2-4.家族・国家・共同体
2-4-3<人間社会と欲望>
3 次の文章を読み,下の問い(問1〜8)に答えよ。
20世紀は「欲望の世紀」と言えるほど,人々は物質的な豊かさや快適さの追求に奔走してきた。いったい,人間にとって欲望とはどのようなものなのであろうか。この問いには様々な答え方があるであろう。ここでは,自分に欠けているものを充足しようとすることが欲望であるという観点から考えてみよう。欠乏充足としての欲望には飢えや渇きがある。それらは生命を維持するために不可欠のものである。また,欲望はそうした生理的なものに限らない。金銭・学歴・地位・名誉などを求める社会的な欲望もある。これら様々な欲望の充足は,人間が目指す幸福そのものと見なされることが多い。例えば,プラトンの対話『ゴルギアス』に登場するaカリクレスによれば、人間が自己本来の姿を実現するのはこうした欲望を解放するときであり,欲望を抑制することは自己のあるがままの姿を直視しようとしない欺瞞的な態度である。
しかし,b現代の高度に情報化された大量消費社会にあっては,どんな料理を食べ,どんなワインを飲むかで選択に困るほど,人間の欲望は無際限に多様化、肥大化しつつある。また,社会的な欲望も,競争社会が生み出す虚栄心や嫉妬心によって,ときに自分自身を見失うほどまでに増大する危険性をはらんでいる。そのように考えると,現代社会においてカリクレス的な立場をそのまま受け入れるわけにはいかないだろう。
こうしたとき,先哲たちが説いた欲望の抑制に関する議論は・時代や文化を越えた普遍的な意義をもつと言えるのではないだろうか。例えば,ストア派のゼノンは, 1 と呼ばれる心の平静な状態を理想とし,欲望や快背に惑わされない生き方とはどのようなものであるかを思索した。 cこのような考え方は,、インドや中国で生まれた思想にも見られる。さらにイスラームでも,商売などの個人の利益追求を認める一方で,d五行などの実践義務づけることによって,欲望の無制限な増大に歯止めをかけてきもとより,杓子定規に欲望を抑制すれば,それですべて問題が解決するというわけではない。大切なのは.ソクラテスが 2 と呼ばれる対話的方法で示したよう、どのような欲望をどのようなかたちで充足するのかを自覚的に吟味することである。その弟子のeプラトンが説いたエロースの教説は、そうした問いかけに答えようとするものでもあった。その後も 欲望をめぐっては思想家たちが様々な観点から考察を展開してきた。欲望を無限に追求した20世紀は,環境破壊や資源の楢渇などの様々な負の遺産を残すことにもなった。こうした問題を見つめなおすためにも,21世紀を歩み始めた私たちは,欲望についての根本的な問いへのまなざしを失ってはならないであろう。
問1 文中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選ベ。
1 @ アパティア A アタラクシア B アルケー C アナムネーシス
2 @ 読心術 A 助産術 B 建築術 C 航海術
問2 下線部aの人物カリクレスは,次のような議論を展開している。それを踏まえたうえで,カリクレス的な立場に合致する記述として最も適当なものを,下の@〜Cのうちから一つ選べ。 3
『世の中の大多数の弱者(能力の劣った者)は、強者(能力の優れた者)から自分たちの利益を守るために,他者より多く所有することは不正である,という平等主義的な法律や慣習をつくりだした。しかし、弱肉強食の動物の世界を見ればわかるように,強者が弱者を支配し,より多く所有するのが,自然本来のあり方であり,真の正義である。』
@ 絵の上手な人と歌の上手な人との能力差は比較できないので,各人の優劣は客観的に数値化された学力差によって決めるべきである。
A 小学生の徒競走で足の速い生徒にハンディキャップをつけるのは,競争原理の否定につながり,理不尽である。
B 多数決原理を基本とする民主主義であっても,自分の政策を実現するためには「数の力」だけに頼らずに,少数意見にも耳を傾けるべきである。
Cプロのスポーツ選手や人気歌手がときに数億円もの報酬をもらうのは,人間の金銭感覚を麻痺させる異常な事態である。
