雨に濡れても…
D

 

          



 何だかますます緊張感が抜けたような気がする。集中力の方かな? 練習中に、前にもましてポロポロとボールを取りこぼすことが多くなり、
『…お前なぁ。』
 ただでさえ、大手を振っての練習は出来ない身だ。よその部の面子の目やまもりの気配がある場では"主務"もしくは"頭数合わせ"程度でいなくてはならないセナであり、
『ランニングやらラダーやら、一人でこそこそ出来る手の練習はともかくも、パスだけは相手がいて開けたとこで出ないと出来ん代物なんだぞ?』
 しかもランニングバックには、そのスタートの最初、切っ掛けで、欠かせない要素でもある以上、そうそう疎かにも出来ないこと。
『もちょっと気合い入れてやれ。集中出来んのはお前自身の責任だ。』
 こちらもアメフトに関してだけは正統派で鋭いお方。怒らすと"怖い"以上に何を繰り出すか判らないという意味では把握し切れないお人なところ、こういう言い方をすると誰かさんに何だか似ているような気がして、
"………。"
 唯我独尊、強い人はどこかが違うんだななんて、妙な感心のしかたをしていたセナだったが、
「…?」
 部室で着替えを終え、さて帰ろうかと腰を上げかけたところへ携帯の着メロが鳴った。先輩たちが"じゃあまた明日な"と先に出てゆく。ドアの向こう、何だか空が暗い。一雨来るのかなと思いつつ、
「はい。」
 通話ボタンを押すと、


   【…もしもし。】


 電話という機械を通して聞くのは初めての声。低く響いて、だが深みのある落ち着いた声だ。誰だっけ?と、傾げかけた首が………途中で止まった。

   「あ…。」

 つい昨日まで。あんなに逢いたいって思ってた、その人の声だ。えと、でも、あれ? 携帯の番号は…あ、そうだ。着メロのお話をした時に、何番なんだって訊かれたから、何の気なしに教えたことがあったっけ。でもでも、メモを取ってた訳でもなかったのにな。数字を覚えるのは得意な人なのかな? ………そんなことはどうでも良い。
「あの、」
【今、駅に着いた。】
「………。」
 始業式からも随分経ってる。合宿してたとはいっても、学生なんだから試合じゃないんだから、新学期は同じように始まった筈で、もう1週間近くは学校にも通ってたんだろうに。

   「………。」

 何でかな。何だか何だか…ムッとした。ひどく寂しかったのに、こんな風に何でもなかったようにまた構われて。そいでまた振り回されてるのかと思うと、ちょっと何だか…。

「行きませんから。」
【…?】
「ボク、もう家に帰ってるんです。だから、もう出掛けません。それじゃあ。」




 ――― 何であんなことを言ったのかな。何で怒った自分だったのかな。
     進さんてば、その時の話になるといつも、
    "あの時の小早川は声もきつくて怖かった"なんて冗談めかして言うんだけど。
     まだちょっとは怖い人かもって思ってた時期だったのに、
     何であんなに意地悪なこと、言えたんだろう…。




   "……………。"

 一方的に電話を切って。きっちり締まってなかったドアに気づいて立ち上がると、ドアの向こうから雨の音がした。小さな倉庫みたいな部室の周り、生えたままになってる雑草たちが、結構な雨脚に叩かれ弾かれてる音がした。
"傘、あったっけ。"
 どうせすぐには帰るつもりもなかったし。そのうち小降りになるかなと、部屋の真ん中、パイプ椅子に腰掛ける。今の今、帰途についたら、間違いなく駅で進に見つかるだろう。何でだか、逢いたくなくてついた嘘。
"………。"
 ボクんことずっと放っぽっといたくせに。何でもなかったみたいな調子で、昨日までずっと逢ってたみたいな調子で、勝手に電話なんかして来て。もう逢ってくれないのかななんて思ってさ、悲しくなって泣いちゃったのにさ。あんなにあんなに寂しかったのに。
"…何だよ、もうっ。"
 凄っごく逢いたかったのに。勝手なんだから、もうっ。
"………。"
 口を開けば"もうっ"しか出て来ないみたいで。…でもね、何か変。いつかみたいに胸が痛くはないんだ。ムカッてしたからむずむずとはしているけれど、駅の方で逢いましょうなんて勝手を言った時とか、一昨日ポスター眺めながらつい泣いちゃった時とかみたいに、ザクザクとズキズキとは痛まない。怒ってはいるんだけれど、これってさ、
『もうっ、しょうがない人だよなぁっ!』
 そういう感じのむずむずで、そんなには痛くないんだ。

   "………???"

