

COLT.45〜J.Jが教えてくれたこと〜
【COLT.GOVERNMENT MODEL】 ピストルベルトは当時Guamにて譲り受けた物 撮影:あおいしんご
“Gunを握った手を、反対側の手でwrapするんだ。”
ペパーミント・ガムの匂いがする濁声と、赤銅色の太い腕が私に覆い被さった。
“右腕は突き出して、左腕で引きつける‥そう、それでいい。focusは照星に
合わせているかな?Targetはボヤけても構わないんだ。(注1)
大切なのは、照星を見失わないこと。 Ready…?Fire!”
マリン・ドライブから山道に折れ、島の中央部に向かった小高い場所にある(注2)
Guam Pistol&Rifle Shooting Range。’80年代のある日、私はそこで
レンジマスターJ.J Cruzより実弾射撃、とりわけコルト.45自動拳銃の
撃ち方を教わった。 その事について書こうと思う。
“J.J!あんたのお客さんだよ!”
ホテル・グアム・アメリカン(注3)のフロント係が、朝食を終えてロビーに出向いた
私の頭越しに声を掛けた。実は前日、“本格的にShootingを教えてくれる所を
紹介してくれないか?”と、このフロントの兄ちゃんに頼んでいたのだ。
声の方向に目をやると、ピンボール・マシンと格闘していた迷彩服の分厚い背中が
ゆっくりと振り返った。
“Mornin’! Nice to meet you.”
差し出された掌も分厚く、大きく、そして少し湿っていた。それが元・グアム警察署長、
現在は射撃場を経営しつつ射撃コーチも務めているJ.Jとの出逢いだった。
“Are You YAKUZA‥?”
J.Jのレンジに向かう車の中、彼の発した第一声がこれだった。(注4) 陽気な
口調だったが、眼は笑っていない。初対面なのでこれがGuam流のジョークなのかも
判然としない。ただ、NOと答えるのが精一杯だった。
“私の処には、色んな客が来るからね。”J.Jは言った。“独りなのは、大抵ヤクザなんだ。
観光客なら、もっと大勢だ。日本の警察官たちも時々来るけれど、彼等はヤクザほど
Shootingが上手くないねぇ…。”
“Ammunition for training is not enough.” つまり
「訓練に使う弾薬が、充分じゃ無いんだ。」そう伝えたかったのだが、
我ながらたどたどしい英語だったので、理解してくれたか不安になった。
“I see.”そう言って、J.Jは笑った。年齢を感じさせない、屈託のない笑顔だった。
そんな珍妙な英会話を繰り返すうちに、射撃場に到着した。
“さぁ、どれを撃ちたい…?”
J.Jがそう言ってテーブルに揃えてくれたGunの群れ。小は.22口径から、大は
.44マグナムに至るまで、ガンマニアなら片っ端から試し撃ちしたくなるような
代物ばかりだった。アサルト・ライフルやショットガンまである。(注5) 目移りしそうに
なるのをぐっと堪えて、私は1挺のオートマティックを手に取った。
コルト.45 ゴールドカップ・ナショナルマッチ。簡単に言うと軍用のガバメント・
モデルを精密射撃用にメーカーがカスタマイズした銃だ。
本気でコンバット・シューティングを体得したいのなら、これに勝る選択はあるまい。
“Good Choice!” J.Jも、そう言って褒めてくれた。
照星のど真ん中で標的を捉え、Triggerを引く。.45ACPの閃光で、一瞬、
眼前が紅く染まる。リコイルは強烈だ。銃の跳ね上がりを防ぐため、グリップの
うんと上の方を握っているので、親指と人指し指の間にもろにガツン!とくる。(注6)
だが、正しいサイティングとフォームをJ.Jが教えてくれたおかげで意外に良く当たる。
大切なのはJ.Jの言うとおり照星を見失わないこと、つまり、目を瞑らないこと。
野太い反動にも、7マガジン=約50発も消費するうちに慣れてしまった。
15ヤードの距離でテン・リング(的の中心)を外さず、目線を銃に落とさないで
マガジン・チェンジが出来るようになれば、レッスン1は終了だった。
ガンオイルと硝煙で汚れた掌をペーパータオルで拭い、冷たいコークで一息入れた後、
“次はFalling Plate(注7)で抜き撃ちをやってみよう。”J.Jが言った。
ハンズ・アップの状態からGO!の合図で銃を抜く。安全装置を外し素早く照準、
そして10ヤード先のコーヒー皿大の鉄板を7枚、倒すのだ。
初めのうちは焦るばかりで的を外したり、狙いとは別のプレートに当たったりもしたが
一旦リズムを掴んでしまえば、後はこっちのものだった。カキン!カキン!と、
プレートに命中する度に小気味良い音がする。“YAKUZAより上手いぞ!”
