生命倫理課題 -2-   「医師のもつ二つの世界」

 

課題:次の文章を読んで、以下の設問に答えてください。

 100年以上前にオスラー(注:アメリカの医師)は、「医学は不確実の技科である」と言いましたが、これだけ医学が進歩しても、診断は100パーセント確かなものではありません。

 たとえば、がん患者の余命。もちろん、胃がんであるとか、すい臓がんである、という診断はできるでしょう。しかし、その患者さんがあと何年生きられるか、などということは、どんな医師にもわかりません。

 ところが、卒業してから数年の若い医師が「まあ、長くて半年ですね」などと、無謀にも言うことがあります。そして、その半年が近づくと、@これからもっと悪くなるはずだ、と心のなかで患者さんの容態が悪くなるのを期待しています。「あの先生が言われるように、半年で亡くなった。腕のいい医師だ」と言われるのが、医師の誇りだと思っているとすれば、とんでもないことです。

 医学校卒業直前には、私の心にもそういう一面がありました。まだ京都帝国大学の付属病院にいたころ、頭痛を訴える子どもが診察を受けにきました。私は結核性の髄膜炎ではないかと思い、それを証明しようと子どもの髄液を何度か採集し、何時間もかかってやっと結核菌を確かめました。顕微鏡を通して見えるきれいに染色された結核菌に、私は「おーい、出たぞ」と同僚の医師たちを呼び、得意げに「見ろ、見ろ」と言ったものです。

 しかし考えてみれば、結核菌があったということは、その子どもが間違いなく結核性の髄膜炎だということです。化学療法のなかった当時、この病気にかかれば四週間で100パーセント死ぬとされていました。本来ならば、結核菌が出たというのは( A )べきことなのに、私は「これで教授に見せられる」と自分の技術を誇っていたのです。

 30年ほど前、私はユダヤ人の哲学者マルティン・ブーバーの『( B )』という本に出会いました。

「人間は二つの世界に住んでいる。ひとつは『私とあなた』、もうひとつは『私とそれ』。a.科学は『私と( C )』の関係に焦点を当て、それだけで満足すると考えてきたところに驕りがある」 この言葉は私の心にずっしりと響きました。

 医師にとって「それ」というのは動脈硬化の患者さんであり、肺がんの患者さんです。いや、病気をもつ組織または臓器そのものです。

 患者さんを科学の対象の「それ」あるいは「もの」としてとらえる態度は、今でも少なからず医療従事者に見られます。

 科学者としての医師は、新しいがんの化学療法がある場合、自分の患者にその治療法を試してみたいと考えます。効くかもしれないし、効かないかもしれない。でも、あと二例でこの化学療法の有意性が証明される、ということになれば、.患者さんに少々負担を強いてでも、その二例がほしくなります。

 しかし、その患者さんが自分の親だったり、愛する人だったりした場合は「あなた」という人間としてとらえ、危険な手術や副作用のひどい治療法を行うのをためらうでしょう。

 医師は、天使の心と悪魔の心をひとりの人間のなかにもっているといえるのです。それを自分のなかでどう調和させるかということで、c.医師は悩まなければいけません。

 私たちが向き合う患者さんは、がんで苦しんでいる( D )であって、がんの病巣をもっている肝臓でも腎臓でもありません。がんをもって苦しみ、不安になっている病人なのです。

「自分が病気になったり、自分の愛する人が病気になったら、こういうふうにしたい」

 医師や看護師を含めた医療従事者が、そういう選択を常に患者さんに対してできるようになれば、医学はもっとよりよい方向に進んでいくのではないかと思います。

 マルティン・ブーバーの言葉を、私はこう言い換えましょう。

「人間が二つの世界に住むように、医師も二つの世界に住み、二つの心をもっている。それはクールな頭と、温かい( E )だ」― と。

 

『私が人生の旅で学んだこと』 日野原重明 集英社(p.75)から引用


 

解答用紙

1.下線部@の「期待」は仏教の「五欲」では、なんでしょうか。

2.空欄(A)に適語を入れてください。           

3.空欄(B)に該当する「書名」を答えてください。     

4.空欄(C)に適語を入れてください。           

5.空欄(D)に適語を入れてください。           

6.下線部aの中の「驕り」について説明してください。        

 7. 下線部bのような考えはどうして生じると思いますか。君の考えを述べてください。

8.下線部cの「医師の悩み」は、なんですか。

9. 空欄(E)に適語を入れてください。           

  


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