2-2.自然と人間,思索

2-2-3<自己探求>

3 次の文章を読み,下の問い(問1〜9)に答えよ。

  人類の思想の歴史をたどると,「私は何者なのか」という自らへの問いかけが,時代や地域を問わず,いわば普遍的な問いとして絶えず繰り返されてきたことが分かる。古代インドでは.仏教が誕生する以前から,人間の在り方をめぐって深い思索が展開されていた。『ウパニシャツド』の哲人たちは,内なる真実の自己に目覚め,これが宇宙の根本原理と同一であるという 1 の境地に達することを理想とした。これに対して、aゴータマ・ブッダは人間の生き方を捉え直し,諸法無我の教えのもとに、日常における自己の在り方を意識的に転換していくことが悟りへの道であると説いた。

  ギリシアにおいても、人間の知的関心はとりわけ自己自身に対して向けられた。b初期ギリシアの自然哲学者たちは自然を探究対象とし,万物の始源の究明に専心したとされるが,そこには自然の一部をなす人間の根源的な在り方を探るという意図が含まれていた。ヘラクレイトスは万物流転説を提唱しつつ,「私は自己自身を探究した」という言葉を残している。このような自己探究の精神は,ソクラテスヘと受け継がれていく。ソクラテスは,c対話問答による吟味を通して人々を自分自身についての思い込みから解放し.無知の自覚に根ざした真実の自己と向き合わせることに尽力した。

「私は何者なのか」という問いかけは、多くの場合、自らを超えたものに自己の存在の根拠を求めるという方向へと進んでいく。プラトンは、人間の魂は「善そのもの」「美そのもの」といった超越的なイデアを観ることによって,自らを真実の存在へと形作ると主張した。また古代中国の道家思想では,人間を始めとする天地万物の起源、根拠として、e道を重視した。『老子』は、人間は自然に身を任せ、 2 をもつことによって初めて、道にかなった真実の在り方に復帰することができると教えている。自らを超えたものとのこうした出会いは、人間を神の被創造物と見なすfキリスト教やイスラームの人間観にも通じる。

私たちは,日常における他人との出会いや周囲とのかかわりの中で、g自己というもを漠然と意識している。しかし,時として,これまでの価値観が大きく揺らぎ、「私は何者なのか」という自らへの問いかけが重い意味をもって迫ってくることがある。こうしたとき,自己とは身近にあるようで、実は極めて遠い存在であることに気づくのである。先哲たちの思索は,「私は何者なのか」という問いかけが A となることを示している。

 

1 文章中の 1  2 に入れるのに最も適当なものを、次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選ベ。

1  @身心脱落 A 梵我一如 B唯我独尊 C 心斎坐忘

2  @質実で剛健な心 A誠実で正直な心 B柔和で謙虚な心 C知的で鋭敏な心

 

2 下線部aのゴータマ・プッダが説いた人間観についての記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 3

 @人間の身体や心的要素は絶えず変化しているので、自己を永遠不滅であると錯覚したり,これに固執したりしてはならない。

 A人間の身体や心的要素は・すべて宇宙の真理に当たる法身仏から派生したものであるから,成仏の可能性は自己に備わっている。

 B人間の身体や心的要素も含めて,この世にあるものはすべて空であり,無自牲であるから,自己というものも存在しない。

 C人間の身体や心的要素も含めて・この世にあるものは楓源的実在である心の現れであり,自己というものも実は仮象である。

 

3 下線部bに関して,この哲学者たちの思想についての記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4

 @事物は神である「一者」を根源として,そこから流出によって派生的に生成したのであり,人間は実在界と感覚世界との中間に位置する。

 A事物は普遍的な理(ロゴス)に基づいて生成し、人間はこの理に従うことで情念に支配されない,理想の生き方を実現することができる。

 B事物は質料に内在する固有の形相が現実化していくことによって生成するが,この世界それ自体は生成も消滅もせず,永遠に存続する。

 C事物は多様な仕方で生成するが,その根源には「空気」「水」といった構成元素が,本質において変わることのない原理として存在する。

 

4 下線部cに関して,プラトンの対話篇に登場する人物が「無知の自覚」を表明したものとして最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5

 @ソクラテスは相手に対して質問するばかりで,自分の方からは何一つ答えようとしない。答えるよりも問うことの方が簡単だということをよく知っているものだから,誰かに質問されると空とぼけて,あれこれ言いつくろっては答えるのを避けるのだ。

