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     〜昨日のボクから明日のキミへ B
 



          



 そういえば。去年の夏に東京都選抜たらいう総合合宿が高尾であって、その最終日にちょっとした事故があった。そん時に、気を呑まれてボ〜ッとしてやがったチビを庇って、俺はちょっとした怪我をしたんだが。

  『あれが俺でも庇ってくれたか?』

 たまたま居合わせた桜庭から、唐突にそんなことを訊かれた。確かにまあ、チビを庇いはしたけれど、まだまだ役に立ってもらわにゃならねぇ奴だと思ったからで。なのに何をムキになったか、そんなことを訊いて来たものだから。

  『………どうだろうな。だってよ。お前の方がデカイじゃん。』

 庇われるのは俺の方じゃねぇのかって言い返したら、妙ににこにこ機嫌が直って、
『今回は出遅れたけどさ、今度こんなことがあったらきっと守るからね。』
『よせやい。こんなとんでもないことが、そうそう何度も何度も降りかかって来てたまるかよ。』
『でも、ホントなんだからね。きっと守るんだから。』
『へえへえ、そん時はせいぜい頑張ってくれや。』
『あ〜〜〜、本気にしてないな。』
『どうだかな。』
 そんなやり取りをしたのを何となく覚えてる。


   ――― それから。


 気がつけば。何となくながら…何かコトを起こす時の手札・切り札として、必ず声を掛けるような把握になっていたような。芸能人がらみという人殺しを誘い出すこととなった時には そりゃあ良く働いて重宝してくれたし、仕事を持つ身で忙しい筈が、声を掛ければ無理をしてでも時間を割いてくれるから。そういうのが続いて、何となく ついつい一緒にいることも多くなって。それから、段々とほだされて。気がつけば………この自分の胸の裡
ウチに、途轍もない大きさの存在感で居座ってた奴だった。俺みたいな人間に関わったなら どんなに危険か判った上で、なのに…どういうつもりなのだか"好きだ、好きだ"と連呼しやがる。

『ボクは妖一の傍に居たい。だからごめん。頼り
アテにされるどころか心配ばっかかけるかも知れないけれど、それでも何とか…今日みたいに頑張るから。だから傍に居させてよ。』

 胸を張ってそんなことを言ってくれたのが、そりゃあ嬉しかったけれど。

  『ね? もう独りで泣かなくてもいいんだよ?』
  『泣いてなんかない。』
  『そう? じゃあ…。もう、泣いたっていいんだよ?』

 辛抱強いのは重々知ってる。懐ろが深いってのも、思いやりがあるのも優しいのも知ってる。………でも、な? お前の側だけでなく、俺の方にも覚悟が要ったなんて。うっかりしてた。気がつかなかった。


  ――― なあ。俺んコト、独りにしないって言ったよな。
       それって、こんな目に遭っても、なのか?







            ◇



 消毒薬の匂いが鼻を刺す。さっきまでの屋外の熱気とは打って変わって、どこか冷たい感触がする空間。外来から離れた救急の奥まった一角に蛭魔はいる。引っ切りなしにサイレンが聞こえるのに、その搬入口からは遠いらしく、此処だけは妙に静かで。その分、ピンと張り詰めた空気に押し潰されそうになる。焦れったいほどのろのろと駆けつけた救急車に一緒に乗せられ、この病院まで運ばれて。ガラスまみれになってた頭や顔、手のひら、腕や肩なんかを丁寧に診察されたが、そんなのどうでもよくって。

  『坊っちゃま。』

 知らせた覚えはなかったのに、実家から加藤さんが早々と来てくれたのには驚いたけれど。それも何だか、他人事みたいに遠くの感覚だったほど。

  『桜庭様のお母様へ、連絡しておきました。』

 ああそうだ。それも必要だったんだ。ぼんやりと納得したところへ、担当医に重々よろしくとお願いしましたから、一旦帰りましょうと言われたが。無言のまま、かぶりを振って断った。判ってる。怪我をしなかったから良かったね、ではなくて。精神的にまいってないかと、此処にいてはそんな疲弊が増すばかりではなかろうかと、そっちを案じてくれた加藤さんだってことくらい。でも、やっぱり動けなくて。此処から…桜庭の傍から離れる訳には行かなくて。集中治療室の前の廊下。ベンチに座り込んだまま、じりとも動かぬ自分へ…無理強いはせず。区切りがついたら連絡して下さいと出来るだけやわらかく言い残して、加藤さんは静かに帰っていった。それから…どのくらい経ったのかな。何だかもう、時間の感覚もマヒしてしまっているみたいで良く判らない。

