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     〜昨日のボクから明日のキミへ A
 



          




  ――― 妖一は映画観るとしたらアクションもの専門なの?
       そういう訳でもないがな。
       実は涙もろいから感動ものはダメ、とか。
       …ジャンルにもよるから、いちいち気にせんでいいっ。
       ジャンル?


 広げていたイベント雑誌の紙面から顔を上げ、小首を傾げて聞き返せば、

  「ああ。何てのかな。動物ものとかはマズイかな。」

 自分の苦手なものという、到底 面白くはない話題なせいか、少しばかり肩を竦めて、淡灰色の瞳をしょっぱそうに眇めた蛭魔であり。
「愚かなほど一途で健気な話ってのはダメかもな。」
「…ふ〜ん?」
 今一つピンと来ないような相槌が返って来たので、おいおい、それでも豊かな感情表現が求められる俳優かよと、呆れたように息をついてから、
「ほら、例えば。」
 う〜んとと、視線を斜め下辺りへさまよわせてから、具体例を思い出したらしく。
「小学生の頃だったか…姉ちゃんと二人でテレビで観たのが、ニホンザルのドキュメントか何かでよ。青森だったか極寒の地に住む生態とやらを1年かけて撮影したものだったんだが、その中のエピソードにこういうのがあった。若くて慣れてないメス猿が、初めての子を産むんだが、病気か衰弱か何かですぐ亡くしちまうんだな。けど、本人にはそれが判ってなくて。ずっとずっと亡骸を抱いたままでいるんだ。死んでんのにずっとずっと離さないでいて、亡骸が段々とボロボロになってって、腕だけになってても大切そうに抱えて離さないで。それ観てて姉ちゃんと二人してオイオイ泣いちまってよ。」
 懐かしい話だなと、今は少しばかり微笑を浮かべて淡々と話す蛭魔だったが、


  「………だから。何でお前が泣くかな、そこで。」
  「だって…。僕は普通の感受性してるんだもん。」






            ◇



 そんな奇妙なやり取りがあったせいかどうか。本日二人が観に来たのは、軽妙爽快なアクションとスリリングな駆け引きがテンポよく運ぶ、ちょっぴり荒唐無稽な設定の"ポリス・アクションもの"だった。宣伝に嘘はなく、わざとらしいSFXのないグレードの高いアクションは秀逸だったし、話のテンポも様々な布石の使い方も痛快な出来で申し分なくて。
「けど、あのラストはないと思うがな。」
「そう?」
「だってよ、クレジットの後にってことは、観ないで帰っちまう奴もたんといるぜ?」
「だろうねvv
 まさか先に観てたのか? ううん、ただ最後まで席を立っちゃダメっていうのだけ、もう観た人から聞いてた…と、桜庭が苦笑をしたのへ、
「それに、ご都合主義っぽかったし。」
「いいじゃん、ハッピーエンドでvv あのままで終わったら、あの女の人はサ、警部のこと、ずっと引き摺っちゃうと思うし。」
「…む〜ん。」
 感想を語り合いながら、同じ映画を見た人たちの流れに乗り、映画館から出て屋外の街路へと達する。日曜だという訳でもないのだが、さすがは夏休みで人出は多い方。そんな中に紛れ込みながら、慣れた様子でサングラスをかけ、亜麻色の髪を隠すようにスポーツキャップをかぶった桜庭に、目ざとくも気づく子たちもなくはないらしいが、歓声を上げて駆け寄るような はしたない子は案外と少ないと、蛭魔もこの頃になって気がついた。桜庭の人気が落ちたとか、カメラが回っていないオフは態度が悪いなんて悪評が広まっているとかいうのではなくて。そんなことをするのはオバさんか田舎者だと、そういう感覚が彼女らの中にあるらしく、注目はして来るがこれみよがしな追っかけには滅多に出食わさない。
"これも人柄かね。"
 助かるけどなと苦笑い。ホントは、人目を気にしなきゃならない街になんか、出て来なくたっていい。せっかく逢ったんだから特別に…なんて、何もしなくたっていい。部屋の中にただ二人だけ、他愛ない話なんかして時間を潰したりするのだって、それなり楽しいのだけれど。お互いが相手の忙しさを知っている。だから、せっかくのフリーな時間を有意義に使わせてやりたいと、これまたお互いに思ってしまう。映画を見たり、街歩きをしたり。流行のもの、街の空気。フツーの自分たちの年頃の青年が感じること、見聞きするものに接することだって大事だしと、何だか保護者みたいな気分になっている。思いやりというほど大仰なのではなく、でも。相手が楽しそうに笑ってくれたら、こっちも嬉しいかなという、何だか擽ったいこと、思ってみたりする。
「これからどうしようか。何か食べに行く?」
「そうだな…。」
 小腹は減っている。けど、
「食事って、どこのが美味いのかな?」
「そだね。」
 こういう街は少しでも油断するとテナントがころころと変わる。先日も、馴染みにしていた洋食屋が全然違う…流行の"ワンプレート・ランチ"たらいう、アジアン・レストランへと変わっていてがっかりさせられた。
「ん、南口のパスタのお店、行ってみようよ。」
「うん。」
 あそこはチェーン店だったから、そうそう変わることはないでしょと、てきぱきと決めて促すスマートさ。食べるものへは割と何でもいいという淡白な蛭魔だが、それでも口は肥えていて。下手な店へ連れて行こうものなら"店主を出せ!"という騒ぎにも成りかねないので堪らないのも…事実ではある。
(苦笑)
「…あ。」
 不意に、桜庭が立ち止まった。濃茶の木綿のパンツのポケット、携帯にかかって来たらしく、ちょっと待っててとすまなさそうに目配せするのへ、小さく肩をすくめて見せる。以前に電源を切ってたことへ叱り飛ばして以来、夜中以外はちゃんと"通話出来ます状態"にしている彼であり。それでも、仕事関係の打ち合わせや何やの電話はあまりかかっては来ないのだけれども。
「…はい。あ、ええ。………聞いてますが。………はい。」
 さすがに手短に済ませたいのか、返事も素早くて。聞いてたって何のことやら通じはしないのだけれど、それでも一応背中を向ける。映画館のあったビルの、街路沿いの壁にはブティックのショーウィンドウ。夏のコーデュネイトやリゾート向けのグッズが、水辺や青い風景といったマリン調のシチュエーションの舞台に涼しげに並んでいる。隣りはトイ・ショップで、キャラクター商品の夏向けVer.がカラフルに並んでおり、マシンガンを模したイタリアン・カラーの大型の水鉄砲に"おや"と視線が向いた蛭魔へ、相変わらずだなと桜庭がくすすと小さく笑った。漆黒のシャツに包まれた痩躯がウィンドウへ寄ってゆくのを見やりつつ、電話の相手へ意識を戻す。

