第3章 日本の思想
2.日本人の自然観・歴史観
3-2-1<日本人の自然観>
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次の文章を読み,下の問い(問1〜5)に答えよ。
古来,日本人は,四季の推移の中で,自然を愛し,自然に順応して生きることを理想としてきたといわれる。しかし,一口に「自然」といっても,山川草木や,四季的自然を意味するばかりとは限らない。その意味内容は様々でありうる。ここでは,いくつかの思想を手がかりに,日本人の「自然」観について考えてみよう。
古代の日本人にとって,自然は神々と不可分の結びつきをもっていた。万物を生み出す産霊の神という言葉が示すように,彼らは,自然の中に,霊的な力が宿るという 1 的な考えを抱いていたのである。その一方,災厄をもたらす「荒ぶる神」も存在したが、このような 2 も,決して,手におえない外的対象としての自然ではなかった。人々には呪術などによって,その怒りを鎮め,加護を祈る手段が与えられていたのである。これらは、やがて、祝詞や神楽を通じた神々に対する様々な祭りへと整えられていくが、それらは禊や祓いを伴っていた。ここには, A を見ることができる。
こうした古代人の健やかな感性を,『古事記』の世界の中に見いだした本居宣長は,人間が本来備えている 3 が,儒教や仏教などの外来思想の影響によって失われたことを嘆き,その回復を唱えた。ここには,自己の内なる本来的「自然」に対する自覚がある。その意味では、今の世を「法世」と捉え,a「自然世」に立ち返るべきことを説いた安藤昌益の思想も,この流れに属する面をもつといえよう。
もっとも,儒学者・仏教者の中にも,彼らなりのしかたで厳しく自己の内面を見つめていた者はいた。なかでも、自力修行の果てに罪悪深重の凡夫であることを自覚するに至った親鸞が,b「自然法爾」を提唱したことは注目される。彼は,自己の救済の根拠を,阿弥陀仏の誓 の働きとしての「自然」の中に見いだしたのである。
しかしながら、c「自然」思想が見過ごすことのできない問題をはらんでいることも事実である。例えば,仏教者の中でも, 4 を説いた道元は,「自然(天然)外道」を,仏教の教えに背くものと見た。「自然外道」が総じて,悟りの到来をも自然なものとみなし、修行の意義を一切認めない点を,彼は批判したのである。
今日でも、私たちは何気なく「自然だ」,「不自然だ」といった言葉を口にしてはいるが,その意味については必ずしも自覚的ではない。様々な思想に学びつつ,改めて「自然」とは何かを問うことは,なお私たちの課題なのである。
問1 文中の 1 〜 4 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。
1 @グローバリズム Aヒューマニズム Bエスノセントリズム Cアニミズム
2 @氏神 A祟り神 B産土神 C祖神
3 @漢心 A高く直き心 B真心 C愛敬の心
4 @存心持敬 A即身成仏 B加持祈祷 C只管打坐
問2 文中の A に入れるのに最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@ 清明心へとつながる,自然に対する畏敬の念
A 無常感へとつながる,自然に対する神秘の念
B 清明心へとつながる,自然に対する愛惜の念
C 無常感へとつながる,自然に対する畏怖の念
問3 下線部aの説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 6
@ 古代中国の聖人が定めた制度に基づく治世が行われている世。
A 正直と倹約による営利の追求を正当化する町人道徳が支配的な世。
B 万人が直接農耕にたずさわり自給自足の生活が営まれている世。
C 武士を人倫の指導者として位置づける士通が実現されている世。
問4 下線部bの思想を表す親鸞の言葉として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@悪を懲らし善を勧むるは,古の良典なり。ここ以って,人を善をかくすことなく,悪を見ては必ずただせ。
Aしからしむといふは、行者のはじめてともかくもはからはぎるに,過去、今生・未来の一切の罪を転ず。
B貪欲なからんと思はば、先ず須らく吾我を離るべきなり。吾我を離るるには,無常を観ずる是れ第一の用心なり。
C法華経流布の国に生まれて、この経の題名を聞きて信を生ずるは、宿善の深厚なるに依れり。
問5 下線部cの問題とはどのような問題か。本文の文脈に照らして最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@「自然」の強調が,自然の一部である人間を絶対化する,人間中心主義へと転化しかねないという問題。
A「自然」の強調が,物理的自然の究明のみに限定され,人間の精神面に対する探究がおろそかになりがちであるという問題。
B「自然」の強調が,何の倫理的努力の必要をも認めない、素朴な現実肯定に陥りかねないという問題。
C「自然」の強調が,とかく観念的な論議にとどまり,現実から遊離したものになりがちであるという問題。
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