 何でかな?


            ◇


 どのくらいか、ぼんやりとしたまま雨脚を聞いていて。そしたらコンビニの袋を提げた蛭魔先輩が帰って来た。
『何してんだ? お前。』
 もう全員帰ったものだと思っていたらしくて、
『雨なら待ってたって上がらんぞ。今夜通して降るって聞いた。』
 そういってがさごそと、部屋の隅のガラクタの詰まった箱を掻き回し、
『帰るついでに、これ、どっかに捨てて来いや。』
 少ぅし曲がったビニール傘を押しつけて、スポーツバッグごと、ぺいって外へ放り出されてしまったセナだった。………怖いんだか優しいんだか。把握出来ないところが相変わらず…という定義が依然として続いているのは、この人くらいなのかもしれない。
"………。"
 部室から追い立てられては、もうしょうがない。さっきの電話から1時間近く経っているし、いくら何でももう居ないだろうと。開かないこともない水色のビニール傘をさして、暗くなった駅までの道をほてほてと歩いた。バス通りを片側にした舗道は、ところどころに水たまりを光らせていて。そうと判っていながらも、時々思い切り踏み込んでは靴やズボンの裾を濡らしたセナだ。何度目かの ばちゃんに"はふぅ"と溜息をつきつつ、煌々と明るい照明が雨の帳
とばりの向こうに滲んで見えて来た駅へと顔を上げたセナは、


   "………え?"


 駅前に、途轍もなくデカイ"てるてる坊主"が立っているのを見た。
"………そんな馬鹿な。"
 ぱちぱちと瞬きし、よくよく眸を凝らしてみて。

   "………あ。"

 それが。フード部分を上げて頭を覆った、グラウンドコート姿の進だと気がついて。

   「な…っ!」


 

   ――― それからの自分の行動を、
       実は…きっちりとは覚えていないセナである。


「ほらっ。ちゃんと拭いて下さいっ!」
 備え付けのおしぼりでは足りず、オーダーを取りに来た店員さんへただならぬ迫力でもって"おしぼりを山ほど"と注文し。室内を物珍しげに眺め回していた進に気づくと、やや強引に掴み掛かり、引き剥がすようにグラウンドコートを矧ぎ取って。とりあえず有るだけのタオルでもって、髪から顔から、足元に小さく屈んでズボンの裾からと、ごしごしと拭きにかかる。
「あ…。」
 そうまでしなくていいからと、小さな肩に手を置くと、
「…
うっく。」
 小さな小さな、しゃくり上げの声がした。
「………。」
 眉を顰めて、だが、何も訊けず。進はただ無言のまま、セナの声を黙って聞いている。………こういう時にはどうしたら良いのかが分からなくて、冷静そうに見えて実は相当パニック状態だったと分かったのは後日談だが。
「………なっ…なんで。なん…で。」
 まるでがんぜない子供のように。ひっくえくえぐ…とばかりに激しくしゃくり上げてしまう呼吸の隙間を何とか縫って、セナは捩れそうになる声のまま、拙い言葉を懸命に紡いだ。
「何でっ、あんな、寒いのに待ってた、んですかっ。」
 自宅に帰ったと言ったのに。ホントは嘘だったけれど、本当に帰ったのだったら明日の朝まで通らない。だと言うのに、もっとずっと立っていた彼だったに違いない風情で、初秋のそれにしては冷たかった驟雨に打たれていた進。
「………うん。」
 問われて、少々考え込んで。
「何だか…気が済まなかったからだ。」
 間接照明が柔らかな明るさを満たしている此処は、駅の裏手にあるカラオケボックス内の一室だ。進の姿に呆然としていたセナは、進の側が気づいたことで我に返った…のかどうなのか。これまで一度も見たことがないほどの硬い表情になって歩み寄ると、むんずと進の腕を掴み、それから…有無をも言わさずぐいぐい引っ張って引っ張って。この店まで足早に連れ込んで、そして…今は、先程言い負かした店員さんが、お盆に山盛りにしたおしぼりをそぉっと運んで来てくれたところである。
「逢えないなら仕方ないかなと思ったが、随分長いこと逢っていなかったから。」
 あの場所自体も久し振りだったから。それで何となく、立ち去り難くてぼんやりと立っていたらしい。そうと聞いて、