  "……………。"

 時折部屋のドアが開いて看護師が出入りしているけれど、桜庭の容体はまだ何とも言えないらしい。外傷はともかく、意識がなかなか戻らないからで。ただ見守るしかないという。

  "なあ。俺んコト、独りにしないって言ったよな。
   それって、こんな目に遭っても押し通せることなのか?"

 俺んコトこんなに怖がらせてでも我を通そうと言うのか、と。そんな憎まれを叩きつけて、今度こそ最後通牒を切った方が良いのかもしれない。大切な人が怪我を負うなんてやっぱり辛い。自分が殴られた方がまだマシかも知れないなんて月並みなことを、この自分が思ってしまうほどに手痛い。
"………。"
 切なくて切なくて胸が痛い。息をすることさえ苦しい。こんなこと、感じないようになってた筈なのに。独りで居られるように強くならなきゃと頑張って、誰が傷ついたって知ったことかと平気だと笑っていられるように、太々しくなった筈だったのにな。せっかく身についてた頑健な鎧を、優しい想いを引き連れて、あいつはあっさりと…脆くも突き崩してくれやがった。
「………。」
 肝心な時にぼんやりしていた自分へも腹が立つ。どうして気がつかなかったのだろうか。心当たりはないけれど、計画的な襲撃にしたって通り魔にしたって、あれほどの敵意を持った手合いの接近に全く気づかなかっただなんて、今までにはあり得ないこと。それもまた無性に口惜しくて堪らず、キリキリと胸の奥が締めつけられる。

  「…?」

 そんなところへ。明らかに看護師とは違う、堅いヒールの音を立てて廊下を駆けて来た人がある。機能的なデザインのシンプルなツーピースは、夏らしい涼やかな色合いの上品な装い。ちらりとこちらを見やってから、丁度開いたドアへと近づき、
「桜庭春人の母ですが。」
 そんな声を掛けたので、蛭魔もまた、ハッとして顔を上げた。自分と同い年の子供がいるにしては たいそう若々しい人で、看護師は頷いて見せると中へ入るようにと身を譲った。その同じドアへと、やはり駆けて来た白衣の医師が飛び込んで。何だか一気に騒然とし出したような。気温の高い屋外への外出だったからと、薄手のシャツを羽織っていただけの肩や背中が急に心許なくなって。知らず知らす、自分の二の腕を抱いている。いつだって自信にあふれている彼が、まずは取らないだろう姿勢。誰の指図も受けはしないという意思表示から、高々と腕を組むのではなく。自分で自分を抱くように、その身を窄
すぼめて、無意識ながら不安になっている。とうとう意識が戻ったのだろうか。それとも、ただならぬ悪化という急変が襲い来たのか? 神様なんか信じたことはないけれど、今だけ…どうか奴を連れてかないでくれと。真摯に祈りたくなった。喉が干上がり、胸が痛い。頭の中がぐらぐらしていて、目眩いがしそうで…。それでついつい頭を垂れていた。肩を落として憔悴しきった、そんな蛭魔のすぐ前へ誰かの影が近づいてくる。


