第3章 日本の思想

2.日本人の自然観・歴史観

3-2-3<歴史と人間のあり方>

3 次の文章を読み,下の問い(問17)に答えよ。

 人は過去を背負って今を生きる存在である。日本の思想家たちは,歴史や伝統を振り返り,語り直すことを通じて,人の在り方を提示しようとしてきた。この絶えざる営みはまた,時代により異なる問題提起を伴うものであった。ここではそうした視点から、江戸時代以降,人の在り方がいかに議論されてきたかを見ていくことにしよう。

 江戸時代の思想の主流となったのは儒学思想であり、なかでも大きな影響力を有したのがa朱子学であった。それに対し,あらためて古典に復帰することで朱子学の説く人の在り方を覆そうとしたのが,b古学派の儒者たちである。伊藤仁斎が『 1 』を「最上至極宇宙第一の書」と呼んで尊び,荻生徂徠が「学閥は歴史に究極する」と述べて「六経」を重んじたように,彼らは人の在り方の根拠を,特定の経書や歴史の中に求めることで,「相親しみ,相愛する」人の在り方や,人の本来的な多様性を説いたのである。

 彼らに共通していたのは,世界を「活物」として捉える立場だった。そして,これらの思想に影響されつつ,古代日本の姿を古典の中に発掘することで,儒学とは異なる視点から人の在り方を語ったのが国学であった。本居宣長は生涯をかけて『 2 』を著し,「惟神の道」が日本古代に実在したと主張して,日本に固有な人の在り方を説いた。この視点を継承して古道の体系化を試みたのが,c平田篤胤である。

 近代の思想家たちもまた,歴史を語り直しつつ人の在り方を考えようとした。その際,彼らに課題としてあったのは,近代西洋に由来する国民という新たな枠組みの中で,人をどう捉えるかということであった。福沢諭吉は,d「智徳」を備えた近代的人間を提唱したが,その背景には,未来に向けて進歩し続ける「文明」の視点からなされる彼独自の歴史認識があった。日本国の歴史もまた普雇的な文明化の過程上に位置づけられたのである。それに対し柳田国男は,過去が現在と隔絶してあるのではなく,古代の事象が現在に重層的に残っているのが日本特有の姿だと論じた。このような歴史認識は、e柳田民俗学の主題を反映するものであった。彼は,古代から不変の日本文化を探求することを通じて,古今に一貫する日本人の姿を明らかにしようとしたのである。

 日本において人の在り方がどのようにして提示されてきたか,その展開を顧みるとき,今の我々が自明とする人の在り方もまた,あらためて開い直す必要があるだろう。

 

1 文章中の 1  2 に入れるのに正しいものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。

  1  @大学  A孟子  B 中 庸  C論語

  2  @万葉代匠記 A古事記伝  B弁道  C翁問答

 

2 下線部aに関する説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。  3

 @ 本来の世界を,何の差別も対立もない万物斉同の世界として捉え,人為を去って生きることを提唱した。

 A 万物は理と気とから構成されるとし,時間・空間を貫く一なる理を明らかにすることが重要だと説いた。

 B 人の心がそのまま理であるとし,人に生まれつき備わっている良知をいかに発現させるかが重要だと説いた。

 C人は生まれつき利を求め書を避けようとするものだとし,外側から人を規制するものとして法律と刑罰を重視した。

 

3 下線部bに関して、山鹿素行、荻生徂徠の主張として最も適当なものを,次の@〜Eのうちからそれぞれ一つずつ選べ。山鹿素行については 4 に,荻生徂徠については 5 に答えよ。

