第3章 日本の思想
4.日本における理想と道徳
3-4-5<現実と理想 −
親鸞と伊藤仁斉−>
5 次の文章を読み,下の問い(問1〜7)に答えよ。
いつの時代でも人間は理想を目指そうとしているが、よりよく生きようとするほどに,理想像から隔たった現実の自己を自覚して苦悩するものである。こうした苦悩に直面したとき,過去の思想家はいかに生きたのだろうか。ここで,親鸞と伊藤仁斎の場合を見てみよう。
古代・中世の日本において主導的であった仏教は,仏という理想像を人々に提示していた。親鸞は,成仏を目指して, 1 の教えに従って修行を行った。しかし悟りを得ることはできず、仏から隔たった自己を見つめて苦悩する。やがてその修行を離れ法然の弟子となった親鸞は、自力では克服不可能な根深い煩悩を抱え,悪人たらざるをえない自己を自覚していった。末法の世に生きる同時代の人間も同様であると捉えた親鸞にとって、この時代にいかに成仏が可能か,それが課題だった。そして,法然の教えをさらに深め,a新たな思想を提示したのである。親鸞によれば,根深い煩悩を偽りなく自覚し、阿弥陀仏の他力を信じて身をゆだねる「悪人」こそ阿弥陀仏が救おうと誓った対象であり,極楽浄土への往生と成仏が約束されているという。親鸞は,煩悩を自覚することそれ自体のうちに,阿弥陀仏の救済の働きを見いだしたのである。親鸞から見れば,自力で成仏が可能であると思い込んでいる「善人」は,自己の内なる根深い煩悩を真に見つめていない。
c自力の修行は現実に根ざしていない虚偽の行なのである。
近世に生きた伊藤仁斎においても,自己における理想と現実との葛藤は新たな思想の契機となった。当時,主導的な思想であった朱子学は,心を統御し専一にする 2 を重んじ,あるべき道としての理を窮め,天理に合致した聖人になることを理想としていた。仁斎は,当初朱子学に傾倒して聖人になることを目指し,全精力を傾けた。しかし,天理に合致することは実現しがたく、充足感を得られなかった。仁斎は理想と現実との帝故に苦しみ,やがてその理想を疑い始める。理想を見失った孤独と不安の中で,ひたすら読書と自己吟味を続けた仁斎は,d現実の日常的な生の中に,人間の新たな真実を見いだしたのである。仁斎によれば, A という。新たな思想を抱いた仁斎から見れば、朱子学者は厳格な形式主義に陥り,日常の生の意味をくみ取ることができず,人々が営んでいるあるがままの生を否定的に捉えがちなのである。
親鸞と仁斎は,当時主導的な思想が提示していた仏や聖人という理想像を目指し,いずれも理想を実現できない自己を自覚して苦悩した。しかし,その葛藤の中で自己を探く誠実に見つめ吟味した。その結果,現実に深く根ざした新しい思想を築くことができ、その時代の思想を批判できたのである。e親鸞と仁斎の生き方は,私たちに真によく生きるとはどういうことかを提示している。
問1
文章中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを、次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選ベ。
1 @天台宗 A律宗 B真言宗 C修験道
2 @誠 A信 B敬 C忠
問2 下線部aに関して,親鸞の思想についての記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 3
@阿弥陀仏の救済の力は絶大である。念仏を唱える人間は誰でも浄土に往生できるが,そのためには自己の煩悩を自覚し、日常生活のすべてを捨てなければならない。
A念仏を唱えること以外の,一切の自力の修行を廃すべきである。阿弥陀仏は煩悩を抱えた人間のために称名念仏を選んだのだから,それのみを修行すれば往生きる。
B自力の修行で煩悩を克服することは困難である。浄土に往生するためには、日頃念仏を唱えるとともに.臨終の際に煩悩が生じないようにすることが特に重要である。
C煩悩を抱えた人間が浄土に往生できるのは、完全に阿弥陀仏の救済のカによる。自ら唱えているように思っている念仏や信心すら、阿弥陀仏の働きに由来する。
問3 下線部bに関連して,聖徳太子が記したとされる「十七条憲法」の中には、煩悩の自覚に基づく条文がある。その条文の要旨として最も適当なものを・次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@聖人や賢人のようには知恵の明らかでない者が愚痴である。聖人や賢人のようには才能の及ばない者が不肖である。愚痴不肖であっても良知良能がある。その良知良能を失わなければ,愚痴不肖も善人の徒なのである。
A法による指導や刑罰による規制では,人々は法や刑罰に触れなければよいと思い,悪を恥じることがない。しかし徳によって導き、礼によって規制すると,人々は悪を恥じるようになり,おのずから善に至るものである。