  「…あの。あなた、もしかして………。」










            ◇



 通された室内は意外なくらいに明るくて、様々な機械やモニターが、台車に乗せられ、どんどん運び出されているところ。それらに取り巻かれていたベッドに横たえられていた人物は、こちらを見やると、
「妖一っ!」
 随分と元気そうな第一声を放ってくれた。とはいえど、
"…え?"
 何が何やら。あまりに急な展開過ぎて、さしもの…いつもは自身が人を振り回している蛭魔でも、この状況には頭が追いつけてない模様。だって、ついさっきまで、あんなに深刻に構えていたのに。こんなにも長々と意識が戻らないなんて、もしも取り返しのつかない事態になったらと。血も凍るような思いでいたというのに。何とも呆気ない回復だろうか。
"…いや。無事なのに越したことはないんだが。"
 珍しくも呆然としている、そんな蛭魔の肩に手を置き、
「さあさ、傍へ行ってあげて下さいな。」
 シュガーミントのツーピース姿もよく似合う、桜庭夫人が苦笑混じりに促して、
「あの子、目が覚めた途端に早く早くってそりゃあ煩くて。」
「…え?」
「きっと妖一は何か誤解しているから。だから早く呼んで来てって。」
 くすくすと笑い、それじゃあ私は先生にお話を聞いて来ますからと、看護師さんたちに続いて、この集中治療室から出ていってしまった。

  "はい?"

 この、物凄いまでの場面転換は、一体何事なんだろうかと。切れ長の瞳が限界まで真ん丸くなった蛭魔がなかなか傍まで来てくれないのへ、

  「妖一っ!」

 桜庭が更なる大声を立てる。それに引っ張られるようにして、やっとのこと、足が前へと動き出した。Pタイルの張られた床を進み、糊が利き過ぎて堅そうなシーツに埋もれて、金属パイプの何とも味気ないベッドに横たわるアイドルさんと小半時ぶりに再会し、
「お前…。」
「無事だから。」
 まずはきっぱりと言い切った桜庭だったが、ベッドの中、枕に載った頭には純白の包帯が幾重にも巻かれていて何とも痛々しかったし、そぉっと伸ばした手をそっちからも掴み取って頬まで誘導する手にも、絆創膏が幾つも張られてある。これで"無事"なんて言われても納得がいかないと、表情が硬いままな蛭魔を相手に、
「意識が戻らなかったのは、どこをどう殴られたのだか、状況が分からないでいたお医者様たちにも何ともし難いことだったらしいけど。」
 んんっと咳払いをして見せて、
「良いかい? これだけは誤解しないで。今回のあれは、いつものとは違うの。」
「………え?」
 焦点の合わない眸を真下から見上げて、桜庭は言葉を重ねた。


  「あの男はね。妖一を狙った襲撃者じゃないの。
   僕をこそって狙ってた、一種の"ストーカー"だったの。」

  「……………え?」


 事務所の方に、何日も前から押しかけたりいやがらせの電話を掛けて来てたりしてたんだって。何でも、片思いしていた彼女が僕のファンで、桜庭くんみたいな顔してたなら考えても良かったんだけどとか何とか、適当なことをあいつに言って、こっぴどく振ったらしいんだ。それで、何というのか…僕のことを逆恨みしてたとかで。実家の住所とか、スケジュールを調べたりしてたらしいんで、気をつけろよって…今日になって言うんだもの、ミラクルさんてば。
「…あ。まさか、あの時の電話。」
 あの騒ぎの直前に携帯へとかかって来て、聞くのも何だからと蛭魔が意識を逸らせたその知らせこそが、この急を知らせる緊急警報だったのかと訊けば。
「そう。これこれこういう顔で体格の男が、僕の行動範囲ってのを調べているから気をつけろって。芸能記者だとかの"部外者"の出入りが一応はチェックされてる大学に通ってる間はともかく、今は夏休みだから。どこから何が突っ込んでくるか判らないぞって。」
 ドル箱タレントにそれだけってのは呆れるよねと、桜庭も辟易して見せて、
「事務所の人から、何だか危ない人がうろついてるとは聞いてたけど。そこまで僕に絞ってのことだったってのは知らなくて。」
 だから。自分の頬に添えられた白い手を、きゅうと握って眉を下げる。
「ごめんね。怖い想いさせたね? 妖一の怪我は?」
「あ…ああ、いや。何ともないが。」
「うそ。だったらどうして、そんな青い顔してるの。」
 桜庭が覚醒と同時に心配したこと。蛭魔が、これを自分のせいだと誤解してはいないかということが、とにかく気になって気になって。
「今頃は加藤さんとか高階さんも調べ終わってる筈だよ。どういう経緯だったのか。」
「…うん。」
 すぅっと。体から強ばりが解けてゆくのが、蛭魔にも判る。そうだ。それが怖かった。自分を狙う手合いからのとばっちりなら、何をどう償っても取り返しがつかないと、それで身が凍ったようになっていた蛭魔であり、
「判るね? 妖一は、後ろめたいとか思っちゃダメだよ?」
 桜庭が言葉を重ねたのへ、返事はなかったが顎を引いて頷いて見せる。それを見て、桜庭もまた、やっと胸の閊
つかえが取れたらしい。この、パワフルで破天荒で傍若無人な悪魔さんが、唯一の弱点、良心が折り重なった最大の急所としているのが、他でもない…そんな身の上であるという自身への負い目。周囲に寄った人々を奇禍に巻き込む、とんでもない"地雷"に等しい存在だという悲しい自覚があればこそ、彼をこうまでの孤高の人にしたのでもあって。今回の騒動はそういうことでしたと、何とか明るく納得させたその上で。
「ねえ、僕って随分と強くなったんだよ?」
 やわらかく笑って見せる桜庭であり、
「結果的には、その…引っ繰り返ってしまったけど、でもね。それへと へこんではないでしょう?」
 彼の言いたいことは蛭魔にも判る。うじうじと気に病まず、例えば今だって…蛭魔が落ち込んではいないかと、とっとと視線を切り替えて考えられるようになった。躓
つまずいたことへは反省もするけど、だからって、いつまでも立ち止まって後悔している場合ではないと。次のこと先のことを考えて、すぐさま切り替えが出来るだけの気丈になった。
"妖一のことを好きになったから、だろうね。"
 何て凄まじい原動力だろうかと思う。どこかで他力本願ぽくて、胸を張って公言出来ることではないのかも知れないけれど、それでもね。あの暴漢が現れたときだって立ちすくんでなんかいられないと思ったし、今だって そう。この人のためだったら何でも…どんな無茶でも出来ると思うから、人を好きになるって物凄い。

