− 人に与えられた共通の恵み

  「病気はあとで治せるから、まず生きておりなさい」

 これは、医師である私が、現地二十二年を振り返り、どうしてアフガニスタンで活動を始めたのか、その後、なぜ医療活動以上に、井戸を掘り、用水路を拓くことに力を傾け始めたのか、そのいきさつを紹介したものです。

 二〇〇一年九月十一日のテロ事件に対する米国による「報復爆撃」(二〇〇一年十月)、タリバン政権の崩壊後の「アフガン復興」が当時大きく報道された後、「アフガニスタン」は何となく落ち着いた錯覚を与えたまま、忘れ去られようとしています。しかし今、現地で何が起きているのでしょうか。

 猛威を振るっている大旱魃は、ほとんど知られていません。かつて自給自足の農業立国、国民の九割が農民・遊牧民といわれるアフガニスタンは、瀕死の状態なのです。この重大な出来事がなぜ十分に知らされていないのか、その無関心自体に私たちの世界の病弊があるような気がしてなりません。

 かつて自著『ペシャワールにて』(石風社刊)の中で、「現地には、アジア世界の抱える全ての矛盾と苦悩がある」と繰り返して述べてきました。でも、ここに至って、地球温暖化による砂漠化という現実に遭遇し、遠いアフガニスタンのかかえる問題が、実は「戦争と平和」と共に「環境問題」という、日本の私たちに共通する課題として浮き彫りにされたような気がします。

 二十二年間の軌跡を振り返ると、人の緑は推し量りがたいものがあります。現在までの経緯を忠実に描こうとすれば、幼少時から備えられた数々の出会いの連続を記さないわけにはいきません。私たちは不運を嘆いたり、幸運を喜んだり、しばしば一喜一憂して目先のことにとらわれやすいものです。

 私たちは、得てして自然の摂理を無視し、意のままにことを運べる「自由と権利がある」と錯覚しがちです。昨今、人間の分を超え、いのちを軽んじ、自然を軽んじる「欲望の自由」が大手をふって歩いているような気がしてなりません。

 様々な人や出来事との出会い、そしてそれに自分がどう応答するかで、行く末が定められてゆきます。私たち個人のどんな小さな出来事も、時と場所を超えて縦横無尽、有機的に結ばれています。そして、そこに人の意思を超えた神聖なものを感ぜざるを得ません。この広大な縁(えにし)の世界で、誰であっても、無意味な生命や人生は、決してありません。私たちに分からないだけです。この事実が知って欲しいことの一つです。

 現地二十二年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。

 人の陥りやすい人為の世界観を超え、人に与えられた共通の恵みを嗅ぎとり、この不安と暴力が支配する世界で、本当に私たちに必要なものは何か、不要なものは何かを知り、確かなものに近づく縁(よすが)にしていただければ、これに過ぎる喜びはありません。

 NHK 知るを楽しむ この人この世界 2006年6月7月号 「アフガニスタン・命の水を求めて 中村哲」p.6〜p.8

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