雨に濡れても…
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 セナはこの春に高校生になったばかりの一年坊主で、おまけにアメフトもその時点から始めたばかり。本人も気が付かなかった資質、超人的な瞬発力と反射神経を見いだされ、その実力を"無理から"高く買われたという、何とも強引な勧誘を受けての入部組であり。超が無限大クラスの数だけ付くほどのド素人であったにも関わらず、いきなり春季大会という公式戦の、しかも終了間近というクライマックスに登場。鮮やかなランを見せての見事な逆転劇を収めたデヴュー後、2回戦でなんと進が所属する強豪・王城ホワイトナイツとあたってしまったのである。総合力もピカイチなら、選手たちもそれぞれに個性豊かで粒ぞろい。全国レベルで有名な、実力ある本格的なチームであり。それに引き換え、こちらは主要ポジションの2人
(3人?)以外は他の部からの寄せ集め、初の一回戦突破を達成したばかりという、比較対象に並ぶのさえおこがましいかもというチーム。勝つだなんてとんでもない、食い下がれれば大健闘という力の差だった筈なのが、終わってみれば…。スコア的には確かに王城の側の勝利だったが、エースの桜庭は負傷退場し、高校随一との噂も高い、鉄壁にして頑強、油断しているとその俊足によるターンオーバーで完膚無きまでに叩かれる名ラインバッカーの進が、その防衛ラインを見事に抜かれた。そんな散々な試合となった。
『これは"関東大会は王者の一人勝ち街道だ"と油断出来なくなったな』
 取材記者や主催協会関係者たちなぞがひそひそと囁くその中、そんな評価なぞはまるきり意に介さなかったけれど、
"あのランニングバックは…。"
 全くの無名、登録名簿に名前さえない、謎の21番。(ホントはそれではいかん筈なのだが、さすがは策士が率いるチームである。)アイシールド付きのヘルメットで顔は分からなかったけれど、たいそう小柄で、羽根のように軽く。鉄壁を誇る守りを果敢にこじ開け、風のように稲妻のように駆け抜けて行った途轍もない存在だった人物のことが無性に気になった進清十郎であった。


