4章 西洋近・現代の思想  

4.良心と道徳

 4-4-3<利己心と道徳>

3 次の文章を読み,下の問い(問16)に答えよ。

 道徳や倫理と言えば、普通、私利を離れて他人や社会のために尽くすべきことを教えるものだと思われやすい。実際、思想史の上でも,人間の利他的な側面だけを強調する道徳思想は少なくない。それらの中には、人間本性に,無償で他人を思いやる自然な傾向が備わることを力説するものもある。例えば中国の孟子はa「惻隠の心」を,イギリスのハチソンは「仁愛の情」を唱えた。しかし、b自分自身の利益を第一に考えるという人間の利己性や自己中心性は,簡単に無視したり否定したりできるものであろうか。また,そもそも,それらを脱して純然たる利他心をもたなければ,我々には道徳にかなう行為はできないであろうか。

 利他心を強調する思想が登場する背景には,概して,人間の利己性に対する強い自覚や,人間の利己牲を前面に出す思想的立場が存在している。例えばハチソンの場合,彼の一つの目的はホッブズを反駁することであったが、そのホップズの見方では、c我々が一般に「道徳的」と呼ぶ行為も含めて、人間の一切の行為は全く利己心だけから説明されるのであった。このような事情を加味するなら,利他心を強調する考え方の存在とは,実のところ,反面では,ほかならぬ人間の利己心の強さ,打ち消しがたさを暗示してはいないであろうか。

利己心と道徳との関係を考える際によい手がかりとなるのは功利主義である。往々にして誤解される点であるが,d功利主義は必ずしも,我々一人一人が常に他人や社会全体の幸福をめざして行為すべきだ、とは主張しないJS.ミルは,我々の自己中心的な行為の仕方を,他人に害を及ばさず,他人の同様な立場をも尊重するという条件のもとで正しいと認めている。そこには,我々は自由な活動を許された場合に社会の幸福に最も多く寄与しうる,という彼の認識があった。

 このように見るならば,我々の行為が「道徳にかなう」ための最低限の条件は次のことにあるのではなかろうか。それは,自分を例外扱いにしないこと,自分だけに特権を認めないことである。この条件からすれば,ある範囲内で自分に自己中心性を認める場合には他人にも認めなければならず,他人に許さない場合には自分にも許してはならない。もちろん,これだけで道徳のすべてが言い尽くされたわけではなかろうが、しかし,例ぇばeカントが道徳の最高原則とみなした定言命法に基づいて考えた場合でも,見方次第ではこれと同様な結論になるかもしれない。

 

1 下線部aに関して,孟子が言う「憫隠の心」を説明する例として最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。  1

@ 目上の人が歩いているのを見かけると、道を譲って先に通してあげようと思う。

A 弱者にやさしい立派な人に接すると,自分の日ごろの行いが気恥ずかしくなる。

B 子供が自分の身に危険を招くようなことをしていたら、救い出してやろうとする。

 C友人が不正行為をしているのに気づいたら,注意をして反省を促そうと思う。

 

2 下線部bに関連して,西洋思想史ではこれまで、利己心や自己中心性をどう扱い、どう位置づけるかということが,思想の特徴を決める大きな要因であることが多かった。次のそれぞれの思想を唱えた人物として最も適当なものを・下の@〜Gのうちから一つずつ選べ。アについては 2 に,イについては 3 に、ウについては 4 に答えよ。

 ア 各人が利己心に促されて,自分の利益だけを追求するような仕方で経済的自由競争を行えば,互いの軋轢や反目が生まれて経済活動が停滞することはなく、むしろ「見えざる手」に導かれ,社会全体の富は増大する。

 イ 自然状態では人間は,自他を比べてその優劣を問題にする、などということはなかったが,しかし,財産の私有が始まって貧富の差が生まれ、社会に不平等がはぴこると,他人に優越したいという気持ちが顕著になった。

 ウ 利他心の滴養を命じるキリスト教道徳とは、その実、強者に対する弱者のルサンチマン(怨恨)から生じた「奴隷道徳」であるが,それに対して、自分自身のあり方を壌極的に肯定する道徳が「貴族道徳」である。

      