  「…はい。………え?」

 駅への連絡通路を兼ねた街路には、軽快な夏の装いをまとった人の波が行き交う。平日とはいえ…夏休みにしては少ないような気がするのは、地下道の方が冷房が利いているからと、敬遠されていたからか。じっとりとした熱気や温気が立ち込める中、夏の暑さにしょげかけた街路樹たちの落とす陰が、しゃれたレンガの舗道にざわざわと変化する木洩れ陽のモザイクを描いている。あははと明るい笑い声が時折入り混じる雑踏のざわめき。遠くから駅のアナウンスがかすかに届くが、傍らの幹線道路の車の走行音の方が大きいかも。


  ――― そんな、ありふれた昼下がりのひとときに………。








            ◇



 一体、何が起こったのか。直後に何度も思い返そうとしたのだが、正確なところは順番が曖昧に入り混じったままであり。随分後になって、桜庭の方が正確に思い出してくれたから、ああ、こいつってば結構冷静だったんだなと…何となく癪になった蛭魔だった。


 トイ・ショップのショーウィンドウを眺めていたら、どんっと。背後からいきなり、突き飛ばすほどの強さでもって押された。何だ?と腹立ち半分に肩越しに見やれば、桜庭がぐいぐいとこちらを押している。不愉快気味に"何なんだ?"と訊きかけて、だが、妙に真摯な顔でいるのへ不審に思った。それに、こっちを見てはいない。首をねじって自分の背後を見やっており、何があるのだとそちらを見ようとしかかったのと同時くらいに、ますますの力がかかって来て。ちょうど眺めてたショーウィンドウへと体が押しつけられた。そこが壁でなかったならもっと向こうへ、つまりは蛭魔ごと そこから逃げたかった桜庭だったらしいと判ったのは、

  ――― がつんっ、と。

 凄まじい勢いの衝撃音が頭上でしたからだ。容赦なく、何か堅いものが別な堅いものへと叩きつけられた音と振動。そして、

  ――― ぱんっ、と。

 間近でいやな音がして、その瞬間にぐいと、今度は逆方向へ引き寄せられた。大きなガラスが音立てて砕け、その瞬間に、桜庭が自分の懐ろへと蛭魔を引き寄せた。頭の後ろへ大きな手を添え、顔を自分の胸元へと伏せさせる。
「眸をつぶってっ!」
 間近に言われてそのまま従い、赤や緑の陰が目まぐるしく舞う瞼の裏しか見えないままに、ガラスが砕ける音を長々と聞き続けた。破片をかぶらぬようにと引き寄せてくれた桜庭の体が、不意のこと、がくんと横方向へ倒れ込むようになって真下へ落ちる。引き摺られて自分も、膝から座り込むように体を落とす。
「…桜庭?」
 何が何やら、判らぬままに翻弄され続けて。膝立ちに崩れただけでは済まず、まだ下へと落ちて行く相手へ。不安になってそろりと目を開けた蛭魔は、

