2-1.生と死と救い
2-1-3<心の平静について>
思想史を振り返ってみると,心の平静に理想の境地を求める思想がある。これはどのような性格を持ち、どういう状況の下に生まれたものであろうか。古代思想を手がかりに考えてみよう。
ギリシアの思想家aゼノンとエピクロスは,学派こそ異なるものの,心の平静に理想の境地を求めたという点では共通していた。ゼノンは様々な情念や外部からの影響に乱されない 1 という状態を提示し,エビクロスはアタラクシアを説き,公共的生活を離れて 2 と言った。また古代インドでは,ブッダが悟りを教え,苦悩を超克した精神の平和を意味する 3 を説いているし,戦国期の中国では,荘子が,己を虚しくして道と一体となったb真人を説いている。時代や地域を異にしながらも、これらの思想は,いずれも外界から煩わされることのない心の平静や安定を説くものである。
さて,これらの思想が生まれる背景には,共通した社会状況があった。マケドニアのアレクサンドロスの遠征によって,ギリシアはヘレニズム期に入り、従来のポリスは完全に独立性を失い,機能しない状況になっていたし,インドでは, A 。また中国は長引く戦乱の世にあった。このように,生活の土台であるべき社会が、混乱や変革によって,きわめて不安定な状態に陥り,人々は現実社会に心の拠り所を見いだし得なくなっていたのである。
心の平静を理想の境地とする思想は、確かにc不安定な状況に積極的にかかわり、新たな社会のあり方を提示する思想ではなかった。しかし、このことは、社会からの単なる消極的な逃避を意味するわけではない。これらの思想は自己の深化につながる深い思索を含み,特定の社会にとらわれない次元で展開する可能性を持っていたからである。
したがって一時代を超えて通用する「生き方」への指針を有する思想であった、と言うことができよう。
問1 文中の 1 〜 3 に入れるのに最も適当なものを、次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。
1 @アルケー A アパテイア B テオリア C メソテース
2 @妄りに語ることなかれ A自然に従って生きよ B隠れて生きよ C自然に帰れ
3 @涅槃 A 四徳 B無常 C五戒
問2 下線部aの二人の思想の相違を述べたものとして最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@ エピクロスは哲人による政治を求めた点で、ゼノンとは異なる。
A エピクロスは精神的快楽を求めた点で,ゼノンとは異なる。
B エビクロスは万物を流転すると説いた点で,ゼノンとは異なる。
C エビクロスは万物の尺度は人間であると説いた点で,ゼノンとは異なる。
問3 下線部bの在りようを述べた言葉として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@上善は水のごとし。水は善く万物を利してしかも争はず。衆人の悪(にく)む所に逸る。故に道にちかし。
A己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。
B生をよろこぶことを知らず、死を悪むことを知らず。その出るもよろこはず、その入るもこばまず。悠然(ゆったりとしたさま)として往き,悠然として釆たるのみ。
C生まれながらにして之(道理のこと)を知る者にあらず。古を好み、敏(つと)めて以て之を求むる者なり。
問4 文中の A に入れるのに最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。 6
@ アーリア人がインドに進入して先住民を征服し、バラモンを頂点としたカースト制度が確立されつつあった
A 宗教者が,菩薩の行いを理想とし,衆生の救いをめざすという宗教的運動が起こっていた
B バラモン層の社会的権威がゆらぎ,武士階級や新興商人階級が力を持ちつつあった
C 神々を祭るための複雑な儀式と,難解な哲学によって,バラモン層が地上の神として社会を支配していた
問5 下線部cのような思想を唱えた者として韓非子がいるが,彼の思想を述べたものとして最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@ 小数人民による共同体的な寡民政治を説いた。
A 君主自らの道徳的権威による王道政治を説いた。
B 法律によって人民を統治する法治を説いた。
C 格物致知を基本とした平天下の理念を説いた。
問6 本文の趣旨に照らして,心の平静に理想の境地を求める思想の特色を述べたものとして最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@ 安定を失った社会に積極的にかかわって自己と社会とを共に変革し,公共的秩序の回復を求めたものであったがゆえに,先駆的なものであった。
A 不安定な状況に陥った社会を無視して自己の営利を追求し,個人的な逸楽と平安を求めたものであったがゆえに,独自性を持ち得た。
B 変革した社会に沿うように自己をも改革し,社会の中への埋没を求めたものであったがゆえに,退廃的なものであった。
C 不安定な状況に陥った社会に一歩距離をおいて自己を見つめ直し,内面的な支えや平安を求めたものであったがゆえに,普遍性を持ち得た。
[9-追]