから長野市内へ向かってすぐ、インタ−チェンジ西という信号を左折、300〜400メートルで左折します(その手前にも左折する道がありまが間違えないように)。高速道路をくぐって左寄りに直進すると、道路脇右手に井上枕状溶岩の案内板があります。井上山への途中の道標に「金口」という表示がありましたので、この登山口を「金口」というのではないかと思います。ここに車を止めて出発。 コンクリートの階段を登って道路擁壁の上に出ると、あとは登山道となります。 雪の下は多分歩きやすい道だと思われます。潅木の中を進むとやがて尾根道となります。背後には北信五岳や北アルプスの展望が広がってきます。20分ほどで「小城跡」とう小ピーク、さらに5分で「大城」というピークです。大城にはベンチが設置されていました。ここは善光寺平を見下ろす山城跡です。 古い足跡はここまでで、後は山頂まで鹿やタヌキの通ったあとがあるだけです。それにしても真冬にこんな無名の山へ登りに来るもの好きは他にはなさそです。 大城のすぐ先に浄蓮寺という道標が立っていました。東方から登って来るコースのようです。 雪は深くなり勾配も急になってきました。今日のいでたちは長靴、これがけっこう快適です。それにしても無垢の雪を踏んで登って行くのは気持ちのいいものです。雑木の木の間越しには北アルプスの連なりが垣間見えます。 大城から45分で一等三角点に着きました。雪をかぶった三角点を掘りだして見ると、頭の一隅が欠け落ちていました。周囲は樹木に囲まれて展望はありよくありません。それでも枝越しに妙高山、火打山、焼山、黒姫山、飯縄山、戸隠、白馬三山、鹿島槍、爺ケ岳、蓮華岳さらに後立山へとつづく銀嶺は見事でした。 細長い山頂を南方へ5分程進んで見ましたが、こっちの方が20メートルほどは高そうでした。 |