2-
3.生きる意味と価値の創造
2-3-5<内面の善と利他性>
5 次の文章を読み,下の問い(問1〜8)に答えよ。
倫理というものを考える上で,「善とは何か」という問いは根本的である。およそ倫理的な行為は善に関する何らかの判断をもとにするからである。ギリシアの哲学者aソクラテスはただ生きるのではなく,自己の魂を善いものとすることで善く生きることを探究した。「一体,善とは何か」という問いに対して彼の弟子プラトンは魂の善を探究する道を押し進め,「善のイデア」と魂のかかわりによってこれに答えようとした。アリストテレスは善を人間の自然本性に基づくb魂の内的働きと捉え,善のイデアに代えて万人の希求する善としての「幸福」の実現を目指した。さらに 1 は,様々な情念から解放され,外部の何ものにも煩わされない魂の状態を善と捉え,理想とした。これらギリシアの思想家を見ると,まず自己の魂という内的視点が善に関する思索の基本にあったことが窺える。
ところでユダヤ教やイスラームにおいては,神の言葉に従うことが善であると言われる。聖書やクルアーンなどはそれぞれ神の言葉であり,これに背くことが悪とみなされる。ただその従服さは,何か規則に縛られたものというより,神に対する人格的応答であることを見逃してはならない。それゆえイエス・キリストは,ユダヤ教内でこの人格的応答の視点が後退し,いわゆる 2 が台頭したとき,これを徹底的に批判した。彼は人格的応答として神への愛を説き,これをもとにc隣人への愛を説いた。イエスの説く隣人への愛を広く利他性と捉えるならば,これはd大乗仏教の慈悲にも通じる思想と言える。
ギリシア哲学で探究された魂の善と,イエスの隣人愛や大乗仏教の慈悲に見られる利他牲とは,我々が善を考える上で大切な視点である。では,この両者はどのようにかかわるのだろうか。ギリシア哲学の場合,例えばアリストテレスの友愛の思想に見られるように,魂の善をもとに他者への愛が論じられている。またイエスはパリサイ派を批判するとき「杯や皿の外側はきれいにするが,自分の内側は強欲と悪意に満ちている」と述べ,その外面的虚飾を退けており,まず内面の善を教えた。仏教の場合,利他性は自己の心の在り方あるいは内面の錬成を基礎としていると言われる。同じことはe儒教の「仁」の思想にも当てはまる。
自己の内面の善と利他性についての思索は,我々が様々な思想から豊かに学ぶことのできるものである。現実の中では,f内面の善を求めているように見えて,単に自己の安楽を求めるだけで,他者を蔑ろにしている場合がある。また反対に他者の善を実現しようとしているように見えて,表面的結果のみを追い求め,内面を疎かにしている場合もある。そこで、 A 。他者とともに生きる我々は、先哲の思想に学ぶことで、善をめぐる我々自身の理解を深めることができる。
問1 文章中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを、次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。
1 @ヘラクレイトス A アナクシマンドロス
B ストア派のゼノン C タレス
2 @法治主義 A福音主義 B理想主義 C律法主義
問2 下線部aのソクラテスに関する記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 3
@ デルフォイの神託がソクラテス以上の知者はいないと告げたことを誇りとし, 問答によって人々に真理そのものを説いた。
A
神霊(ダイモン)を導入して青年たちを新しい宗教に引き込み、彼らを堕落させたと告発され,アテネを追放された。
B 自らを「無知の知」に基づく知者と公言し、アテネにアカデメイアという学校を
創設し,多くの弟子たちを教えた。
C 「汝自身を知れ」というデルフオイ神殿の標語のもとに,問答法によって人々とともに知の探究に努めた。
問3 下線部bに関して,『ニコマコス倫理学』において人間固有の働きの中でも最高の働きと評価される「テオリア」についての説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@ テオリアとは,原理を直観的に把握する理性の働きである。
A テオリアとは,主に制作活動にかかわる理性の働きである。
B テオリアとは,厳密な論証・推論としての理性の働きである。
C テオリアとは,主に行為・実践を導く理性の働きである。
