第4章 西洋近・現代の思想
1.人間と理性,感情
4-1-3<感情について>
3 次の文章を読み,下の問い(問1〜7)に答えよ。
ルネサンスと宗教改革によって幕を開けたヨーロッパ近代は,合理的精神を高らかに謳い上げる輝かしい側面とは裏腹に,他面では,ヨーロッパ各地に吹き荒れた宗教的対立の嵐が,人々を果てしない憎悪と絶望の淵に追い込むという現実をも持っていた。ここでは,そうした「時代の現実」を背景に,ヨーロッパ近代における感情論の意義を考えてみよう。
a伝統的に見れば,感情は理性と対立するものとして捉えられてきた。近代的理性を称揚する合理論の思想も,基本的には,理性対感情という対立の図式を採用した。しかしそれは,理性によって感情を完全に排除するのではなく,理性と矛盾しない,理性的な感情とも呼び得るものを,b道徳の基礎として求めることだったのである。デカルトの「高邁」やスピノザの「寛仁」は,その好例と言えよう。
ところで,デカルトの「高邁」は,本来,知的な感情である。それは,驚きの一種とされる。他方,スピノザにおいては,理性的感情である「寛仁」は,欲望の一種とされる。つまり,欲望それ自体が理性的でもあり得るというのである。スピノザは,理性に先立つものとして,人間本性の中に 1 というホッブズ的な原理を認め,これを道徳の基礎とした。しかし,そうした自己中心的な原理を認める以上 これに基づく各人の活動が必ずしも利己主義的なものに陥らないことを,示さなければならない。「克仁」はその一つの答えだったのである。その意味ではcルソーもまた,一方においてこの自己中心的な原理を認めながら,同時に「憐れみの情」を想定することによって,利己主義を克服しようとしたとも言えよう。
同様の視点は,イギリス道徳哲学の系譜においても見ることができる。そこでは,d利己的な感情を動横とする行為が、いかなる場合に道徳的に是認されるかという問いが立てられていた。例えば,アダム・スミスは,問題の行為が公平な第三者の 2
問1 文中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選ベ。
1 @自我意識 A自然状態 B自我同一性 C自己保存
2
@了解 A共感 B賞賛 C信用
問2 下線部aに関連して・アリストテレスの道徳説についての説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 3
@ 正義・節制・友愛などの倫理的徳は,人間に生まれつき備わっているものである。
A 正義・節制・友愛などの倫理的徳が、最高善としての幸福をもたらすものである。
B 人は善き習慣のうちに倫理的徳を身につけ・感情や欲望を統制することができるようになる。
C 人は何が中庸かを倫理的徳によって知り、過度な欲望に韻われることを避けることができる。
問3 下線部bに関連して,道徳についてのデカルトの考え方として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選ベ。 4
@ 神の善牲は懐疑をとおして認識される真理であり,この真理の認識が善い生き方にとって必要である。
A 情念とは精神の受動的な状態のことであって、情念を統御するところに徳がある。
B 善と悪の根拠を明晰かつ判明に認識するまでは、行為についてのどのような判断も下すべきではない。
C 真偽を弁別する能力である良識は、すべての人間に平等に賦与されたものである。
問4 下線部cに関して,ルソーについての記述として最も適当なものを・次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5
@ ルソーは「精神的自由のみが,人間を真に自己の主人たらしめる。‥…・単なる欲望の衝動は人間を奴隷状態に落とすものであり、自分の制定した法への服従が自由である」と書いて,社会状態の中にこそ・人間にとっての真の自由があると主張した。
A ルソーは「自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにおいてきた。われわれが何をしなければならないかということを指示するのは,ただ苦痛と快楽だけである」と書いて,人間が自然本性的な感情に従うことの重要牲を主張した。
B ルソーは「わたしに欠けているのは,わたしは何をなすべきか,ということについてわたし自身に決心がつかないでいることなのだ。それはわたしが何を認識すべきかということではない」と書いて,理性的な認識より意志的な決断の重要性を主張した。
C ルソーは「わたしが悪を欲し,善を欲しないということは,どうしておこってくるのだろうか。それは,わたしが至当の罰をこうむるためなのだろうか」と書いて,人間の生得的な自由意志は,いずれ「悪をなし得ぬ自由」に変えなければならないと主張した。
問5 下線部dに関連して,幸福を追求する個人の活動と社会との関係について,イギリスの功利主義者ベンサムはどのように考えたか。最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 6
@ 社会は諸個人の単なる総和であるから,個々人の幸福が,結局は,社会全体の幸福につながっているのである。
A 個人はそれぞれ独立した実体であるが,そうした無数の個人相互の社会的閑係は,神の下では調和がとれたものである。
B 社会全体の利益を配慮することが,結局は,個人の幸福となるよう,絶えず「見えざる手」によって導かれている。
C 社会の中で各個人は自由に行動しているように見えるが,それは見かけであって,すべては神によって決定されたものである。
問6 下線部eに関連して,本文で述べている近代の感情論は,激しい感情に対してわれわれが採るべき態度として,どのような「処方」を提示し得ると思われるか。その具体的記述として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7
@ 激しい欲望に囚われている間は,極力行動を控えて,そうした激情が収まるのをじっと待っているのがよい。十分に収まってから,この欲望の原因を考えて,何をなすべきか決めることにしよう。
A 同じように相手を打つという行為であっても,怒りや憎しみに駆られてする行為と,相手の不正を萌するためにする行為とでは,行為の意味がまったく異なるということを考えて,自らの行為の動機を反省しよう。
B 感情や欲望に支配されて自己を見失うのは,精神が外界の事物に囚われているからである。情念に動かされず理性にしたがって生きることが幸福であるが,そのために禁欲的な生活を心がけよう。
C 憎しみに対して憎しみで報いてはならない。憎しみは新たな憎しみを生むばかりだからである。憎しみを乗り越えるためにも,もし自分が相手だったらと,相手の立場に立って考えてみることに努めよう。
問7 下線部fに関連して,当時,寛容論を主張していた人物についての記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@ ロックは,人は本来,自由・平等であるが,社会契約によってこの自然権を国家へと移譲した以上,宗教的自由も国家による統治の下に置かれるとした。国家的統治の下でこそ,信仰の自由が保障されると考えたのである。
A ライプニッツは,信仰と理性、神学と哲を峻別することによって、信仰上 の立場にはかかわらず哲学する自由を主張し、自らは無神論的立場を採った。合理主義的立場を突き詰める一方、神を純粋に信仰の対象とした。
B ディドロは,フランスにおける宗教的対立の原因は,国家が宗教に介入することにあるとして,旧体制を批判し、信仰における自由と教会の独立を主張した。絶対主義の唯物論的傾向に、思想的貧困を見て取ったのである。
C ヴォルテールは、イギリスの思想や文化を紹介しながら、政治・宗教・思想の自由におけるフランスの遅れを激しく批判し、伝統的偏見や教会の横暴を攻撃した。自然科学的知識を尊重し,フランスの啓蒙運動を推進した。
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