            ◇


 あれは…春の大会が一段落して、もう桜も青々とした葉ばかりとなり、ツツジがほころび始めていたゴールデン・ウィーク直後だったと思う。早々と初夏めいていた気候の中ではもう暑いだろうシルバーグレイの詰め襟制服。装具を着けていなくともがっしりと雄々しい肩や胸板が、到底"高校生"とは思えぬくらい、何とも頼もしい偉丈夫が校門傍に立っていて。サッカーだのラグビーだの野球だののようにまではメジャーではないスポーツの選手なだけに、一般生徒からは顔が指さなかったものの、
『誰かしら、かっこいいvv』
『あれって"王城"の制服よね。』
『こんなとこにまでお出迎えさせる娘
だなんて、ウチにいるの?』
 人気随一と言えば2年の姉崎まもりだが、浮いた話は聞かないわよねと、詮索混じりの視線の束をそれと気づかぬまま集めていた彼は、分かる人には分かる顔。鋭角的な男臭い面差しに、ワイルドに刈った短髪と、キョロキョロともそわそわともしないままの毅然とした態度とが異彩を放っていたその一角。
『ちっ、面倒な奴が。』
 スカウティング(偵察)される対象にされたのはあの大会の後だから頷けるとしても、それにしては時期が妙だし、制服着用にて…といういかにも抜けている真正直さは何とも彼らしいが、たった一人で、しかもグラウンドへ向かう気配もないのがやはり変。関わるこたないかと、無視
シカトを決めた主将は、どうやら部室で寝起きしているとの噂もあるほどの人物なので、正門前に陣取られても支障はないが、
『…あやや。』
 表向きには"主務"という立場なれど、この大男と真っ向勝負をした覚えがまだ鮮烈に記憶にあるところの、小さな小さな新入部員には、喉奥をぐるる…と鳴らす大きな虎が佇んでいるようなものにも見えたらしい。精悍な横顔に、がっしりと充実して、だが、冴えた印象を与えるシャープな体躯。いかにも王者という風格のあふれた、余裕ある態度。カッコいい人だなぁと思わず見惚れたのも第一印象の話で、
『どうしよう…。』
 別に"親の仇"なんかではない。試合だって向こうが勝ったのだし、大会ともなれば対戦相手、敵校の人間だとはいえ、そんな関係をフィールドの外へまで延長させていがみ合うのもおかしな話。馴れ合う必要はもっとないけれど、避けて通るのは却って変かもなとそういう"理屈"は重々判る。
『でもでも、う〜んと…。』
 何より"因縁"をつけるようなタイプとも思われないしと、これはセナには直感で判った。相手の強さや格を瀬踏みして、態度を使い分けるなんて下種
げすなことには、これまでにもこれからにも一切縁のない人。誰にも、自分にさえも恥じるところのないままに、真っ直ぐ剛直に生きて来た強い人だと思うから…だったら本当に、恐れる・怖じける理由なんて欠片ほどにもないのだが、
『うう"…。』
 どうしてだろうか、躊躇が消えない、葛藤が収まらない。どうしてだか、彼の傍らを通り抜けるのが怖い。いくら敵だとて、叱られも脅されもしないだろうに。第一、自分は試合中を通して、ヘルメットにアイシールドを付けていた。顔がバレると…これだけの資質だ、しかも気弱で頼み事を断れないタイプ。是非とも我が部へという勧誘がかかり、何かと騒がしいのに追い回される。それを防ぐためにと蛭魔先輩から義務づけられた装備であり、そうまでして素性を隠していた自分なのだから、試合中などという短い刹那の対面で、顔を覚えられてなんかいない筈。なのになのに、体が萎縮してしまい、どうしようと足が進まない。でもでも、だからと言っていつまでもこんなところで立ちん坊という訳にもいかないし。
『…よし。』
 意を決し、出来るだけさりげなく、あくまでも自然に自然にと足を運んで…彼がいるのと反対側に下げたバッグをじっとじっと見つめながら、胸の中をバクバク言わせつつ通り過ぎようとしたのだが、

   『…お前。』

 きゃあぁ〜〜〜っと。心臓が躍り上がるほどドキンとした。なんで判ったんだろう? あ、いや待てよ、まだ判ってないのかも。アメフト部の主務だって覚えてて、部室はどこだって聞きたいのかもしれない。カキィコキィと体のあちこちから軋むような音がしそうなくらい、緊張に強ばりながらも振り返り、
『…あの。』
 真正面に立っていた…王城ホワイトナイツのラインバッカー・進清十郎と向かい合ったセナは、
"どひゃ〜〜〜っ!"
 何と言っても風格がある。そこへ加えて、鋭い面差しは無表情なのか怒っているのかの区別が難しい。そんな人物から、紛れもなく"自分"がじっと見据えられた訳で。蛇に睨まれた蛙さながら、ガチガチに体が凍りついたような気がして、ますます萎縮してしまったセナだったが。

   『……………………………………………………(以下略)。』

 プリントアウトしたら便箋が出来るんじゃないかと思うほどに"………"を連ねて無言のまま、しばしのお見合いをどのくらい続けたか。辺りに"なんだ、こいつら"という野次馬が立ったらやだなぁと、そんなことを考える余裕がセナの側にふと戻って来たくらいの間合いの後で、
『……………。』
 ふいっと。呆然としていたのが我に返った…とは、傍目には到底分かりにくかった様子のまま、やはり何も言わないで踵を返し。大きな背中は何事もなかったかのような足取りで、悠然と帰って行ったのだった。

   "………な、何だったんだろう。"

 何となくの自覚どころか、この頃はまだ、彼が自分と同じ高校生なのだという実感さえ薄かった、そんな"始まり"だったのだが。




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