問3 下線部bに関連して,インターネットの普及によってさらに進展しつつある情報化社会についての記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@ 暴力的あるいは転義な内容の商品が店頭で公然と販売されなくなってきたので,青少年への悪影響の懸念も少なくなりつつある。
A 消費者の個人情報が電子データ化されるようになってきたので,国民の個人情報は十分に保護されるようになった。
B 個人の著作物を不特定多数の人々に公開できるようになったので,著作権を保護するという発想は時代にそぐわないものとなりつつある。
C パソコンを使えない人々に不利益が生じる恐れがあるので,誰にでも簡単に使用できる情報機器の開発や環境整備が必要となってきた。
問4 下線部cに関連した思想についての記述として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@ ウパニシャッド哲学は,輪廻の苦しみは欲望に基づいているとして,梵我一如を体得することによる解脱を説いた。
A ナーガールジュナ(竜樹)は,自我への執着の空しさを説く無我の立場を徹底し,存在するすべてのものには実体がないという空の思想を展開した。
B 老子は,無欲で謙虚な態度を保持するならば,万物を生み出す根源としての道を超越して自由に生きることができるとした。
C ゴータマ・ブッダは,享楽的生活とそれを否定する苦行との両極端を退け,八正道の実践を説いた。
問5 下線部dの五行に関する記述として適当でないものを,次の@〜Dのうちから一つ選べ。 6
@ メッカヘの巡礼とは,すべてのムスリムが可能なかぎり生涯に一度は行うべきものであるが,これは社会的地位や民族の差異を超えたムスリムとしての連帯感を養うのに役立っている。
A ラマダーン月の断食とは,未明から日没までいっさいの飲食を絶つものであるが,これは欲望を抑える強い意志や貧者への思いやりの心を養うのに役立っている。
B 礼拝とは,一日に五回,定められた時刻に定められた手順で行うべきものであるが,これは神に対する絶対的帰依を体現し,人間が本来あるべき姿を確認するのに役立っている。
C 信仰告白とは,神は唯一であり,ムハンマドは預言者であると告白するものであるが,これはユダヤ教やキリスト教の神を否定し,イスラームの絶対性を主張するものである。
D 喜捨とは,富んでいる者が貧しい者に対して資産に応じた施しをするものであるが,これは神への感謝の心を養い,社会における富の公平な分配を目指すものである。
問6 下線部eにおけるエロースを説明する語句として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@
男女間の性的な欲望 A 自己犠牲的な愛 B 善美なものへの憧れ C 快楽主義的な生
問7 下線部fに関連して,それぞれの思想家の考え方を説明する記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@ キルケゴールは,主体的真理を求める実存のあり方の第一段階を,感性的快楽を追い求める美的実存と呼び,その生き方に絶望したとき,第二段階の宗教的実存,さらに最後の段階の倫理的実存に目覚めていくと説いた。
A 神谷美恵子は,ハンセン病患者との出会いの中で,生きがいを喪失した絶望感と生きがいを見いだした至福感とに接した体験に基づいて,物質的な充足とは次元を異にする精神的世界の価値の大切さを説いた。
B パウロは,『旧約聖書』のアダムの物語を手がかりとして,原罪とは知恵の木の実を食べたために人間に芽生えた知的欲望のことであり,この原罪を自覚すれば人間は救済されると説いた。
C アリストテレスは,中庸の理論の立場から,数量的に中程度の欲望の充足で満足できることが,ポリスに生きる市民がもつべきすべての徳(卓越性)の基礎であると説いた。
問8 本文の趣旨に照らして,下線部gの問いとして最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9
@ 真の意味で自分が必要とするものとはどのようなものか。
A 欲望を効率的に抑制するためにはどうすればいいのか。
B 欲望から完全に解放されるためにはどうすればいいのか。
C 20世紀の負の遺産を解消する社会の仕組みとはどのようなものか。
〔13-追〕