  「…けど。」

 ふと。その、妖一さんが呟いた。

  「いつかは。もっと手に負えないような奴が、
   今度こそ俺を狙って、なりふり構わず飛び掛かってくるかもしれない。」

 いつだってそれが、彼の心には澱のように蟠
わだかまっている。どうしても拭えないトラウマ。幼い頃、自分のせいで薙ぎ倒された小さなお友達。そして…今日のそれは内情的には違ったけれど、自分を守ろうとした結果としてこんな酷い手傷を負ってしまった、大切な人。あんな素人ではなく、本格的な襲撃者だったらどうなっていた? それへと、
「………。」
 実情を知っているからこそ、絵空事だとか考え過ぎだとか、杞憂を窘めるようには言えない桜庭でもあって。
「そん時は、どうすんだ?」
 じっと真摯に見つめられ、
「あー…、うっと、そん時ね。」
 あまりに唐突で冷静な問いかけに、さっきまでのテンションが行き場を失ってあたふたしてる。あなたを守りたい覚悟は変わらないのだけれど、こんなことがあった直後には、型通りの言葉を並べても空々しいばかりなのかも。それに…。
「そうだね。僕って、ほら、いくじなしのヘタレだからさ。今回みたいな前以ての覚悟がないことへは、もしかすると逃げ腰になっちゃうかも知れないね。」
 どうして。いつだって自信の塊りであるこの人が、あんなにも真っ青になっていたのか。他でもない、桜庭が昏倒したのを目の当たりにしたからだ。これまで何度か受けた襲撃へは何とか切り抜けて来れたものが、初めて…呼んでも答えぬほどのダメージを受けたからだ。自惚れ抜きに…彼にとっての"桜庭春人"は、もはやどうでもいい人ではないから。道に倒れ伏しても、まあ息があるなら大丈夫と捨て置いてはおけない、真っ青になって安否を気遣うほどの人だから。だから、やはり自分との一蓮托生なんてことを軽々しくも選ばせてはいけないのではなかろうかと、そんなところまで考え直してみての、

  ――― そん時は、どうすんだ?

