2-1.生と死と救い
2-1-4<死をどうとらえるか>
4 次の文章を読み,下の問い(問1〜7)に答えよ。
死は古くから,人間にとって根本的なできごとであった。現代では,身近な人の死に 立ち会う機会は少なくなった。しかし,脳死をめぐって,改めて死の意味が問われるなど,死について考えることが必要であることに変わりはない。ここでは,先人の思想をたどりながら,死をめぐる問題について考えてみよう。
古代において,死は何よりも恐ろしいものであり,苦しみをもたらすものであった。したがって,死の恐怖への対処が一つの課題であった。古代ギリシアでは,アリストテレスは, 1 を身につけることによって,死の恐怖をほどほどに抑えることを求めている。 aまたエビクロスは、デモクリトスの原子説を継承し、死を恐れることの愚かさを説いている。仏教の開祖プッダ(ゴータマ)も,人生に不可避の苦として生老病死を挙げ,bこれらを苦とするあり方を離れることの重要さを説いている。
また,古代インドのウパニシャッドでは,自らの本質と宇宙の本体との同一性の認識が探究されている。荘子は,自己と他者との相対性を超えて,道との一体化を目指し,プラトンは,肉体は生成消滅する感覚的な世界に囚われているが、魂は不滅であると考えた。 cこのように、人間をある不滅の相で捉えることによって、生死を超える境地を探究することが行われた。
死後の世界についても様々に議論されているが,孔子は「いまだ生を知らず,いずくんぞ死を知らん」と、 2 世界観に立って,死後の世界を語らない。孔子にとって重要なのは,dこの生をいかによく生きるかということであったからであろう。また,死後の魂の救済を説くeイスラーム(イスラム教)やキリスト教においても、この世で神の意思に沿った信仰篤い生活を送ることは大切であるとされている。
f死の問題は,いかにこの生を生きるか,という問題と切り離すことはできない。
ソクラテスは自ら毒杯をあおぎ,生き永らえることを拒絶した。それは,彼が「よく生きること」を標榜していたからであり,このことは,命は大切であるが,ただ命があるだけでは生は充実したものにならないことを教えている。死をめぐる問題は,いかに生きるかということと深くかかわっている。死について考えることは,この生をよりいっそう豊かにすることにつながるであろう。
問1 文中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。
1 @勇 気 A気概 B禁欲 C知恵
2 @懐疑的な A超越的な B現世中心的な C功利主義的な
問2 下線部aに関して,エピクロスの考え方の記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 3
@ 死なんてものは,言ってみりゃ暖簾をくぐるようなものだから、ひょいとくぐって,向こう側の人にあいさつすればいいだけのことじゃないか。
A 死にたくないなんて,ずうずうしいことを言っちゃいけない。皆死ななくなったら,人があふれて地べたが重くてかわいそうじゃないか。
B 人間,生きている間に死ぬなんてことはないし、死んでしまえば空中のチリみたいなものさ。何も考えられなくなるだけの話じゃないか。
C 死に神ってのもなかなか気さくでいいやつだというのに,皆から嫌われてかわいそうじゃないか。この際仲よくしてやったらどうだい。
問3 下線部bの背景にある仏教の考え方の記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@ 苦の原因は,自分が何であるか知らないという点にあるが、自分といわれるものの本質は,この世界のものを存在させる原因や条件の相対的あり方を超越したものであると認識されなければならない。
A 苦の原因は,自分が何であるか知らないという点にあるが・すべて存在するものは原因や条件に依存する相対的なものであり,自分といわれるものも変化する相対的なものであると認識されなければならない。
B 苦の原因は,自分でないものを自分と思うところにあるが,自分といわれるものは、自他の区別を可能にする原因や条件の背後にある根源的なものであると認
C 苦の原因は,自分でないものを自分と思うところにあるが,我々の本質をなす自分といわれるものは,存在するともしないとも言えない不可知的なものであると認識されなければならない。
問4 下線部cの考え方を表している文章として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@ 魂が純粋に自分だけで何かを考察する場合には,魂は,あの純粋で永遠で不死で不変な存在へとおもむき,…常にそれとともにある。
A 生に並んで死があり,死に並んで生がある。可に並んで不可があり,不可に並んで可がある。…すべて相対的な対立にすぎず,絶対的なものではない。
B あなた(神)が「死ね」といわれるなら,私はよろこんで死にましょう。そして「ようこそ,私を死に誘(いざな)うお方」と申しましょう。
C この世にあるものすべてはそれ,すなわちこの微細なものを本質としている。それは真にあるもの,それは我である。汝はそれである。
問5 下線部dに関して、孔子が考えた「よい生き方」の記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 6
@ 平等の原則に基づいた秩序を尊重するとともに,己の欲望を制限し他者との関係を重視する生き方。
A 常に正義の実現を考え,不正の世にあっても,身の危険をかえりみず敢然として自己を主張する生き方。
B 自らの利益よりも,常に他者のことを考え,差別なき愛に基づいた社会奉仕を第一とする生き方。
C 上下の序列に基づいた秩序を尊重するとともに,己の欲望を制限し身を修めようとする生き方。
問6 下線部eに関連して、救済についてのイスラームの考え方を述べた文として最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@ 聖典『クルアーン(コーラン)』から直接的または間接的に引き出された信仰・儀礼・社会規範を守ることは神の定めた生き方であり,可能な限りそれに従って生きることが来世での永遠の幸福につながる。
A 預言者ムハンマドは神の子であり,彼の語った言葉を集めた『クルアーン』は,「読誦するもの」という意味を持つので,それを読むことによって神の子との合一が実現し,来世での人間の救済が可能となる。
B 聖典『クルアーン』は,歴史上最後で最大の頚言者とされるムハンマドの思想を記録したものであり、彼の残した様々な判断に従って生きていくことで来世での救済が可能となる。
C 預言者ムハンマドがメッカ近くの山中でしばしば瞑想に耽っていたように,悪徳や偽善の横行する現実の社会から身を引き,孤独のなかで魂の浄化をはかることの他には,来世での幸福を実現する道はない。
問7 本文の文脈に照らして,下線部fの内容の説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@ 我々も,我々のまわりにあるものも、常に変化している。この変化を止めることは誰にもできない。命も変化にさらされており,限りがあるのが現実である。それゆえ,日常の些事に心を動かされず,ありのままを受け入れて、淡々と生きるのがよい。
A 我々も,我々のまわりにあるものも、常に変化している。しかし,この不安定さの中に安住せず,努力し競い合ってこそ,我々は向上することができる。命に限りがあるとしても,競争の中で向上することによって、生を意味あるものにすることが我々の課題である。
B 我々も,我々のまわりにあるものも、常に変化している。変化の中でとまどい、いろいろ考えて迷うよりも,まず何かを実行することが大切である。その結果が失敗に終わっても,試行錯誤の過程こそが重要である。我々の生は、あまりに短く,無為にすごす時間に意味はないのである。
C 我々も,我々のまわりにあるものも,常に変化している。生きとし生けるものは,いずれ死を迎える。重要なのは,この命がある限り,生きる価値を問い続け、自分で何をすべきかを考え実行し、生に意味を与えていくことである。
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