J.Jのジョークだった。眼が笑っていた。
“Okey,最終レッスンだ。”
J.Jとアシスタントが、レンジ中にプレートやらテーブルやらをセッティングしている。
それほど広くない射撃場が、さながら障害物競走の様相を呈していた。
“説明しよう。まず抜き撃ちで10枚のプレートを全部倒す。当然、マガジン交換が
必要だ。それが済んだら向こうのテーブルまで走ってショットガンを取る。目の前の
マン・ターゲットに2発、ぶち込んだら、その先のサークルまでダイブしろ。姿勢を
低くしないと実戦では撃たれるぞ。あのサークルからなら鉄棒にぶら下げた
ポリ・タンクが狙える。そいつを吹っ飛ばせたら、このテストは合格だ。”
事前に“教材”であるポンプ・アクション・ショットガン(注8)の試し撃ちをしたが、
.45口径より扱い難い代物だった。何しろ、頬に響くようなキツイ反動がいただけない。
それでも、ここまで来てギブアップする気は更々無かった。
“Ready…?Fire!” J.Jの声が飛ぶ。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら10枚のプレートを撃ち倒した。
Gunをホルスターに収め、テーブルに走る。ショットガンを握り、初弾を装填する。
アドレナリンが噴出しているせいか、反動もあまり感じない。たった2発でターゲットが
ズタズタになるのを確認して、次のサークルにダイブ。柔道の受身の要領で回転したら
上手くいった。チェンバーに弾を送ると同時に引き金を引く。10ヤード先のポリ・タンクが
水飛沫を撒き散らしながら四散して消えた…。
“私もね、一度Japanに行ってみたいんだ…。” 帰りの車中、J.Jが呟いた。
“WWKの間、日本のソルジャー達は子供の私をとても可愛がってくれた。
Military Song も一杯、教えてくれたよ。唄ってみせようか?”
私の返答も待たず、J.Jは歌い始めた。
“Umi Yu Ka Ba… Mizuku Kabane‥ ”
Military Song が軍歌の事であり、『海征かば』を唄っているのだと気付くのに
暫く時間がかかった。J.Jは最後まで歌い続けた。
山征かば 草むす屍
大君の 辺にこそ死なめ
かえりみは せじ
昔、この島で戦争があった…。
日本の絶対国防圏からB29の発進基地へ。アメリカの準州となってからは、
B52とフィリピン、コリア系移民、そして日本人観光客までをも受け容れてきた
グアム島の歴史は、そのままCapt.J.J Cruzの歩んできた道でもあった。
そしてコルト.45オートはアメリカ軍、ひいてはアメリカそのものの象徴でもあるのだ。
ひとことでは言い表せない感慨に、私はしばし浸っていた‥。
結局、J.Jとはこの時が最初で最後となった。(注9)射撃は今でも続けている。
J.Jが教えてくれた事を、私は決して忘れない…
※私にExpertの称号をくれた
いまは亡きJ.Jクルーズとの想い出に捧げます‥。
(注1) 奇異に思われるかも知れないが事実である。眼の焦点をフロントサイトに合わせ、ボヤけた標的に
重ねて撃てば、間違いなく正確に命中する。
(注2) 記憶違いかも知れない。とにかく、サンゴを敷き詰めた舗装路を外れ、山道をずいぶんと走った場所にJ.Jの
レンジはあった。可愛いお孫さんの姿も見えたので、住居も兼ねていたのだろうか‥?
(注3) 私が行った当時でさえ、「え‥?あそこってまだ営業してるのかい?」等と言われたグアムの安宿。
朝起きると窓にベッタリGecko(ヤモリ)が貼り付いていたりして、それはそれで趣きがあった。
(注4) 当時は山口組と一和会の“戦争”の真っ最中。コルト・トルーパー357、イングラム・マック10、
M72ロケットランチャーといった物騒な火器達が新聞紙上を賑わせていた。
(注5) ショットガンについては後述。ライフルはM16の短縮版、M655カービンだった。50発程度の
遊び撃ちだったが、抜群の精度と扱い易さに舌を巻いた記憶がある。
(注6) 45口径の射撃経験のある方なら納得して下さるだろう。自衛隊出身の友人にも尋ねたところ、
「そうそう。掌が真っ赤になるんだよな‥」と、苦笑いしていた。
(注7) IPSC(実戦を想定した射撃競技)で用いられる、命中すると倒れる仕掛けの鉄板。TVシリーズ
『マイアミ・バイス』で、ソニー刑事が訓練に使っていたアレである。
(注8) マーリン製だったかサベージ製だったか、日本ではあまり馴染みの無いメーカー製だった。その夜、
シャワーを浴びるため服を脱いだら、銃尾板の跡が肩にクッキリ残っていた…。
(注9) その後、専門誌等で『チャモロ・バーベキューとグアム実弾射撃の旅』なるツアーに、J.Jのレンジが
使われるようになったことを知った。J.J自身は’90年代初頭に不帰の人となったらしい…。
※○ーティーハリー誕生秘話…?
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