第3章 日本の思想

3.文化の受容と思想形成

3-3-5<江戸時代以降のアジア認識>

5 次の文章を読み・下の問い(問1〜8)に答えよ。

 今日,日本と近隣のアジア諸国の関係はどうあるべきかが問題となっている。以下に,江戸時代以降のアジア認軌こついて整理してみよう。

 江戸時代の日本では、例えば、中国古代の聖人が制作した「安天下の道」に価値を見いだした 1 が中国の古典を絶対的なものと見なしていたように,一般に儒学に基づいて中国を軸とした世界の捉え方をしていた。しかし,儒家の中には、a特定地域に 規定されない考え方をもつ者もいた。やがて、儒学を中国生まれの思想とし,日本の優位を主張した 2 を始めとして,中国への距離感を深めていく様々な思想が登場してくる。そして、江戸時代後半になると、儒学を否定する、日本中心主義的なb国学が現れ、そこには,後のアジア侵略につながる主張も含まれていた。

 幕末に至り、近代西洋文明との出会いにおいては,例えば,「東洋道徳,西洋芸術」というように,改めて儒学思想に基づきながら西洋文明を理解しようとする考え方が生じた。このような発想は,日本だけに見られるものではなく,「中体西用」「東道西器」といった、中国や朝鮮で用いられた用語にも共通して見られる。

 その後,日本のアジア認識は大きく転回する。例えば、c西洋に範をとり独立自尊の 精神を強調していた福沢諭吉は,対外論として「脱亜論」を主張するようになった。そこには、西洋文明を基準に世界を把握することで,日本を近隣アジア諸国とは別格なものと見なそうとする姿勢があった。それとは別に、西洋への対抗を前提とした,dアジアを共通の文明圏と捉える思想が繰り返し出現するようになる。しかし,それらも,脱亜論的アジア認識と表裏一体となって,結局はeアジアの盟主としての日本の植民地支配を正当化する方向に収斂していったのである。

今日,f侵略戦争や植民地支配についての謝罪と反省を求める近隣アジア諸国の人々 の呼びかけに対して、これに誠実にこたえ,対話的な関係を模索していくことが求められている。そのためには、自らのアジア認識の軌跡を問い直す中で,これまでとは根本的に異なる新たな視点を獲得しなければならないだろう。

 

1 文章中の 1  2 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。

 1  @伊藤仁斎 A熊沢蕃山 B新井白石 C 荻生徂徠

 2  @国家神道 A垂加神道 B教派神道 C 伊勢神道 

 

2 下線部aの一人である中江藤樹の説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 3

 @朱子学の天理の抽象性を批判して古学を提唱し,道徳的指導者としての武士の在り方を士道論として展開した。

 Aすべての人の心には,神妙不測の孝の徳が貰わっていると説き,その孝に依拠して身を立て通を行うことを修養の根本とした。

 B平易な生活道徳としての正直と倹約の実践を唱え,それまで低く見られていた商人の営みに社会的な存在意義を与えた。

 C身分制度を否定し,農業を重視する立場に立って,万人が直耕する自然世を理想として説いた。

 

3 下線部bに関連して、本居宣長の主張として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4

 @日本人は,古代の純粋な神道信仰に復帰し,天皇への服従に基づく民族意識に目覚めなければならない。

 A日本人は、素朴な高く直き心をもって暮らしていた古代の自然の道を回復しなければならない。

 B日本人は、無名の人々の文字によらない暮らしや考え方の中に,日本文化を見いださなければならない。

 C日本人は、仏教や儒学が入って来る以前の教えなき時代のあるがままの世界を知らなければならない。

 

4 下線部cに関して、福沢諭吉の主張として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5

 @中国や朝鮮への接し方は,隣国であるからといって特別に配慮する必要はない。まさに西洋人の両国への接し方に倣って取り計らうだけである。

 A文明は麻疹のようなものだが,単にこれを防がないだけでなく,努めてその蔓延を助け早急に国民を文明化するのが智者の役目である。

 B武威腕力を用いるのではなく,世界の正義の手本となるべく,アジアにおいても、まず我が国から同等主義を重んじなければならない。

 C我が国には、隣国の開明を待って共にアジアを繁栄させる時間的余裕はない。むしろその隊列を脱して西洋の文明国と進退を共にすべきである。

 

5 下線部dに関連して,次の文章を読み、その主張に合致する考え方として最も適当なものも下の@〜Cのうちから一つ選べ。 6

  『アジアの兄弟姉妹よ!我々は,様々な理想の間を長い間さまよってきた。さあ,再び現実に目覚めようではないか。(中略)我々は、結晶のような生活を誇りとして,互いに孤立してきた。さあ、共通の苦難という大洋の中で溶け合おうではないか。』

                     (岡倉天心『東洋の目覚め』)

 @朝鮮,中国・ロシア,英国等の国々を貧富強弱で区別するのをやめ,公平無私の眼をもてば,我々は世界の大勢を観察できる。

 A究極と普遍を求める愛の広がりこそは・共通の思想的遺産であり,我々を欧州から区別できるものである。

 B科学的社会主義が野蛮な軍国主義を滅ぽし,四海同胞の世界主義が略奪的帝国主義を一掃することができる。

 C民権は根本原理であり、自由平等は大原則である。首の帝国主義によっても滅ぼされえないし,まして欧米の専有物でもない。

 

6 下線部eに関連して、台湾総督府の植民地官僚でもあった新渡戸稲造の説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7

 @キリスト教に匹敵する精神文化として,日本に武士道の伝統を見いだし,それを世界に紹介した。

 Aキリスト教の影響を受けながら,学生時代には人道主義に傾倒し,後に大正デモクラシーの指導的役割を担った。

 Bキリスト教の洗礼を受け、啓蒙思想の普及に努め,『西国立志篇』等の翻訳書を世に出した。

 Cキリスト教の信仰に基づき,日露戦争に際しては,絶対平和主義を主張して,徹底した非戦論を唱えた。

 

7 下線部fに関連する記述として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8

 @植民地化された地域や軍の占領下で,日本に強制連行され,鉱山や軍需工場を中心に苛酷な労働に従事させられた人々がいた。

 A日本軍が進出した広範な地域で慰安所が設立され,従軍慰安婦として苛酷な性労働に従事させられた人々がいた。

 B植民地化された朝鮮半島では剛ヒ政策がとられ,姓名や地名などの固有名詞を除いて,日本語の使用が強要された。

 C侵略戦争や植民地支配による被害について,国家間の賠償協定が結ばれた後も,個人的補償と道義的責任問題は未解決とする声がある。

 

8 本文の趣旨を踏まえて儒学思想と近代日本との関係の説明として最も適当なものを次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9

  @儒学思想は東アジア諸地域に広く普及していたので,近代以降,日本において も,それを西洋文明と調和させようとする努力が一貫して続けられた。

A儒学思想は,西洋的近代化を目指した日本において・世界認識の枠組みとしての力を失い,日本と東アジア諸地域との関係は大きく転換した。

B儒学思想は,日本を含む東アジア諸地域の自立と連帯とを促す紐帯として機能し,植民地化の脅威に対抗する精神的支柱となった。

C儒学思想は近代化と対立するものであったから、それと決別することによって、日本を含む東アジア諸地域は共同して進歩発展することができた。

                               〔15−追〕

     to センター試験もくじ