第3章 日本の思想
1.生と死,信仰
3-1-2<歎異抄から信仰を考える>
あなた方が、はるばる関東から京都まで十あまりの国々の塊を越えて,命がけで訪ねて来られたご本心は,ひとえに極楽往生の方法を問い聴いて明らかにするためでありましょう。けれども、このわたしが念仏以外の往生の方法を知っているのではないかとか,またそのことを書きしるした書物なども知っているのではないか,とお考えならば,それは大きな間違いです。もしそうしたことをお聴きになりたいのであれば、奈良やa比
わたしには,「念仏をとなえ、阿弥陀仏に救ってもらうがよい」という先生の教えを受けて信ずるほかに特別のことは何もないのです。念仏をとなえることが,浄土に生まれる因であるのか,また地獄に落ちる業であるのか, A 。たとえ先生にだまされて,b念仏をとなえたために地獄に落ちたとしても少しも後悔いたしません。もしも,念仏以外の修行に励むことによって成仏できるはずの身が念仏をとなえたために地獄に落ちたというのであれば、だまされたという後悔もあるでしょう。しかし,どのような修行もできないわたしのような、煩悩にまみれ罪悪に満ちた人間は,所詮地獄に落ちるべく決まっているからです。
阿弥陀仏の本願がまことであるならば、c釈尊がお説きになった教えも嘘いつわりであるはずはありません。釈尊の教説がまことであるならば,善導が解釈なされたことが嘘いつわりであるはずはありません。善導の解釈がまことならば, 1 先生が語られたことが嘘いつわりであるはずはありません。 1 先生の言葉がまことならば,わたしが申し上げるところもまたいつわりではありえないでしょう。
dつまるところ,わたしの信心は以上のようなものです。この上は念仏を信じようとも、あるいは捨てようとも,あなた方一人一人がお決めになることなのです。
このように, 2 先生はおっしゃいました。
問1 文中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを,次の@〜Dのうちから一つずつ選ペ。
@法然 A蓮如 B親鸞 C唯円 D源信
問2 下線部aに関して、比叡山に延暦寺を建立した最澄の思想についての記述として最も適当なものを・次の@〜Cのうちから一つ選べ。 3
@ 正しい仏教を樹立することによって,立正安国が達成されると主張した。
A 『法華経』の教えを中心とし、すべての衆生に仏性があることを強調した。
B ひたすら修行をすることが,そのまま悟りの証であると考えた。
C この宇宙の諸事象は,すべて大日如来のあらわれであると説いた。
問3 下線部bに関して,念仏をとなえる者は地獄に落ちるという念仏無間説を説いた思想家は誰か。次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@一遍 A 日 蓮 B栄西 C道元
問4 下線部cの釈尊(ゴータマ・プッダ)の説いた教えに関する記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@ 自己の存在は,他の存在に紛れこんで見失われがちなものであるから,自己が唯一無二で代替不可能なものであることに目覚めよと説いた。
A 自己の存在は,他の存在と競合し合っているものであるから、最終的にはその競合に打ち勝つこと以外に安定は得られないと説いた。
B 自己の存在は,他の存在とともに,ある根源者によって司られているものであるから,その根源者と一体化するところに安楽があると説いた。
C 自己の存在は,他の存在同様,それ自体として独立に存在するものではないから,自己への執着を捨て去るところに苦からの解放があると説いた。
問5 死生について本文とは異なった考え方をした本居宣長は,次のように述べている。本文と比較しながら,この文に述べられている死生の考え方の記述として最も適当なものを,下の@〜Cのうちから一つ選べ。 6
「神道の安心というものは,人は死ねば善人も悪人もおしなべて,みな黄泉国へ行 くと考えるところにある。善人だからといって善い所へ生まれることはない。… その黄泉国は,きたなくあしき所であるが,死ねば必ず行かねばならないので,この世の中に死ぬことほど悲しいことはないのである。それなのに儒教や仏教は、それほど悲しいことを悲しむ必要のないように色々と理屈を述べている。それらが真 実の道でないことはその点から見ても明らかである。」
(本居宣長『鈴屋答問録』より現代語訳)
@生きているものは必ず死ななければならないものである。とすれば,せめて生きているうちは死を忘れて楽しく生きるべきである。
A現世での行いによって死後の世界が決定されるということはない。そのことをしっかり受けとめ,いつわりの救済の道に走ってはならない。
B死後、安楽の世界におもむくためには,現世で何かしらの修行が必要である。しかしそれは,仏教や儒教とはまったく異なったものである。
C生と死との間に明確な区別はなく、現世の延長として死の世界はある。したがって,死を厭うことなく自然に受容することこそ重要である。
問6 文中の A に入れるのに最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@ いずれもまったく信じられません
A いずれかようやくわかりました
B いずれともまったくわからないのです
C いずれか重々よくわかっております
問7 下線部dに関連して,古来,信心には様々な考え方がある。次の@〜Cは,キリスト教的な信心の考え方を述べたものであるが,そのうちから,下線部dのような考え方に最も近いものを一つ選べ。 8
@「信のみの信仰は粗野たるをまぬかれず,学を以ってこれを研磨するに至りて,信ははじめて温雅なるを得るなり。」
A「宗教は、悩んでいる者のため息であり,また心のない世界の心である。・・・
B「信仰とは望んでいる事柄を確信し,見えない事実を確認することである。昔の人たちは,この信仰によって神に認められた。」
C「神はあるかないか…君はどちらかに賭けるのだ。・・・もし勝てば,君はすべてを得るのだ。負けても何も失いはしない。だから躊躇せずに神ありという方に賭けたまえ。」
問8 本文の趣旨に照らして,阿弥陀仏の本願に関する記述として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9
@ 阿弥陀仏の本願が正しいのであれば,自らの力で善や修行をなしえないというような悪人が往生できないわけはない。
A 阿弥陀仏の本願への信は,最終的には信者一人一人の心の問題であって,一般的な言葉の説明のみで括れる事柄ではない。
B 阿弥陀仏の本願の正しさは,阿弥陀仏以来の,師から弟子へと伝えられてきた現実の歴史の流れにおいて客観的に証明されている。
C 阿弥陀仏の本願への信には,信者自身の救われがたさの自覚と,そうした救われがたい者こそが救われるという信が含まれている。
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