雨に濡れても…

 

         



 冬の陽射しの乾いた光を含んだ、どこか白っぽい浅い青が、それでもすっきり広がっていた空が。ふと気がつけば…明るさは保ったままながらも鈍色の雲に覆われていた。それを"おや?"と見上げたのとほぼ同時。ぽちんと冷たく頬に触れたのは、木枯らしの中を落ちて来た、霧のように小さな小さな降り始めの一粒。
「あ…降って来ちゃいましたね。」
 今日は一日ずっと上天気が続くとテレビの天気予報で言ってたのにな、何より空自体がそれはすっきり晴れていたのにと、空を見上げたまま、薄い肩に引っ掛けていたスポーツバッグの提げ手を揺すり上げた少年だったが、
「………あ。」
 その視野を遮るようにふわりと。大きな大きなグラウンドコートが頭から掛けられたのに気づいてハッとする。
「えと…。」
 驚いたまま傍らの…空よりは少し下の"上空"へ眸を転じると、スカイグレー・ホワイトのグラウンドコートを自分の肩から素早く脱いだ連れが、それをそのまま小さな少年の頭にかぶせたらしく、
「急ごう。」
「はいっ。」
 降りが本格的なものになる前に。雨宿り場所…というか、いつもの休憩ポイントである、公園傍のファミレスまでの道を急ぐ、小早川瀬那と進清十郎であった。





 相も変わらず、どこか色気のない"ジョギング・トレーニング Ver."の方の逢瀬も続けている二人であるらしく。泥門の駅に程近い緑地公園の奥まったところにある小さな運動場。そことその近くにあるファミレスとが"することも特にないなら体を動かそうか Ver."のデートコースになって、もう2カ月以上にはなる。だが、こんな逢い方をまさか"デート"だとは思われないだろうから、
『ある意味で"怪我の巧妙"ってやつかもしれないね』
 そう言ってくれたのは、彼らの睦まじさを唯一知っている、進のチームメイトである桜庭春人だ。別に誰にも何にも隠し立てなんかしちゃあいないぞと、進の方は"むう"という顔になっていたが、選りにも選ってそのすぐ傍で、
『そうですね。』
 見咎められたら何を言われるか、いやいやどんな"罰ゲーム"が待っているやら分かったもんではない、ちょっと把握し難い先輩さんが約一名ほどいるものだから。セナの方は
"…そっか、そうだよな。"
 なんて風に感じ入り、それは素直に相槌を打ったとか打たなかったとか。
(笑)


   今日の一言 『天然に怖いものなし。』
(おいおい)


 ………それはともかく。今から思えば、先に怪しい雲行きに気づいてのことだろう。進の方から今日は早めに切り上げたその"トレーニング・デート"。ここへ来る途中で、しとしととした雨脚のこぬか雨にあってしまった彼らだが、
「コート、ありがとうございました。」
 傘が要るほどの降りでもなかったのに、濡れないようにとこんな大きなコートで素早くくるんでくれた優しい人。いつぞやの風邪っ引きを覚えていてのことかもしれないと思うと、セナにはますます嬉しく感じられる、進からのさりげない心遣いだ。恐らくは…一瞬の躊躇もなくサッと前の合わせを開いて肩からすべらせ、袖から腕を抜き、それはそれは颯爽と脱いで差し掛けてくれたんだろうなと思う。
"…見たかったな、それ。"
 大きな手がコーヒーカップを持ち上げるその構え方も、短い前髪の先に小さな露が留まって見えたのを"ふる…"っと軽く首を振って払った仕草も。動きの一つ一つが、自然体でありながら切れがあって無駄がなくて。アメリカン・フットボールという荒々しいスポーツを嗜む人だから、その作りはあくまでも雄々しく武骨で、舞いのように優雅・典雅に美しいというのではないのだが。自信にあふれた態度と相俟
あいまって、迷いなく動くその洗練された動作は、もはや"機能美"と呼んで差し支えないほどのものだと、セナは常々思っているから。より間近に、手を伸ばさずとも温もりに触れられるほどの…ともすればその深い懐ろの中などという"超至近"で寄り添える格別な幸せを得たのと引き換え、上背のある彼の機敏な動作・仕草の全てを鑑賞出来なくなったのがつまらないかもと、何とも贅沢な不満をちらと感じてしまったらしい。
「…小早川?」
 こちらを見やる連れの表情が…どこか"ポ〜ッ"と浮いた顔になっているのに気づいてだろう。見惚れていたその大きな手がテーブル越しに伸びて来て。迫って来た手のひらが、額と目許を一緒くたに覆ってしまったものだから、
「あ、あああ、あのあの、えっと…。熱なんか出てないですってば。/////
 自然体でコントが出来るまでになったんだね、進さんて。
(笑)



            ◇



 早めに切り上げたとはいえ、軽いストレッチで体を十分に暖めてから走るという、基本からきっちり綿密に構えてのランニングをこなした後なので、何だか小腹が空いていて。やっぱりいつものようにここでの昼食となった。閑散とした店内には、ボリュームを抑えた有線だろう、チャートインしている流行の歌。昼間はどうせ閑古鳥の鳴く店内だからと、バイトの面々が好きな曲を聴いているのらしい。か細く澄んだ声がどこか切なくて人気のある、某女性ボーカルの新曲が流れる中、視界が広々と開けて見晴らしのいい大窓からは、さっきまで居た公園が見える。常緑樹もふんだんに植わっているので、冬枯れの侘しさはそんなに感じられないが、雨に濡れた風景は冷たさを増して寒々と物悲しいかも。ほかほかとろりと温かい、エビドリアのセットを片付けていたセナが、ふと、
「………。」
 フォークを止めた。窓の外、公園の外周の長い舗道を、ジャンパーのフードをかぶり、襟元を押さえながらざかざかと駆けてゆく人影があって。その姿を大きな眸がすーっと追っている。まさかこの雨の中でのトレーニングとも思えないが、自分たちのように運動を嗜む人なのだろうか、ストライドの広い、何とも軽快な走り方をしていて。
「…小早川?」
 時々こんな風にわき見よそ見をするセナなのは、それだけお前に"気が置けない奴だ"と馴染んだ安心感の現れだと、桜庭からありがたいアドバイスを受けはしたものの、そんな助言をもらっても気にならなくなった訳ではない。
「…え? あ、はいっ。」
 我に返ったようにこっちを見、それと同時に"ああ…"と、自分のよそ見に気がついて、その小さな肩をすぼめた。
「ごめんなさい。」
「いや…。」
 謝るほどのことでは…と、仄かで微かな苦笑を向けると、
「雨に濡れるのって、体の芯まで冷やすのになって。そんな風に思って…。」
 そうと言ってから すっと顔を上げて、
「あの…ちょっと思い出しちゃったんです。」
 ほこりと微笑い、そのまま"ぱぁ…っ"と朱に染まった頬。あまりに鮮やかで愛らしいお顔をする彼なものだから、思い出したって何を…と訊きかけた進が、

   "………あ。"

 雨の匂いと、シャツを掴んでしがみついて来た…幼い手の感触を不意に思い出す。

   『風邪でも引いたらっ、どうするんですかっ!』

 初めて聞いた叱責の声。激した感情に飲まれたせいで半分掠れた金切り声が、心からの本気で投げかけられたそれだと判って。叱られていたのに、無性に嬉しかったのまで思い出してしまった…にしては、
「………。」
 やっぱり表情はあんまり動かない進であり。便利と言えば便利だが、よほど酌み取ってくれる相手でないと損な性格・性分なのかもしれないですね、それ。
(笑)




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