 それでの、この問いかけなのかもしれなくて。
"………。"
 だったらと、こちらだって奥の手くらいは用意している。真っ直ぐ見つめる淡灰色の瞳へと、

  「…頑張って逃げます。」

 てへへと。情けなくも笑って応じれば、蛭魔の細い肩が少しだけ柔らかに落ち、張り詰めていた顔が心なしかほぐれて破顔した。

  「そか。」

 逃げ出すと言われて、なのに安堵した人。何だか妙な問答だったが、こう答えなければ…きっと。危ない状況下に遭遇したなら、自分は本当にこの人の"お荷物"になってしまう。とっとと逃げなと、足手まといになるなと、そんな悪態をつかせて、気持ちまで引き裂くことになってしまうから。言われずとも退散するよと、変な形の約束をした二人であり、

  "ごめんね。またウソついちゃったね。"

 もしかしなくとも。蛭魔の側でも判っているのかもしれないけれど。傍らに居たいというのがホントの本音だからね。一切の関わりを無くしてまで遠ざけられる訳にはいかないと、逃げますなんて言い出すような精一杯のお芝居をした桜庭で。脆い楯でゴメンね。あんな顔させてゴメンね。心配させないように、もっともっと強くなるから。お荷物にならないように…歯が立たないときは冗談抜きに、彼の手を取って一緒に逃げ出せるよう、臨機応変の利く人間になるから。
おいおい

  "頑張るからね。"

 どこまで本気か、愚かなまでに一途で健気な。そんな誓いをこっそりと立てた、桜庭くんでありました。















          
終章



 さても、今回の人騒がせ。後になって聞いたところによれば。実は、あの凶器を…金属バットでの渾身の一撃を、まともに食らった桜庭ではなかったらしい。相手の体格
ガタイがデカかったことが幸いし、大きく振りかぶったバットのその先端部はショーウィンドーの上の縁、壁にまずガツンとぶつかったそうな。そこから ずずずっと下がって厚手のガラスを砕き、やっと…桜庭の頭の端と肩の裏を掠めて振り下ろされたことになる。従って、肝心な"標的"に達した時には、想定外の破壊を経由したことによって、その威力も随分と削られていたとのこと。それと、破砕されたガラスが前方から襲い掛かって来たのを見て、咄嗟に蛭魔を引き寄せながら身を避けた分、選りにも選って相手の間合いに入る格好になったのだけれども。その時に…真後ろへ下がらず、身を横へとよじったため、振り下ろされたコースからは脇に逸れることが出来たらしい。そんなこんなが重なって、あんなもので強かに殴打されるという最悪の運びからは、ギリギリ逃れられた桜庭だったのだとか。だというのに、気持ちいいまでにふっつりと意識がなくなった彼だったのは、若干弱くなっていたとは言え、殴打という衝撃が肩甲骨の裏という背中のツボに絶妙に入ったがためのことであり、舗道の路面に小さな血だまりが出来たほどの出血の方は、ガラスの破片で耳朶と首の裏を少し切ったからのもの。大きな血管や筋肉を損傷するほど深くはない代物だったが、開かないよう2、3日ほど様子見の入院をと勧められた。病院の表には、どうやって嗅ぎつけたのか芸能記者たちが大挙して待ち構えており、あんなのに揉みくちゃにされてストレスがかかったら、治るものも長引きますよと言われてのことで。これには事務所側も納得してくれたらしかったが、
「小さいとはいえ、ものがガラス傷だったから…跡が残るかもしれないらしい。」
「ふ〜ん。」
 軽く応じたのが桜庭の方で、
「……………。」
 どこか神妙になっているのが蛭魔の方だというのが。事情が判らぬまま、でもでもこの二人を知っている人が見ると、何とも奇妙な対峙に見えたろうやりとりで。個室に移って二日目の朝。随分と早くにお見舞いに来てくれた恋人さんの神妙さにこそ、どこか恐縮していた桜庭くんであり、
「…気にならんのか?」
「うん。だって、そのくらいは覚悟してたし。」
 けろりと笑い、
「…あ、でも。」
 はっとして口許にやわく握った拳を添える彼だったから。やはり支障があるのかと、息を呑んだ蛭魔に向かって、

