第4章 西洋近・現代の思想
5.生と死,人生
4-5-2<死を見つめること>
2 次の文章を読み,下の問い(問1〜7)に答えよ。
かつて西洋近代の始まりは,文字どおりの曙として理解された。a『百科全書』序論によれば,16世紀に西洋は精神を甦らせ,野蛮な暗黒状態を脱して,光明の時代を迎えたのである。だがこの曙光の時代も、単純に明るさを享受できたわけではない。打ち続く戦争やペストの流行など、人々は日常的に死を意識せざるをえなかった。b新時代を切り開く力強さをもった近代初頭の思想も、他面において死の意識を身近にもっていたのである。
たとえばパスカルは、人間を死刑囚になぞらえ、人々をキリスト教へ導く手がかりとした。ホッブズがc社会契約説を構想したのは、死の恐怖をもたらす内乱という最大の悪を避けるためであった。また彼らに先立つ16世紀のモンテーニュは,死の問題から思索を始めて独自の人間肯定に至っている。
モンテーニュの『エセー』は,疫病による親友の死を一つのきっかけに書き始められた。まず説かれたのは 1 的な死生観である。人々は死への恐怖から,死を考えまいとする。だが人間は、死を避けられない。むしろ我々は意志と理性の力を発揮して死のことを常に想うことで,死を飼い慣らさなければならない。死を考え続けることが,死に囚われない自由な生を可能にする,というのである。
しかしこうした克己主義的態度は,やがて捨てられる。 2 によってモンテーニュは,人間の無力さと移ろいやすさを思い知らされたからである。そのことを考えれば,人間の意志が確固不変であったり,理性が普遍的真理を把握できたりするとは思われない。「人間は知りたがるのに明確な認識には至らず、裁きを下すにも権限がない。結局,道化芝居のおどけ役なのだ」。
だがdモンテーニュは,そこからさらに,自己を見つめることを通して,人間の現実を素直に見直していく。その結果,「我々の病のうちで最も野蛮なものは,自分の存在を軽蔑することだ」という確信に至る。なるほど空しさと愚かしさも人間の現実である。しかし「そこから抜け出すのは,私が自分自身から抜け出さないかぎりは不可能である」。むしろ,我々は現実をあるがままに肯定することを学ぶべきである。すでに自然は,人間に生きるための知恵を与えてくれている。死は単なる終わりにすぎない。死について無理に考えることなど、求められてはいない。必要なことは,「生を愛し,神が授けてくれたままに耕すことである」。
こうして最終的にモンテーニュは,人間の生全体を受け入れようとした。その立場は, A という17世紀のスピノザの言葉を想起させる。死を考えることは,しばしば,生き方を考える上で不可欠であると言われる。だがモンテーニュは,あくまでも現にある生そのものに注目し、eしなやかな魂をもって現実を肯定しようとした。自ら「さまよいながら進む」と称したその精神は,歩み始めた地点からはるかに遠い所に辿り着いたのである。
問1 文章中の 1 ・ 2 に入れるのに最も適当なものを,次のそれぞれの@〜Cのうちから一つずつ選ベ。
1 @プロテスタント Aアウグステイヌス Bストア Cエピクロス
2 @合理主義 A懐疑主義 B実証主義 C理想主義
問2 下線部aに関する説明として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。
@ 動植物界の記述を目指し,自然選択にもとづく生物進化論を提示した。
A 人類史の記述を目指し,ルイ14世の時代を歴史的進歩の頂点とした。
B 習俗の比較を目指し,ペルシャと対比しながら西洋社会を批判した。
C 様々な知識の組織的な解明を目指し,学芸の成果を批判的に吟味した。
問3 下線部bに関連して,近代的な学問の理論を確立しようとしたベーコンの考え方の記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 4
@ 人間の精神は,生活に役立つ知識を獲得するために,先入見を排除して自然を観察する必要がある。
A 人間の精神は,感覚に囚われることなく,かつて見ていた真実在を想起することによって真の知識を獲得できる。
B 人間の精神は,何も文字が記されていない白紙のようなものなので,知識の材料となる観念は経験によって獲得される。
C 人間の精神は,身体とは独立に存在しうることが証明できるものであって,世界の体系的認識の出発点となる。
問4 下線部cは国家や社会についての代表的な理論の一つであるが,西洋ではそのほかにも様々な国家論,社会論が説かれてきた。次のア〜ウの思想を唱えた人物として最も適当なものを,下の@〜Gのうちからそれぞれ一つずつ選べ。アについては 5 に,イについては 6 に,ウについては 7 に答えよ。
ア 家族と市民社会を総合し,欲望の体系である市民社会を克服するのが国家であり,そこにおいて共同体の普遍牲と個人の個別牲が保持される。
イ 理想的な国家を実現するためには,哲学者が統治者になるか,あるいは統治者が哲学者になる必要がある。
ウ 個人が自己の利益を自由に追求することで社会全体が豊かになるのだから,国家の重要な役割は個人が自由に獲得した財産を保護することにある。
@ プラトン A アリストテレス B ロック
問5 下線部dに関連して,モンテーニュの『エセー』に親しんだ思想家にニーチェがいる。ニーチェの思想についての記述として最も適当なものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。 8
@ 人間は,まず生存するために,ついで生きるために,いわば二度誕生し、心身ともに独立した自己へと成長しなければならない。
A 人間は,意味もなく永遠に反復される人生を積極的に肯定することによって,現在を真に生きることができる。
B 人間は,知性の能力を駆使して現実の状況における問題を解決することで,状況に対応した自由を実現していくことができる。
C 人間は、無目的な意志を本質とする世界のなかで,満たされぬ欲望に苦悩しつつ,生きなければならない。
問6 本文の趣旨から考えて,文章中の A に当てはまるスピノザの言葉として最も適当なものを、次の@〜Cのうちから一つ選べ。 9
@ 「自由な人間は何よりも死について考えることが少ない。自由な人間の知恵とは、死についての省察ではなく,生についての省察である」
A 「諸君、君たちは神に期待するがいい。神が合図をして,この奉仕から解放してくれるとき,そのときこそ神のところへ立ち去るがいい」
B 「我々はみな死へと定められており,誰も他人に代わって死ぬことはできない。
C 「死は生にとって不可避である。それゆえ,我々は死について学べば学ぶほど,いっそう深く,生きることについて考えることになる」
問7 下線部eに関するモンテーニュの次の文章を読み,その趣旨と合致しないものを,下の@〜Cのうちから一つ選べ。 10
『自分の気分,気質にあまり執着しすぎてはいけない。我々の主要な能力は,様々な習慣に自分を適応させることができるということだ。どうしようもなくある一つの生き方に執着し,束縛されているのは,存在しているだけで,生きていることではない。最も立派な魂とは,最も多様でしなやかな魂なのだ。』
(モンテーニュ『エセー』)
@ 人間が精神的に成長するためには,自己中心性から抜け出して,自分とは違う他人の観点を理解する必要がある。
A 葛藤を安易に合理化することは,自分の欲求に囚われていることを意味するものであって,避ける必要がある。
B 自己のアイデンティティを確立し,主体性を獲得するためには,自分の考え方をあくまでも貫き通す必要がある。
C 人生に何を期待できるかということを考えるのではなく,人生が何を我々に求めているかを考える必要がある。
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