   「風邪でも引いたらっ、どうするんですかっ!」

 真下から、きっ、とばかりに睨んで来る鋭い眼差し。顔を上げたセナは、進の足元から…相手のズボンを手掛かりに、わしわしと掴んで登って立ち上がり、続いてシャツに掴まって胸元まで辿り着いたところで…いきなり説教を始めたから、これはびっくり。


    「まだ気候が良いからって油断してると、秋の雨でも風邪は引くんですよ?
     判ってるんですかっ?!
     それでなくたって、進さんはホワイトナイツのレギュラーで、
     皆が頼りにしてるし、ボクだって…。」


 ふと、語勢が緩んで。
「こんな…ボクなんかのことで進さんが風邪とか引いたら…どうしたらいいか………。」
 ふにゃい…と。幼
いとけないお顔が、本格的に泣き出しそうなそれへ歪んだから、
「あ、や、、、な、泣くなっ!」
 つい焦って大声を出した進だったが、それが却って不味かった。
「怒ったぁ〜っ。」
 もうもう何が何やら。恐らく何が切っ掛けでもこうなったのだろう。コートを羽織っていてもかすかに濡れたらしい制服のシャツにしがみつき、おいおいと声を上げて泣き出したセナに困って。
「…えと。」
 図らずも懐ろの中、小さな手がしがみついて来て。柔らかな頬を薄いシャツ越しに胸板へと押しつけられて。
「………。」
 困りつつも、何故だろうか。同じくらいに嬉しい気色が胸の中、ほこほこと沸いてくる。最初は萎縮しまくっていたのが、少しずつ馴染んでくれた小さな笑顔。可愛らしいとか愛惜しいとか、そんなやさしい感情を教えてくれた彼は、だが。まだまだどこか他人行儀で、口調にも"です・ます"が消えなくて。どこまでも平行線のまま、及び腰のままにしか相手をしてはくれないのだろうかと思っていたのだが。そんな子が…我を忘れるほどになってまで、本気で心配して叱ってくれた。制御が利かなくなって泣き出すほど、激した感情に引っ張られて金切り声を上げるほど、心から心配してくれたのだと思うと。困りつつもなんだか嬉しいと思う、ちょっと羽目を外した自分を心のどこかに感じもして。
「………。」
 それはそれは世にも珍しく。口許を柔らかくほころばせ、腕の中の小さな温みをそっと抱いて。泣きじゃくる子供をあやすように、それはやさしく髪を梳いてやる、進清十郎であったりしたのであった。




    「えとえと。…お帰りなさい。」
    「? ああ、合宿か?」
    「はい。陽に灼けましたね。」
    「ああ。長丁場だったからな。」
    「…長丁場?」
    「ウチのラグビー部が国体に出ることになったんでな。
     当たりの練習台にされた。」
    「うわぁ〜、なんか贅沢ですね、それ。………………………あ。」
    「んん?」
    「あのあの。それじゃあ、帰って来たのは…。」
    「昨夜だ。」
    /////っ。」
    「どうした?」
    「ごめんなさいっ!」
    「? 何がだ?」
    「何もかもです。ごめんなさいっ!」
    「???」


 小さなセナは、熟れたように真っ赤になったその顔をこちらの胸板へと押しつけて、必死で隠そうとするものだから。そんな可愛い顔を見せてくれないなんて狡いではないかと、薄い肩のその外側から回して来た大きな手を、小さな顎の下へ滑り込ませて顔を上げさせようとする。やだやだと駄々を捏ねる幼い少年と、ほら顔を見せてくれないかと覗き込もうとする青年と。

   「…店長、どうしましょう。」
   「うむむむむ。ウチは同伴喫茶ではないんだがな。」

 こらこら、ドアの窓からこそこそ覗いててどうするよ。ここは一発、威勢良く踏み込んで、正しい使い方をしてもらいなさいってば。
(笑) どうやらこの時点から、なんだか変てこりんなカップルであったらしい彼らであった。







   aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


   「ところで、な。」
   「はい。」
   「名前、何て言うんだ?」
   「………はい?」



   お後がよろしいようで。
(笑)




   〜Fine〜  03.1.15.〜1.19.


  *BGMは『東京ラブストーリー』でお願いします。(やめれ/笑)
   途中から"何を書いてんだかなぁ"と、
   我に返って恥ずかしくなってしまいました。
   こういうのは冷静になっては終しまいですね。
   情熱でもって、一気に書かなくちゃあいけません。
こらこら

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