  「キズモノになったから、お婿に貰ってもらえないかな?」
  「………誰にだ。」

 満面の笑みを浮かべて"決まってるじゃん、妖一にvv"と応じれば、そうか、そんな下らんことが言えるほど頭に支障が出ているのかよと、どっから出したか…S&Wのハンドガンをじゃきりと右手に構えた蛭魔だったから、これは双方ともに随分と復活した模様。………こんなことで測るってのも問題大有りなんですが、それはさておき。
(笑)

  「さっきね、母さんが会社行く途中に寄ってってくれたんだけどさ。」

 桜庭が脇卓の上から手に取ったのが、印刷もカラフルなスポーツ新聞が何紙か。こういう新聞は、スポーツと銘打っておきながら芸能関連の記事もたっぷりと掲載されており、今回の事件も、第一報となった昨夜の夕刊ではトップで扱うところがあったほど。人気芸能人を息子に持つお母様、日頃はあんまり意に介さないらしいのが、今朝に限っては、
「あんまり可笑しかったから買って来たって。」
 それも数紙もと、差し出されたのを見やって。蛭魔が…げっと眸を剥いたのは、


  《 あの桜庭くんに熱愛発覚。極秘の恋人は外人モデルか?》
  《 殴打事件の目撃者が語る、衝撃の事実。》
  《 取りすがって涙した美女は誰?》


「な…なんだよ、これっ!」
 ご丁寧に想像図というリアルな挿絵がついている記事もあり、
「だから。僕は知らなかったんだけどサ、あの時に駆け寄ってくれた人とかが、妖一のことを誤解したらしいんだよ。」

  《 外人モデルでしょうかね。それは綺麗な、金髪の美人で。
     意識が戻らない桜庭くんにすがりついて、
     ぼろぼろと泣きながら何度も何度も呼びかけていましたよ。》

 インタビューされた人物の写真も小さく載っており、その顔には蛭魔にも重々と見覚えがある。大丈夫かと真っ先に声を掛けてくれた学生風の男性で、

  "あんの野郎〜〜〜っ。"

 ずっと…膝をついた態勢のままで、倒れていた桜庭に取りすがっていた蛭魔だったから。あんなに間近で見たにもかかわらず、女性にしては背丈が結構あったことにも気が回らなかった目撃者くんだったようで。
「これって…蛭魔くんのことよねぇ?って。母さんも笑ってた。」
 可笑しくて堪らんと、桜庭もクスクス笑いが止まらないらしい。それに反して、こちらは"う〜〜〜っ"と腹立たしげに唸っているばかりな妖一さんであり、
「…けど。それにしちゃあ、ここに入るのに取材陣には捕まらなかったが。」
「ああ、だって。そのカッコなら"男の子"じゃない。」
 漆黒のランニングにカーディガン代わりに羽織ったストライプシャツ、ボトムは濃色のスリムなブルージーンズという軽快ないで立ちであり。綺麗な存在感は損ねていないが、同時に体型も分かりやすいカッコなので、まさかこの"青年"が問題の"モデルばりの美女"だと思う記者もいまいというもの。まま、インタビューに応じたあの青年と面と向かっての再会を果たしでもしない限りは、その恋人とやら、永遠に見つからないことだろうけれどと、桜庭は話を結んで、


    「それよりもさ。」
    「んん?」
    「すがって泣いてくれたんだってね。」
    「…っ。///////
    「こんな風に"熱愛中の恋人"さながらに。」
    「………だ、だからどうした。」
    「なんか感激しちゃってさvv
    「うっさいなっ!」


 それ以上言うと許さんぞと、再び構えられた拳銃に、きゃ〜ん、何すんの〜vvと枕を楯にして、はしゃいだ黄色い声を上げている安静患者。


  「…進さん、どうしましょうか。」
  「……………。」


 ドアの外では、お花とケーキを抱えてお見舞いに来たお友達が二人、声を掛けるタイミングを計り損ねて、どうしたもんかと立ち尽くしておりまして。まま、元気が何より。ご無事で何より。彼らの真夏はこれからですvv





  〜Fine〜  04.7.10.〜7.22.


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  *ああう、シリアスな話が書けないよう。
(笑)
   シリアスってのは"深刻"って意味ですよね? あと、真剣とか。
   このお話、ちゃんとシリアスしてましたでしょうか?
   後半の途中から、何かが違うと、首を傾げ倒してしまった筆者でございます。

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