 Aソクラテスは自ら困難に行き詰まっては,他人も行き詰まらせてしまう。これまで大勢の人々に向かって徳について私が語ってきた話は,自分では立派な内容だと思っていた。ところが,今では徳とは何かということさえ語ることができなくなった。

 B対話問答を通して議論を進めていくソクラテスの熱意は,称賛に値する。私は悪い人間ではないし,また私ほど嫉妬心から縁遠い人間はいないので,ソクラテスが知恵にかけて有数の人物の一人になったとしても,決して驚かないだろう。

 Cソクラテスという人は、いつもこうなのだ。ほとんど取るに足らないような事柄を問い返しては,相手を反駁しようとする。もし誰かが何事につけてもこの人の言うことに同意してやったなら,この人ときたら,まるで若者のように大喜びするに違いない。

 

5 下線部dのプラトンの立場に対して,アリストテレスは自己実現としての人間の幸福を別の仕方で論じている。アリストテレスの幸福についての記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 6

 @人間の幸福とは苦痛によって乱されることのない魂の平安であり,これを実現するには,公的生活から離れ,隠れて生きるべきである。

 A人間の幸福とは肉体という牢獄から魂が解放されることであり,これを実現するには,魂に調和と秩序をもたらす音楽や数学に専心すべきである。

 B人間の幸福とは自己自身への内省を通して,宇宙の理と通じ合うことにあり,そのためには自らの運命を心静かに受け入れることが大切である。

 C人間の幸福とは行為のうちに実現しうる最高の善であり,これを実現するためには,よき習慣づけによる倫理的徳の習得が不可欠である。

 

6 下線部eに関連して,古代中国の諸子有家の「道」についての記述として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7

 @荀子は,人間の本性は悪であるという性悪説の立場に立って,争乱の原因となる人々の欲望や利己心を矯正するために,社会規範としての礼の遵守を人道の中心に据えるべきであると主張した。

 A荘子は,老子の道概念をさらに発展させ,人間の主観に基づく相対的な判断を 超えて,事物が絶対的同一性を共有する万物斉同を道の本質とした上で,これと一体となった生を人間の理想とした。

 B孟子は,戦国時代という動乱のさなかにあって,武力によって民を威圧支配する覇道主義に対して,社会の統合原理として法を重視し,これによって民をよい方向へ導くという王道論を展開した。

 C孔子は,人間が従うべき正しい道理として人倫の道の重要性を説くとともに,為政者が最高の徳である仁を目指して修養し・道徳的権威によって民を統治すべきであるという徳治主義を提唱した。

 

7 下線部fに関して,キリスト教とイスラームとに共通する思想の記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 8

 @創造主である神への信仰を通して,すべての人間が血縁集団や民族を超えた新たな共同体を実現するという見方に立っている。

 A創造主である神との契約に基づき、神から示された律法を厳格に守ることによってのみ救済が約束されるという見方に立っている。

 B絶対神と完全に一体となった預言者が天地創造や終末、来世の秘密を一般の人々に説き明かすという見方に立っている。

 C偶像崇拝を否定し,被遣物としての人間は絶対的な超越者である神をまったく知りえないという見方に立っている。

 

8 下線部gに関連して,現代の精神分析学の立場から自己の問題を捉え直した思想家にエリクソンがいる。エリクソンの思想についての記述として最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9

 @自己は単独に存在するのではなく,他人という鏡の中に像として映し出されることによって明確になっていく存在であると考えた。

 A自己の生の意味づけを通して,尊厳のある生き方を追求していくことに,人間として存在することの根源的な価値を見いだした。

 B人間の心理的発達において,他人や社会との関係の中で自己中心性を脱却していく児童期を重要な段階として位置づけた。

 C各人が自己の同一性を形成していく青年期を全生涯にわたって人格的成熟を遂げていく上で重要な段階であると見なした。

 

9 本文の趣旨に照らして,文章中の A に入れるのに最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 10

 @私たちを自分本位の個人主義から解放するだけでなく,家族や友人たち、さらに社会との協調を重視していくための指針

 A私たちを自己への韻われや先入観から自由にするだけでなく,自らが存在することの意義を自己自身に問いかけていくための指針

 B私たちに多様な価値の存在を認識させ・自己とはこうした価値の多様性を反映した相対的なものであるという理解に至るための指針

 C私たちに人間としての自らの知的能力の限界を自覚させ、真の自己理解というものは不可能であると理解するための指針

                                    〔15-追〕

     to センター試験もくじ