太閤の野望が生んだ史上空前の陣城 肥前名護屋城 |
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別名 | (なし) | ![]() |
城の種別 | 平山城 | |
築城者 | 豊臣秀吉 | |
築城年 | 天正19年〜文禄元年 (1591〜1592) |
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遺構 | 石垣 | |
天守の構造 | (なし) | |
所在地 | 佐賀県唐津市 JR筑肥線唐津駅よりバス |
今らかおよそ400年ほど前、国内を統一した豊臣秀吉がさらに朝鮮半島、明国(中国)へ向けて出兵 (文禄・慶長の役、1592〜1598年)するための軍事拠点として築かせた城である。 本丸、二の丸、三の丸、弾正丸、山里丸、のほかに、大小11の付属曲輪からなる平山城で、 標高89m、総面積は17万平方メートルであった。 この名護屋城を中心に半径3キロメートルの範囲に、約130箇所の大名陣跡が確認されている。 史上かつてない一台城塞郡の威容が造り出された。 |
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