第4章 西洋近・現代の思想
1.人間と理性,感情
4-1-1<人間観について>
1 次の文章を読み,下の問い(問1〜5)に答えよ。
人間を神と教会に従属したものとみなした中世に対して,西洋近代思想は人間の 1 を強調したといわれる。その端緒であったルネサンスと宗教改革は,どのような人間観を示していたのかを見てみよう。
ルネサンスの思想は、多様な傾向を持っていたが,その中心となっていたのは人文主義(ヒューマニズム)である。これによれば,人間は他の被造物のように固定した本性を持つのではなく、自己の一面である動物的なあり方へと堕落することもできるが,神に似た完全なあり方へと至ることもできる。人間が自己を自由に創造しうるというのが, 2 の言う「人間の尊厳」なのである。そして,完成したあり方への無限の可能性を持つ人間への礼賛は、 3 という人間像として表現された。しかし他方では,このような人間の自由が世俗的欲望を無限に追求するむきだしの力と結びつき、社会的混乱が助長された。そのような事態に対応して,ルネサンスの人間観はaマキアェベリの政治論をも生み出すことになったのである。
他方、宗教改革は、現世での人間の善行が救いにとって有効であるとしていた中世のカトリック教会とは異なり,救いをもたらす神の働きに対する人間の受動牲を強調した。このことはルターの「ただ信仰のみ」という言葉やbカルヴィンの「予定説」に見て取れる人間観である。人間のこの世での営みは、自己の完成をめざしてというよりも, A である。宗教改革は,ルネサンスの「人間中心主義」とはちがって,むしろ人間の無力さに注目したという側面を持っているのである。しかし他方で,この運動は,万人が祭司であるとするルターの思想に見られるように,伝統的な教会組織や典礼によってではなく,直接に一人一人が神と向き合うことを促した。信仰の内面性を強調することによって、個々人の絶対的独自牲をきわだたせ,自覚させたという面を宗教改革が持っていたことも確かなのである。
以上のように、二つの思想の流れが、c基本的に対立した人間の見方をしていたということは見逃せない。それにもかかわらず、両者はともに,西洋近代思想の基本的性格の一つである個としての人間の自覚を確立するうえで,異なった面から寄与したと言うことができるのである。
問1 文中の 1 〜 3 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選べ。
1 @感性 A 自立 B権利
2 @ピコ・デラ・ミランドラ Aモア Bベーコン Cモンテーニュ
3 @超人 A職業人 B普遍人(万能人)C自然人
問2 文中の A に入れるのに最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@神の召命によって、義務として与えられたもの
A生存の必要のために,やむをえず為さざるをえないもの
B社会的な役割の中で,自分の個性を発揮するために為されるもの
C救いを得るために,神に対する功績として求められるもの
問3 下線部aに見られる為政者のあり方の説明として適当でないものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@人間はつねに我欲を満足させようとするから,為政者は恐怖や暴力によって国家を維持することが許される。
A政治は倫理に基づいているので・為政者であっても,人間としての倫理は守った上で,政治固有の原理を考えるべきである。
B為政者は,国家の存続と安定にとって不利な運命をも好転させうる決断力と実行力を持たなければならない。
C為政者の卓越性(力)は・私人にあてはまる善悪の基準でははかり得ないものである。
問4 下線部bの記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 6
@恩寵を受けて救われる者とそうでない者との区別は、この世での行為の善悪に応じて,神が決定するものである。
A神はあらかじめすべての人間に救いをもたらすことを約束しており,救いとこの世での倫理的生活とは無関係である。
B人間の行為は,自由な決定によるように見えて、すべてはあらかじめ自然の必然性によって決定されている。
C救われる者と救われない者との区別は,人間の行いによって決まるのではなく、神によってあらかじめ定められている。
問5 下線部cに関連して,宗教改革者ルターと人文主義者エラスムスとの間で、人間の自由意志と神の恩寵との関係についての論争があった。本文の趣旨に照らして、両者の立場の相違を記述したものとして最も適当なものを・次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@両者はともに,現実の行為の原因が人間の自由意志であることを認めた。その意志的行為に閑し,エラスムスはそれが神の恩寵によってのみ可能となったと主張し,ルターは人間本性と神との協力によるとした。
Aエラスムスは、人間の救いに有効な善行の根拠として、神の恩寵に応答する自由意志を認めた。それに対しルターは・神の恩寵によらなければ原罪を負った人間は善を欲することもできないとした。
Bエラスムスは,善悪両方に向かい得る自由を獲得することは,原罪を負った人間には不可能であるとした。それに対しルターは,原罪によっても破壊されない人間本性によって,自由が可能となっているとした。
C両者はともに、人間の自由意志の存在を認めなかった。それを,エラスムスは自然全体の有する必然性を人間が免れ得ないからだとし,ルターは神の決定を免れ得ないからだとした。