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諏訪の浮城、島崎城
石垣、復元天守・櫓・門・塀・移築城門
3重独立式前期望楼型
かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。 城郭の形式は連郭式平城。天守は屋根に瓦ではなく檜の薄い板で屋根を葺いてある柿葺という珍しいものである。 江戸時代は諏訪藩の政庁であり藩主の居所であった。 1875年(明治8年)に天守以下建造物は悉く破脚され一時は石垣と堀のみになっていた。 現在は本丸に天守・櫓・門・塀が復興され、高島公園となっている。 遺構として三の丸にあった移築城門が本丸にある。 (百科事典「ウィキペディア」より)
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