    @ ニーチェ  Aロック  Bアダム・スミス  Cケインズ    Dサルトル  Eルソー  Fマキャベェリ   Gヒューム

 

3 下線部cで言われているような説明の仕方を示す実例として適当でないものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 5

 @ Aさんが慈善事業に積極的に従事するのは、自分自身の「力」を実感することによって心の内奥の劣等感を克服したいからであろう。

 A Bさんが,友人が因っているときでも、できるだけおせっかいな手助けを控えるのは,相手に自立した人間になってもらいたいからであろう。

 B Cさんが受信料を払うことにしているのは、放送局が経営難になって好きな番組を提供してもらえなくなるという不利益を招かないためであろう。

 C Dさんが店の客への応対に大いに気を配るのは、売り上げを伸ばして貯蓄を増やし,いずれは悠々自適の生活を送りたいからであろう。

 

4 下線部dに関連して,功利主義者ベンサムの次の有名な言葉は、人間の利己的な本性を示唆するものだと解釈することができる。つまり、人間の行為の究極的な動機は,ただ自分自身だけの快楽を求め、苦痛を回避しようとすることにある、ということである。こうした人間の本性を前提とした場合、人間に、社会全体の幸福に役立つ行為をさせるにはどうしたらよいか。ベンサムが示した解決法として最も適当なものを、下の@〜Cのうちから一つ選べ。 6

  『自然は人類を苦痛と快楽という二人の主権者の支配のもとに置いてきた。我々が何をしなければならないかということを指示し,また我々が何をするであろうかということを決定するのは,ただ苦痛と快楽だけである。』

               (べンサム『道徳および立法の諸原理序説』)

 @ 為政者や立法者のような立場の人々が,社会の成員に対して,他人を犠牲にしてでも、ただひたすら自分の快楽だけを追求するように促す。そうすれば,不幸な人が出てきても,総和としての社会の幸福は最も大きくなる。

 A 教育する立場の人々が,社会の成員に対して,他人の喜びや苦しみを理解する共感能力を養わせる。つまり,他人の快楽が自分の快楽となり,他人の苦痛が自分の苦痛となるような性向を身につけさせる。

 B 為政者や立法者のような立場の人々が,社会の成員に対して外的な条件づけを行う。つまり、社会全体にとって益になる振る舞いをした者には賞を与え,害になる振る舞いをした者には罰を与える。

 C 教育する立場の人々が,社会の成員に対して,内面的な良心を植えつける。つまり,社会の幸福に努めるべきであるという義務感をもたせたり,この日的に逆らう行為をしたときに罪悪感を感じさせたりする。

 

5 下線部eに関して,カントの定言命法を表した記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 7

 @ 我々が住んでいる世界の中でも,その世界の外でも,無条件的に善とみなされうるものとしては,善い意志のほかに何も考えてはならない。

 A 自分の立場だけでなく相手の立場にも立つよう心がけ,そして,相手の欲求を自分の欲求と対等なものとして考慮しなさい。

 B 目には目を,骨には骨を,歯には歯を。もしも人からものを盗まれたとしたら,自分も相手から同じだけのものを取り返さなければならない。

 C 自分自身の行動の規準が,誰にとっても常に成り立ちうるかどうかを吟味し,成り立ちうる場合にのみその規準に従って行為しなさい。

 

6 本文の趣旨に合致しないものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8

 @ 簡単には打ち消せないほど深く人間の心に根を下ろしている傾向が利己心や自己中心性なのであるから、我々は,道徳や倫理を成り立たせるためには,何よりもこれらを積極的に肯定しなければならない。

 A 利己心や自己中心性は道徳において全面的に否定される必要はないが,しかしこれらが、他人と自分との対等牲に気づくことを妨げるほど反省を欠いたものであるとしたら,そのかぎりでは否定されなければならない。

 B 若者が鼻にピアスをするのを不愉快と思う人もいるが,しかしそうすることは,もし他人を害していないのであれば彼らの勝手であるし,また彼らのほうも,他人の同様な自己中心的行為に対しては寛大であるべきである。

 C 他人や社会のために尽くせという命令は,我々がある場合に利己心や自己中心性を乗り越えなければならないということなのであるから,その命令は,我々が事実として利己心をも?ていることと矛盾するわけではない。

[12−追]

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