第3章 日本の思想
1.生と死,信仰
3-1-3<日本人の無常観>
3 次の文章を読み,下の問い(問1〜7)に答えよ。
慌ただしく過ぎる日々の生を,日頃我々はほとんど意識的に捉え返すことがないのではないだろうか。ここでは,仏教を手掛かりに,過去の日本人がそれに対してどのように考え,それとどのように向き合おうとしていたのかを見てみよう。
仏教は、この世はa無常であると説く。 1 の言葉として知られる「世間虚仮、唯仏是真」は,その端的な表現と見ることができるだろう。しかしこのことは,b仏教がこの世での生の意義を否定し,そこから逃避したことを意味するわけではない。空海によれば、宇宙の真実は 2 として形象化される神秘的な生命力であり,眼前のあらゆる事物事象にも,そうした真実が満ち溢れているとされる。そして人は欲望や快楽に溺れる生活から脱し,三密の修行によることで,この世にあってそのまま真実に融合、一体化した生き方ができるという。またc道元は坐禅を重んじたが、同時に,寺院における食事や洗面、清掃といった日常的行為も,そのすべてが坐禅に通じる修行であるとした。彼によれば,そうした修行の実践において,眼前のありのままの世界がそのまま悟りの世界となるという。
こうした彼らの思想は,「世はさだめなきこそ,いみじけれ」とし,移りゆくもののなかに積極的に美を見いだした吉田兼好の態度にも通じるものがある。また,日常の行住坐臥それ自体を厳しい修行と捉え,眼前の世界がそのまま悟りの場だとする禅の考えは,武士の生き方をはじめ,芸能・芸術など さまざまな分野にも大きな影響を与えた。たとえば,一つ一つの立居振舞いに虚飾のない美を求める能や茶道のあり方に,それを窺うことができるだろう。また, A とする枯山水や水墨画,あるいは華道にも,その影響を認めることができる。
ここに共通して見られるのは,この世を無常なものだとしながらも,同時に,移ろいゆくこの世をありのままにあらしめている働きそれ自体を,真実と捉えようとする思考だといえよう。江戸時代の禅僧良寛に「形見とて 何残すらむ 春は花 山はととぎす秋はもみじ葉」という歌がある。彼もまた,四季の移ろいという眼前のありのままの姿のうちに,そうした働きを見すえようとしたといえるだろう。
不確かに見える眼前の今、ここでの生を,e無常の認識に基づいて真筆に生きようと
問1文中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。
1 @竜樹 A聖徳太子 B 鑑真 C最澄
2 @阿弥陀如来 A釈迦如来 B大日如来 C薬師如来
問2 下線部aに関して,ゴータマ・プッダの悟ったとされる「諸行無常」を説明した記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 3
@ この世のあらゆるものには固有の本性があり,絶えざる変化、生滅はそれにより必然的に生み出される。
A この世のあらゆるものには固有の本性がなく,絶えざる変化、生滅はすべて仏の意志により生み出される。
B この世のあらゆるものは,その生起に一定の原因、条件があり、絶えず変化、生滅し,とどまることがない。
C この世のあらゆるものは,その生起に一切の原因、条件がなく、自然に変化、生滅し,とどまることがない。
問3 下線部bに関連して,その事績から菩薩とも呼ばれた奈良時代の行基に関する記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@ 中国から貴重な経典をもたらし.仏教を広めるとともに,進んだ医薬の技術などを紹介し,日本の文化に大きく貢献した。
A 諸国を遊説、布教し,道や橋あるいは貧民のための無料宿泊所をつくるなどして,積極的に民衆の救済にあたった。
B 俗世を捨てて隠遁し,諸国を行脚、修行するとともに,自然と自己を探く見つめた優れた歌を数多く残した。
C 念仏を唱える人はすべて救われるとし,踊り念仏を通じて諸国を遊行・布教して,多くの民衆を感化した。
問4 下線部cによる著作として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@『法句経』 A『興禅護国論』 B『正法眼歳』 C『開目抄』
問5 下線部dに関連して,近代への影響の一つの例として,自らの参禅体験をふまえて独創的な思想を形成した西田幾多郎をあげることができる。彼の考えを説明した記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 6
@主観と客観,精神と物質の対立は,認識を成立させる最も基本的な条件であり真の実在は純粋な認識主観の確立によって正しく把握される。
A 主観と客乱精神と物質の対立は.分析的・反省的意識こよってもたらされたものであり,真の実在は主客未分の純粋経験そのものである。
B主観と客観、精神と物質の対立は,人間の有限な知性が設定した仮構であり,真の実在は坐禅の修行による神秘的啓示においてのみ知られる。
C主観と客観,精神と物質の対立は,純粋経験が成立するための基本的条件であり,真の実在は主観的心情の純粋化によって直接把握される。
問6 本文の趣旨に照らして, A に入るのに最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@ 自然の簡素できりつめた表現のうちに,美や悟りの世界を表そう
A 自然のリアルで忠実な表現のうちに、美や悟りの世界を表そう
B 自然の豪奢で華麗な表現のうちに,浄土の姿や仏の救いを示そう
C 自然の繊細で簡潔な表現のうちに,浄土の姿や仏の救いを示そう
問7 本文の趣旨に照らして,下線部eに関する記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@無常なこの世において,この身のまま成仏できるとした空海によれば,人は修行を介することなく,万物の創造者たる仏をひたすら信じることによって,秘められた真実に触れることができるとされる。
A行住坐臥における厳しい自己錬磨を求めた道元によれば,坐禅の修行の励行と戒律の厳格な遵守によって,無常というこの世の現実を否定し,彼岸の真実に触れることができるとされる。
B吉田兼好の言葉には、この世に生きる人にとって,定めなく移ろいゆく自然に美を見いだす美的観照の立場のみが,無常の苛酷さを忘却し,そこから逃れる道だとする彼の思索が見られる。
C 良寛の歌には,無常なこの世にはかなさを感じつつも,四季の移ろいという眼前のありのままの姿に随順し,無常なる自己に徹することが,真実の生き方であるとする彼の思索が見られる。
[10−追]