問4 下線部cに関して,イエスの説いた愛の思想として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@ 我々に親しい友人だけでなく,我々を嫌い敵対する者をも愛するようにしよう。自分を愛してくれる者を愛するのは当たり前であり、自分に敵対する者をさえ愛すべきなのである。
A 困っている人から哀願されたとき、我々はその人に同情し,その願いを聞き届けたいと思う。実現が難しくとも,我々はその憐れみの情を大切にすべきである。
B 道端にたたずむ流浪者のような,自分にとって疎遠な人などよりも,我々に親しく優れた人とともにいる方がよい。つまり同じ社会に生きる親しく優れた人々こそ我々は愛すべきである。
C 友人が暴漢などに襲われている場合、我々は速やかにその友人に手を差し伸べるべきである。たとえ命を落とすことになっても,友人を助けることは優れた愛である。
問5 下線部dの「慈悲」に閑する次の文章中の a 〜 c に入る語句の組合せとして最も適当なものを,下の@〜Cのうちから一つ選べ。 6
「慈悲」とは,衆生に a を与える「慈」,衆生の b を取り除く「悲」から成る,生けるものすべてに向かった普遍的な心の在り方を表している。 c を 目的とすると言われる上座部仏教に対して,大乗仏教では利他の心としてこの慈悲が強調される。そして,菩薩はこの慈悲の姿の理想であり,衆生の救済に努めるとされる。
@ a 楽 b 苦
c自他の解脱
A a 楽 b 苦
c 自己の悟り
B a 福 b 厄
c 自他の解脱
C a 福 b 厄
c 自己の悟り
問6 下線部eに関連して,儒教の「仁」と墨家の「兼愛」の相違を述べる文として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 7
@ 儒教の仁は側隠の心に基づき,自他の区別を一切たてないが,墨家の兼愛は自分を捨て,他者のために利することを第一とする。
A 儒教の仁は弱者に対するものであり,まず女性や子どもに向かうが,墨家の兼愛はまず貧しい者に対するものであり、「憐れみ」と呼ぶべきである。
B 儒教の仁は近きより始まるもので,まず近親に対するものであるが,墨家の兼愛は無差別の愛であり,親疎の閑係に基づくものではない。
C 儒教の仁は「忍びざるの心」と言われ,見過ごしにはできないという単なる気持ちだけだが,墨家の兼愛は行動的な博愛主義である。
問7 下線部fに該当する事例として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@ 泥棒が走って逃げていく。人の物を盗むなんて許せない。黙って放っておくことはできないし,またあそこで途方に暮れて座り込んでいる盗まれた人もかわいそうだ。追いかけて捕まえてやろう。
A 町の人に追われている友人が家に逃げてきた。友人は盗みを働いたらしい。盗人を匿うのはよくないし,また彼も罪を償い出直してほしいと思うので彼に自首を勧めよう。
B 隣人が,「火事だ!」などと,また速を言っている。真に受けると彼の嘘を助長するので彼のためにならないし,自分も嫌な思いをしたくないので放っておこう。彼自身も自分の嘘が空しいことに気づくだろう。
C 暴漢に追われている友人が家に逃げてきた。しかし,もし暴漢がこの家に来て、友人のことを尋ねたらどうしよう。暴漢は怖そうだし,嘘をつくと気持ちが落ち着かないので,ここにいると本当のことを告げよう。
問8 本文の趣旨に照らして,文章中の A に入れるのに最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9
@ 内面の善を考慮しつつ,同時に他者への書を求めることが大切である。例えばボランティア活動なども,ただ他者のためにのみあるのではなく,自己の内面の成長にも深くかかわってくるからである
A まず,他者に向けた善を行うことが重要である。例えばボランティア活動なども,社会に対する義務としてやってみなければならない。自己の内面は,社会に対する義務の遂行を通してのみ形成されるからである
B もっぱら内面の善を求めることが大切である。例えばボランティア活動など,他者に対する青もそれに基づいているからである。そこで,我々は他者との関係を一切断って,自己の内面に沈潜すべきである
C
利他的な書を求め,内面の善などは後回しにすべきである。例えばボランティア活動などは他者のためになればよいのであって,そもそも自己の内面を考える必要はない
〔16-本〕