悲劇の名城 会津若松城(鶴ケ城) |
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別名 | 鶴ケ城 | ![]() |
城の種別 | 平山城 | |
築城者 | 芦名直盛 | |
築城年 | 至徳元年(1384) | |
遺構 | 城跡(史跡) | |
天守の構造 | 鉄筋コンクリート5層7階 | |
所在地 | 会津若松市丸の内 磐越西線「会津若松駅」 |
若松城が最も脚光を浴びたのが、戊辰戦争。藩主の松平容保は、西軍(新政府軍)との 徹底抗戦を決意。三春、二本松などの城が落とされて、城下に西軍が押し寄せ、悲惨なる落城 の運命を迎えた。白虎隊の傷痍が市内あちこちに残っている。 (日本名城集より。) |
若松城のアルバム |
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