 @ 聖人は,言葉だけでは人を教えるのに不十分であることを知っており,礼楽を制作して,それによって教え導き,人を感化しようとしたのである。

 A 農民は筆算の臣であり,商工は市井の臣である。臣として君を補佐するのが臣の道であり,商業活動も君が天下を治めることの補佐である。

 B 天が上にあり地が下にあるのが,天地の礼である。その天地の礼が人に生まれつき備わっているので,上下前後の秩序が成立するのである。

 C 学閥して道を知ろうとするならば,まず漢意をきれいに取り除かなければならない。そうでなければ、古書を読んでも古の意は分からない。

 D 忠や義は,万民誰もがなすべきことだが、農工商は職業上余裕なき生活を送っているので,士が代わりに人倫を正す義務を有するのである。

 E 毎朝毎久心を正しては死を思い死を決し、いつも死身になっていれば、武士道と我が身が一体化し,家職を全うすることが可能となる。

 

4 下線部cに関する説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。  6

 @古道の研究を、特に歌論の中に展開し、「ますらをぶり」に日本的心情の典型を見いだして,そこにおける「高く直き心」を理想とした。

 A仏教・儒教・神道の教えをそのまま受け取るのではなく,教えの成立過程から、それぞれの思想史上の意義を相対的に見ることを説いた。

 B功名や利欲を離れた純粋な心情に徹して,己の誠を尽くせば天道と一体になると説き,幕末の志士たちに勤皇の精神を強調した。

 C古来の神道の姿を求めて,復古神道を提唱し、現実の生の背後にある死後の霊魂の行方を論じて,その教えは民間にも広まった。

 

5 下線部dに関して、福沢諭吉の構想する近代的人間として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 7

 @儒教に欠ける進取の精神を西洋文明の思想で補いながら、自らの内部の伝統的精神を基盤に生きる人間。

 A外側からの開化に押し流されず・自己の内面からの近代化を求めて、自我の内的要求に基づいて生きる人間。

 B文明の根本にある自立の精神を内に保ち,自らの判断力を養い実理を窮めて文明社会を実現する人間。

 C文明と進歩の根底にあるキリスト教の精神を基盤に、自己内面の独立と平等社会の実現を目指して生きる人間。

 

6 下線部eに関する説明として適当でないものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。  8

 @日本古来の民俗の姿を、文学的直観をもとに論じ,共同体外部からの来訪神(まれびと)の性格を明らかにしようとした。

 F日本文化の原風景として、稲作定住農耕民の生活習慣を想定し、その由来を宗教的側面を踏まえて明らかにしようとした。

 B知識人の書き残した文献にではなく、無名の庶民の日常的習慣や儀礼の中に日本文化の真の姿を探求しようとした。

 C日本全国の民間伝承を筆録する運動をすすめ、怪異譚や民話を分析して、庶民の精神生活の実相を明らかにしようとした。

 

7 本文の趣旨に合致する記述として最も適当なものを・次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9

@ 古来,多くの外来思想が流入し,その影響下に古典の再解釈が行われ、人の在り方が語られてきたれその解釈には・つねに一定の発想様式が存していた。そうした日本における思索の展開を振り返るとき、日本固有の歴史の中からこそ、人の在り方も語りうることが理解できる。

A 古来,人の在り方は,多様な思想において古典や歴史に新たな意味を与えつつ規定されてきた。そうした日本における思索の展開を振り返るとき,過去を再解釈しながら,その時々の問題意識のもとで人の在り方が構想され,絶えず変容し続けてきたことが理解できる。

B 古来,多様な思想が重層的に蓄積する中,古典や歴史の再解釈を通じて,人の在り方も規定し直されてきた。そうした日本における思索の展開を振り返るとき,古代から近代に至るまで,人の在り方が,いかに文明化の方向に向けて構想されてきたかが理解できる。

C 古来,多様に語られてきた人の在り方は,江戸時代以降,日本固有の歴史という観点が生じる中で,国家と不可分のものとして語られるようになってきた。そうした日本における思索の展開を振り返るとき,人の在り方が,国民意識と連動して語られる論理的必然性が理解できる。

                                   〔16-追〕

     to センター試験もくじ