B心のなかに謹みを抱かず,怒りを棄てよ。人はそれぞれ自分が正しいと思い他人が間違っていると思い込む。しかし自分が必ずしも聖人なのではなく他人が必ずしも愚者なのでもない。ともに欲望にとらわれているのである。
C人間の性悪は悪であって、善なるものは偽(人為)である。人間は生まれつき利益を好み,妬み憎んだりする傾向があり、それに従うと争い合い秩序がなくなる。聖人はそれを見て,礼や法を制して人間の性質を正したのである。
問4 下線部cに関して,同時代に自力の修行によって成仏が可能であると主張した思想家の一人に道元がいる。道元についての説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@戒律を厳しく守って坐禅にはげみ,公案に取り組むことによって悟りを得ることができると説き,さらに密教をも取り入れて鎮護国家に努めた。
Aすべての衆生に仏になる可能性がそなわっていると主張し、大乗の菩薩戒のみを受けて長期間山に籠もって修行すれば,悟りが可能になると説いた。
B題目には釈迦の因行と果徳が十分にそなわっているとし,題目を信じて唱えるならば,それらが譲り与えられて,悟りが可能になると説いた。
C坐禅の修行は悟りのための手段ではなく,修行を行うことがそのまま悟りであると説き,また洗面や清掃などの日常的な行為も修行とみなした。
問5 下線部dに関連して、日常を新たに捉え直す思想を抱いた人々のうち,井原西鶴と本居宣長の考えとして最も適当なものを,次の@〜Dのうちからそれぞれ一つずつ選ベ。井原西鶴については 6 に、本居宣長については 7 に答えよ。
@現実の世界は抽象的な理では捉えきれない,生き生きと生成する一大活物である。日常的な行為や心情も活物としての人間の働きであり,その中に条理がある。
Aこの世は「重き世」ではなく,「浮き世」である。眼前の日常世界の中で,日々様々な快楽や富を追求するところにこそ,人間の生のありのままの姿がある。
B日常的な欲望や感情は,「やむを得ざる」自然なものであり,朱子学のように否定的に見てはならない。日常にかかわる道を行うことで,優れた治者たりうる。
C人間は、日常的な人間関係において愛敬の心を働かせている。それが普遍的な「孝」である。「孝」は人間関係のみならず,万事万物を貫いている道理でもある。
D日常生活において,物事に触れたときに生じる,楽しい,悲しい,恋しい,憎いなどの感嘆こそ本来的な心の働きである。人間は感嘆によって物事の本質を知る。
問6 文章中の A に入れるのに最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@道は抽象的な理ではなく,善くも慈しくも生まれついたままの真心であり,その真心に立ち戻るべきである。そのためには朱子学や仏教のように理屈で道を捉えようとする精神を捨てなければならない
A日常卑近な人間関係における愛はかすかで小さいが、その愛こそ拡充すべき実の心である。人々が孔子の道に立ち戻り,他者に対して忠信や忠恕に努めるならは,互いに愛し親しむ和合が実現する
B天道は事物のおのずからの働きであるが,そこに人道が加わることによって事物は完全になる。人道とは日々の生活における分度と推譲であり,それによって天地や他者の恩恵に報いなければならない
C日々営まれる農業こそ,自然の根源的な生成活動としての天道にかなうものである。万人が直接に農業にたずさわる自給自足の生活に復帰すべきであり,農民に寄生している武士や町人は無用である
問7 本文の趣旨に照らして,下線部eの内容として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9
@親鸞と仁斎は,当時の主導的な思想が提示していた仏や聖人という理想像と自己との隔たりに苦悩しつつ,人間の真実のありようを新たに見いだした。彼らが私たちに提示していることは,理想像から隔たっている現実の自己を誠実に見つめて人間の真実を探るという生き方である。
A親鸞と仁斎は,当時の主導的な思想が提示していた仏や聖人という理想像を前提にして,そこに至る方途を新たに見いだそうとした。彼らが私たちに提示していることは,自己を誠実に見つめることによって現実に即した理想実現の新たな方途を見いだそうとする生き方である。
B親鸞と仁斎は,当時の主導的な思想が提示していた仏や聖人という理想像と自己との隔たりに苦悩する中で,その理想像を疑い始め,やがて批判した。彼らが私たちに提示していることは,現実に深く根ざした新たな思想を築くことで既成の理想像を批判していくという生き方である。
C親鸞と仁斎は,当時の主導的な思想が提示していた仏や聖人という理想像とは異なる理想像を現実の生のうちに新たに見いだした。彼らが私たちに提示していることは,現実の自己を誠実に見つめることで現実の生を肯定的に捉え直し,新たな理想を見いだそうとする生き方である。
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