  「………っ!」

 どさりと。レンガの舗道へ倒れ込んだ相手に…眸を見張った。自分たちの周囲には、木洩れ陽を受けて煌めくガラスの破片がうずたかく降り積もっており、キャーッという甲高い悲鳴があちこちから上がっている。意識がなくなってそれで力が抜けたらしく、こちらの頭を抱え込んでいた腕が、力なくパタリと舗道に落ちる。

  「な…。」

 これって、一体。何が起こったのかが判らない。あまりに唐突な惨状へ、呆然としかかった蛭魔の耳に、ぱりんという音が届いて。誘われるようにそちらを見やった彼の、ある意味、鍛え抜かれた"反射"にかちりとスイッチが入ったのは、

  「うあぁぁああぁっ!!」

 意味をなさぬ大声を上げた男の頭上、両腕で握って振り上げられた金属バットを確認したから。相手をキツく睨み据え、そのまますっくと立ち上がり、腰を落としたのも一瞬。

  「哈っっ!」

 真っ直ぐ真横に振り上げられた撓やかな脚が、相手の腕が最高頂点に達するより速く、腹へと目がけて突き出され、踵から爪先までを深々と食い込ませている。ただ当たっただけでは留まらず、ぐんと思い切り、全身のバネを全部叩きつけた入魂の一蹴りは、自分よりも二回りは大柄な男を見事に対面の壁まで吹っ飛ばし、周囲で遠巻きになっていた人々が思わずの事"おおっ"と声を上げたほど。無論、そんなことは蛭魔にはどうだっていい。とりあえずの危機を遠ざけてから、倒れ伏したままの桜庭に意識を戻した。すぐ傍らへと膝をつき、瞼を降ろした顔を覗き込む。

  「………桜庭。」

 こんな時なのに。誰かに聞かれてはいけないと、小さな声で呼びかけたが、閉ざされた瞼はひくりとも動かない。

  「桜庭?」

 なあ、どうしたんだよ。いつだって、俺が呼んだら起きたろ? 脱げかけたスポーツキャップが髪から浮き上がっていて、木洩れ陽がまだらな陰を顔へと落としてる。だから、気づくのが遅れた。レンガの舗道に散らされた髪の陰、小さな血だまりが出来てたこと。息を引いて、横たわった桜庭の肩に手をやる。揺すってはいけないと判ってて、でも、反応がほしい。

  「桜庭っ!」

 大きめの声をかけたそれに重なって、再び"キャーッ"という悲鳴が上がった。何だよ、これ。いくらこいつが俳優だからって、性
たちの悪い寸劇でも始まってたのか? 翻弄されつつも顔を上げれば、さっき蹴り飛ばした野郎が性懲りもなく立ち上がってる。再び振り上げられた凶器に、蛭魔はゾッとし、そのまま…桜庭の身体へと覆いかぶさって、ぎゅうと眸をつぶった。


  ――― モウ コレイジョウ、コノヒトヲ キズツケナイデ。


 大切なもの、壊されたくなくて。抱きすくめるみたいに身を盾にした。いつだって、自分の身の安全を優先して来た蛭魔だったから。そうしてくれなきゃ困ると、周囲の大人たち…高階さんや加藤さんから言われて来たから。こんなことしたの、初めてで。怖かったけれど それ以上に、お願いだからと祈ってさえいた。もう辞めてくれと。この人を、傷つけないでと。

  「ぐあっっ!」

 大声が背後で上がって、思わずのこと 身が竦んだが、わっという歓声はこの惨事を静めようと飛び出した英雄に捧げられたものだったらしく、

  「大丈夫か?」

 頭の上からの声が降って来て、恐る恐る顔を上げれば、さっきの男ではない青年の顔がこちらを見下ろしている。そぉっと背後を見やれば、数人の男性たちに舗道へ押さえ込まれた暴漢が、しゃにむにもがいているのが見えて、
「今、救急車を呼んだから。」
 傍らに屈み込んだ相手の顔が…一気にぼやけて見えなくなった。あ、畜生、サングラスが曇ったな。頭のどこか、他人事みたいに乾いた判断が舌打ちをし、残りの部分は…組み伏せてるような格好になってる相手へと引き戻される。

  「…桜庭。」

 それしか知らないみたいに名前を呼んだ。傍らに来てくれた人が、えっ?と息を引いたのが伝わって来たけれど、そんなのどうでもいい。

  「桜庭、…桜庭っ!」

 何度も何度も。目を開けてくれるまで。名前を呼び続けた。大好きな顔がどんどん曇って見えなくなって。ますます怖くなって名前を呼び続けた。辺りに淀んでねっとりと生暖かい夏の大気も、ともすれば肌寒く感じられるほど。怖くて怖くて堪らなかった………。





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  *事件がらみの話が多い人たちですね。
   またもや酷いことになってますが、続きはどかお待ちを。